週末に学生時代の親友たちと会ってきた。
みんなで揃うのは久しぶりで、会っていなかった時間を埋め合わせるように、たくさん話し、笑い、食べ、飲んだ。
まだまだ一緒にいたいのに、あっという間に時間は過ぎて、結局、終電間近になって後ろ髪を引かれる思いで解散しなければならなかった。
待ち合わせの際、親友のひとりが道に迷って遅れてしまい、それを冗談めかして冷やかしていたのだが、私も帰り道で迷ってしまい、危うく終電を逃すところだった。
お互い若い頃は慣れ親しんだ街の筈なのだが。
トホホである。
しかし、言葉が通じる相手(娘と比較して)とじっくり話しをするのも久しぶりだったけど、気が置けない信頼できる親友と一緒に過ごす時間は本当に楽しかったし、幸せだった。
娘も素敵な親友に出会えるといいな、なんて思いながら、街のネオンを眺めつつ、電車の揺れに身を任せる父であった。
先日、娘を連れて美術館に行ってきた。
妻の知り合いが美術館に話をつけてくれて、子連れでも気兼ねなくゆっくり鑑賞できるように、開館前に鑑賞できる機会を作ってくれたのである。
と言っても、公式の観覧ではないので、参加したのは3家族8人だけで、誰もいない静かな美術館でとても贅沢な時間を過ごすことができた。
娘はまだ芸術鑑賞などできないので、館内の探検をしたり、作品にこっそり触れたり、こっそり叩いたりしていた。
しかし、娘が触ったり叩いたりする作品が、よくよく見ると同じ作家のものだったりするので、その行為こそが彼女なりの鑑賞なのだと発見する父なのであった。
どんどん触れ! どんどん叩け! 芸術は爆発するんだ!
責任は父ちゃんが取ってやる!
何もしていないのに疲れる。
いや、何もしていないわけではないな。
仕事もしているし、子育てもしているし、生活全般をめいっぱいこなしている。
逆に言えば、今までこんなにめいっぱい生きてこなかったのかもしれない。だから、こんなに疲れたという実感も無かったのだ。
あと、もうひとつ。あまり考えたくはないのだが、年齢的なものである。当然のことながら、昔は若かった。今よりも無理ができた。
もう少し若いうちに結婚して子どもを作っていればな。
子どもを考えている人は、少し無理をしてでも、若いうちがいいですよ。本当に。
私の仕事は基本的にデスクワークだが、会社全体では様々な仕事があって、先日、ひょんなことから工場の現場仕事を手伝いに行くことになった。
いわゆる肉体労働である。
久々の力仕事だったので少々不安もあったが、身体を使って仕事を捌いていくというのもなかなか爽快なもので、汗にまみれて没頭してしまった。
おかげで、いつもより昼飯も美味いし、慢性的に抱えていた肩凝りや頭痛なども消し飛んでしまったし、夜もぐっすり眠ることができた。
しかも、現場の人たちからは感謝されるし、自分の職場の人たちからは労ってもらえるし、良いことずくめである。
週に一度ぐらい手伝いに行こうかしらん。
などと気軽に思っていたのだが、次の日の筋肉痛たるや。。。
身体は定期的に動かしましょう。 人間は動物ですからね。
月曜日の朝が疲れのピークってどういうことなんだ!?
真平です。
さて、娘の保育園では数え唄や遊び唄などの童唄で子どもたちと遊ぶこともあり、こないだ保護者会で「ももや」という童唄を教えてもらったのだが、この歌詞が実に奇妙なのである。
もーもや ももや
ながれが はやい
せんたく すれば
きものが ぬれる
あ どっこいしょ
というものなのだが、正直、何がなんだか分からない。
童唄というと「かごめかごめ」が有名で、その歌詞の内容が不合理かつ多義的なことが多く、解釈や由来に関しては様々な説を持つ。
この「ももや」も類にもれず意味不明で奇妙な唄ではあるが、子どもたちはこの唄に合わせて身体をユラユラと右に左に大喜びで揺らすのである。
まさか? お前ら! 意味わかってんのか!?
父ちゃんはちょっと怖いぞ!
「週刊SPA!」という雑誌をご存じだろうか?
名前は知っているが読んだことは無いという人が多いと思う。
私も買うことまではしないが、定食屋や床屋なんかに置いてあると、ついつい手にとって見てしまうのだ。
というのも、毎回「週刊SPA!」の特集は、私のようなショボクレサラリーマンの卑小な知的(?)欲求を見事に満たしてくれる優れた内容になっているからなのである。
例えば、今週6月20日号の特集を見てみよう。
● 30代から始まる[若年性 痴呆症になる人]のヤバい兆候
● 【学歴格差シリーズ第2段】[カネと恋愛]どっちが上か?
● [教師・警察官・僧侶]のブラック労働が止まらない
● [危険食品]に殺されない方法
● 密着ルポ ツイッターで援交す女たち
● 最速で[脱ブサイク]する方法
● [モテる猥談力]徹底研究
その内容に一瞬たじろぎつつも、興味がまったく無いわけではない自分がいるのである。仕方が無い。
あと「週刊SPA!」の他にWEB版で「日刊SPA!」というサイトがあるのだが、これがまた面白く、特に只今絶賛連載中の放浪ルポ
「英語力ゼロの46歳バツイチおじさんが挑む
世界一周花嫁探しの旅」
は胸を張ってオススメできる。小田実の「なんでも見てやろう」や沢木耕太郎の「深夜特急」などにも負けない内容なので、是非とも読んでいただきたい。
とまあ、なんだ、私も週刊誌などを手にとるようなおじさんになってしまったのだなとつくづく感じる今日此頃なのである。
保育園から帰ってくると、猫の額ほどのうちの庭で、私が丹精込めて育てている多肉植物の葉っぱをもぎ取るのが最近の娘の流行りである。
自分の翼の羽をもがれるような思いで、私は娘の姿を優しく見守っている。
さて、そんな最近の娘であるが、上記の件でもお分かりの通り、一筋縄ではいかない場面が多くなっており、なかなか難しい。
先日も、風呂に入った際にお湯の出ているシャワーヘッドを持ちたがるので、仕方なく持たせたのだが、自分の顔にお湯がかかって大号泣。仕方ないのでシャワーヘッドを取り上げるも大号泣。お湯を止めてシャワーヘッドを渡すも大号泣。風呂から出るのも大号泣。
困ったものである。
しかし、そうかと思うと、自分が食べているリンゴを私にも分けてくれようとするので、口を開けて待っていると、私の口元の直前でそのリンゴを自分で食べてしまって大爆笑している。
困ったものである。
これまで私も数々の悪女に出逢ってきたが、娘は史上最強のファム・ファンタールなのかもしれないな。
困ったものである。
ちょうど今日のように初夏の日差しが照りつけているけれど、本当の夏にはまだ少し猶予がある頃。
友人が速度超過の違反でバイクの免許を停止されてしまい、途方に暮れていたことがあった。
講習を受けると免許の停止が解除されるというので、私のバイクにタンデムで友人を二子玉川の教習所まで送ることになった。
川沿いの気持ち良い風を受けながら、バイクを走らせる私はまだ10代で、その頃、新しい彼女(今の妻)ができそうだった。
帰り道、土手にバイクを停めて、日差しに輝く川面を煙草を吸いながらしばらく眺めていた。
多くの悩みを抱えつつも、私の眼の前には広大な未来だけが横たわり、そんな未来に希望や期待も持っていたあの頃。
そんなことをさっき思い出した。
今日は半ドンで仕事を切り上げ、娘の保育園の個人面談に行ってくる。その前に、ちょっと銀座に寄って天ぷらでも食べよう。一杯ぐらい飲んでもいいかもな。
記憶というものは優しくも残酷なものである。
週末、高校の同窓会に出て、二日酔いになっていたら、娘が風邪をひいていた。
いい気な父親である。
今回はそれほど酷くはないのだが、保育園に入ってから月一ペースで風邪をひく。
「そんなもんだよ」と先輩ママパパ達から言われても、やはり心配でしかたがない。
それに、いくらサボリーマンの私でも、看病の為とはいえ、これほど頻繁に仕事を休むのも、なかなか気がひけるものである。
嫌悪、心配、疎外。
育児というものは苛まれるものだ。
ガラスのハートがどんどん強くなっている気がする。
目指せライオンハートだな。
梅雨時季の植物の発育には目をみはるものがある。
庭に植えているミントは、ここのところ毎日のように娘に蹂躙され続けているが、そんなことは物ともせず、毎日のように新芽や新葉を伸ばし続けている。
人間にとっては憂鬱な時季だが、植物は違うのだ。
そういえば今回の風邪騒動で、娘は自ら乳離を果たしてしまった。どさくさに紛れて大きな自立を成し遂げてしまったのだ。
父を置いてけぼりにして、みんな勝手にシンドバッドだ!
二週連続で看病の月曜日である。
月曜の朝は会社に行くのが億劫で、あれほど憂鬱な朝だったのに、二週続けて解放されても憂鬱さは変わらないものである。
娘の風邪はこの一週間燻り続け、結局、中耳炎になってしまった。
私も妻も睡眠不足が続き、結局、お互い風邪をもらってしまった。
なかなかの状況である。
でも、もういい。色々あるが細かいことは気にしない。いや、気にしていられない。とにかく娘が早く元気になる。それだけである。
レッツゴー俺!!
おかげさまで我が家は
娘 → 全快
私 → 半壊(喉鼻頭痛+軽睡眠不足)
妻 → 全壊(重度風邪+重睡眠不足)
という状態までやってきた。まだまだ道半ばというところだな。
いや、山場か?
先週から今週にかけて4日間の有給休暇を使って娘の看病をし、その後、妻が病床に臥したため、仕事と生活と育児に追い立てられ、駆け抜けるような日々を送っている。
梅雨の気候のせいもあって、あまり外にも出られず、自身の余裕も無い中で、自我を覚醒させ始めてきた娘と二人きりの毎日というのは、なかなかのものがある。
そんな時、唯一の気晴らしに家で流しているラジオから、平井堅の新曲が流れてきて、自然と手が止まり、思わず聞き入ってしまった。
それまで平井堅など熱心に聞いたことがなかった私が、もの凄く心乱されてしまったのである。
期せずして新たな出逢いをしてしまった。
平井堅か。まったく。
今度ちゃんと聞いてみるか。
Facebookもtwitterもソーシャルと言うよりもコマーシャルになってしまっていて、実際、見たくもない広告や勝手に勧められる記事のせいで、繋がっている人たちの投稿がどんどん流されてしまい、見つけ出すのも大変だ。
だからと言って、他に同じような機能をもった媒体があるかというと、Instagramだけは良さそうなのだが、スマートフォンを持たない私には参加資格が無いのである。
困った。
いや、そもそも、なんでそんなにSNSにこだわってるかって?
父ちゃんは孤独なんだよ~!