明けましておめでとうございます。
残念ながら年末ジャンボの10億円は逃した。
真平です。
今年は子育てに余裕を持って、もう少し自分の時間が持てるようにできればと思うが、そんな上手くいくわけないよな。
本も読みたいし、映画も見たいし、創作したいものもある。人間、何もできてないと思うと、どこからか色々な意欲が湧いてくるものなんだな。まったく。
さてさて、そんなわけで今年はどうなることやら。
みなさんは私のように意欲だけが空回りしないよう、実りある一年にして頂ければと思う。
正月休みの最終日の夜、連日の暴飲暴食で重くなった身体をベッドに横たえながら、今年の正月も結局酒に呑まれてしまったかと、少し後悔しつつも、久しぶりの酔いの気怠さを懐かしく感じながら眠りに就いた。
結局、二日酔いならぬ三日酔いで仕事始めに突入した。
そして、正月明けの朝の電車に揺られながら、嗚呼、自分はこのままでいいのだろうか?と重い頭を抱えるのである。
まあ、この一連の流れが毎年の恒例行事みたいなものになってしまったオジサンなのである。
私がまだ小さな頃、母がテーブルヤシを貰ってきた。
ヤシと私は共に育った。樹齢は30年ちょっと。
今ではもう私の肩ぐらいまで成長し、テーブルにはおさまらなくなってしまった。
ヤシは今、私の家にある。
家に来てからはリビングの南側の一番明るい窓際に置いていた。
最近は娘がイタズラするので北側のバスルームに避難している。
娘にもう少し分別がつくようになれば、また明るい場所に戻してやろう。ヤシも私も、すべては娘次第だ。
ここには、有用なことも、自慢できることも、具体的なことも、楽しいことも、何ひとつ書かれていない。
それどころか、動画も画像も色もない。
文字だけだ。
書かれているのは、本当に個人的な内容ばかりで、拡散も炎上もしようがなく、どうしようもないものばかりである。
有用なこともないが、無用な広告もない。
世の中にそんなサイトが1つぐらいあってもいいでしょ。
ね。
今日も一日何もできなかったな。
つまり、娘のために精一杯できたんだな。
子育てを始めてから、幼少の記憶を思い起こすことが多くなった。
娘はまだ一歳なので、そこまで昔のことは分からないが、できるだけ古い記憶を掘り起こしてみる。
すると、感情に起因した記憶が多いことに驚く。
寂しさ。侘しさ。傷ましさ。心許なさ。そんな負の感情とセットで物事が記憶されていることが多い。そして、これらの感情はある種の違和感を契機にしている。
人はこうした違和感に反応して物事を深く記憶に刻みつけるのだ。
記憶というのは過ぎてしまったことなのに侮れないところがある。記憶によって一生を棒に振る人だっている。
ちょっと待てよ。感情と記憶だなんて、俺がただネガティブな子どもだっただけなのかもしれないじゃないか。
いや待てよ。俺は何がしたかったんだ?
というような子育ての毎日なのである。
東日本の震災のあとぐらいからだったと思うが、マスクをする人が増えたように思う。
実は私もその一人で、11月の風邪の流行から4月の花粉までの6ヶ月間は外出時にできるだけマスクをするようにしている。
よくよく考えると、いくら外出時とはいえ一年の半分をマスクで過ごすというのも、ちょっと異常だよな。
でも、春先になって、いざマスクを外して外出してみると、口元を露わにしていることが妙に心許なく、妙に気恥ずかしかったりするのだが、やはりそれはそれで爽快なのである。
嗚呼。 春が待ち遠しい。
ちなみに、永らく伸ばした髭を剃ったあとも、まったく同じ感覚になる。
スカイ・クロラというSF小説がある。
全5巻+番外編1巻のシリーズである。
映画にもなったのでご存知の方も多いと思う。
なかなか面白い物語だ。
そして、今日、先ほど、このシリーズをすべて読み終えたのだが、なんと、私は物語に隠された恐るべき謎を解き明かしてしまったのである。
語りたい。
誰かに語りたい。思う存分語りたい。
誰かに語って、「へ~!」とか「ほ~!」とか言われたい。
仕方ない。 娘にでも語るか。
風をひいた。
あんなに注意していたのにひく時はひくのだな。
マスクよ。おまえは何をしていたのだ。
本当に。
最近のこの日記の内容を見ていただくと感じて頂けるだろう。
今や私の中での娘の存在はかなり大きなものとなっている。
私のような独りよがりの人間ですらこのような変化なのだから、子どもという存在は侮れないのである。
人生のコンセプトが根本から変化する恐るべき存在である。
古本探しは楽しい。
町場の古本屋なんてほとんど見かけなくなり、チェーン展開の店ばかりで、面白味はだいぶ減ってしまったが、それでも古本探しは楽しいものである。
その楽しみのひとつには、欲しい本が一長一短には手に入らないというところにあると思う。
例えば、最近、私は畑正憲の「ムツゴロウの青春記」が読みたくて探しているのだが、再版されていないのでなかなかみつからない。
一応、駄目元で何度か古本屋に行ってみるが、やはり置いていないので、何となしに棚を眺めていると、ずっと読みたかった岡本太郎の「芸術と青春」があるではないか!
というような事がよくある。
斜め横からのちょっと捻くれた喜びを与えてくれるのだ。
もちろん、それ以外にも、目的の本とはまた別の出会いが生まれたり、その関係が発展したり、深まったりと、いろいろと楽しい。
この楽しみはAmazonではちょっと味わえないと思う。
不倫的な楽しみだな。これは。
シンポジウムや講演や集会に参加して、その集まりの意見や方向性を明示しないということがたまにある。
ある問題に関して、肯定なのか否定なのか。
ある命題に関して、賛成なのか反対なのか。
まったく分からないのである。
そして、司会者は言う。
「まずこの問題を多くの人に知ってもらいたい」
ざけんじゃねえ!
問題をなんとかしたいから私は来ているのに、そんなどっちつかずで何ができる。
まったくもう!
真っ赤な口紅に真っ黒な髪を引詰め、真っ黒のガウンコートをしっかり着込み、黒いストッキングに曇りひとつない黒パンプスで、軍隊行進のように一糸乱れず、そして、体操競技のように優雅に美しく、駅構内を闊歩する。
そんな集団をたまにみかける。
中国の航空会社に勤めるアテンダントの出勤風景である。
空港が近いのだ。
寒い日の朝にこの光景に出くわすと、厳粛な祭典でも見ているかのようで、寝惚けていた目が覚め、自然と背筋が伸び、身が引き締まる。
しかし、圧倒された私は、ただその場に硬直し、彼女たちを見送ることしかできないのだった。
頑張れ俺。
娘を観察していてあることに気が付いた。
1歳前後の子どもの行動や性質がゾンビそのものなのである。
ちょっと例をあげてみよう。
1 行動や思考に制限がある
ハイハイやヨチヨチ歩きなので簡単な柵でも行動範囲を管理できる。もちろんドアなんかも開ける知恵はないのだが、こちらの盲点をついて突破してくることがけっこうある。
2 音や光に敏感である
何か落とそうものなら、その音を聞きつけ、即座に寄ってくる。パソコンやタブレットを触っている時もその光を感知して寄ってくるので、おちおちしていられない。振り向けば奴がいる。
3 突如として暴れる
原因不明の暴走が起こる。うちの娘の場合は突然ヘッドバンキングを始めたりするのだが、他の子たちも様々にあるようだ。あと、暴れるわけではないが、夜になると妙なテンションになる。
4 纏わりついて噛む
なんだか今日は妙に懐っこいなと思っていると噛まれる。最近は加減なく噛むのでかなり痛い。噛んだあとは私が痛がっているリアクションを見て爆笑したりしている。感染はしない。
5 集団になると手強い
娘だけなら私ひとりでも対処できるが、これが3人4人となるとお手上げだ。死を覚悟するしかない。ちなみに、そういった状況にこの1年で5度ほど直面しているが、無事、生還している。
とまあ、こんなところだろうか。
見た目が愛らしいので惑わされがちだが、その本質はゾンビに酷似するのだ。
侮れない。
私の父がアルペンスキーをやっていて、幼い頃から私もよくゲレンデに連れて行かれた。こう見えても、私はけっこうスキーは上手いのだ。
小学校4年だったと思う。宿で夕飯を食べ終え、親父は仲間と酒を呑みはじめ、私はやることもないので一人でナイターを滑りにいった。
二本ほど軽く滑ってから、最後、頂上から滑って終わろうかと思っていたら、雪が降りはじめてきた。
結局、頂上に着いた頃には吹雪いていて、リフトのおじさんもこのままリフトで降りたほうがいいと勧めてくれたが、私は熟知しているコースということもあり、その忠告を無視して滑って降りることにした。
ゲレンデに人影はなく、ナイター照明の橙の灯りと夜の黒い闇、その間を吹き荒れる白い雪。
少し滑ると、吹雪で見通しが利かなくなり、立ち往生。これはちょっとヤバイかな? と思いつつ、雪が弱まった時を見計らって、通常の倍以上の時間をかけてゆっくり降りていった。
21時をまわって、なんとか無事に下山すると、頂上で忠告してくれたリフトのおじさんが心配して待っててくれた。
宿に戻ると、親父は酔っ払って仲間と一緒に騒いでいた。
それからというもの、私はナイターの虜になった。でも、あの日のような猛烈な吹雪には遭遇しなかった。
このホームページもだいぶ古くなってしまい、そろそろCMSとか使っちゃって、SNSと連動させちゃったりして、スマホでもサクサク見れるような、今どきの対応をしないといけないと思っているのだが、なかなか進まない。
でも一応、どんなものが必要か、色々と調べているのだが、
「アフィリエイトで稼げない10の理由」
「集客力アップに欠かせない12の方法」
「SEO対策で上位独占必至15の知識」
などと、なんだか生々しい言葉ばかりが検索結果に上がってくる。
う~む。
ホームページのあり方も今はなんだか世知辛くなってしまったな。
インターネット黎明期。まさにこのホームページをはじめた頃の玉石混淆の時代が懐かしいばかりである。
今だに掲示板を設置しているなんて奇跡ですよ。ほんと。
書き込み無いけど。
先週末。合衆国大統領の就任に合わせ、全米で行われた大規模なアクション「Women's March」の盛り上がりは凄かった。
「Pussy Cat」をモチーフに「Pussy Hat」というピンクの猫耳ニット帽をかぶって参加しようという呼びかけに、多くの参加者が呼応していることにも驚愕した。
ユーモアに富む力強いメッセージである。
アフガン侵攻反対、イラク戦争反対、脱原発、改憲反対 などなど、私も日本でのレジスト・プロテストのアクションに数々参加してきたが、今回の「Women's March」のようなアクションは様々な意味において今の日本では絶対に成立しないだろう。
腐っても合衆国。
グラスルーツ発祥の国なのである。リテラシーが違う。
羨ましいニャ~。
日頃からAdobeの製品には大変お世話になっている。
Illustrator Photoshop Indesign Dreamweaver Bridge などなど、便利な製品ばかりである。
ただ、Adobe製品に頼りすぎていて、Adobeが無くては何もできない人間になってしまっているような気がする。
私のような怠惰で不器用な人間にとって、Adobeは甘い蜜の毒なのかもしれないな。
きちんと自分の頭と手を使おう。
Ctrl+Z も中毒性の高い毒だよな。