2019年 5月
5月7日(火)

ノープランで挑んだ10連休は、行き当たりばったりの遊覧・行楽のためにヘトヘトに疲れ果て、連日の強行軍で溜まった鬱憤が最終日に大爆発し、父娘による泥沼の大乱闘で幕を閉じました。

おかげで身も心も信頼もズタボロになってしまった我が家ではありますが、本日より気持ちを新たに、家族一丸となって邁進して参りたいと思っております。


ダメ。 ゼッタイ。  「無計画 GW 防止委員会」

ご利用は計画的に。  「ノープラン連休 撲滅運動」

5月8日(水)

連休は精力的に遊び回ったが、10日間もあったので、流石に何処へ行って何をやったんだか、けっこう朧気になりつつあるが、代々木公園で行われていた東京レインボープライド 2019(TRP 2019)はかなり強烈な印象と同時に、子連れながらも久しぶりに思う存分楽しめたなと記憶された。

TRP 2019 はいわゆる「LGBT」の方々によるイベントなので、シスジェンダーだと思われる我々夫婦と娘(まだジェンダーは不明)にとっては少しお邪魔させて頂くという感じで参加したのだが、会場の雰囲気がなんだかとっても居心地良くて、ついつい長居をしてしまった。

人混みでは普段は大人しくしている娘も、何かを感じ取ったのか、ステージから聴こえる音楽に合わせて踊ったり、アッチに行きたい、コッチに行きたいと言って、積極的に動き回っていた。

居心地の良い家というのは、そこに住む人もそうだが、そこに集う様々な人や物や思考が様々に開(解)放されているからこそ居心地が良く、このイベントはそうした意味で見事に開(解)放されていた。

来年もお邪魔させて頂きます。

5月9日(木)

我が家にあるピンチハンガー(大1 中1)だけでは、家族三人分の洗濯物が干しきれなくなり、頑丈で大きいものを新しく買った。

だが、この新しいハンガーは、洗濯ばさみの間隔が異様に狭い(1㌢ぐらい)列が何ヶ所かあり、そのまま干すと洗濯物同士が密着してしまって非常に乾きにくく、仕方なく一列飛ばして干すために、ちょっと損した感じになる。

もしかして俺の干し方が間違ってるのか? と思って色々調べてみたが、有効な情報はなく、こんな無様なデザインをしたのは誰だ! 出てこい! などと、毎朝、洗濯物を干すたびに憤っているところである。

あまりにも癪なので、いっその事、狭い列のピンチをハンガーから外してしまおうかとも思ったのだが、そんな自分の姿を三人称限定視点で客観的に観察してみたら、とても惨めになったのでやめました。

視点の切り替えって大事ですよね。

でも、このピンチハンガーをデザインした奴の視点は完全に狂っていると思います。はい。狂っています。

5月10日(金)

信号のない横断歩道を渡る際、今までは車の流れが途切れるのを見計らって渡っていたのだが、ここ最近、車が停まってくれて横断を譲ってくれることがよくある。

歩行者優先のマナーは欧米では当たり前で、米国で実際に体験した時にはけっこう感動したものだが、日本でもそうしたマナーが少しでも浸透しつつあるのかと感じる。

だが、いくらマナーが良くなろうとも、残念ながら、ここのところ痛ましい事故が続いている。

交通事故自体は昔よりもだいぶ減っているようだが、人間の能力には限界があるので、技術や構造や機構の面から早急に対応し、より強固な安全性を高めて貰いたいものだが。

一連の事故は、幼い子を持つ親として他人事ではいられない。


話変わりますが、10連休直後の週末ってどう過ごせば良いのでしょうか? ちょっと混乱しています。

5月13日(月)

週末に娘と出掛けると、街に溢れる多くのものが、品行方正で意気軒高な善男善女を優先してデザインされているので、自分たちが招かれざる存在であることを痛感する。

かつては、私も「善男」ぐらいの部類には入っていた(本当か?)ので、もし娘がいなかったら、そういう矛盾には気が付かなかっただろうと思う。

情けない。

こうした、ごく一部を優先し、ごく一部の価値によって成されたデザイン(はたしてこれはデザインか?)は、立場が異なる存在を容易に排除するし、時には危険に曝すこともある。

でも、上記したように、当事者が誰も気付かないなんてことも多々あって、なんとも情けないことになってしまっているのだが、街のデザインひとつとってもそんな有り様なのだから、他のものも推して知るべしである。

でも、ちょっと真剣に考えていかないと、街どころか、この国自体がヤバいよな、などと、真剣に未来を憂う月曜日の朝なのであった。

5月14日(火)

先日、高田馬場でロシア料理を昼飯に食べた。
料理は想像以上に美味かった(ロシア人に失礼)が、ビールがちょっと、まあ、ねえ。。 やはりウォトカの国なんだな。

高田馬場には何度も訪れているが、それにしても、自分の中に妙に明確な土地勘があるので、なんだろうか? と訝しんでいたのだが、そういえば大学3・4年の2年間、高田馬場からほど近い早稲田大学に毎週2日だけ通っていたことを思い出した。

私の通っていた武蔵野美術大学と早稲田大学は単位互換制度という協定を結んでいて、どっちの学校の講義を履修しても、ちゃんと単位として認るよ、という大らかでユニークな制度があって、私はその制度を利用し、早稲田大学に通っていたのだが、交通費をケチって高田馬場から歩いて通っていたのだった。

けっこう距離あります。

早稲田で初めて出たのがプラトンの『パイドン』と『饗宴』を下敷きにした酒井紀幸教授の「美学」の講義だった。ハイレベルな内容に「これが早稲田か」と圧倒されたが、それ以上に、期末の筆記試験の内容がまったく理解できず、仕方ないので、そのことを正直に白状し、これまでの授業の感想を書いて提出したことを覚えている。

そんな散々な試験内容だったのに、成績が「優」だったのも、なかなか苦々しい思い出だ。

でも、まあ、そんなことも含めて、早稲田に通った経験はとても有意義だったし、偏差値だけで通える大学や授業が決まってしまうのではなくて、自分の興味や好奇心に応じて横断的に学べる環境のほうが健全だよな、なんてことを、けっこう真剣に感じていました。

5月15日(水)

今日は夕方から保育園で個人面談があるため、仕事は午後に休みを貰い、妻と銀座で少し豪華なランチをし、束の間のデートを楽しんでから、保育園に向かおうと思っている。

娘には悪いけど、半年に一度の貴重な夫婦の時間を楽しませて貰う。

5月16日(木)

我が家にはテレビが無いので普段はFM放送を流している。

日常的に流しているのは、人畜無害な内容が多めの J-wave という放送局なのだが、日曜日の夕方だけはどうしても聴くに耐えない番組があるので、放送局を Inter FM に変え、ピーター・バラカンがDJの「Barakan Beat」を流す。

日曜日の夕方ぐらいは気持ち良く過ごしたいですからね。

ピーター・バラカンの番組は「新しさ」という意味においては、新曲をバンバン流している番組よりも遥かに新しい発見があって、とても面白い番組です。流石のバラカン。

バラカンの番組が終わって J-wave に戻ると、野村訓市がDJの「Travelling Without Moving」がちょうど始まり、これがまた日曜日の夜に相応しく、かなりゆったりとした気分になれる良い番組で、充実した週末の締めにぴったり。

良い番組というのは、リスナーのメッセージやリクエストを大事にし、丁寧に流してくれるので、とても心地良い。

ラジオ暮らし。 お勧めします。

5月17日(金)

我が家でとっている新聞で、昨日の夕刊から「日日是植物」と題した いとうせいこうさんの連載が始まった。

いとうさんは植物と共にある暮らしをコミカルに描いた随筆を20年近く書いていて、植物を愛でる男として私も欠かさず読ませてもらっている。

『ノーライフキング』『波の上の甲虫』『存在しない小説』『鼻に挟み撃ち』といった実存主義的な小説の卓越した書き手である一方で、生活や暮らしに根差した随筆の名手でもあるのだ。

デザインでも文章でも何でそうなんだけど、暮らしの隅々に目の行き届いている表現者って、実感を伴ったとても素敵なものを産みだしますよね。

逆に、そうした出発点がズレていると、もうね。 困ったことに、そういうの本当に多いですけど。。。

5月20日(月)

子どもは蒲公英の綿毛を吹くのが大好きだ。

蒲公英の綿毛の形は子どもを刺激し、刺激された子どもは喜んで綿毛を吹く。

子どもの好奇心によって蒲公英は綿毛についた種子をより遠くへ飛ばし、蒲公英の綿毛が飛ぶ快感によって子どもは想像力を広げる。

蒲公英と子どもの素敵な共生関係。

父はその関係を静かに見守るだけ。

5月21日(火)

唯でさえ雑多な街並みをOOH(交通・屋外広告)が更にかき乱すことで、東京の街はゲシュタルト崩壊のような状態になってしまっているが、そんな中、乗り換えの駅でいつも見かける「いいちこ」の広告ポスターに一抹の開放感を覚えてしまうのは、最早、末期症状なのかもしれない。

ただ、広告としての評価はできないが、ポスター自体が一時的な開放とその後の酩酊という焼酎の本質を体現しているという点では見事である。

5月22日(水)

今週は妻の仕事が忙しく、私が一人で慌ただしく家事・育児をこなす場面が多いのだが、昨晩、夕飯後の洗い物の最中に大きなガラスポットを割ってしまった。

幸い誰にも怪我は無かったが、気持ちの遣り場を失ってしまい、だいぶ長い間、台所で呆然としてしまった。

家事にも育児にも向いていない駄目な父だ。

しかしまあ、毎日のようにオンオペ家事・育児をこなしている皆さん。本当にご苦労さまです。私などはまだペーペーですが、お互いの苦労を労って、今度、一緒に呑みにでも行きましょうよ。ねぇ。


今夜も明日も明後日も。終わりなき日常を頑張りましょう。

5月23日(木)

娘が夕飯の仕度を手伝うと言うので、簡単なこと(玉葱の皮剥きとか)をお願いしていたのだが、気を良くした娘は「次は何する?」とか「人参切る?」と、いくぶん冗長気味になってきて、なかなか台所から出て行ってくれない。

娘に注意を払いながら料理していたため、捗らないし疲れるしで、だんだん苛立ってきてしまい、娘が鍋を加熱しているガス台に不用意に近づいたので、思わず「何やってんの! 危ないよ! 邪魔だからもうあっち行ってて!」と、感情的になってしまった。

すると娘が「じゃあもういい! 父ちゃんなんてもう知らない! 大嫌い!」と、結構な剣幕で飛び出して行ってしまった。ちょっと言い過ぎてしまったな、と反省しつつも、今まで見たことのない娘の剣幕にかなり戸惑った。

こんな時はどういう対応がいいんだろう? だいぶヘソを曲げてしまっただろうな、と料理を続けながら考えていたら、「ピンポーン! さて私は誰でしょう?」と、娘が悪戯っぽい表情で戻ってきたので、料理の手を止めて、娘を思い切り抱きしめた。

まったく。


3才児がいる生活ってこんな感じだ。
私は今まで何も知らずに生きてきた。

5月24日(金)

最近、大事なことをメールに書いて、明日の自分へ送信している。

買わなければいけない野菜、持っていかなくてはいけない衣服、卸さなくてはいけない金額、揃えなくてはならない書類、そして、書かなくてはいけない記事、といった忘れてはいけないことを送信するのだ。

ん? 記事?

そう、明日は「真平新報」の発行日だ。


間に合うよな。。。 たらり(汗) ごくり(唾)

個人的な新聞なんだから発行日なんて厳密に守らなくても、と思われるかもしれないが、誰にも頼まれていないからこそ発行日は厳守しなければならない。というのも、発行日という基本かつ重要な一線を守ることができなければ、他の全てのことが一挙に瓦解する恐れがあるからなのだ。

誰にも頼まれていないということは、誰にも頼まれていないからこそ、大変なことなのだ。

5月27日(月)

一昨年と昨年は持ち越しゼロだった有給休暇が今年は数日持ち越せることとなった。

娘のこと(主に風邪と熱)で休まなくなった結果だ。

ただ、うちの会社の制度では持ち越せない半端な休み(半休とか時間休)がまだあって、今週中に取らないと5時間分が消滅してしまうため、ちょっと無理を言って、数日に分けて使わせて貰うことにした。

なので、今週はちょっとご褒美週間なのだ。

へへへぇ。 いいでしょ。

これがサラリーマンです。 ん? サボリーマン?

5月29日(水)

今日は定時より1時間早く上がります!

へへへぇ。 いいでしょ。 ちょっとロフト寄って帰ろう。

これがサラリーマンです。 ん? サボリーマン?

いつもより早くお迎え行くと、娘がすごくびっくりして、なんとも言えない気恥ずかしそうな笑顔で喜びます。それがもの凄く可愛いんですね。これが。

楽しみだ。

5月30日(木)

年始の引っ越しの時に家の本の多さにウンザリしたので、その後、本は図書館で借りて読むようになった。

図書館を利用するようになって、本の値段に悩まされなくて済むので今まで手の伸びなかった専門的な本も気軽に読めるようになったし、ネット予約ができるので保育園のお迎えの時にちょっと寄るだけで気軽に借りられるし、おかげで以前より確実に読書量が増えている。

良いことだらけだ。

そんなわけで、本に限らず「所有」ということに縛られることで、可能性を狭めてしまっていることが世の中には多いような気がしたのだ。「共有」することで接触や使用機会が増えるなら、ひとまずそうしておいて、「共有」以上の要求や欲求が出てくれば「所有」という選択を考えれば良い。

実際、自転車や自動車や作業スペースの「共有」は上手くいっているようだし、もっと「共有」の範囲を広げて貰えると、狭い我が家で無理に「所有」するものも減って、経済的にも空間的にも家族円満になると思うんですが。

良くなくなくない?

各種工具とかキャンプ・アウトドア用具とかも共有! あとケルヒャーの商品全般も全部共有!

ん? これって俺の欲しいものだけか?

5月31日(金)

娘を連れて野外フェスに行こうと思っている。

育児もだいぶ楽に(オムツ外れが大きい!)なってきたし、休暇も逼迫しなく(風邪をひかなくなった!)なってきたし、我々夫婦の手足も少し伸ばしたく(父母も楽しみたい!)なってきた。

最近はチャイルドフレンドリーなイベントも多くなってきているという話だし、音楽フェスなんかも良いよな、なんて漠然と考えていたところ、遠方(西南西方面)に嫁いだ義妹が近所で行われる野外フェスに子連れで参加するというので、我が家も相乗りさせて貰うことになった。

しかし、この数年間、生活と育児に(異常なほどに)深く関わってきた自分の精神や身体が、果たしてフェスの享楽を上手く享受できるのだろうか? という一抹の不安がある。

そんな訳で、久しぶりの野外フェスを前に、期待と不安で父は押し潰されそうになっている。こないだは持ち物をどうしようか考えていたら、眠れなくなってしまった。

気楽に心置きなく過ごすこと。 まずはそこからだな。