師走である。
私のような怠け者でも、さすがに忙しくなってきた。
街は完全にクリスマスモード。松飾りなども売られ始め、正月モードもちらほら。仕事は年内に区切りをつけようと様々に重なる。その上、忘年会やら納会やら宴席のオンパレードである。
個人的には娘の誕生日と私の誕生日と結婚記念日もやってくる。
年賀状に大掃除もあるな。
う〜む。
我々は自分で自分の首を絞めているのではなかろうか。
明日はこのホームページ設立15周年の記念日でもある。
う〜む。
去年今年 貫く棒の 如きもの 虚子
15年前。
当時、私は二十歳を少し超えたばかりの若輩者であった。
遥か昔のことだ。
特に反応があるわけでもなく、注目を集めるわけでもなく、我ながら個人的なことを15年間も地道に書き綴ってきたものだと思う。
15年前。
当時、私は若輩者で、今の自分とは何の関わりもないように思えるほど遥か昔のことだが、この空間の中では連綿と結びついている。
俺よ。15周年おめでとう。
キルティングのコートを見かけると、どうしても炬燵を連想してしまうのは、私が日本人である証拠か?
季節はどうしようもなく冬なのである。
さて、子育てを始めてもうすぐ1年になろうとしている。当初は父親になったことへの戸惑いばかりだったが、まだまだ至らぬところはあるにしろ父親業にも慣れてきた。
ただ、ここのところ仕事で遅くなる日が続き、妻には迷惑をかけっぱなしで申し訳なく思う。
父親と仕事。
これからずっと付きまとう難題だろう。
ボンボンの付いているニット帽を見かけると、どうしても鏡餅を連想してしまうのは、私が日本人である証拠か?
どうしようもなく冬なのである。
さて、また子育て。
子育てとは孤独だ。ドメスティックだ。なかなか共有が難しい。父母の間だけでは限界がある。
そうしたこと以外に、どうしても生活が子ども優先になるので、気軽に友人と呑みに行くなんてこともできない。
実際、うちには月に2度ぐらいは友人が遊びに来たものだが、今はめっきり少なくなった。
外部との接触が著しく無くなることで、行き詰まるし、息詰まる。
昨日は娘の1歳の誕生日だった。
思い返してみると、父も母も振り回されっぱなし。てんやわんやの日々だった。
この先も、まだまだ大変なことは山のようにあるだろう。
だが、とにかく1年間、大きな怪我も病気もせず健やかに成長してくれた。
ありがたいことである。
でも、子どもを育てることがこんなに大変なのに、よく人類はここまで繁栄できたよな。
不思議だ。
家路にて。
仕事の苛立ちを抑えようと、鞄に入っている本を取り出す。
栞を挟んである頁から読み進めていくと、物語の主人公も裏切りによって苛立っていた。
クリスマスイブである。
毎年、クリスマスなど特に気にかけず過ごしてきたが、今年はなんだかムズムズするのだ。
そして結局、ムズムズが抑えきれず、仕事帰り(仕事なんです!)に娘のプレゼントを物色しているのである。
だが、プレゼント選びに熱中しているうちに、ふと我に返り、こんな俺がサンタ気取りかと、またムズムズするのである。
ムズムズクリスマス。
クリスマスである。
毎年、クリスマスなど特に気にかけず過ごしてきたが、今年はなんだかムズムズするのだ。
それなのに、今年のクリスマスは朝から広尾の教会へ行き、クリスマスのミサに出てきたのだった。
ゴッドブレス ミー。
ようやっと仕事納めである。
今年は個人的にも社会的にも色々なことが巻き起こった年であった。
しかし、毎年思うことなのだが、年越しというと大仰なもののようだが、よくよく考えれば、少しまとまった休みがあるだけなのだ。
年内になんでもかんでも納めてしまおうというのも人情だが、もうちょっと冷静になれば、もうちょっとゆったりとした年越しができそうな気がする。
師走というが、みんな自分のせいで走らされているのだよ。まったく。
誕生日。
37歳になった。
誕生日なので、好物のすき焼きをたらふく食べさせてもらったが、胸焼けに苦しむのだった。
もう若さから完全に隔絶され、どうしようもなく中年になってしまったことをつくづく感じる哀しき誕生日である。
37歳。
残念ながら、大金持ちにもなれなかったし、有名人にもなれなかったし、一廉の人物にもなれなかったが、小さいながらも確かな幸せはだけは手に入れられたように思う。
ただ、そんな小さな幸せでも、維持していくのは大変そうだ。
もし、誕生日の抱負を述べろと言われれば、まずはこの幸せの維持である。
3億当たるとちょっとは楽になるな。
12月は様々な記念日があって、嫌でも色々と振り返らなければならないので、けっこう疲れるのだが、大晦日ぐらいは頭空っぽに、無心で年を越したいものである。
まあ、とにかくみなさん良いお年を。