右脇腹の痛みに加えて、背中両脇にも痛みが出てきたため、朝一番で病院に行ってきた。医者からは、症状から診て内臓系の疾患は考えづらいが、一応CTを撮ってみますかと言われたので、「CTって、あの輪っかのやつですよね?」などと、初心者丸出しの反応を示しながらも、それなりの検査なので少し緊張する。
5年ぐらい前に胃の不快感が長く続いた時に、胃カメラ検査をした病院だった。その時は、異常があったら教えて欲しいぐらい奇麗な胃でした、と言われたが、今回も何でもありませんでした、ちゃんちゃん、となると本当に良いのだが。
CT撮影は大きな輪っかが5分ぐらい身体の回りを上下しただけで、あっけなく終わった。バリウムよりよっぽど楽だった。
結果は木曜日。果報は寝て待てである。
まだ死ねないよな。
夏休み最後の日に町内会で「子ども映画鑑賞」というイベントをやるというので、娘を連れて行ってきた。
上映されたのはティム・バートン監督版「ダンボ」。映画の内容にも不安があった(特に監督に)が、それ以上に、子どもたちが集まる場の雰囲気に娘が馴染めないんじゃないかとも思った。
そして、諸々の懸念が見事に的中し、上映20分でリタイア(予想より5分頑張った)することとなった。
我々のあまりにも早い帰宅に、役員の方が慌てて追い掛けてきて、せめてコレでもと言って、お菓子が満載されたビニール袋を家族の人数分(3袋)手渡され、更に子ども用お菓子袋も娘に頂いた。
お菓子袋の中身は「たべっ子どうぶつ」「チップスター」「たけのこの里」「にんじんポン菓子」「マシュマロ」「ゼリー棒」「キャンディ棒」「ポテコ」「むぎ茶 500ml」などなど、かなり豪華な内容で、そのうちのほぼ全てのお菓子が、今、私の職場の袖机の一番下の大きな抽斗にテレポーテーションしている。
四十路を目前に職場で「たべっ子どうぶつ」をボリボリ食べるのは、流石に恥ずかしいぞ。
こないだ、サカナクションの「モス」という曲のミュージックビデオを娘と観ていた。
映像の大半は白い繭のようなものが映し出されているだけなのだが、後半に繭の中からサカナクションの山口一郎(Vo/Gt)が這い出してきて(「モス」だけに)、最終的にちょっとした大団円(「モス」的な)が訪れるのだが、その最後のシーンを観て、嬉しいような恥ずかしいような何ともいえない複雑なリアクションを娘がしたので、「えっ? 君はもうこの感じ分かるのか?」と、父は逆に驚いてしまった。
色んな面で成長しているんだな。
ここ最近のサカナクションの過剰なまでの80年代回帰は何なんでしょう? パロディと言うほど軽くないしな。教えて! エロい人!
木曜日はゴミ出しもないので、朝は比較的ゆっくりしていられるのだが、今朝のようにあまりのんびりし過ぎていると時間が無くなってバタバタになる。やっぱ6時半ぐらいがリミットかな。
さて、主張したことは意地でも取り下げない娘の話である。
例えば、保育園帰りに「○○ちゃんと帰りたいから玄関で待ってる!」と娘が主張しはじめた時、頭ごなしに「ダメ!」とは言わず、「○○ちゃんのお母さんはまだまだお迎え来られないし、これから図書館に本を返しに行かないといけないから、父ちゃんは困っちゃうよ」とできるだけ分かりやすく丁寧に説得してみるのだが、娘からは頭ごなしに「イヤ!」と却下されるのが、この一年半の歩みである。
その後の展開は、うまく宥めすかすか、ほかの事に注意を逸らすか、気が変わるのを気長に待つか、うまい折衷案で妥協するか、はたまた血みどろの大号泣の道へ突き進むか、どちらにせよ忍耐と忍耐と忍耐の日々だった。
昨日も保育園帰りに「あっちの道から回って帰りたい!」と主張をはじめたので、「あっちの道だとかなり遠回りになるし、雨も降ってきそうだからやめようよ」と提案した。
正直なところ雨はまだ大丈夫そうだったので、「イヤ!」と言うなら仕方ない、今日は道端で説得交渉を続ける元気も気力も無いので、ここは耐え忍んであっちの道から行くか、と算段していると、「はい、わかりました」と予想外の返答。
思わず「え? なんて?」と聞き返すと、「わかったから、もう帰ろう」と娘が答えた。
突然のことに戸惑いながら、娘の顔をまじまじと見つめ、もう一度「本当にいいの?」と聞き返すと、娘は黙っったまま、まあ今日は仕方ないという感じでコクリと頷いた。
本当に色んな面で成長しているんだな。
今日はCTの検査結果が出てくる。まだまだ娘の成長を見たいので、何事もありませんように。お願いします。
昨日のCTの検査結果は、幸いなことに、何の異常も見つかりませんでした。健康診断で指摘されていた肺のブラ(嚢胞)影も今回のCT結果では認められず、健康そのものであるそうです。お騒がせしました。そして本当に良かった。
というわけで、右脇腹の痛みは日常生活(主に育児)からくる筋肉の炎症と神経の障害である可能性が高いという診断で、つまりは「育児痛(妻が命名)」でした。
娘の体重がどんどん増えていく一方で、私は今年で40歳を目前に、日々衰える一方です。父娘の成長と老衰の狭間で酷使された結果が今回のような「育児痛」なのでした。
さて、我が家は直近に家族旅行を控えているのですが、旅行中に「育児痛」というのもちょっと笑えないので、これから旅行当日までを娘の特別強化訓練期間として、保育園から自宅までの約650㍍を何が何でも徒歩で帰ってくることとします。土日祝日も基本的に外出時の抱っこは一切受け付けません。ちなみに昨日までこの旅行は半分諦めていました。
尚、現在の娘の体重(14㌔)から、旅行中のやむを得ない場合の抱っこ上限を300㍍(5分)未満に設定、それ以上は直ちに「育児痛」の影響が現れる危険域とし、即座に休憩をとるか、タクシー移動に切り替えることとする。
昨日は、最寄りの駅に3回アタックをかけすべて失敗。潔く出社を諦め、家で爆睡三昧の労働意欲低い系おじさんでした。台風よりもシステムに依存しきった都会の混乱の方が手に負えないことを痛感しました。
さて、今回の台風ですが、こんな事もあろうかと、去年の年末、老朽化した我が家の外壁や屋根やベランダの“補修・改修工事”を1ヶ月かけて行ったおかげで、家屋には何の被害もありませんでした。
が、、、 歩道に面する庭のピラカンサスの木が強風で傾いてしまい、直ちに倒れるという感じではないのですが、放って置けるほどの感じでもない、という微妙な状態になってしまい、さてどうしたものかと頭を悩ませております。
何かと手のかかる木なので、伐り倒してしまうのが一番簡単なのですが、“色々な思い”があるので複雑です。
都会の樹木って個人所有のものが多いので、手を掛けられなくなった時点でどんどん切り倒され、その結果、町並みもどんどん殺風景になっていきますよね。その悪い連環の一端を担うのにも少し気が引けます。
先日、台風15号で傾いてしまった庭のピラカンサスの木を伐採して貰いました。面倒だった刈り込み作業からもこれで開放されるんだなと思っていましたが、いざ無くなってみると寂しいもんで、切り株を見る度に後ろめたさを感じます。
ただの偽善ですね。
娘よ。私のようには育つなよ。
夕食の時などに夫婦で会話をしていると、それが盛り上がっていればいるほど、自分が仲間はずれにされていると感じるのか、娘が割って入ってくる。
はいはい、わかった、わかった、と宥めてやって、また会話に戻ろうとすると、あれ? なんの話をしていたんだっけ? と中身を忘れてしまっていたり、会話していたこと自体を忘れてしまっている。
そうした尻切れトンボになってしまった会話は、知らずしらずに何処かに溜まっていって、ほら、今日みたいに、シトシトシト、と雨になって降ってくるのだよ、と娘に諭してみるのだが、道路の水溜まり入って、バシャバシャバシャ、と雨になった会話をまた蹴散らしている。
娘よ、もう少しの辛抱さ。
先日、夏休みの訪問先の極東ロシア(ハバロフスクとウラジオストク)から帰国した。
夏休みの旅行は“去年の事件”が衝撃的すぎたので、今年は穏当に北海道あたりを考えていたのだが、いつの間にか針路が極東ロシアに変わっていたのだった。
なぜ?
まあ、今回の旅行の経緯や内容については後日あらためて詳しく紹介させて頂こう。まずは怪我や病気もなく、家族全員が無事に帰って来れたことに感謝したいと思う。
「おそロシア」などと揶揄される国なので、当初はどうなることかと思っていたが、結果として極東ロシアほど子連れ旅行に適した国は無いんじゃないかと思えるほど、終始安心して旅を楽しむことができたので、そのあたりのことをちょっと紹介させて頂こう。
◎ 極東ロシアは 優しい!
言葉が分からなくても丁寧に根気強く接してくれます。子連れに対する気遣いはもちろんのこと、小さな遊園地や公園が町のいたるところにあって、公共の場所にもキッズスペースが多くあります。時に優しく時に厳しいロシアおばちゃんたちの子どもに対する親身な愛情も ハラショー!
◎ 極東ロシアは 近い!
飛行機で成田からハバロフスクは3時間、ウラジオストクは2時間で到着します。東京から北海道まで飛行機で1時間半なので、あと30分頑張ればロシアです。東京から韓国の釜山までは2時間半かかるので、実は東京から一番近い外国はロシアなんです イズヴィニーチェ!
◎ 極東ロシアは 安全!
とにかく治安が良いです。観光客だからといって金額をふっかけられるということもなく、外国人に対する偏見や差別も少ないように感じました。ヨーロッパ諸国だとスリや引ったくりや置き引きなどに常に注意が必要ですが、そうした心配もなくて スパシーバ!
◎ 極東ロシアは 美味い!
レストランやカフェなどの飲食店にはキッズスペースを併設したお店が多いので、子どもも大人ものびのび食事ができます。ペリメニ(水餃子)やブリヌイ(クレープ)やピロシキ(ピロシキ)といった、子どもの好きそうな食べ物も多く、辛いものや脂っこいものも少ないので安心です。なにより食材が新鮮で フクースナ!
◎ 極東ロシアは 安い!
よく私が海外で物価の指標にするのが500mlペットボトル1本の値段なんですが、これが20~30㍔(約30円)ほど。食事も家族三人で高めのレストランでたらふく食べて2500㍔(約3500円)でした。ビールがジョッキで250㍔(約350円)。毛ガニは一杯(1㌔)1400㍔(約2400円)。ここ2~3年で訪問した韓国や香港の物価よりずっと低い。ましてや北海道へ行くならロシアの方が デシェーボ!
というわけで、自分探しの過酷な旅を望んでいる若者には不向きかもしれませんが、子連れ旅行には良い事だらけで、下手な国内旅行より良いかもしれません。
みなさんも極東ロシアへ パイヂョーム!
※ 一見すると取っ付きづらいロシア語のキリル文字ですが、少し勉強すればすぐに読めるようになります。英語や仏語と似た発音の単語も多いので、読めるだけでもだいぶ便利ですので是非!
кафе(カフェー)=カフェ туалет(トゥアリェート)=トイレ
ресторан(レスタラーン)=レストラン etc.
ロシア ボケからなかなか醒めないオジさんである。
さて、ロシアへ行く直前まで私は数々の身体の不調に悩まされていた。肩や腰や脇腹の育児痛、鼻と喉の慢性的な痛み、発作的な空咳、大量の眼脂、胃腸不良、偏頭痛、不眠。
不調のひとつひとつは大したこと無いのだが、重なって押し寄せてくるとけっこう大変で、症状を抑え込むために多くの薬を服用しており、ロシアの最初の訪問地ハバロフスクの町に到着した時も、まだ不調は続いていた。
ハバロフスクはアムール川を臨む自然豊かな美しい町で、私たちが到着した日は最高気温14度、最低気温5度、木々は紅葉で輝き、落ち葉は可憐に舞い、空気はどこまでも澄みわたり、食べ物は秋の恵みに溢れていた。こんな素敵なところなのに、なぜ俺は不調なのかと自分を呪ったものである。
そして、ハバロフスク到着の翌朝、久しぶりに良く眠れたなと思ってベッドから起き上がってみると、不思議なことに全ての不調が私の身体から綺麗さっぱり無くなっていた。
まさに「アムールの奇跡」である。アムールの流れが私の身体の不調を綺麗に洗い流してくれたのだった。
アムールよ スパシーバ。
おかげで今も絶好調だ。
またちょっとロシアのお話。
ハバロフスクでしばらくのんびりしてからシベリア鉄道で12時間かけてウラジオストクへ南下した。
ウラジオストクは想像以上に近代的で美しく、洗練された港湾都市だった。中国人や韓国人や日本人の観光客が多く、レストランに入ると黄色人種しかいなかったりして、ちょっと残念だったりするけれど、魚介類は新鮮だし、子どもにも優しいし、自然も豊かだし、けっこう英語が通じるので気楽だった。
あるレストランに入った時、若い一人旅の日本人客が三人、隣り合った席で食事をしていた。海外で同胞に会ったのだから情報交換して、もし話や気が合えば料理やワインボトルをシェアし合ったりするのもいいな、などと一人旅ならではの旅情を羨ましく観察していたのだが、彼らは目を合わせることもなく、声を掛け合うこともなく、食事を終えると店からさっさと出て行ってしまった。
実に最近の日本人的な光景だ。
中国人や韓国人は家族や友人や恋人や団体でワイワイやっているので、一人でいる黄色人種は日本人だとすぐ分かる。その後もウラジオストクでは若くて孤独で無表情な日本人旅客を何度も見かけた。う~む。
さて、そんなウラジオストクから成田に到着し、家に帰る道すがら、何もかもが凝縮された東京の町並みを眺めていたら、ウラジオストクで見た孤独な日本人への違和感が少し解けたような気がした。
このとてつもなく過密で人為的な生活環境こそが、ウラジオストクで見たような孤独で無表情な日本人、つまり近視眼的で独善的で内向的で神経症的で閉鎖的な日本人の負の性質に、追い打ちをかけるように悪い影響を与えているような気がしてきたのだ。
案外、余裕のある町づくりとか、人口規模の抑制だとか、生活環境の改善や見直しにこそ、ロシアの孤独な日本人を含め、今、様々に噴出している問題の解決の糸口があるのかもしれない。だって俺たち、ちょっと世界的に例のない、異常で異様な町に住んでいる。本当に。ウラジオストクぐらいの町の規模じゃないと、まともな思考ができないと思うんだ。
もう9月が終わろうというのに、まだまだ暑い東京だ。
週末にロシア土産もあらかた捌け、今回の旅もいよいよ大詰めといった感じではあるが、ロシアの余韻が薄らいでゆくのが悔しくて、未練がましくもロシア関連の本を借り漁ってきて、食い入るように読んでいる。完全にロシアに魅了されてしまったのだ。
まるで、なかなか秋になれない東京のように諦めの悪いおじさんのことを知ってか知らずか、娘はサカナクションの「忘れられないの」を元気に歌って登園していった。
ピンキラの「恋の季節」に馴染み深い者としては、色々と違和感を覚えますが、それも時代の流れですね。