このところ無印良品か近所の小さな古着屋でしか服を買っていない。選択しやすい範囲に、選択しやすいものが揃っているので、買い物にあまり時間をかけたくない私にとっては便利なのだ。
私自身、ファッションには程遠い人間なので、無難なものが程よい価格で手に入ればそれで良いのだ。
季節や場面や気分に合わせた細やかなコーディネートなど、私にはまったく縁のない嗜みである。
ただ、いくらファッションに愚鈍な私でも、ちょっとした拘りは持っている。
下着には必ずGUNZEの純白ビキニブリーフ。
これだけは外せない。
見えない御洒落ってやつだな。
な。
この季節になるとRadioheadの曲が私のポータブルプレイヤーで流れはじめる。
「Pablo Honey」から「The King Of Limbs」まで(残念ながら最新アルバムはまだ持っていない)の8枚のスタジオアルバムを半月ほどかけて丹念に聴いていゆく。
特にRadioheadの熱狂的なファンという訳ではないのだけど、とにかく今はそんな季節なのだ。
もう少し寒くなって、もう少し厚手のコートを着なければならない季節には、高田渡か友部正人あたりの日本のフォークソングが流れはじめるだろう。
そんな季節なのだ。
夏の猛暑をなんとか耐え抜いた多肉植物たちだったが、9~10月の長雨の影響で大部分が衰弱し、そのうちの数鉢は枯れてしまった。
最近になって、ようやく持ち直しつつあるが、あの長雨は今も多肉植物たちに大きな疵痕を遺している。
新しい鉢を買い足そうとも思ったが、まずは生きのびた鉢の恢復に全力を注ごうと、やめた。
たかが多肉植物だが、私にとってかけがえのない存在なのである。
嗚呼、私の多肉たちよ。
そんな折、生花卸売の会社に勤めている義妹と彼氏が多肉植物をどっさり持ってやってきた。
徒長したり型崩して売り物にならなくなった多肉植物をカートいっぱい詰め込んで、私のためにわざわざ持ってきてくれたのだ。
歓天喜地。
法悦至極。
狂喜乱舞。
嗚呼、神よ。何てことでしょう。
薄情者?
なんとでも言うがいい。
駅の構内に鳴り響く何千もの靴音の中を足早に通り抜ける。
静けさに包まれた満載の車輌に乗り込む。
駅を出ると方々へ人々が散っていく。
コンビニでコーヒーとドーナッツとタバコを買う。
パソコンの起動スイッチを入れる。
作業机を軽く拭く。
鞄の中の荷物を抽斗に仕舞う。
鞄の中から娘の玩具が出てくる。
帰りたい。
広告業界の大御所である親戚のオバサマがうちの娘をみて一言。
「クリエィティブ!」 と仰った。
まさに、娘の日々の成長はまさにクリエイティブと言うほかない。
だが、そんな稀代のクリエイターである娘を影で地道に支える我々のクリエイティビティにも注目して頂きたい。
どこかのサイトに登録した私の個人情報が漏れたようで、お詫びに500円のQUOカードを貰った。
私の個人の価値は500円。
しかもQUOカード。
う~む。
使うあてもないので新刊の文庫本を買ったのだが、よくよく読んでみたら単行本で読んだことのある本だった。
う~む。
空回る金曜日。早く帰ろう。
隣駅の商店街には、計り売りの酒屋があったり、色んな珈琲豆を扱う喫茶店があったり、焼きたてのパン屋があったり、実直なケーキ屋があったり、昔ながらの玩具屋があったり、新鮮な素材を扱う魚屋や肉屋や八百屋があって、その極め付けに金魚屋ある。
とにかく、充実した商店街なのだ。
今日はその商店街に散歩がてら遊びに行った。
小さなビストロの惣菜を昼食に買ってうちで食べたけど、鴨のコンフィも鶏肉のハムも根菜のキッシュもラム肉の揚げパンもどれもびっくりするほど美味しかった。
もちろん、商店街なので値段も庶民的。
生活の豊かさって、やっぱ商店街の豊かさだよなと思う。
それに比べ、我が町の商店街の貧弱さよ。嗚呼。
9月から洗面室と浴室に水漏れ工事が入っている。
すでに3カ月が経とうというのに一向に原因が分からない。
まるでマルクス兄弟のコメディ映画のように、工事が入るたびに新たな水漏れが見つかるのだ。
まさか! モレモレ詐欺!?
というのは冗談だが、この笑えないコメディに早く終止符を打ってもらいたいものだ。
健康診断の結果が出た。今年もオールAの優等生である。
ただ、今回は健診を受けた医療機関が今までと違い[A]が[1]という表記に変わった。
だから今回はオール1。
あまり嬉しくない。
しかし、社会に出てからは、こういう分かりやすい評価を受けることって健康診断以外には無くなってしまった。
今回の君の仕事は[A]です。
今日の君の育児は[C]です。
なんて、分かりやすく評価してもらえると、もうちょっとモチベーションがあが…… いやちょっと待てよ。やっぱなんか嫌だな。
無し。
床屋で髪を短く切られ 朝から風邪引き鼻水たれ
乗るたびに電車が遅れ 車内に傘を置き忘れ
昼メシの注文飛ばされ 会議に遅刻し恥さらし
風呂で娘に大泣きされ 夜に冷や酒腹下し
嗚呼 なんと私らしい 哀愁だらけの人生よ
昨日、江ノ島へ行ってきた。
オフシーズンの江ノ島は、静かで平坦な海と砂浜がどこまでも続き、町は忘れ去られてしまったかのように閑散としていた。
夏の熱気と活気に溢れる江ノ島しか知らなかったが、冬の江ノ島もなかなか趣があって好かった。
あと、お昼に食べたかき揚げ丼は絶品だったな。
給料日である。
我々サラリーマンの血と汗と涙と屁の結晶。
辛酸を舐めつくした労働の苦労こそが給料なのである。
給料明細をペリペリと慎重に開くその瞬間。
これこそがサラリーマンの最大にして最高の至福なのだ。
ところが一転。
明細に印字されたあまりにも少ない金額。
戸惑い、嘆き、叫び、怒り、最後には静かに諦めるのだ。
地に落とされ、打ち拉がれ、現実に立ち返る。
こうやって僕らは給料日ごとに大人になっていくのさ。
給料日である。
フィデルが亡くなった。
彼の評価については賛否あるが、大胆不敵な彼の発言は情熱的で魅力的で文学的で魔術的ですらあった。
冷戦を凌ぎ、制裁を堪え、暗殺を躱し、波乱の中、キューバという国を維持し続け、尚且つ医療・教育・農業を主軸とした先進的な政治施策を実現してきた。
しばしば彼の盟友であるゲバラに注目が行きがちだが、私はフィデル派だった。
90歳。
仕方ないといえばそれまでだが、残念なことだと思う。
歴史的カリスマの死を極東の島国よりお悔やみいたします。
まだ私が高校生の頃。
学校に意義がみいだせず。だからと言って他に何かがある訳でもなく。悶々とした気持ちから逃げるようにしてバイトに明け暮れバイクを乗り回していた時期があった。
そんな頃、ひょんなことから同年代の面白い人々に立て続けに出逢った。
皆、なんらかのドロップアウト組だったが、私のように惰性で日々を送るのではなく、彼らは現実的で具体的な目標と情熱的な行動力を持って、それぞれの夢に向かって邁進していた。
決して不良ではないのだけど、学校には行かない、社会規範などお構いなし、生活も破茶目茶、でも、自分の筋は通す。そんな姿が私には眩しく映ったし、私なりに彼らを真似してみたりした。
若さゆえに理想が先行することはあったけど、彼らとつるんでいると主体的に何かに関わっているという実感が持てたし、学校や地元の仲間といるよりよっぽど刺激的だった。
その後、私は自分なりに色々と考え、自らの道を右往左往と歩むことになり、彼らと連絡をとることもだんだん無くなってしまった。
彼らがいま何をやっているのかは分からないけれど、彼らならそれぞれの分野で活躍していることだろう。
20年前。
今、あの頃がものすごく懐かしい。
平凡だけど、素敵な自分の人生を、私は手に入れたぞ!
こないだ親父が娘のために積木を買ってくれたのだが、娘が興味を持つ前に、私の※立体構成魂に火をつけた。
※立体構成とは
私が受けた大学の受験科目であった。与えられた材料で美しい造形物を作れという無理難題である。ちなみに私の受験時に与えられた材料は週刊少年ジャンプだった。
しかし、普段、娘は積木に目もくれないのに、私が何かを作っていると横から崩しにやって来る。
おかげで、私は瞬時に新たな美しい構成を思いつき、瞬時に組み立てられるようになったが、未だ完成には至らない。
もし、立体構成が受験科目にあるような大学を目指している方がいたら、積木と娘をセットでお貸ししよう。
合格間違いなしだ。
お気に入りのバッグがある。
メキシコ製のシンプルな豚革のバックで、サイドポケットが少しユニークな作りになっているが、とても実用的で使い易い。
ただ、5年以上も毎日のように使って、だいぶ草臥れてきてしまい、所々にガタもきているので、そろそろ買い替えなければならない。
ろくに手入れもしなかったのだから仕方ないが、気に入っていたのでとても残念だ。
できれば同じものが欲しいが、無理な話だよな。