会社の向かいにコンビニがあるのだが、このコンビニが会社周辺(1㌔圏内)で唯一買い物できる場所なのである。
都内(23区内)なのに哀しいよな。
一日に一度はこのコンビニで必ず買い物をする(必ず朝にコーヒーは買う)ので、少しでもアドバンテージになればと思って、生まれて初めてポイントカードというやつを作った。
当初は毎日買い物をするのだからポイントが溜まって困っちゃうのかな、なんて期待していたのだが、買い物と言っても1日にせいぜい500円前後なので、溜まるポイントもせいぜい5ポイント。
「ポイント」だとか「マイル」だとかってよく宣伝しているけれど、こんなものなんだな。「アドバンテージ」なんて横文字使った自分が恥ずかしい。
は~あぁ。 つまんねぇ~の。
通勤電車では本を読んでいる。
出社の電車で本を読み終えてしまうことがあると、読み終えた本を持って帰るのも億劫なので職場に置いておく。
今日も同じように出社の電車で本を読み終えてしまったので、職場の本棚に置いておこうと思ったら、私の本がもう数十冊も溜まってしまっていた。
うぅ~む。
まいっか。
今年の冬は素敵なコートを手に入れるぞ! と意気込んでいたら、いつの間にやら3月になってしまった。
流石にもう駄目だよな。
まあ、そんなわけで素敵なコートへの夢は来シーズンに持ち越しになってしまったが、そんなこんなで、この冬は他人様がどんなコートを着ているのか気になってしまい、コートのファッションチェックが日課のようになってしまった。
しかし、不思議なもので、コートを眺めていると、着ているコートから、なんとなくその人の人柄のようなものが垣間見えてくるようになるのだ。
例えば。
[平日 14時 銀座線内]
40過ぎ。いや、同じ年ぐらいか。ハンサムというわけではないが好感の持てる顔立ち。生地も仕立ても良いキャメルのチェスターコートに流行のインナーダウンを違和感なく着こなしている。足元のウィングチップの革靴に遊び心が見え隠れする。未婚か、結婚していても子どもはいない。かなりヤリテだがイヤミの無い人柄が垣間見られる。
とまあ、こんな感じに、自分の草臥れたコートのことなど忘れて、毎日のように人間観察に勤しむのだった。
コート探せよ。
今朝、着替えの時に娘が上下ともにドット柄の服(色まで同じ!)を選び出した。
またヤヨイ(草間彌生)なのか。
しかし、私が着ていたシャツに胸ポケットが付いていることを目敏く発見した娘は、ドット柄のシャツを放り投げ、ポケット付きの無地のカットソーを選び出した。
なんとかヤヨラー(草間彌生状態)を回避した。
そして、娘はそんな父の心配を余所に、もう使用することの無くなった父のBICのライター(黄緑色)とお気に入りのカエル(アマガエル)のキーホルダーを自分の胸ポケットに丁寧にしまい始めたので、再びドットに興味が戻らぬうちに、即座に娘を寝室から連れ出すのだった。
ドット柄の服を撤去するかどうか。
真剣に悩む雨の月曜の朝であった。
飴屋法水さんの奥様のツイート(ころすけ (@kurucoro) | Twitter)をフォローし始めている。
飴屋さんは今は岸田戯曲賞をとられた劇作家だが、私が初めてその存在を知った時(90年代半ば)は東中野でアニマルストアを経営されていた。その後、美術家にもなっていた。
新進気鋭なのである。
さて、奥様のツイート。奥様のツイートには小学校高学年ぐらいになる可愛いお嬢さんの事がたまに写真付きで呟かれている。
屈託のない子というのはまさにこういう子のことを言うんだなというような素敵なお嬢さんである。
くんちゃん明日から夏休み。スケジュールに縛られないのってすばらしい!なにやってもいいし、なにもやらなくてもいい・・ pic.twitter.com/6cRqLzQTEK
— ころすけ (@kurucoro) 2017年7月20日
こんな感じ。
こんな日常の呟きからも、豊かで自由で丁寧な生活やご両親の考え方が、お嬢さんの屈託のなさにも影響していることがよく分かる。
このツイートを見ていると、自分が画一的で常識的で閉鎖的な生活や考え方に固執していることに気付かされる。
そして、その悪い固執は確実に娘にも影響を与えることだろう。
危ない 危ない。 気をつけよう。
しかし、種々様々な人(憧れの人も含め)たちの日常がリアルタイムで垣間見ることができるなんて。凄い時代になったもんだよな。
みうらじゅんが還暦だそうである。
う~む。
我が青春の90年代後半、当時、カルチャーシーンで若手として活躍し、未熟な私に多大な影響を与えた新進気鋭の人たちも既に50歳を軽く超え、中堅どころか熟練や老練の域に達している。
う~む。
どうりで私も歳をとるわけだ。
大根仁が何かのコラムで「40代はメチャクチャ速ぇぞ!!」と書いていたけど、何の取り柄もないまま、あと2年(東京オリンピック!!)で40歳に突入する身としては (((( ;゚Д゚))))ガクブル なのである。
ボーとしてたら走馬灯が見えそうな、そんな年齢に近づいているんだな。
精神的な錯乱と業務的な多忙と生活的な困窮などにウカウカとかまけていたら、朝夕の日がだいぶ長くなり、日中などはシャツ一枚でウロウロできる陽気に変わり、桜はモリモリ満開御礼で街中をヒラヒラと舞い、人々はソワソワと浮足立ちつつもドキドキと胸を膨らませている。
世の中は春の爛漫の真っ只中ってやつなのに、私の直近の3週間はと言うと、会遇、混乱、感動、再開、歓喜、消沈、発見、瞠目、困惑、哀惜、到達 などなど、様々な状況に見舞われ、自分でも訳がわからぬうちに目まぐるしく過ぎ去ってしまった。
まあ、そんなハチャメチャムチャクチャの日々は、今後、面白可笑しく報告できればと思うのだが、しかし、この時の流れの速さというものに、人間が一生のうちにできることなんてたかが知れたものだよな、なんて、ちょっと達観気味の春なのである。
いやはや。
都会の春は花粉や黄砂やPM2.5や人が多くて、あまり良いことはないけれど、街灯に照らされる夜桜だけは大好きです。
明日は髪でも切りにいくか。