木曜日は保育園の保護者会だ。おそらく今年も保護者会の場で父母会の入会案内があるだろう。
父母会とは何なのか?
保育園に通う子どもたちの父母が疎ましく思いながらも入会し、明文化されていない暗黙の了解や目的不明の慣例に従い、疑問や不満を持ちつつも任務や行事を律儀に遂行する。無思想・無思考・無批判・無関心のまま、意見集約や議論の場もなく、制度の改正や改良や改定も一切無いゾンビのような運営にも関わらず、入会を拒否した者への冷ややかな視線は厳しい。
つまり、今の父母会とは、日本の悪い面をまとめて凝縮したような、かなり歪な組織に成り果ててしまっている。
さて、どうしたものか。
私が「一肌脱ぐ人」にならなければいけないんでしょうか?
最近、妻の仕事が忙しく、週に一度ぐらい父娘だけで過ごす夜がある。昨晩も妻が不在で、どことなく娘に元気が無いような感じだったので
「母ちゃんいないと淋しいか?」 と尋ねたら
「父ちゃんが淋しいんでしょ?」 と返された
娘よ。 父ちゃんは自分の気持ちに気付いていなかった。
図星だ。
昨日、保護者会の前に妻と自由が丘のタイ料理屋にランチを食べに行ったのだが、そこで食べたタレー・パッポン・カリーが絶妙で、食材の鮮度や香辛料の刺激もさることながら、濃厚でまろやかなスープの美味さには久しぶりに舌鼓を打った。食べ終わった後も至福の時間が暫く続くほどだった。
妻の食べたカオソイも絶品だったな。こんな美味いものが食べれるのなら月イチで保護者会をやって貰いたい。
さて、肝心の保護者会であるが、やはり今回も父親の育児参加という面で、かなり難しい実態が浮き彫りになったように思う。子どもの成長によって育児が少し楽になってくる一方、育児にも家事にも参加できない(しない)父親の存在が家庭内で目障りになってくるようなのである。
どの家庭も共働きの筈なのだが、クラスの半数ぐらいは完全に母親だけ(ワンオペ)で生活を回しているような印象を受けたが、父親が参加している家庭でも補助的な役割しか担っておらず、公平かつ主体的に役割を分担できているのは、我が家ぐらいかもしれなかった。
色々と喧伝されてはいるがこれが日本の現状だ。自由が丘の有閑マダムと一緒に舌鼓を打っている場合じゃないよな。
週末が楽しすぎて月曜日が辛い、なんてことがありますが、私は2週続けてそんな感じなので、この雨の月曜日が辛くて仕方ありません。本当に辛いです。
若かりし頃はもっと多感だったので、そんな月曜日にはズル休みして、ベッドの上で悲しみに暮れていたものです。本当にだらし無かった。
でも今は、月曜日だろうが、辛かろうが、悲しかろうが、雨だろうが、朝になると娘の笑顔が否応なく起こしてくれる。
ゆっくり感傷に浸ってもいられないな。 まったく。
レインブーツ買わないと! と思っていたら梅雨になってしまった。。。
6月だというのに、最近の冷え込み(大袈裟か?)のせいで、なかなか朝早く起きられず、先週は先週で、無理が祟って腰痛を抉らせてしまい、かなり難儀した。
踏んだり蹴ったりだが、これってもう中年を通り越して、老年の嘆きのような気もするな。
さて、唐突ではあるが、そんな老年でも成長することはできるという話です。
実は、今まで私は「蝶々結び」が大変苦手(幼少の頃に習得をサボった)で、靴紐などは比較的簡単な「引き解け結び」で誤魔化していた。だが、娘が産まれてから、どうしても「蝶々結び」をしなくてはならない娘の肌着や衣服があって、一心不乱に結んでいるうちに「蝶々結び」を完全に克服したのである。
どうだ!
あと最近、娘のトイレの後処理の最終チェック(主に「大」のほう)をしているのだが、このチェックのお陰なのか、自分の後処理も今まで以上に迅速かつ的確に(できなかったわけではない!)行えるようになっている。
どうだ!
子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。
月並みですが、出典は『論語 為政第二』より。
今から4年前。2015年の6月。私は香港にいた。私と妻と義妹と妻の大叔母。所謂、家族旅行だ。
妻の大叔母という人が広告業界のちょっとした人なので、普段は泊まら(れ)ない良いホテルで、普段は食べ(られ)ない良い食事をして、良く遊び、良く笑い、良く楽しんだ。
娘はまだ妻のお腹の中にいて、私はまだ煙草を吸っていた。
私たちが訪れる半年前、香港では「雨傘革命」と呼ばれる大規模な反政府運動が起こっていた。それより以前に日本では脱原発運動が盛んに行われていて、私もよく参加していたのだけど、もうその頃にはだいぶ下火になっていた。
そんな時、突如として起きた「雨傘革命」は寝耳に水というか、かなり衝撃だった。香港には時々メールで遣り取りしたり、新譜CDを送ってきてくれるミュージシャンの女の子の知り合いがいるのだが、政治とはほど遠いと思えるようなその子も積極的に運動に参加していた。
「雨傘革命」に関わる情報をネットで引っ張ったり文献を読んだりして、香港で一体何が起こっているのかを理解し、私は再び驚いた。香港の人々は真剣に自分たちと香港の未来のことを考え、思想や立場や年齢や職業の違いを越え、自由を尊ぶ一人の香港人として、各々が自律して行動していた。
今から4年前。2015年の6月。私は香港にいた。
今また再び香港は行動を始めている。
日本は、日本人の俺は、一体どうするんだ。
着実に奪われていく日本の自由を取り戻すために立ち上がることが、香港の人々に対する本当の #香港加油 となるのではないかと思う。
先週、外出先で寝てしまった娘を抱っこしてしばらく移動していたせいで腰痛になってしまった。
痛いだけでは癪なので、保育園の同じクラスのお母さんたちに事の顛末を面白可笑しく話していたのだが、ひと通り話し終えたたあとに、あるお母さんが「まあ、お父さん華奢すぎるからね」と言われ、最後のオチと爆笑を全て持っていかれてしまった。
ぐぬぬぬぅ。。
悔しいので、それからというもの肉体改造のため、今流行りの「筋肉体操(もう古い?)」に励んでいるのだが、ちょっと張り切り過ぎてしまい、今現在、全身がひどい筋肉痛に苛まれている。
さて、この苦労話しのオチはどんな風にしようか。今度こそ爆笑は俺のものだ!
ちなみに、いつも娘と一緒に「筋肉体操」をやっているんですが、全身ぷにぷにのくせに娘は何の苦もなく余裕でメニューをこなしていきます。一体どういう訳なのでしょう? 軽いから? 何で? ぐぬぬぬぅ。。
重大な問題点や懸念点があるので、具体的な代替案や対応策などを複数明示した上で内容確認の問い合わせをしているのに、誰からも一向に反応がなく、仕方ないのですべての可能性を考慮して進行していたら、最終局面になってようやく返答があったはいいが、こちらの提案や助言を一切無視されたうえ、無謀で無茶で理解不能な仕様変更のメールだけ、なんてことが私の周りだけでなく、日本中で多発している事案だと知りました。
決断や決定をできない(しない)病がこの国には蔓延しているようです。相当やばい状況だと思います。
実家近くの商店街は数年前にアーケードが撤去され、小売店として唯一頑張っていた酒屋が先月一杯で70年の歴史に幕を下ろしたことで、商店街としての機能を完全に失った。
我が家の近くの駅前商店街も、今月に入ってから美容室2店舗と中華料理屋1店舗が長い歴史に幕を下ろした。
それ以外にも、ここ最近、懇意にしていた魚屋や惣菜屋が次々に店を閉めている。地方の商店街は既に壊滅してしまったが、いよいよ都内も大変なことになってきているようだ。
地域経済圏に頼った生活をしている我が家としては相当やばい状況だ。
私が思春期を過ごした1990年代後半のヒットアルバムを片っ端から聴き直しているところだ。
なぜかって? ただのノスタルジーです。
さて、皆さんも御存知のように、日本の音楽業界は1999年の宇多田ヒカルのファーストアルバム「First Love」の売上736万枚を頂点にして、衰退(安寧?)の一途を辿っているところで、あれから20年近くが経過した去年の最多売上が安室奈美恵(90年代後半の代表!)の「Finally」の63万枚だったので、その差は歴然(宇多田ヒカルは衝撃だった!)だ。
1990年代後半とは日本の音楽業界の爛熟期だったのだ。
さて、そんな爛熟の時代に思春期を過ごした私たち(そこの貴方もですよ!)のスタンダードな音楽の聴き方は「黙して傾聴」スタイルだったと思うのです。
つまり、音楽を聴くことだけに集中、ながら聴きなど言語道断、というか、聴くこと意外に何もできなかったと言ったほうが正しいかもしれません。一人で聴く時も友人と一緒に聴く時も、ただひたすらに音楽を傾聴することが唯一の作法だと思っていたのです。
1990年代後半のヒットアルバムを聴いていると、そんな懐かしい頃のとても細かなところまで色鮮やかに思い出すことができるのです。
音楽って身近なタイムマシーンですね。
来週末、職場の懇親会が企画されていて、さっき幹事の女の子から案内を貰った。場所は以前も使った銀座の小洒落た居酒屋で、コース料理に飲み放題が付く3時間の宴会となるようだ。
まあ、幹事もやらずに言うのもアレなんですが。
食べたくないものを食べきれないほど出され、選択肢の少ないアルコールを飲まされ、時間でしっかり区切られるような、いわゆる居酒屋の定番宴会コースが、正直、ちょっとキツくなってきている。
私にとっては数少ない外食の機会なので、できれば、量は少なくても美味しいものをきちんと吟味して、ゆったりとした気分で実のある会話を職場の人たちと楽しみたい。居酒屋の定番宴会コースは、そうした私のささやかな楽しみを根こそぎ奪い去ってしまう。
食べることに焦り、飲むことを急ぎ、喋ることが疎かになる、そんな懇親会って辛いですよね。
まあ、幹事もやらずに言うのもアレなんですが。
いよいよ明日は夏至である。
今まで日の出入りの時間などあまり重要視していなかったが、育児をする生活になってからけっこう敏感になった。
特に保育園のお迎えは、日のあるうちに迎えに行ってやりたいってのが人情だ。お迎え時間を早められない勤め人にとって、日の入りがどんどん早まっていくと、嫌でも気を揉む。
夏のバルセロナの日の入りは21時過ぎてたよな。
羨ましいな。
今までは各家庭で用意した好きな帽子を保育園の外遊び用に持っていっていたのだが、今年から園児全員に保育園から帽子が貸与されることになった。
貸与された帽子の形状は、いわゆる体育のつば付き帽なのだが、帽子の後ろに首まで隠せるヒラヒラ(「帽垂れ」と呼ぶらしい)が脱着できるようになっている。
丈夫だし有能そうだし、とても良いと思うのだ、とても良いと思うのだが、どうしても大日本帝国陸軍の戦闘帽を連想してしまって、とても嫌なのだ。
そういうわけで、こないだ、ヒラヒラを外して持っていったら、先生から指摘されたので、「このヒラヒラを付けてると小野田少尉とか横井軍曹とか連想してしまうのでちょっと嫌なんです」と言ったら、「誰ですか それ?」と言われてしまいました。
う~む。
11時過ぎに保育園から連絡があった。
娘の熱が38度4分あるが、手足が冷たいのでまだ上がる可能性があり、いつも以上に辛そうでぐったりしているため、早めにお迎えに来て下さいとのことだった。
保育園からの呼び出しは1年半ぶりだし、午前中の呼び出しは初めてだし、ぐったりしているというのも気掛かりだったので、けっこう焦った。
保育園に着くと、娘は事務室の片隅(もっとマシな場所ないの?)で寝かせられ、今まで見たことがないぐらい元気がない感じで、家に連れて帰って熱を計ってみると39度3分になっていた。ベッドに横になっても辛くて眠れないようで、弱々しい呻き声をあげながら、さっき眠りに落ちたところだ。かかりつけの小児科は午前の診察時間が過ぎていたので、夕方の一番早い時間に予約を入れ、ようやく小康状態となった。
とまあ、そんなわけなので、本日予定していた「真平新報」の発行は延期とさせて頂く。
誰にも発行を頼まれていないので、とにかく娘が最優先だ。