2020年 8月
8月3日(月)
永い梅雨がようやく明けて、いよいよ収穫の季節がやってきた。夏を飛び越えてもう収穫? と疑問に思うかもしれないが、我々の場合、セミの抜け殻の収穫なのだ。
去年、大量に抜け殻を収穫して保育園に寄贈するという、半ば嫌がらせのようなことをして一躍有名を馳せた娘は、今年もヤル気満々だ。おかげで、週末の二日間だけで、去年を上回るまずまずの成果をあげた。
今年の秋刀魚は不漁らしいが、抜け殻は大漁だ。
そして今朝、娘は脱け殻を詰め込んだ狂気のビニール袋を手に、ヤル気満々で登園していったのだった。
我々の近くで同じように脱け殻収穫に励んでいた小学生の女の子が、私に向かって「脱け殻は素手でも大丈夫なんだけどな…」と呟いていた。確かに、セミは全身が不気味な振動体なので、繊細で優しい乙女の感受性を捨て去らなければ、素手で掴むことは不可能だろう。まあ、そこまでする必要はないんじゃないかと、おじさんは思うぞ。
8月4日(火)
昨日、保育園に寄贈するために持って行ったセミの脱け殻がすべて戻ってきた。
やはり受取り拒否されてしまったかと残念に思ったのだが、実際のところは、娘がクラスの友だちに見せびらかしていたら、みんなが予想以上に食いついてきたため、途端に執着心と独占欲が芽生えたらしく、自ら持って帰って来たそうだ。
父ちゃんは、そういうの良くないと思うよ。
昨日、件の給付金が振り込まれていました。当初は「おもいきり散財してやれ!」などと乱暴なことを考えていましたが、夏のボーナスも減らされ、今後の先行きも見えないため、虎の子として貯金させて頂きます。
娘のことをとやかく言えない父でした。
8月5日(水)
長らく我が家では、夏休みやお盆周辺のハイシーズンを避けて、九月にまとめて休暇をとって旅行に行っている。いつもなら、今ぐらいの時期から、本腰を入れて計画を練っていくのだが、今年はこんな情況なので、どうしたものかと頭を悩ませている。
しかし、悩んだところでこの情況はどうしようもない。今年は素直に諦めたほうがいいのかな、などと思いながらも、なかなか諦められきれず、まるで夏休みを追い求めるゾンビのように、ネットを執拗に徘徊している。
去年のロシア沿海州旅行(詳しくはコチラかコチラ)がかなり良かっただけに、なかなか諦めがつかないのだ。
ひとつの案として、海沿いの空き家でも借り、地元のスーパーで調達した土地の新鮮な魚介や野菜なんかを楽しみ、海辺で麦酒片手にゆっくりのんびり過ごすだけでも良いんだけど、そういうのも難しそうですよね。
8月6日(木)
仕事用のパソコンを新しくしてもらったので、作業の合間を見ながら少しずつセットアップしているところだ。
スペックはもちろんのこと、デバイスはすべてワイヤレスだし、モニタも大きくて綺麗だし、かなり満足しているところだが、OSも新しくなったのでちょっと戸惑っている。今回のインターフェイスは、正直なところ、余計なもんが多いなという印象だが、まあ、少しずつ慣れていくしかないんだろうな。
道具ってシンプルであればあるほど使いやすいのにね。
娘が六ヶ所も蚊に刺されていまって、ムヒパッチがもう無くなりそうなのですが、38枚入か76枚入かどちらを買うかで、かなりの悩んでいるところです。52枚入ならぱっと買うのにな。
8月7日(金)
会社の前の立派な桜並木の公園は、朝夕や出退勤時などお構いなく、いつも壮絶な蝉時雨で迎えてくれるのだが、これだけ蝉が戦慄いているのだから、脱け殻だって相当なものだろうと思い、手近にあった桜の木を眼鏡を掛けて観察してみると、一枚の葉に葡萄の房のようにして脱け殻がびっしり付いているような、想像を遥かに超えた光景を次々に目の当たりにしてしまい、目眩を覚えるのだった。
家に帰ってその脱け殻のことを娘に報告したら、その脱け殻をくまなくすべて採ってこいと命ぜられ、再び目眩を覚えるのだった。
昨晩、家族の気持ちが何度も微妙にすれ違った結果、娘がかなりへそを曲げてしまって、久しぶりの大暴れとなりました。おかげで、しばらくぶりに育児のしんどさを思い出しました。
8月8日(土)
先週、96歳になる私の祖母が入院してしまったのだが、こんな状況なので見舞いにも行けない。命に関わるような病状ではないそうなのだが、年齢的なものもあるので心配だ。
祖母は施設に入っていたので、最後に会ったのは去年の9月頃だったと思う。実家にも今年の2月から行っていない。去年生まれた弟の息子にもまだ一度も会っていない。
大切であればあるほど会いに行けないな。
8月11日(火)
昼食時、七階の社員食堂から東京湾岸方面を望むと、この窓の外が炎天の地獄とは思えないほど、青く澄みわたった美しい空が広がっていた。
体温を上回る気温を体験するのは、これが初めてのことだと思う。新型コロナもヤバいけど、この気温もかなりヤバい。
今後は、どうやって夏を楽しむかということより、どうやって夏を生き抜くかということの方が、大きな問題になってくるのだろう。
青空が凶器に変貌してしまうような、とんでもなく過酷な現実がやってきてしまった。
妻と私は、20年以上前の夏の花火大会をきっかけに交際をはじめたが、夏という季節が青春の1ページに記憶されるようなことは、これから夏を経験する子どもたちにはおとずれないのかもしれない。もちろん娘にとっても。
8月12日(水)
先週から娘が少し咳をしているのは気になっていたけど、エアコンをつけはじめたせいだろうと、あまり心配していなかったのだが、月曜日の朝、娘の身体が異様に熱いので体温を計ってみると39℃を越えていて、酷い咳をしていた。
こんな時期なので、かなり心配したのだけど、翌日にはケロッと元気になっていて、病院での診察も大事無いということだったので、今日は大量のセミの脱け殻を持って張り切って保育園に行った。
脱け殻はあまりに大量すぎるため、保育園預かりとなった。こないだのようにならないため、今回は保育園児全員分ぐらいは採ってきたのだから、もう二度と戻ってこないことを切に願うばかりだ。
今回のことであらためて確認したのは、小さな子どもがいる家庭では、家庭内感染を防ぐことは不可能だということだ。そして、不可能なのだからこそ、感染時のケアやサポートの充実を切に願うばかりだ。
8月13日(木)
最近、熱帯夜のせいなのか何なのか、なかなか眠りに落ちることができず、結局、深い眠りを迎えないまま、朝を迎える事がある。
落ち着く体勢で、余計なことを考えないよう、できるだけ単純なこと、たとえば、自分の呼吸だけを意識してみたりして、無心に眠りを待つのだが、眠りに落ちないまま一時間が経過して、コップの水を一口飲んで、またゆっくり横になる。
そんなこんなを何度か繰り返すうちに、気付けば3時ぐらいになっている。そして、ようやくうつらうつらしてきたなと思った時には朝を迎えているのだ。
もちろん、どこかで浅い眠りには落ちているんだろうけれど、長時間ノンレム睡眠派の私としては、ちょっと辛いことだ。ただ、夜中に娘の変な寝言を聞くことは、不眠のちょっとした楽しみになっている。
昨日、寄贈する目的で保育園に持っていった大量のセミの脱け殻が、またもや家に戻ってきてしまったのだが、今朝、娘がまた保育園に持っていきたいと言うので、もう絶対に家に持って帰って来ないことを約束し、持って行かせた。どうなることやら。
8月19日(水)
月曜日が会社のお盆休みだったので、友人のアパレルブランドの展示会を見に行くついでに、車を借りて家族で都内をドライブした。36℃の猛暑だったし。
当初はナビの案内で走ろうかとも思ったのだが、目的地は表参道や青山など、かつてバイクで走り回った勝手知ったる界隈だったので、古い記憶だけを頼りに走ってみたら、これがなんとも楽しく快適だったので、今後からはよっぽどのことがない限り、ナビなど使わずドライブするのがいいのかもなと感じるのだった。
しかし、渋谷駅周辺は今回の開発によって決定的に残念な街になってしまいましたね。あと神宮外苑周辺も酷かったな。
お盆のせいなのかコロナのせいなのか分かりませんが、道路がかなり空いていたのも良かったです。日常的に車に乗らない娘の車酔いが心配でしたが、案外大丈夫でした。あと、俺の縦列駐車は完璧だ。
8月20日(木)
夏休みがまるまる余ったまま、八月も後半に差し掛かろうとしている。感染拡大の対策がこんな状態なので、旅行の計画も立たない。今年の夏休みは、このまま捨てるか、少しずつ消化するか、かなり微妙な感じになりそうだ。
特別代休やらリフレッシュ休暇もまだ使わずに余ったままなので、なんだか休暇だけは豊富かつ潤沢だ。
いやはや。
娘が水泳に興味を持ちはじめたので、近所のスイミングスクールへ見学に行こうと思う。いやはや。
8月21日(金)
新型コロナウィルスの感染予防として、外出から帰って来た時には、こまめに着替えるようにしているのだが、これからやってくる季節の服が、圧倒的に足りなくなるような気がしている。特にズボンは「明日も履けるっしょ」という感じで着回してきた少数精鋭の実力部隊なので、ちょっとヤバいなぁ。
娘の夏用のショートパンツがちょっと足りないなと思って量販店に買いに行ったら、もう商品が秋物に変わっていて買えませんでした。まだまだ暑そうなのにねぇ。
8月22日(土)
娘がスイミングをやりたいと言うので、今朝、妻娘で近所のスイミングスクールの見学に行ったところ、今は日曜日の朝8時のクラスしか空きがないそうだ。
体験クラスを受講した後に入会を決める予定だが、このままいくと、日曜日の朝の幸福な微睡みとは、しばらくお別れになりそうだ。
ちなみに、土曜日の朝はゴミ回収があたるため、週末の朝の微睡みはこれで完全に失われます。
いやはや。
ランチでビールをグラス一杯飲んだだけで、午後が使いものにならない今日この頃です。
8月24日(月)
昨晩、ディズニーアニメの映画を娘と観ていたのですが、物語の定番である「気持ちのすれ違い」や「危機的な状況」や「しばしの別れ」といった見せ場の展開が始まると、娘がありえないぐらい号泣してしまい、その都度、観るのを止めようかと促すのですが、それも嫌だと言って大泣きし、結局、号泣につぐ号泣で最後まで観終えました。
こちらは、娘が過呼吸になるんじゃないかとヒヤヒヤしながら観ていたので、話の内容はまったく頭に入らず、ヘトヘトになって映画鑑賞を終えました。
感受性が豊かなことは良いことかもしれませんが、繊細すぎるとちょっと大変です。特に映画表現では、日常生活では起こらないような特異な「見せ場」が多いので、感受性が働きすぎると大変なのかもしれません。しばらく映画はやめておこうと思います。
涼しかったので、娘と近所の河原に遊びに行ったところ、草むらにトノサマバッタの幼虫を発見しました。緊急事態宣言中にはベンケイガニを捕獲したこともありました。思ったより身近なところに豊かな生態系がのこっているのかもしれません。
8月25日(火)
こないだ、Gapのオンラインショップでまた馬鹿みたいなセール(70% off + 60% off)をやっていたおかげで、感染予防の着回しするための普段遣いのズボンを破格で手に入れることができた。
馬鹿セールありがとう。
品物が届いて履いてみたら、腰周りは丁度良い感じなのに脹脛や太腿のあたりがやけに窮屈なので、何かおかしいと思ってサイズやら何やらを調べてみたら「super skiny Jeans」というタグを見つけた。
ふむ。なるほど。そういうことか。完全に見落としていた。
というわけで、今秋は往年のパンクスのような出で立ちで挑んでいきたいと思います。鋲ジャンも欲しいな。
8月27日(木)
今朝、洗濯機の音に気が付いて、目が覚めた。
珍しく早起きした妻が洗濯機を回してくれたのだ。ありがたい。おかげで、もう少し微睡みに浸っていられるなと思い、感謝の気持を抱きながら目を瞑ろうとしたその時、大変なことに気が付いた。飛び起きるなり、洗濯機を止めて中の衣類を確認する。案の定、私の白いTシャツと娘の白いショートパンツ、そしてバスタオル何枚かが微妙な青色に染まっていた。色落ちする私の衣服と一緒に洗ってしまったのだ。
妻の善意はよく分かるし、きちんと色落ちのことを伝えていなかった私にも落ち度はあるし、色落ちしたのは私の衣服だ。しかし、色落ちした衣服は洗濯カゴには入れずに別にしておいたし、これまでも色落ちするものとして別々に洗っている光景を妻は見ていた筈だ。そんなことを考えていたら、気まぐれに早起きをして、よくもまあ余計なことをしてくれやがって、という負の感情と怒りが私の心に煮えたぎり、何の罪もない洗濯機を殴りつけていた。
「なんとでもなっちまえ!」と、洗濯物をそのままにして布団に戻った。なんとも言えない感情で暑くなってきたので、パジャマを脱いでふて寝していると、娘が起きてきて「父ちゃんの背中に毛が生えてるけど抜いていい?」と言うので、そっ気なく「いいよ」と伝えると、次の瞬間、思わぬ激痛を背中に感じ「イタァイッ!」と叫んでしまった。私の背中から抜いた2㌢ほどの頼りない毛をつまみながら、娘は悪戯っぽくニヤリと笑っていた。
8月28日(金)
9月の休暇予定を今日中に上司に報告しなくてはいけないのだが、夏休みがまるまる余っているのに、まだ予定も旅程も決まっていない。いくつか案は出ているのだが、どの案にも決定打となるような最後のひと押しが無いのと、若干の懸念事項があるため、なかなか決められないでいるところだ。
しかし、もうこうなったら、コロナのことなんか忘れて、何も考えずに思い切って行っちゃうのがいいのだろうか。どのみち、台風が来てしまえば駄目なんだしな。
コロナ禍は優柔不断が加速する。
明日は娘とスイミングの体験クラスに行ってくる。娘はウキウキしているが、父はドキドキしている。
8月31日(月)
土曜日の娘のスイミング初体験は、親の心配を他所に本人はとても楽しめたようで通う気満々になっている。本人がここまでやりたがってるのだから、何の異論もないのだが、今だと日曜日の朝8時のクラスしか空きがないそうなので、それが最大の懸念事項となっている。まあ、空きが出るまでは、しばらく8時のクラスで頑張るしかない。逆算すると、少なくとも私が6時に起きていないと間に合わない。ふむ。
土曜日はスイミング以外にも、楽しい来客があったのでとても充実した一日だったが、ちょっとはしゃぎすぎたせいもあって、翌日の日曜日は家族みんなで夕方近くまで昼寝をしてしまった。仕方ないので、夜の家事はサボることにして、久しぶりに近所の銭湯に行き、この残暑の汗を綺麗に流し去った。夕飯も外食にして、娘は胡椒の効いた熱々のチャーハン、妻は冷たいプリプリの冷やし鶏そば、私はラー油たっぷりの海老ワンタンを食べて、妙に明るい十三夜月を眺めながら夕涼みをして帰ってきた。
八月も最終日になるが、過酷な残暑はしばらく続きそうだし、大きな台風もちらほら発生し始めているし、感染者はまったく収まりそうにないし、我らがぼんくら総理は突然辞めてしまうし、様々な方面で油断も予断も許さぬ状況がまだまだ続きそうで、ちょっとうんざりする。
スイミング体験の最後に、娘を受け持ってくれたコーチから話があるというので行ってみたら、高校生のような面持ちの若いコーチだったので、ちょっと面食らってしまった。まあ、コーチが若いのではなく俺が年をとっただけなのか。