2019年 7月
7月1日(月)

先週は、久しぶりの娘の発熱に翻弄された挙げ句、娘の熱がぶり返してしまい、とても可哀相なことをしてしまった。あらためて無病息災の素晴らしさを噛み締めたところである。

とまあ、そんなこんなで2019年も折返しとなりました。いつも思うのですが、時間の経過って長いのか短いのか正直よく分かりません。ただ、少なくとも、こうして日記を書いていると、時間を意識的に噛み締められるので、知らぬ間に時間が過ぎ去ることは少ないです。

そう言えば、先程、私の弟に二人目の子どもが産まれたようです。今日はそういう日であることを噛み締めて。

7月2日(火)

先週末の職場親睦会の胃腸の疲れが癒えないまま、昨晩、大学時代の友人たちと呑みに行ってしまったため、今の私は毎晩のように呑み歩いていたあの頃が悪夢のように感じるぐらい弱っている。

もし今の状態で私が強盗殺人にでも巻き込まれたならば、あまりにも無抵抗で争いの跡のない現場を見た刑事は、顔見知りの犯行を疑うことだろう。

それぐらい弱っている。

ちなみに今週末は保育園の親睦会だ。
気を引き締めていこう。抵抗できるぐらいの余力を。

7月3日(水)

血縁のある親子なんだから、顔が似ていることなんて当たり前のように思えるが、実際はかなり違っていることが多い。

特に幼児期ぐらいの子どもの顔だけを頼りに、その子の親を当てろと言われても、まず不可能だ。絶対に分からない。

外見的な特徴から見分けるのなら、指とか耳とかいった部分的なところの方が判別しやすいのだが、日常的な場面でこのようなところを観察するのはかなり難しいし、かなり怪しい奴になってしまう。

だから、我々は子どもたちが自分の親を呼んだり抱きついたりする姿などから、他人の親子関係を知り、どことなく雰囲気が似ているな、などと帰納的推論によって「親子≒似ている」と導いているだけなのだが、たまに、ホントかよ!? と思うぐらい瓜二つの親子に出会うこともある。

ちなみに兄弟とか姉妹とかは、かなりの頻度で似ています。

ちょっと話は逸れますが、遺伝的なことで言うと私の心配性は完全に祖母ゆずりで、私が娘ぐらいの歳の頃から、祖母はいつも「生きていると色々なことを心配しなくちゃいけないから早く死にたいよ」とボヤいていました。

祖母のこの気持は痛いほど良く分かりますが、私も同じような人生を歩むのかと思うと、心配なので早く死にたくなってきます。

ちなみに祖母は今も元気に生きております。

7月4日(木)

週末に夏物のパンツを買いに行ったらサマーセールで60%オフになっていた。ラッキー!

ついでにパンツをもう1本と娘のTシャツ(かなりイカした鮫柄)もカゴに入れてレジに行ったら、期間限定で3点以上の商品の買い物には更に30%オフされるとのこと。その上、妻がその店のメンバーシップになっていたため、ダメ押しで更に5%オフになったのである。

うぅ~む。

まあ、消費者としてはありがたいことだが、ここまで安くされると、どこかの誰かにもの凄いシワ寄せがいっているんじゃないかと心配になるし、最終的にこのツケが自分に回ってくるような気がして、ちょっと複雑な気分だ。

この買物の最終的な割引率を計算したところ73.4%でした。アパレル業界はこんなんで大丈夫なのかな?

7月5日(金)

いつも利用している地下鉄の駅に、ちょっと前から笹が設置され、短冊に願い事を書いて飾れるようになっているのだが、こんな地下深くの笹飾りを織女と牽牛が見にきてくれるだろうかと疑問に思う。

などと書きはじめて あれれ? と思ったので調べたら、去年の日記に同じことをしっかり記しているのだった。

日付も書き出しも同じだ。。。
ちょっと待てよ、もしかして世界が時間反復(ループ)しているんじゃ? ←バカッ!

もうこうなってくると願い事はひとつしかない。 脱輪廻! じゃない。 脱健忘! 頼む! 織女と牽牛!


そう言えば七夕って眠気払いのお祭りでしたよね。
ボヤボヤしてんじゃねえってことか。。。

7月6日(土)

出勤している。逐次、妻から娘の様子を写した写真が送られてくる。拷問のようだ。早く帰りたい。

今夜は保育園の懇親会もある。早く帰りたい。

私には時間がないのだ。早く帰りたい。

とにかく。早く帰りたい。

7月8日(月)

たまに、どうにもこうにも、娘が手に負えなくなる日があって、昨日がまさにそんな日だった。

とにかく言うことはきかないし、やってはいけない事ばかりするし、自分の主張が叶わなくて大騒ぎをする。まるでイヤイヤ期が再来したような感じだ。

でも、こんな時ほど、娘にしっかり寄り添ってやりたいのに、私は二日酔いであまり動けず、本当に情けない日曜日を過ごしたのでした。

そんな訳なので、今日はいつも以上にとても憂鬱な月曜日をむかえています。おかげで良い曲ができそうなくらいです。

曲の題名は『ブラック・マンデー』 ←これはちょっと違うか
曲の題名は『ブルー・マンデー』 ←これはもうあるな

7月9日(火)

昨日の日記をアプッロードした直後、保育園から娘の発熱の一報が入った。先々週に発熱したばかりだったので、完全に気を抜いており、あたふたしながら、目下の仕事を引き継いでから(日記を書いていなければすぐに出れた)急いで迎えに行った。

月曜日はブラックだのブルーだのとウダウダ弱音を吐いていたら、しまいにはただの『ダーク・マンデー』になっちまったじゃねぇか! 本当に情けないやら悔しいやら。

しかも、熱は39度を超えるし、今朝はもどしちゃったりして、本当に可哀想だった。病院に行ったらヘルパンギーナという夏風邪の診断だった。今は熱も下がり、だいぶ元気になってきたので、とりあえずひと安心だ。


まあ、こんな形ではあったけども、今日一日はしっかり娘に寄り添うことができたので、ちょっと取り戻せそうな気がする。 ←何を?

7月10日(水)

ようやく娘の体調も安定し、日常運転に戻りつつ我が家だが、先々週の発熱では熱がぶり返したので、今回もまだ油断はできない。しかも、今まさに悪名高きあの「手足口病」の感染が全国的に拡大しているそうではないか。

嗚呼 恐ろしや 恐ろしや。

我が家に安らぎと平和が訪れるのはいつになることやら。ケアルとかレイズとかいった回復系の白魔法が使えたら、どんなに助かるだろうと思うのだが。

ん? 私? ファイナルファンタジー派です。

7月11日(木)

夏風邪(ヘルパンギーナ)の影響だと思うのだが、娘が夜泣きをしてしまい、ここ数日寝不足が続いている。

ベッドに横になり電気を消して30分。寝入ったかなという頃合いから泣き始める。「どこか痛いの?」と問いかけても応じないし、悪い夢でも見ているのかと思って起こそうとしても目を瞑ったまま起きない。

寝グズりかなとも思ったが、今夜などは2時間以上も泣き続け、何か別の異常があるのではないかと思って、熱を計ったり、身体を調べたりするのだが、目立った異常はなく、翌朝起きるとケロッとしている。

まだ喉の腫れや口内炎が残っているので、就寝時になると違和感が増すのだと思うのだが。とっても心配だ。

いつもいつも娘の健康だけには右往左往させられます。

7月12日(金)

皆さんご存知の通り、私は携帯電話ユーザーである。

私が携帯電話ユーザーであると知った人は、例外なく「何でスマホに替えないんですか?」と聞いてくる。「またかその質問か……」と思いつつ、そもそも携帯電話も使用頻度がかなり低い私の育児中心の生活実態を丁寧に説明するのだが、「不便じゃないですか?」という質問がかなりの頻度で返ってくる。「いや、そもそも携帯電話ですら持て余しているので……」と再度答えると、何か期待外れな様子で「へぇ~」と投げ遣りに返される。

あまり盛り上がらなかった携帯電話の話題が自然消滅し、何事もなかったかのようにテレビ番組の話題に移ったので、私が「実はウチにはテレビ無いんです」と言うと、一同「やっぱり!」と絶叫する。そして、また無意味で無内容な質問攻めが始まる。

たかがスマホやテレビが無いだけで、大騒ぎすんじゃねえ! お前ら吉幾三か! オラ銀座に山買うだ!

7月16日(火)

数年前までは考えられなかったことだが、最近、身体のどこかに不調を抱えていることが日常的になってきている。

例えば、二年ぐらい前から肘と頚椎に痛みを感じるようになり、たまに整形外科でリハビリ治療や筋膜注射をしてもらっているが、痛みの緩和はできても完治は難しいようで、常に痛みや怠さと共に生活している。

あと最近、鼻の穴の中によくニキビができるようになった。この部位のニキビは地味ながらもかなり煩わしさがあり、痛みも強くて治りも遅く、酒を飲んだ次の日には必ずできる。

それ以外にも、疲れが取れにくかったり、傷の治りが遅かったり、物忘れが多くなったり、少し集中すると頭痛になったり、不調とも呼べないような些細なものまで挙げていったらキリがないのだが、まあ、それもその筈、私もあと半年で40歳になるのだ。どうりで、俺も友人たちも老けてきたわけだ。


嗚呼! 嫌だ! 嫌だ!!

オンリエド ゴングジョード!

7月17日(水)

ちょっとネガティブな日記が続いたのでSNSでの日記更新告知はしなかったが、ポジティブな側面だけで完結できるほど私のメンタリティは崇高ではない。

ただ、先週末の日記でスマホにまつわるポピュリズムについて言及したが、私は決してスマホアンチなわけではない。

例えば、最近、ネット上にも優良で卓越した文章が増えてきているので、スマホかタブレットを持てば、もう少し自由にアクセスできて便利だよな、なんてことは考えている。ただ、今のデバイスは文字を長時間読むためにはできていないうえ、余計なものが多すぎる(おい! そこのアプリ!)ので、もうひとつ踏み込めないだけなのだ。

例えるなら、とても好きな音楽があるから、ちょっと良いプレイヤーで聴きたいけど、下手なミニコンポはいらない、といったところだろうか。何も分からず手を出さないわけではなく、特性を理解した上で、いらないもんはいらないということなのだ。

ちなみに、私はそのへんの下手なスマホユーザー(ゲームばっかりやっているあなた!)よりはインターネットに精通していると自負する。なぜなら私は前世紀末の黎明期から20年以上もインターネットに慣れ親しんできたのだ。ビッグ・ウェンズデーだって乗り越えてきた生粋のネットサーファーだ。


とまあ、なんだかまたネガティブかつ説教臭くなってしまったのでSNSには告知しないでおこう。しかし、なぜこうもネガティブなんだろう? 日照時間が短いからか? いやいや未熟者なんだな。

7月23日(火)

サラリーマンは 気楽な稼業と 来たもんだ

上記は植木等の「ドント節」の有名な歌い出しだが、私の稼業はサラリーマンを超えたサボリーマンなので、その気楽さは計り知れない。しかし、そんな気楽なサボリーマンにも、ひとつだけ憂鬱で過酷な現実がある。

朝の通勤電車地獄である。

私の場合、最寄り駅の始発電車に乗ってしまえば難なく座って通勤できてしまうのだが、都心の朝のダイヤ乱れは日常茶飯事になってしまっているので、巻き込まれることも多い。

今朝もそんなダイヤ乱れに巻き込まれてしまい、「俺の人権どこいったんだ!」状態で揉みくちゃにされていたのだが、そんな時に限って運悪く、私のすぐ隣に「俺の人権は死守します!」野郎がいたのだった。

乗客の大多数はできるだけ他の乗客に迷惑がかからないよう己を捨てて静かに乗車しているのだが、野郎は周囲の乗客に肘でグリグリ、尻でジリジリと攻撃を仕掛け、自分の領域だけは確保しようと執拗に「他者の人権を無視した人権主張」をしていた。

他の人は我慢していたが、私は耐えきれず「そういうの止めて貰えます? とても痛いんです」と言い放つと、野郎は無駄な攻撃を止めて静かになった。やればできるじゃないか。まったく。

それからいくつかの駅で人が大量に乗り降りし、その都度揉みくちゃになりながらも、ようやく車両に余裕が出てきたので、野郎はまだいるかと目で追うと、なんとすぐ側にいるではないか! しかも私と目があった途端、野郎は私の方へ近づいてきて、こともあろうか昔のヤンキー映画さながらに私にガンを飛ばしてきたのである。

えぇ~!?

ちょっと困惑しながらも「何でしょう?」と声を掛ける。反応なし。「ちょっと怖いので止めて下さい」と声を掛ける。反応なし。議論や論争ならば受けて立つが、こうした不毛かつ謎の威圧的な遣り取りにはめっぽう弱いので(強い人いるのか?)、電車もちょうど私の降車駅に到着したので速やかに降車した。

もしかしたら、野郎にも何か重要な言い分があったのかもしれないが、それでもあのような遣り方は間違っている。もう少し議論の余地があれば「互いの人権を守るため」協力できたかもしれないのが。残念だ。

やはり朝の通勤電車だけはサボリーマンの気楽さに水を差す。

7月24日(水)

娘の保育園のお迎えのため、職場の終業の鐘が鳴ると同時に走って駅に向かうことが日課となっている。走るといっても軽いジョギング程度でいけば、乗りたい電車の発車時刻に十分間に合う。歩いてもギリギリで間に合うのだが、気持ちに余裕が欲しいので走っている。

昨日もいつものように駅へ向かて走っていたら、駅まで最短ルートの道路が来年の五輪に向けた拡幅工事で通行できなくなっていた。工事の終わる9月までは大きく迂回することになってしまい、これまで軽いジョギングで済んでいたのに、これからは陸上男子1000㍍準決勝に挑まなくてはならなくなった。

う~むぅ。

もうこうなったらランニングウェアやシューズも揃えて本格的に取り組もうかと思うのだが、来年の五輪出場ってまだ間に合うんだっけ?


《以下は愚痴なので読まなくて可》

五輪の開催期間中は職場周辺の道路をすべて一方通行(車も人も犬も)にするという計画が持ち上がっている。

この計画だと、通勤時はいいが退勤時に最寄りの駅へ向かうことができず、同じ路線のひとつ先の駅か別路線の駅から帰らなくてはならなくなるので、どちらにしろ保育園のお迎え時間には間に合わない。

残念ながら、私は五輪に1㍉の興味も持てない人間だし、五輪からも1㍉の利益も得ていない(むしろ税金で持ってかれている)ので、これ以上の不利益を被ることは、とてもじゃないけど我慢できない。

もちろん、五輪に出場できるのなら話は変わってくるけども、そこんとこどうなんだ? ん? 無理?

7月25日(木)

身体にまとわりつくような、不快な湿気と細かい雨の中を、娘を乗せたベビーカーを押すので、両手が塞がり、しかたなく肩と首で傘を支え、路上の電柱や看板や自転車を注意深く避けながら、やっとのことで保育園から帰ってくる。

家に着き、妻が作った夕飯を食べ、晩酌に黒ラベルの小瓶を2本呑み、皆の食事が終わったら、洗い物を片付ける。

妻娘が風呂に入っている間に、洗濯物を畳んで仕舞い、妻娘が風呂からあがると交替で私が入り、妻娘は身支度と寝支度を整え、私が風呂からあがると、皆で寝床に横になり、それぞれが好きな本を読みながら、いつの間にか寝ちまう。

我が家の夜の正しい順序。

その夜、寝返りをうった時、首から右肩にかけて激痛が走って目が覚め、洗面所にいってバファリンを水道水で胃に流し込む。

理由は簡単、お迎えの帰りに傘を首と肩で支えていたから、今まで甘やかして生きてきた身体が、四十路を目前に、見事に悲鳴をあげはじめ、これからは騙しながらうまく付き合っていくしかない。

寝床に戻り、恐る恐る横になり、東京の梅雨明けはいつになるんだろうか? と、私にはどうすることもできない思いが頭を過ぎる。

7月26日(金)

明日の午前中に台風6号が紀伊半島付近に上陸するおそれがあります。今日から明日にかけて、東日本の太平洋側を中心に、雷を伴って非常に激しい雨の降る所があるでしょう。明日の午前10時には、神宮球場で第101回全国高等学校野球選手権大会東東京大会決勝戦が行われます。公立勢では72年ぶりの2年連続決勝戦進出を決めた我が母校が戦うでしょう。


愛校好精神が強い方ではないけれど、高校野球には少なからぬ縁と恩義と思い出があるので、明日は一家総出で応援に行ってきます。

7月29日(月)

ようやく東京の梅雨が明け、待ちかねたように、夏の陽射しがヤル気全開で、正直いって辛い。

もう少し、お手柔らかに頼むよ、マジで。

さてさてそんな訳で、夏の最高にして最大のメインイベントといえば「夏休み」ですが、ここ最近、混雑も避けられるし費用も割安ですむので、夏の休暇を9月にずらして取ることが多いです。

そのため、必然的に私の夏から「休み」が抜け落ちてしまい、純粋に「夏」だけを感じてみると、ただ暑いだけの、とても酷い季節であることに気付きました。

ちなみに、今年の我が家の夏休み(9月ですが)の計画が少しずつ形になってきています。今回の計画ではビザの申請が必要となるのですが、私のパスポートの有効期限ではビザを申請できないため、善は急げということで、早速、今日の会社帰りに更新手続きに行ってこようと思っています。

娘が産まれてから旅の計画にはかなり頭を悩まされますが、いつも妻の機転によって、子連れじゃなければ絶対に考えつかないであろう、とてもユニークな旅を楽しんできました。

今年の旅も、一生足を踏み入れることはないだろうと思っていたとある国への渡航計画になりました。去年のこともあるので、気を引き締めていこうと思っていますが、ちょっと意外な展開にドキがムネムネ、いや違った、ムネがドキドキ高鳴っております。

まだどうなるか分かりませんが、楽しい旅の報告ができればと思っています。乞うご期待。

7月30日(火)

毎年この時期になると、このサイト運営にかかる一年間の経費の請求がくる。実に微々たるもの(科目は2点のみ!)だが、その内訳(前にも紹介した気がする)は以下のようなものだ。

● レンタルサーバー(年間利用料)
  1,200円+96円(税)=1,296円

● 独自ドメイン(年間更新料)
  1,280円+102円(税)=1,382円

合計すると2,678円 / 年。月々に換算すると約223円。一日だと約7.4円だ。

独自ドメインの科目は完全に自己満足なので、マルっと削ることができるのだが、そうなると月々108円(一日3.6円)になる。支出はあっても収入のないサイトなので、経費が抑えられるに越したことはないが、108円ってね。。。

まあでも、こうして一年分の支払いを終えると、誰からも称賛を得ず、誰からも頼まれず、誰からも注目されていないにも関わらず、またもう一年、しっかり俺の日々を記していかんとならんなと、気持ちが引き締まるような気になる。

でもこれって裏を返せば、支払いだけがこの日記の唯一のモチベーションってことですよね? なんだこれ?

7月31日(水)

会社の建物内にある唯一の喫煙室が今日で閉鎖される。

一年半前まで喫煙者であった私も、少なからずお世話になった喫煙室である。感謝の意を込めて「今までお世話になりました」という言葉に福助人形のイラストを添えたビラを作り、昨日の帰り際にこっそり喫煙室の扉に貼っておいた。

今朝、出社した時、このビラが社内でちょっとした話題になっていたが、自分が貼ったことは黙っていた。そして昼前にビラは総務部の手によって剥がされていた。

何とも言えない気持ちで、ビラの剥がされた喫煙室の扉を眺めていたら、ふと学生時代のことを思い出した。

本や映画の影響から、全共闘(全学共闘会議)に憧れていた私は大学に入るやいなや「一人全共闘(壮大な語彙矛盾)」と称し、国政選挙前に投票を促すビラを作り「置きビラ運動(授業が始まる前に講義室の机にビラを置いておく)」を展開した。もちろん一人で。

「置きビラ運動」をはじめて3日目、要領もつかんできて少し慣れがでてきた頃、大講義室の全席にビラを置き終えて、学生の反応を見るために講義室に留まっていると、学生課の職員が10人ほどやって来てビラを回収しはじめた。あとで聞いたのだが、複数の学生から出所不明の謎のビラが置かれていると学生課へ連絡がいっていたそうだ。

最初は何が起きているのか分からなかったが、しばらくして事態を理解した私は、職員に「何で回収するんですか?」と問いただしたのだが、職員から「これは君がやったのか? 何学科の学生だ? ちょっと学生課まで来なさい」と言われ、すっかりビビってしまい、尻尾を巻いてその場から逃げ出してしまった。

全共闘や学生運動に憧れていたくせに、妨害や弾圧のことが頭に無かったため、運動を貫徹する覚悟や気概といった一番大事な部分が、私には抜け落ちていたのである。

情けない思い出だ。

今回の喫煙所の一件は、ちょっと話は違うが、自分の気持が道半ばで妨げられてしまう淋さや悔しさが、情けないあの思い出を呼び起こしたのかもしれない。

喫煙室への感謝のビラは、またあとでこっそり貼りにいこうと思っている。剥がされても剥がされても、めげずにこっそり貼りにいく。

あの苦い経験から15年、臆病者の私が身につけた最も有効な対抗法は、しつこさである。


中央線よ 空を飛んで あの娘の胸に 突き刺され


出典 友部正人(1972)「一本道」