今日は朝に時間休を貰って娘を保育園に連れて行き、ほんの少しだけ時間に余裕ができたので、いつも電車で通り過ぎてしまう朝の銀座の街をほんの少しだけ散歩した。
朝の銀座は、世界が始まったかのように清々しく、世界が終わったかのように静かだった。
さて、妻の熱がなかなか下がらないので再受診したところ、肺炎だった。
重症ではないので入院こそ免れたが、絶対安静。娘には申し訳ないが、ゴールデンウィークは返上し、まだしばらくは頼りない父だけによる子育てが続きそうだ。
でも、こんな時に、いや、こんな時だからこそ、あまり心地良いとは言えないコマゴマしたゴタゴタが重なったりして。頼りない父の心は少しずつ削られ、荒むのだった。
嗚呼。猫の手でも借りたい。癒しにもなる素晴らしい手を。
ゴールデン・ウィークも終盤である。
肺炎を患った妻に回復の兆しが見えてきた。
これでようやく我が家にも日常生活が戻る。
と、そんな喜びも束の間、肺炎こそ免れたものの二週間以上続く咳によって私の横隔膜はズタボロになっており、咳をする度に激痛が身体中を駆け巡る。痛み止めを服用していないと日常生活も儘ならない状態になってしまった。
参ったな。
さて、予てより私が応援していたプロボクサーの船井龍一選手が、親友との対決という運命的な辛く苦しい闘いを制し、三月にスーパーフライ級の日本チャンピオンになった。
近々、祝勝会があるので、チャンピオンにお会いするのが今からとても楽しみでしかたないのだが、その時には私もこの辛く苦しい状態をなんとか切り抜け、このズタボロの横隔膜周辺をバッキバキのムッキムキにしてチャンピオンにお目にかかりたいと思っている。
ちなみに、この二週間で4キロ減量しており、ちょうどスーパーフライ級ぐらいになっている。
参ったな。
結局、ゴールデン・ウィークを棒に振ってしまったが、家族全員なんとか病魔から脱しつつあり、我が家にもようやく日常らしきものが戻ってきた。
良かった。
さて、みなさん「ヨコハマ買い出し紀行」という漫画をご存じだろうか? 90年代半ばから10年ほど連載された星雲賞受賞のSF漫画である。
内容は、主人公のアンドロイドが世界大戦後の激変した世界で衰退してゆく人類との交流を描く漫画。
というと、いかにもディストピア的終末SF作品を想像してしまうのだが、タイトルに「買い物紀行」とあるように、物語自体はとても呑気に「ゆったり」「まったり」「のんびり」とした感じで進行してゆく。
これまで数々のSF小説と数々の紀行文とを好んで読んできた私にとって、両方の要素を備えたこの漫画は久しぶりのドンピシャ作品なのである。
読後感として、こんな終末なら悪くないなと感じてしまうのは、ちょっと危険だが、悪くないのである。
しかし、繁栄真っ盛りの我々人類は「セカセカ」「キビキビ」「ガシガシ」生きていかねばならない。まいったな。
今日は生憎の曇り空だが、5月に入ってから過ごしやすい陽気が続いている。
良い季節だ。
夏なんか来ないで、この陽気がこの先ずっと続いてくれるとありがたいのだが、そう上手くもいくまい。
さて、最近、職場で子どもがポコポコ産まれている。
良いことだ。
単身者ばかりの職場というのはブラック化しやすいと様々なところで言われているが、実際、それまで60時間も70時間も見境なく残業していた連中が、家庭のために否が応でも仕事にケリをつけ、帰宅するようになった。
サボリーマンを自称するこの私ですら、家族を持つまでは、ちょっと仕事残っちゃったから切りのいいところまでやってくか、なんて、ちょこちょこと下らない残業をしていたものだが、今はそうもいかない。まあ、サボリーマンだから途中で厭きてきて帰っちゃうんだけども。
早く帰るために仕事の手を抜くというのは論外だが、仕事内容を精査して圧縮していくことは必要なことだと思う。今思えば、単身の頃はそうした意識はまったく無く、有り余る時間の中、机の上に素材をばら撒いて、無計画に行き当たりばったりの仕事をしていたように思う。
もちろん、そんなに上手くいく仕事ばかりではないことも事実だ。思い入れのある仕事だとどうしても時間を費やして良いものを作りたいと思うのが人情だし、職種や職務によってはどうにもならないこともある。
ただ、成果や効率よりも努力が重んじられる今の風潮は終わりにして、もう少しドライに働いてもいいのではないかと思うのだ。
そうした意味で、今回のベビーブームが良い面に働くことを願う。
コドモ ポコポコ ミポコポコ アワセテ ポコポコ ムポコポコ
小学生の頃から英会話教室に通いはじめ、中・高・大と10年間も英語の授業を受け、試験も問題なくパスしてきた私が、英語がまったく喋れん! なんでだ!?
とまあ、私と同じような思いを持っている方は多いと思う。
さて、そんな私ではあるが、英語の試験対策にちょっと変わった勉強をしていたことがある。
それは、洋楽のCDを聴きながら、歌詞カードの英文を辞典片手にひたすら訳していくというもので、退屈な授業のテキストで勉強するよりは、好きな音楽を聴きながらその内容を紐解くほうがよほど有意義だろう、という謎の理由からそんなことをしていたのだ。
今でも忘れない。中学1年の頃に最初に訳したのはサイモン&ガーファンクル のアルバム 「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」の一曲目に収録されている「スカボロー・フェア」である。
なんか、中学1年特有の世間ズレした選曲が恥ずかしい限りではあるが、さらに恥ずかしいことに、私は以下のような誤訳を連発していたのである。
Remember me to one who lives there
あそこに住んでいる人に私を思い出させろ
む~ん。
英語と私の悲しいすれ違いは、当初から既に始まっていたのだ。
こりゃ喋れんよ。
今朝、20分近く電車が止まった。今週は一度も定時運行してないな。まったくもう。
「新橋から浜松町の線路内を歩行している人がいる」と運行見合わせの説明のアナウンスされていたが、この陽気の中、線路をのんびり歩くのも悪くないな、なんて、ちょっと思った。
しかし、そんな気楽な妄想をよそに、私の乗っている車両には、どんどん人がなだれ込み、グチャグチャ、ムチャムチャ、ギュウギュウ状態になってしまうのだった。
暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りを点けましょう。 か。
今度は俺が線路を歩いてみっかな。 なんてな。
夜も深まる23時。妻の悲鳴によって我が家の静寂は失われた。
奴が出たのである。
いつも、ちょうどこの時期と夏の盛り、そして秋口あたりの年に三回ほど、黒光りする奴は思い出したかのように我が家に出現する。
神出鬼没の奴の出現の頻度と個体数からすると、我が家に棲みついているわけではなさそうだが、毎朝、入念な掃除とゴミ処理に励む私としては大変不本意である。
ただ、3億年以上前から地球にいる奴を完全に排除するというは難しい。そこで私は奴が出現した際には人畜無害で後処理も便利で確実な捕捉性を誇るアース製薬のホイホイシリーズで捕獲にあたっている。
かつて、釣りを嗜んでいた私としては、この捕獲器の設置にはちょっと拘りがある。奴の生態や習性を理解し、迅速かつ確実な捕獲ポイントを選定するにはかなりの経験と勘が必要だ。
私ほどになると捕獲器設置後、数分で奴を捕らえることもある。下手な防虫スプレーをあちらこちらに撒き散らすよりはよっぽどマシだ。
ちなみに、昨晩の奴は、まだ捕らえられていない。
娘の動線にも配慮しながら捕獲期を設置したので、ちょっと妥協してしまったのだ。
こりゃあ、本気でぶつかるしか無いな。
ガチンコ勝負だ。
私はスマホ(フォ?)もタブレットも持っていないので、逐次連絡を取り合うとしたら電話かメールしかない。
今はネットを介した便利な連絡手段があるが、そうした事情から私には何も使用できない。
あと、ここ最近、土・日・祝日は活発になった娘の面倒を見ているだけで一日が終わってしまうので、ネットをする時間が無くなった。完全なスタンドアローン状態だ。
なので、私が一番ネットに開けているのは、仕事をしている時なのだ。だから、この日記も仕事時間中を ゲフッン!
危ねえ。
しかし、あれだな。時代ではあるが、SNSばかりで、ブログですらやっている(又は、持っているが放置)人もみなくなってしまった。悲しいな。
先週、線路内立ち入りで電車が停まった話をしたが、友人から、あれは痴漢を疑われた人が線路から逃走したのだと教えて貰った。
そして、同日夜、別の駅でも同様の事件が発生し、逃走した方が亡くなった。それから、今日も別路線で同様の事件が発生し、逃走した方が電車に撥ねられ亡くなった。
一週間を置かずして、この件数は異常である。
もちろん、痴漢行為は許されない犯罪である。しかし、満員電車での痴漢事件は犯人の特定が難しく、冤罪が生れやすいのも事実であるし、悪意ある虚偽告発事件なども過去にはあった。
周防正行監督の映画「それでもボクはやってない」をご覧になった方は分かると思うが、痴漢事件は冤罪であろうがなんだろうが、逮捕されたら終わりである。無実を示す証拠を出たとしても、必ず起訴され、必ず有罪になる。
そんな経緯から、こうした事件が多発しているんだと思う。
今回の方々が無実かどうかなんて分からないが、問題は無実であっても、堂々と弁論する場も正当に判断される場もなく、逃げるしか道が無いことにある。
満員電車で通勤している以上、というか、都内の電車に乗る(常に混んでるから)以上、我々は背筋も凍る不条理に常に晒されているのだ。
もう、電車乗らない。 という訳にもいくまい。
先週末、娘の機嫌が悪く、鼻を垂らし咳もしていたので体温を測ってみると、37.6度。微熱。
戦慄が走る。
肺炎騒動がようやく終わり、日常を取り戻しつつある我が家にまたあの悲劇が再来するのか。
またなのか。
今のところ熱は下ったので、毎朝、元気に登園しているが、鼻水と咳は相変わらずだ。
油断ならない。
でも、くしゃみをした時に漫画のように鼻水を垂らしている娘の姿が父ちゃんは好きだ。
可愛いのだ。
結局、うちのハナタレ娘は、中耳炎を患い、40度近い熱を4日間出し続け、解熱後も朦朧とした状態が2日間続き、今朝、ようやくいつもの笑顔をみせはじめた。
1週間の闘病生活であった。
保育園に入るまでは風邪ひとつひかなかった娘だが、入園してからの風邪の猛攻は想像以上である。
入園して2ヶ月近くが経とうとしているが、親の消耗も相当なものである。正直、もう勘弁してほしい。
とまあ、弱音の日記で申し訳ない。
先週、我が家が娘の中耳炎でバタバタしている最中、ボクシング日本スーパーフライ級チャンピオンの船井龍一選手の祝勝会に行ってきた。
ボクシングに関しては門外漢の私だが、友人のカメラマンがボクサーを被写体に作品を撮っているというので、2年前、生れて初めて後楽園ホールで試合を観戦したのだった。
そして、その日に見た船井選手の鮮烈なKO勝利。
身体性を極限に研ぎ澄まし、真っ向からぶつかり合うボクシングの本技に直に触れ、私はボクシングに、いや、船井選手の魅力に引きずり込まれてしまった。
その船井選手が今年3月、親友との対戦という精神的にも苦しい試合を7ラウンドKOで制し、日本タイトルを獲得したのである。
もちろん、私もその試合を観戦したが、まるで野生動物が戯れているかのような、優雅さと鋭さを持つ本当に美しい試合だった。
そんな船井選手の祝勝会だったわけだが、日本チャンピオンになっても実直で素直な船井選手の人柄は変わらず、奥様から語られるチャンピオンの実生活秘話や日本チャンピオンの解説付きで世界戦観戦などなど、鼻血ブーものの楽しい祝勝会だった。
近く行われる初防衛戦には絶対に応援に行こうと思っている。
迷惑かもしれないが、老いさらばえた私にとって船井選手は唯一無二のアイドル。いや、訂正。娘に次ぐ唯一のアイドルなのである。
立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花
というわけで、先日、義妹の旦那さんから芍薬の花を貰った。
生花の仲卸に勤める義妹の旦那さんは、事ある毎に売りものにならなくなった花を持って来てくれる。
売り物にならないといっても、ちょっと不揃いとか、ちょっと時期が過ぎたとか、そんなものなので、花としては何の問題もない。
おかげで我が家はいつも季節の花に彩られている。
ありがたい限りである。
花以外にも、私の好みの不思議な植物も持って来てくれる。
新鮮で美味しい野菜や米を実家から貰って来てくれる。
ありがたい限りである。
さり気なく生活に豊かさを提供してくれる人って素敵だよな。