去年四月、娘が保育園に通い始め、妻が仕事に復職し、私と妻の個人的な時間はすっかり消え失せてしまった。
それでも妻は寝る間も惜しんで自分の時間を確保しているが、無精者の私は全くもって転落堕落で、すこし気を抜くと身なりまでどんどん崩れていく。
これほど共働きが大変なのかと痛感させられるところだ。
だが一方、保育園で会うお母さんやお父さんたちはみんな身奇麗にしていて、子どもの接し方にも余裕を感じる。とてもクールでスマートな方々ばかりで、惨めなボサボサ父さんとは大違いなのだ。
う~む。 なぜだ?
さて、そんなわけで今日もボサボサ父さんは元気に娘のお迎えであるが、ん? 雨降ってる! きゃぁ! まずい! 傘ない!
ボサボサ父さんに余裕が生まれるのはいつのことやら。
ちなみに17時20分頃、有楽町を颯爽と駆け抜けるボサボサおじさんを見かけたら、おそらくそれは私である。声を掛けられても失礼させて頂くので悪しからず。
今週はなんだか長く感じる。
やっと金曜日に辿り着いたという感じだ。
明日も仕事なんだよな。 げぼー。
さて、保育園で保育士さんやクラスのお母さんたちは、私のことを「○○(娘の名)ちゃんパパ」と呼ぶ。
まあ、仕方が無い。
だが、それにつられて娘が私のことを「パァパァ!」と呼ぶことがたまにあるのだが、私はその呼びかけを完全に無視する。反応すらしない。
私は日本に「パパ」という呼称の男親は存在しないと思っている。だから、もし私が男親として娘から呼ばれるならば「父さん」か「父ちゃん」が妥当だと思っている。
私の物事の考え方はどちらかというと革新寄りだと思っているが、こういった事に関しては保守なのである。
だって「パパ」なんて。。。 気恥ずかしいじゃないか!!
毎日、娘の様子を保育園の連絡帳に書かねばならない。
文字数にすれば100文字前後の簡単なものだが、毎日書かなければならないのがけっこう大変だ。1年間書き続けるとなると相当の文量にもなる。中編小説ぐらいにはなるだろう。
一人称か三人称か。口語か文語か。荘厳か軽妙か。ノンフィクションかルポルタージュか、はたまた、まさかのハードボイルドか。などなど、いろいろ考えて毎日書いている。
おかげで保育士さんにも楽しんで頂いているようで、お迎えの時に感想を頂く。
ん? 趣旨が変わってるって?
保育士さんと良好な関係が築けるならそれで良いかな。 なんて。
実はダウンジャケットを着たことがない。
私が小学生(80年代)ぐらいの頃は、まだ身近でダウンジャケットを着ている人など見たことが無く、存在すら知らなかった。高校生(90年代)ぐらいになり、ようやく存在を知るに至るのだが、まだ身近で着ている人はいなかった。
ダウンジャケットが一般的になったのは2000年以降。テレビドラマ「ビューティフルライフ」「HERO」の中で木村拓哉が特徴的なダウンジャケットを着てからではないかと思う。ドラマ放映以降、劇中で着られていたものと酷似したモデルのダウンジャケットを街中でよく見かけるようになった。
00年代初頭ぐらいまではテレビにもドラマにもキムタクにもまだ人気があった。物事が分かりやすい最後の時代だった。
そして、忘れてはならないのがユニクロの格安ダウンである。良くも悪くもこれは決定的だった。全日本国民がユニクロダウンを着ていたのではないだろうか? と言っても大袈裟ではなく、国民服のように老若男女すべての人々がユニクロダウンを着ていた。
私はそうした第一次キムタクダウンブームにも第二次ユニクロダウンブームにも乗り遅れ、とうとうダウンジャケットに袖を通すことなく、今年の34年ぶりとも48年ぶりとも言われる寒い冬を迎えてしまったのである。
ちなみに、私の冬の防寒は常にピーコートである。高校生の頃からピーコートだ。ピーコートが好きなのだ。ピーコート最高!
保育園で娘と同じクラスの子から「○○(娘の名)ちゃんママ!」と呼ばれることがある。
まだ2歳の子たちなので、間違いは間違いなんだろうけど、特定の子というわけでもなく、一度きりというわけでもなく、何人かの子から何度かそのように呼ばれるので、たまたまという事でも無さそうである。
ただ単に、男親と女親の区別がつかないからなのか、はたまた、実際に私自身がママ的だからなのか、真相はよく分からない。
いや、待て!? もしかして俺、からかわれてんのか!?
とまあ。冗談はさておき。
以前、お迎えの時によく顔を合わせる4歳ぐらいの子から「なんでパパなのにお迎えきてるの?」と聞かれたことがある。真相は案外こういうことなのかもしれない。
まだまだだな。
ネットスラングで言うところの「陽キャ」か「陰キャ」か区別をするならば、私は確実に「陰キャ(陰気なキャラクター)」になるであろう。
行動的でもないし、社交的でもないし、積極的でもないし、能動的でもないし、活動的でもないし、、、ないないないづくしである。
特に、ソーシャルメディアのタイムラインに流れる眩しいばかりの投稿を眺めていると、つくづく自分の「陰キャ」ぶりを思い知らされる。
まあ、仕方が無い。生まれ持った性格だ。
でも、陰ながら(「陰キャ」なので)ソーシャルメディアやネットには載らないような、悲しみや苦しみや辛さに寄り添える人間でありたいとは思っているんだ。
「いいね!」も良いけど「どうしたの?」とか「大丈夫?」も大切にしたい。
なんか「天声人語」みたいに気持ち悪い内容になってしまったな。
これも「陰キャ」たる所以だろう。
昨日、会社の若手と帰りが一緒になった。
帰る方向が一緒なので、いろいろと話しながら帰ってきたのだが、彼にも3ヶ月の娘がいるので、話題は子育ての話が中心になった。
会社の先輩であり2歳の娘を持つ私としては、どうしたって助言側になってしまうのだが、彼の育児に対する実直な思いの中には感心させられることも多くあり、今時の若い父親の方がよっぽど育児に積極的だし考え方も先進的で反省させられるのであった。
私と彼とは職場も職能も違うので、同じ会社ではあるのだが労働環境や状況がだいぶ異なる。育児参加という面では私よりも難しい課題が彼には立ちはだかっている。
みなさんご存知の通り、今現在、私は全面的に育児に関わることができているが、これは私自身の努力というよりも、会社内の幸運な状況が重なったことで実現していると言った方が良い。
だから、私に比べると若手の彼の現状はなかなか厳しい。
でも、幸運だから育児に参加できるのではなく、どんな状況であっても社員がきちんと育児に参加できる体制や制度の実現を、会社には働き掛けていかないといけないな。
後進の道を整えるのも私の仕事だな。
そうしないとパパ友も増えないしな。
育児にはまだまだ翻弄されっぱなしではあるが、それでもほんのちょっぴり(3ペソぐらい)余裕が出てきたようにも感じている。
実際、今まで余裕がなくて一時休止していた事を、少しづつ(1ペソぐらい)ではあるが徐々に再開し始めることができている。
それもこれも、去年、紆余曲折はあったが、娘が無事に保育園に入園することができて、なんとか1年、家族全員無病息災(病は多々あった)にやってこれたからだと思う。
ありがたや ありがたや ありがたや。
さて、今日は我が自治体の保育園入園選考の発表日である。
去年、我が家は一次選考では入園できず、二次選考でなんとか入園に漕ぎつけたが、それまでの一ヶ月間は夫婦ともども相当に心身を擦り減らした。
結果的に我が家は保育園に入れたわけだが、役所で泣き崩れるお母さん(父不在)たちや切実な状況を訴えるお母さん(父不在)たちを目の当たりにして、とても無関係とは言えなかったので、少しでも力になれればと集団審査請求を起こし、我が家も最後までやり遂げた。
ちなみに、去年、我が自治体で保育園に入れなかった方は2,077人出ている。申込者の約4割は入れていないのだ。
今年は一人でも多くの方が希望の保育園に入れることを祈るばかりだが、「日本死ね」の件のツイートが話題になった2年前よりも実態は厳しくなっていて、様相も複雑になっている。
あと、実際に保育園に入れなかった多くの親は、ツイートなんかできる余裕などないから、世の中に問題が顕れて来るのは最悪な状況が確定し、どうしようも無くなってからなのだ。
世の中には理不尽かつ不合理な状況が野放しにされ過ぎている。
憤るよな。
貧乏暇無しとはよく言ったもので、今日も今日とて仕事である。
今は少しでもいいから娘と一緒にいたいのに。 なんてこった。
最近の娘は、料理をしている時は邪魔しちゃいけないと察してくれて、お利口に一人で遊んでくれるのだが、やはり、寂しくなってちょっかいを出しに来たりする。こちらは早く作って食べさせてやろうと料理に集中していて、ちょっかいを出されても適当にあしらっているのだが、後で気がついてみると、私のズボンのポケットにはクリップやマグネットなど、細々したものが色々と突っ込まれていたりする。
まあ、そんな頃合いの娘である。
もう帰りたい。
最近の娘は、かなり正確に言葉を遣えるようになってきているのだが、まだ発声に未熟なところがあるので、何を伝えたいのか分からないことが多い。
「じょこの おうし おってぇ(そこの帽子取って)」
と言われるのだが、聞き返さないと何を言っているのか分からず、何度聞き返しても分からない時は、お互い「ウギャー!」となって物別れに終わることもよくある。
昨日などは、娘がくり返し「おっえ うーるる」と言っているので、何度も聞き返してみたのだが、とうとう分からず。日本語の難解さに頭をおかしくしてしまったかと心配した。
後に妻に助けを求めると、あれは「OK, Google !」と言っていると教えてもらって、今度は絶句した。
そういうのは。 父ちゃんには分からねえよ。
日が長くなるにしたがって、心の底のホコホコとしたものがモコモコと膨らんで来るのが分かる。それを期待と言うのか希望と言うのかはよく分からないけれど、とにかく何か素敵なものが全身を満たしていく感覚である。
髪を結ぶことをもの凄く嫌がっていた娘が、今朝、初めてポニーテイルに結んで保育園に登園していった。娘にもホコホコしたものがモコモコしているのかもしれない。
日の出と日の入りというのは1日に1分少々ぐらいで変化していくようなので、今日の日の入りが17時21分だから、あと1カ月もすれば日のあるうちに娘を迎えに行ってやれる。
まだまだ先ではあるけれど、なんだかんだと春が近づいている。
嬉しいかぎりである。
ぜんぜん関係ないけど。 誰か。 チョコください。
自分で買うか。
日が長くなるにしたがって、心の底のホコホコとしたものがモコモコと膨らんで来るのが分かる。それを期待と言うのか希望と言うのかはよく分からないけれど、とにかく何か素敵なものが全身を満たしていく感覚である。
髪を結ぶことをもの凄く嫌がっていた娘が、今朝、初めてポニーテイルに結んで保育園に登園していった。娘にもホコホコしたものがモコモコしているのかもしれない。
日の出と日の入りというのは1日に1分少々ぐらいで変化していくようなので、今日の日の入りが17時21分だから、あと1カ月もすれば日のあるうちに娘を迎えに行ってやれる。
まだまだ先ではあるけれど、なんだかんだと春が近づいている。
嬉しいかぎりである。
ぜんぜん関係ないけど。 誰か。 チョコください。
自分で買うか。
冬になるとワッチ帽にPコートという出で立ちが私の基本スタイルとなっている。こだわりがあってそのスタイルになった訳ではなく、なんとなく惰性でそうなった部分が大きい。
ワッチ帽にPコートだと、甲板に吹き荒れる冷たい海風にも微動だにしない屈強な海の男のようにも見えないこともないが、中身は実に貧弱だ。貧弱だからこそ、そうした屈強な出で立ちを好むのかもしれない。
まあ、そんな、完全無欠の冬の出で立ちの粗末な内情の告白なわけだが、更に恥ずかしい内情を告白しよう。
実は、更に下に身に着けている、最低限の身嗜みである靴下とハンカチが、人様にはお見せできないぐらいボロボロなのである。
新しいのを買わないといけないと思いつつ、仕事と子育ての忙しさを言い訳に、悪びれもせず、毎朝そのボロを身に着け出掛けていたのである。
情けないかぎりである。
ところが昨晩、そんな私に妻がバレンタインのチョコレートと一緒に素敵な靴下とハンカチをプレゼントしてくれた。
嗚呼。 こういうところが萌なんだよな。 ありがとう。。。
今週は日記を書く時間をぜんぜん作れなかった。 悔しい。
さて、煙草をやめてから3ヶ月が経った。
(年末年始のドサクサで少し吸ってしまったが)
この調子なら、習慣的にまた吸い始めるようなことは無いだろうと思っているのだが、どうだろう。油断しないほうが良いかな。
しかし、まだ禁煙3ヶ月だと言うのに「そう言えば、俺も吸っていたんだよな…」などと、煙草を吸っていた頃の自分を忘れつつあるのが不思議だ。
大学を卒業して実家に戻り、仕事を始めてまだ間もない頃。それまで一人暮らしをしていた国分寺の安アパートでの生活が遥か昔のことのように思えて不思議な感じがしたものだ。
人間は新しい環境を与えられると、それまでの環境を瞬時に記憶の片隅に仕舞ってしまうことができるのだ。
禁煙だって同じようなもの。 やめたらすぐに忘れられる。
もし、あなたが煙草をやめたいなら大丈夫。辛いことなどなにもない。やめたらすぐに煙草のことなんか忘れるだけだ。
なんて言っておいて、俺がまた煙草に目覚めちゃったりして。
でも、寒空の下、街中の喫煙所でギュウギュウ モクモク ゲホゲホしながら煙草を吸っている人々の姿を見かけると「俺もあそこにいたんだな」と懐かしなると同時に「もう俺はあそこにいかなくていいんだな」と安堵する。
やめて良かったと思う。 煙草。 美味いけどな。
娘との生活では365歩のマーチのように「3歩進んで2歩退がる」なんてことが日常茶飯事である。
例えば、出掛ける時にようやく支度を済ませ、残るは靴を履くだけという時に、履いている靴下が気に入らなくなり、靴下を脱ぎ捨て、帽子を脱ぎ捨て、コートを脱ぎ捨て、別の靴下を探しにいってしまう。なんてことはよくあることだ。
そこには「妥協」や「譲歩」といった言葉はなく、常に一進一退の攻防が繰り広げられ、私はその飽くなき持久戦に延々と付き合わされるのである。
この遅々として進まない感じ。まるでインド旅行ではないか。
しかし、忍耐と我慢と辛抱の旅の果てには、未知の感動が待っているのかもしれないのである。
ちなみに私はインドに行ったことはない。
さしずめ私には過激な腹痛なんかが待っていそうだよな。
娘は12~15時の間に2時間ぐらいの昼寝をする。
ちょっとぐらいなら大丈夫だろうと、この時間帯に娘を連れて出掛けたことがあるのだが、もの凄く機嫌が悪くなり、出先で愚図り続けたので、それ以降はきちんと昼寝ができるよう配慮をしている。
昼寝。 侮れないのだ。
ただ、12~15時が使えないとなると、外出には大きな制約が出てくる。かなり近場に出掛けたとしても、昼食の時間を含めるとまったく時間が取れないのだ。だから、近場の外出でも車を使うことが増えた。
車であれば、周囲を気にせずいつでも昼寝ができるし、昼寝時間も移動に使える。オムツ替えや授乳(娘は卒乳済)なんかも気楽にできるので、なかなか都合が良いのである。
だが、あたり前のことながら、運転手の私は酒が飲めなくなってしまう。酒が飲めないとなると外出の魅力も半減する。もちろん慣れない運転も疲れるし、渋滞なんかも大変(私はトイレが近い)だ。
まあ、そんなこんながあって、最近では外出も控え目になり、娘と一緒に私も昼寝をすることが多くなった。
午前に娘と近所で軽く遊び、昼に麦酒を2本ぐらい飲んで、午後に娘の隣で昼寝をしていると、けっこう幸せな気分になれる。
まあ、それで1日がほぼ終わってしまうんだけど。。。