2017年 8月
8月1日(火)

「風の谷のナウシカ」(全7巻)

宮﨑駿の名作。何度となく読み返した私の青春のバイブル。

私が中学2年の時に10年にも及ぶ連載を終え、待ちに待った最終巻発売日は学校帰りに本屋へ走ったほどである。

だが、いつの間にか私の手元から忽然と姿を消していた。

引越しのドサクサで棄ててしまったのか、誰かに貸したのか、はたまた。その行方は10年以上も不明のままだった。

ところが、先日、大学時代の友人から「風の谷のナウシカ」を返したいという電話がかかってきた。

お前が持っていたのか!!

まさに寝耳に水というやつである。

まあ、兎にも角にも、久々に友人と話す事もできたし、私のバイブルも戻ってくるし、一件落着である。

ちなみに私のもう一つのバイブル「アキラ」(全6巻)を私から借りている人はいませんかね? こちらも永らく行方不明。

8月2日(水)

母離れの特訓として、私が娘と一緒に寝るようになって一週間。

はじめの頃は愚図ったり夜泣きをしたりして、不満を露わにしていたものの、今ではだいぶ慣れてきて、私の隣でぐっすり安眠しているかのように見えていた。

だが、今朝起きてみると横で寝ていたはずの娘の姿はなく、隣の部屋で寝ている妻に寄り添うようにして、幸せそうに眠っていた。

娘よ。今夜からは母ちゃんと寝ていいからな。

無理をさせてごめんな。

でも、父ちゃんは悲しいぞ。

ところで、「ツイン・ピークス The Return」が放送開始されましたね。観ましたか?

今回はのっけからデヴィッド・リンチ監督ならではの謎だらけの展開が目白押しで、視聴者は完全においてけぼり。次話が楽しみで仕方ありません。

デヴィッド・ボウイが生きていれば再度の共演もあったかもしれないな、なんて思うと胸が熱くなります。

しばらくは「ツイン・ピークス The Return」を糧に、父ちゃんは生きていきます。

8月3日(木)

雨は嫌いだが、雨の時に差さねばならない傘はもっと嫌いだ。

先日、出先で予期せぬ雨に振られ、どうしようもなくなって、とうとうビニール傘を買ってしまった。

嫌いな物だからこそ、少しでも気に入った傘を持つことで、気持ちの折り合いをつけてきたのだが、ビニール傘では愛着もなければ楽しさもない。ただ嫌なだけである。

もちろん、ビニール傘ばかりを一方的に責める訳にもいかない。

雨に濡れずに助かったのは事実だし、最近の不安定な気候が続く中では、今後もビニール傘のお世話になる機会も増えることだろう。

しかし、ビニール傘の宿命である一過性の用途、そして、それを前提にした安価で粗雑な設計は好き嫌い以前に道具自体の本質的な意義を貶めているような気がしてならないのだ。

それは、ビニール傘に限らず、最近のレディメイドにも多く見られる傾向で、、、、、

いかんっ!!

オッサンの小言みたいになってしまった。

ビニール傘は楽しくない! 以上! おしまい!

8月7日(月)

朝起きると、まだ自分もこんなに汗がかけるんだと再確認できるぐらい汗をかいていた。汗ビショビショおじさんである。

さて、私には膝頭に顔を描いて「膝小僧」として愛でる癖がある。なぜそのような事をするのかは自分でもよく分からない。

昨晩も、その衝動が働いて、いつもより太いマジックで「膝小僧」を描き、愛でた後、そのまま眠ってしまった。

そして翌朝、汗だくで目覚めると、無数の「膝小僧」が白いシーツに転写されていた。

「膝小僧」の叛逆である。

しばらく「膝小僧」は自粛しよう。

話は変わるが、最近、移動中に草間彌生の自叙伝を読んでいるが、想像を遥かに超えて、とんでもねぇ婆さんだな。

もちろん良い意味で。

8月8日(火)

あらゆる面で不安定の極みである生き物(娘)と一緒に暮らすというのは本当に大変なことである。

大人の論理などまるで通用しない。 ← 当たり前だ!

だが、そんな不安定な娘と暮らし、注意深く観察していると、大人になるにしたがって忘れ去ってしまった自分の原初的な感情や感触や感覚、原風景のようなものが、朧気ながら甦ってくることがある。

大人の論理によって、自分が如何に多くの大切なものを棄て去ってしまったのか。不安定な娘と暮らしているとそれがよく分かる。

そんなわけで、これからの娘との暮らしは、娘の成長とともに父の追憶と自分探しの日々にもなることだろう。

ん? 自分探ししている父なんて嫌? まあいいじゃないか。

父だって不安定になりたいのさ。

8月9日(水)

酷暑 猛暑 激暑 厳暑 炎暑

とにかく暑い!  暑すぎる!

今朝、盆休みで空きはじめた電車に乗っていたら、隣に立っていた女の子が白目を剥いて失神してしまった。

幸いにも、電車はすぐに駅に到着し、女の子もすぐに意識を取り戻し、駅員もすぐに駆けつけてくれたので、大事には至らなかったが、女の子を介抱していた僅かな時間、私はなぜか72年前の長崎の悲劇を連想していた。

おそらく、昔読んだ林京子の長崎原爆をモチーフにした小説『祭りの場』の影響が大きいだろう。私は酷暑に倒れたこの女の子の姿に長崎の悲劇を投影したのだった。

しかし、核兵器禁止条約の交渉会議にすら参加しない我が国というのは一体何なのか。まったく情けない限りである。

8月14日(月)

お盆真っ只中である。

我が家は人混みを避けるため少し早めに休みを貰い、山形で最上川や親戚の子ども達と戯れてきた。初上陸の地であったが、なかなか良い土地であった。

ただ、子どもと神経衰弱をやるもんじゃないな。自らの記憶力の低下を嫌というほど思い知らされる。やるならババ抜きがオススメだ。大人の汚さを充分に発揮できる。

さて、引き続き私は今日までが盆休みなのだが、今日は娘を保育園に預かってもらい、実に2年以上ぶりとなる完全に自由な一人の時間を満喫しようと思っていた。

小洒落たファッションに身を包み、空いてる街に繰り出して、朝から映画などを観て、昼はガッツある飯を喰らい、ビールを呑みながら映画の余韻に浸り、洋服屋や本屋を冷やかして帰って来る。

なんでも無いような他愛のない計画だが、私はこの日を心待ちにしていたのだ。

だから、今朝は生憎の曇天模様だったが、私にとっては晴れがましく、輝きに満ち溢れた朝であった。

だが、そんな私の希望は、娘の熱によって打ち砕かれてしまった。

わぁぁ~~ん!

8月15日(火)

終戦記念日である。正確には「敗戦」なのだが。

昔、昭和天皇にソックリなオカマバーのマスターによる玉音放送のモノマネの後の「君が代」熱唱という芸(?)を見せてもらったことがあるが、モノマネの出来の良さと随所に散りばめられたオカマネタが秀逸で、腹を抱えて笑ったものだ。

平和こそである。

さて、私は誰よりも平和を願い、望み、尊び、重んじていると思っている。その理由は至極簡単なことで、自らの脆弱さ故である。日常生活ですら、毎日ヒーヒー言って過ごしているのに、戦争のような有事が起こってしまったら、腕力もなく、足も遅く、目も悪く、勘の鈍い私などはひとたまりもない。真っ先にお陀仏である。

つまり、平和こそが私にとって、生存の最低条件なのである。私の名前だって「真の平和」という由来で「真平」なのだ。「まっぴら」じゃないぞ。

平和こそである。

8月16日(水)

遅延することもなく、人混みに揉まれることもなく、実に快適に座って通勤することができた。

お盆様々である。

しかし、日本の人口の約3割にあたる3800万人近い人々が、この狭い首都圏にひしめき合っていることへの矛盾をあらためて考えさせられる。

本来は、これぐらいの人口規模でいいのにな。

デザインとして破綻しているよな。

8月22日(火)

昨晩は妻が仕事で夜遅くの帰宅となったため、父と娘、二人きりの慎ましやかな夜となった。

買い物に行き、夕飯を食べ、風呂に入り、一緒に寝る。

いつもなら我侭を言いそうな場面でも、何かを察したのか、娘は終始とても良い子だったが、普段見せない娘の物分りの良さには、幼いながらの気遣いが見え隠れしていて、ちょっと心が痛んだ。

束の間の父子家庭体験。

ちょっと切ない夜だった。

8月29日(火)

お盆明けからなんだか毎日が忙しなく過ぎてゆき、気がつけば夏も終わろうとしているではないか。

まだ夏休みも取ってないぞ!

怠け者を自称する私としては情けない限りである。ちゃんと怠けるためにはもっと鍛練しないといけないな。

せめてこの日記をつけるぐらいの時間は確保したいところだ。

この日記が更新されている限り私はきちんと怠けている。

そう思って頂きたい。

しかし、私に限らず、現代人はもっと怠けないといかんよな。

8月30日(水)

娘が産まれてから毎朝の掃除が日課になってしまった。

私も妻もハウスダストに弱い方なので、娘のリスクはできる限り減らしてあげたいと思って始めたことだったが、今ではちょっとした趣味に近い。

広い家ではないので床掃除だけなら20分もあれば終わる。だから洗濯機を回している間に床掃除をしてしまう。時間があればそれ以外に気になった場所も掃除してしまう。

毎日やってみて分かったことだが、一日でたまる塵埃の量って馬鹿にならないんですよ! 奥さん!

そんなわけで、昨日の朝もいつものように掃除をしていたのだが、ラジオから件のミサイル発射の速報が流れたので、慌てて外に出て、とりあえず空を眺めてみた。

頭上をカラスが飛んでいた。

きな臭い世の中になってしまったもんだ。

8月31日(木)

十代の頃は、最寄りの駅から横須賀線一本で鎌倉や逗子に一時間足らずで行くことができたので、夏休みになるとよく海水浴に行ったものだ。

朝早くに行って昼前に帰ってくると、混む前の浜辺で充分に遊んで帰って来られるし、昼飯は家で食べられるので経済的だし、午後からまた遊ぶことができるので効率的だった。

そんな風に毎日を過ごしていると、まるで夏休みが永遠に続くような感じがして、それは本当に幸福な時間だったと今になって思う。

そんな束の間の幸福は、いつの間にか何処かへ消えてしまった。

娘にはそんな素敵な時間がまだこれからやってくるのか、なんてことに気がついて、羨ましくもあり悔しくもあり。

夏の終わりの複雑な父心である。