先週末の金曜日、保育園に娘のお迎えに行くと、ちょうど年度末の最後の日でもあったので、玄関では卒園する園児やお母さんたちや異動する保育士の先生たちが涙ながらに別れの挨拶を交わしていた。
そんな光景を横目に、ウチは卒園までまだまだたっぷり4年もあって、とてもじゃないけどそんな先のことなんか考えてられないな、などと実務的で現実的な思いに駆られるのであった。
いかん いかん。 よくないよな。
気を取り直して、感動の現場を邪魔しないように娘の引き取りに向かうと、娘の担任の先生もこの年度末での異動となり、思いがけない丁寧な別れの挨拶を頂いた。
保育士の異動はなぜか直前まで教えてくれないのである。
そうかそうか。この先生もいなくなってしまうのか。ちょっと厳しい先生だったので苦手だったけど、他愛のない相談にも丁寧に答えてくれたし、娘の様子も注意深く見てくれて、細かく報告もしてくれた。娘が中耳炎で高熱を出した時も、この先生が最初に気づいてくれたんだよな。
なんてことを思い返していたら、先生の前で私が号泣していた。
いかん いかん。 なんてこった。
その夜、家族で夜桜見物に出かけると、花は満開ながらも少しずつ散り始めているところだった。
残りの有給休暇が1日半になっていた。
新たに有給休暇が付与される6月までの約2ヶ月間、これでなんとか遣り繰りするしかないのだ、すべては娘の体調による。
まあ何とかなっぺ!
ちょうど去年の4月。それまで風邪ひとつひいたことのなかった娘が、保育園に通い始めて間もなく39℃の高熱を出した。
それからというもの、少なくとも月に一度、娘は風邪をひくようになり、その都度、私は仕事を休んで娘の看病にあたり、その都度、私は必ず娘の風邪をもらった。
しかも、娘はまだ母乳を飲んでいたので、発熱の辛さのうえに乳欲しさに泣き叫ぶので、私は完全に為す術をなくし、ただ呆然と立ち尽くし、このまま娘は死んでしまうではないかと何度も本気で心配したものだ。
まあ、そんなこんなの1年だったので、有給休暇も残り僅かになるわけである。私の勤める会社の給料はかなり寂しいものがあるのだが、福利厚生はまずまず朗らかで、有給休暇も30日近く使わせて貰ったが、この結果である。
なかなか厳しいっぺね。
でも、私の場合、大事をとって休ませたこともけっこうあったので、まあちょっと休暇を使いすぎた感もあり、妻と手分けすれば(諸々の事情でそれができなかった)もうちょっと何とかなりそうでもあった。
だがしかし、そんな暗黒の時代は終わりを告げ、おかげさまで、今年に入ってから娘は一度も風邪をひかず、保育園も休んでいない。
これも成長だっぺね。
絵を描く、物を作る、映画を観る、楽器を演奏する、といった趣味や娯楽は一定の時間と空間を確保し、腰を据えて取り掛からねばならない。
悲しい事に、そうした趣味や娯楽は娘によっていとも簡単に撃破され、この2年間で、あるものは海の藻屑と消え、あるものは空の彼方に散っていった。
しかし、そんな娘の波状攻撃の間隙を縫って「読書」だけが私の手元に帰還したのだった。
よくぞ戻って来てくれた。 ありがとう。
それからというもの私は肌身離さず本を携え、空きあらば「読書」に勤しんできた。
おかげで、私の個人的な一覧表には読みたい本が常に50冊ほど連ねてあり、家の本棚には読まねばならない本が常に10冊ほど並べてあり、私の鞄の中には読んでいる最中の本が常に3冊ほど放り込んである。
こうなってくると趣味や娯楽というよりも何か病的なものを感じるんですが、どうなんでしょう。
反動って怖いですよね。
右手にはスロットルとフロントブレーキ、左手と左足にはクラッチとギア、そして、右足のリアブレーキ。
久しく(10年以上!?)跨っていないが、あの疾走感は身体の奥底に染み付いて、まだ僅かに残っている。
感覚や反応は鈍り、視力や体力は落ち、慢性的な肩凝や腰痛に悩まされる今日この頃だが、またいつか疾走する日を夢見て、僅かながら購入資金を貯めている。
スピードに置いてかれないよう頑張らないとな。
バイクとは追憶と憧憬の素敵な結晶なのである。
このサイトのリニューアルについてだが。。。。汗
実はデザインも決まり、基本的な構造や遷移なども確定しており、ベースとなるコーディングも既に終わっているのだ!
どうだ! むははははぁ!
残すは膨大な日記の再コーディングとデータ移行という実務作業になってくるのだが。
これがなかなか。いやはや。ね。 ね!
一番楽しいところは終わってしまったという感じだな。
ただ、日記データの作業に取り掛かってしまうと後戻りが難しくなってしまうので、再度、細かな調整をしているところでもある。
更に、今流行りのUI/UX設計の観点からもしてみたのだが、そもそも私の日記というコンテンツ自体がどうなんだ? などという根本的な疑問にぶつかってしまったので、やめた。
この4月から子どもを保育園に通わせ始めた職場の同僚が子どもからの感染で一家全員インフルエンザに罹ってしまったそうだ。
お気の毒である。
おそらく今頃は地獄のような状況の中でインフルエンザと闘っていることだろう。去年の我が家の地獄絵図を思い出す。
本当にお気の毒である。
育児って過酷だよな。 最近は特に。
でも、みんな健気に頑張ってるよな。 ほんと。 えらい。
新年度が始まり都内はどこもかしこも新人だらけだ。週に2~3度は座ることができて本を楽しめるぐらいの余裕ある通勤電車も先週から鮨詰満員御礼状態だ。
こればっかりは「勤人」という職業を選択した自分を呪いたい。
さて、今朝もそんな憂鬱な満員通勤電車であった。幸運にも目の前の座席が空いたので、これで座って本が読めると思ったら、近くに若い妊婦がいた。
過酷で過密で過剰な満員電車は妊婦にとって地獄というか、危険ですらあるので、席はすぐに譲ったが、その妊婦から謝罪に近いような御礼を何度もされて、逆にこちらが申し訳なくなってしまった。
うぅ~む。
妊婦がこんなに卑屈になって、自身の危険を顧みず、人権などはなから諦らめないと通勤できないなんて、どうかしている。
おまけに、満員電車であの小さな妊婦マークを発見することは非常に困難だし、たとえ発見できても人が多すぎて席を譲れる状態にないこともある。
まったくもう。
新年度早々憤りである。
私のような者にでも、生きていると人並みに色々なことがあるもので、この一ヶ月間、そうしたことによるアレやコレやによって、まるで自分不在の人生を送っているような、茫然自失の時間を過していた。
しかし、どんなに意気消沈していても、人は時間とともに着実に記憶を失っていく生き物であるために、神でもなく仏でもなく、その哀しい習性こそが人に救いを与え、実際、私も救われつつあるところだが、どんなに記憶が薄れようとも、どんなに救われようとも、実際に起こったことの痕跡は心の奥底に澱のように溜まってゆき、その澱が、熟成の証しとなるのか、腐敗の始まりとなるのかは、その後の生き様で変わってゆくのだろう。
ということで、唐突ながらリニューアル!!
前回のリニューアルが2007年7月なので、実に10年10ヶ月ぶりの刷新(内容は変わらない)である。
今後ともご贔屓に。
ここのところ、娘の隣で寝ることが多かったのだが、睡眠時間はそれなりにとっている筈なのに、娘の寝相の悪さのせいで、朝起きると頸や肩や背中や腰がゴリゴリのバキバキになっている。
おかげで気分は夜勤明けだ。
そして、そんな娘は起き抜けに、私に向かって唐突にこう言うのだった。
「とと(父ちゃん)いらない」
成長とは残酷だ。
先日、娘を妻に任せ、SNSコミュニティのオフ会「父の子育てを語り合うディナー会」なるものに参加してきた。
「オフ会」というものに参加すること自体が初めてだったため、会場に着くまでは不安と緊張で何度も引き返そうとしたが、パパ友獲得が長年の悲願であった私としては、不安より欲求が勝り、無事に会場まで辿り着くことができ、あっという間の三時間を大変楽しく過してしまったのである。
普段はなかなか出会うことのない、積極的に育児に関わる父親が一同に介すること自体が夢のようであるが、誰にも話せなかった私の育児の悩みを共感と尊重で応えて貰えることが本当に嬉しかった。
オフ会は恵比寿の絶品本格中華料理店で催されたのだが、久々の外食だったため、刺激的な料理の数々に胃が驚いてしまい、夜眠れなくなってしまった。
まるで、なかなか興奮が冷めない思春期男子に戻ったような一夜であった。
一息に吸い込む。胸に負荷がかかる。我慢してしばらく呼吸を止める。
いち、に、さん、し、ご。
息を吐く。胸が軽くなり、頭の中に引っかかっていた何かが煙と一緒に吐き出される。眩暈とともにやってくる何とも言えない清々しさと安穏。
煙草である。
そろそろ、やめて半年になる。通院したり薬を使ったりすることもなく、思ったよりはずっと楽に禁煙できている。
たまに「吸いたいな」と思うことはあるが、それは喫煙への欲求というより、喫煙への追憶といった意味合いの方が強い感じがする。
娘が大きくなる頃には世の中に煙草などほとんど無くなっていて、煙草のあった時代のことを懐かしんで話してやる時が来るかもしれない。
たかが煙草のことではあるが、時代の幕というものは実に呆気なく、静々と降りてゆくのだなと実感し、少し寂しくなるのだった。
チャイルディッシュ・ガンビーノの新曲『This is America』のPVがネット上で話題になっている。構成の巧みさや構図の力強さと独自性、そして、社会的・政治的メッセージの鋭さも卓越しており、久しぶりに映像体験として衝撃を受ける作品で、映像監督が日本人だと言うのも更に驚きだった。
さて、映像といえば、是枝監督の『万引き家族』がカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した。凄いことである。
この映画には、主要な役柄でリリー・フランキーさんが出演しているのだが、私はこの人が昔から気になっていて、密かな憧れを抱いていた。だいぶ昔のことになるが、まだ、これほど有名になる前に二度お会いしたこともある。
飾らず気取らず気さくで、面倒見が良く親しみやすく、常識にとらわれない独特な感性と豊富な知識を持ち合わせ、下品なようでいてとても真面目な側面があり、びっくりするほど歌が上手く、陰毛を描かせたら敵う者は無く、そして、ちゃんと一緒に酔っ払ってくれる、そんな、つかみどころのない人だった。
ほんの一瞬の事ではあるが、とても近くで過させてもらった経験のある者として、画面の向こうで世界の最高峰の舞台に立つリリーさんの姿を見るのは、嬉しいやら寂しいやら、ちょっと不思議な感じなのである。
でも、リリーさんは、やっぱり凄い人だったのだ。私の憧れは間違ってはいなかった。
大学におけるパワハラやアカハラ、そして、それに対する大学当局の無視や無理解や無関心や無関与といった姿勢に直面してしまった体験を持つ者として、今回の日大アメフト部の問題は今更それほど驚くことではないように感じてしまう。
さて、最近知り合いになった方がTwitter上で性犯罪被害のアンケートをとったところ、思いがけず13万人を超える方々から回答が集まり、そのうちの80㌫以上にあたる11万人以上の方々が何らかの被害に遭った経験があるという結果となった。
新潟の女児殺害の報道、胸が痛くてみれません。山口メンバーの件も然り。
— りょうたっち (@ryoutacchi3) 2018年5月16日
私が男性だからか、被害者の声を聞く機会もなく、報道をみても「自分はそんなことしない」で思考停止に陥ってました。実態を知って考えたいので、女性の方、教えて下さい。
未成年の時に、痴漢・性的いやがらせ・セクハラ等を
私自身、目の当たりにした事こそ無いけれど、女性の友人や妻から体験談を聞いたりしていたし、生活圏の中でも報道の中でも日常的に話題にあがるかなり身近な問題である。
では、これも今更驚くことではない問題なのだろうか?
どちらも深刻な人権問題である。
アカハラ・パワハラ問題もセクハラ問題も、差別意識を前提とした深刻な人権問題なのである。こうした問題に対する無視や無理解や無関心や無関与といった姿勢の中に差別の意識が働いている事を充分に理解しなければならないと、今更ながら痛感するのであった。
自分自身が差別野郎だったことが露呈する情けない事態となってしまったな。
まったく。
私の体験については、あまり楽しい話ではないし些か長いのでオススメはしないが、興味ある方は1月13日(土)の日記にまとめてあるので読んで頂ければと思う。
「THE M/ALL」というイベントに行ってきた。
おそらく日本では初めての本格的なカウンターカルチャーのイベントだろう。クラウドファンディングで支援を募り、「水曜日のカンパネラ」のコムアイや「アジカン」のGotchなどの大物出演者を登場させながらも、入場料無料という偉業を達成したイベントだ。
娘を一緒に連れて行ったので、ほんの少しだけ会場の雰囲気を楽しむぐらいのことしかできなかったが、私が若い頃には全く想像できなかった新たな潮流が、今まさに作り上げられようとしている現場を目の当たりにして、胸を熱くするオジサンなのであった。
ラストのコムアイのステージはなかなかの伝説になったようである。
#MakeALL2days
週末に娘を連れて実家に行ってきた。
電車だと駅三つの距離なので、月に一度ぐらいの頻度で娘を連れて行っている。
実家近くには手ごろな児童公園があって、いつも娘を遊ばせに行くのだが、その日は偶然、小学校からの友人が息子を連れて来ていた。
結婚して実家を出るまで、地元の友人たちとは親しく付き合っていたほうだったが、出てしまってからは驚くほど疎遠になってしまい、その友人に会うのも七年ぶりだった。
子どもを遊ばせながら、近況報告をしたり、友人たちの消息を尋ねたり、家族や子育ての話なんかをしていたら、けっこう時間が経っていた。子どもたちも汗びっしょりになっていたので、今度実家に来る時は連絡すると約束し、慌てて解散した。
帰り道、娘の小さな手を引きながら、もし地元で子育てができていたら、もう少し気楽でいられたかもしれないな、などと考えていたら、娘が私の手を払いのけて先に走って行ってしまった。
そんな娘の後ろ姿を眺めながら、気楽な子育てなんかあるわけ無いよなと痛感し、慌てて追いかける父であった。
帆布地の鞄を買った。
無駄な装飾が無く、質素な外観で、使い勝手も良く、ほど良い大きさで、何より丈夫だ。
とても気に入っている。
ただ、無地なのでちょっと味気ない感じもする。そこで、アクセントになるかもしれないと思って、試しにピンバッジを付けてみたら、とても良い感じになった。
付けたのは、妻がアルゼンチンのエル・カラファテという氷河の町で買ってきてくれた素朴なピンバッジだ。私の世界ピンバッジコレクションの中でも一番遠方のものになる。
ピンバッジと合わせて、更に気に入ってしまった。
先日、朝の満員電車から降りると、ピンバッジが鞄から取れて無くなっていた。
ピンバッジの無くなりやすさを忘れて、いい気になっていた自分を呪い、満員電車通勤をしなければならない自分の境遇さえ呪った。
ううぅぅ。
もうこうなったらアルゼンチン。 行くしかないよな。