2021年 10月
10月1日(金)

台風の威力が思いのほか激しくて驚いている。

家の外に出してあるものはひと通り片付けたが、鉢植えや物干しなんかも退避しておくべきだったと後悔している。今更ながら、窓を閉めてきただろうかと不安にもなっている。

うむ。

てか、そもそもこの暴風雨の中、家に帰れるのか?




今日から保育園の登退園をスマホアプリで管理することになったようだが、スマホを持っていない旨伝えると、その場が少しザワついた。

忘れたのではなく、持っていないのです。

10月4日(月)

先週の一件があったので、今週のスイミングスクールはちょっと難しいかもしれない。最悪の場合、「もう行かない」ということにもなりかねないな、と覚悟していたのだが、レッスン前夜「明日はスイミングだからもう寝るね」と言って、まるで何事もなかったかのように布団に入る娘だった。

うん。まあ、とりあえず良かった。

しかし、ちょっと待てよ。娘の言動があまりにも素直すぎて、むしろ潔さすら感じる。まさか本当にプールをぶっ壊しに行くのでは !?

などと、あらぬことを心配する父であった。




生ビールをジョッキでプハァーとやりたいのですが、まだ心のどこかでブレーキがかかります。年明けからの断続的な感染増加の記憶が、まだ生々しいからでしょう。

でも、今行っとかないと、ですよね。

10月5日(火)

不機嫌が感情の基本設定ではないかと疑いたくなるほど、娘はいつも不機嫌だ。

今朝も、自分の身体にタオルケットが掛かっていなかったことに腹を立て、目を覚ますなり不機嫌になった。

困ったことに、娘は何かひとつでも自分の思い通りにならない事があると、それまでどんなに上機嫌であっても途端に不機嫌になる。いちいち付き合ってるとこちらも疲れてしまうので、まあ、自分の気持ちぐらい自分で折り合いつけて下さいと、基本的には放置しているが、一日に一度ぐらい、こちらに火の粉が降りかかってくることがあるので、そんな時は、そんな無理難題を言われても困ると、しっかりこちらの気持ちを伝える。

もちろん、そんな事をしようものなら更に娘は不機嫌になる。それでも最近は、5回に1回ぐらいの割合で、うまく切り替えができるようになってきた感じもする。

8回に1回ぐらいの割合に戻ったりもするけど。




スマホを持っていない事を伝えると、不自由じゃないですか? と、よく尋ねられるけど、スマホ画面にかじりついている人の姿を見ていると、かなり不自由そうだよなと感じてしまう。

もちろん、スマホ以上にもっと素敵で便利なデバイスがあれば使ってみたいですけど、iPhone程度だとね。

10月6日(水)

来週12日、我が家に移動した仕事用の機材を職場に戻すことになり、これにてリモートワークが終了という運びだ。

擦った揉んだの末、ようやくはじまったリモートワークだったが、時はすでに9月。一日の感染判明数が激減に転じていた頃だったので、実際にリモートで仕事をしたのは正味数日だけだった。

今回は、リモートワークの実施の実績が作れただけでも良しとしよう。今後、この実績をどう発展させ、展開できるかが重要だが、また無駄に疲れなくてはならないかと思うと、二の足踏んでしまう。

まあしかし、今の私の状況や仕事の内容からすると、リモートワークは歓迎すべき働き方なのだ。

これで終わりだけど、ここからが始まりだ。




今日は会社帰りにちょっと寄り道の予定がある。寄り道なんていつぶりかしらん。

10月7日(木)

昨日、会社帰りの道すがら、木挽町のロシア食材の店でペリメニやピロシキを買い、並木通りのギャラリーを何軒か冷やかして、烏森口のガード下で一杯ひっかけて帰ってきた。

全行程で正味2時間にも満たない何てことのない寄り道だったけど、こんな事でも、かなり有効な気持ちの切り替えになるのだなと驚いてしまった。

こんなご時世だからこそ、寄り道は大事かもしれない。

ペリメニが楽しみだ。




ガード下はサラリーマンの昭和おじさんたちで盛り上がっていましたが、不思議と気の利いた洒脱な構えの店ほど閑古鳥でした。

10月8日(金)

昨晩、娘を寝かしつけ、自分もウトウトしかけていた時に、あの強い揺れに襲われた。これはいよいよかと身構えつつも、家族全員家にいるこの状況に安堵を覚える自分がいた。この揺れがこれから強まるにせよ、もしこれが家族全員出払ってしまう日中のことだったら、かなり悲惨なことになっていた筈だが、今の状況であれば、家さえ潰れなければなんとかなる。ちょうど一週間分の食材が届いたばかりだし、水や燃料なども防災用の備蓄もある。むしろ今のタイミングは不幸中の幸いかもしれない。揺れるなら、いっそのこと向こう100年ぶんぐらいまで景気よく盛大に一気に揺れてくれ! などと、不謹慎なことを思いつつ、潔く覚悟を決めたその瞬間、揺れが弱くなりはじめた。

揺れが完全に止まって一呼吸置いてから防災無線のアナウンスが流れてきて、その音で隣で寝ていた娘が目を覚まし、寝ぼけ眼で発した「背中痒いぃ」という呑気な発言に、それまで身体中に漲っていた緊張感が、見事に抜けていくのだった。

とにかく、大事無くて良かった。




水槽の水が溢れてびしょびしょになってる! と妻が大騒ぎしていたので、ちょっと焦って状況を確認しに行ってみると、確かに500mlのペットボトルをぶち撒けたぐらいには濡れていたのですが、10年前の震災で経験した水槽水漏れの1/20ぐらいの規模だったので拍子抜けしました。

我が家の被害はこれぐらいでした。とにかく、大事無くて良かった。

10月11日(月)

来年の娘の就学にともない、娘が放課後や長期休みに通うことになるであろう学童クラブの見学に土曜日に行ってきた。

私も小学校低学年の頃には学童クラブに通っていて、見学した施設も雰囲気や様子は私の頃とたいした違いはなかったが、この小さな施設に80人の子どもたちが通っているという話を聞いて愕然とした。

施設の大きさは私の通っていた施設とそれほど変わらない。学校の教室ぐらいの部屋が2つに小さな図書室がついている感じ。むしろ私が通っていた施設のほうが広いぐらいだ。私が通っていた学童には30~40人ほどの子どもが通っていたと記憶している。その人数ですら人が多くて行きたくないなと幼心に感じていたので、同じような規模の空間に80人はどう考えても過密だと思う。

通わせるのを躊躇するレベルだ。

娘が通う予定の小学校は、一学年1~2クラス程度の規模だと聞いていたが、ここ数年で入学者が増え、おまけに共働き世帯も増えているので、学童クラブの利用者も増えているようだが、施設はそのままという有り様。保育園入園時の入園不承諾の体験に引き続き、行政の不作為にここでまた再び対峙しなくてはならないとは。とりあえず、会派に関わらず、都議会議員と区議会議員は全員土下座だな。




しかし、まさか学童にこんなにたくさんの子どもたちが詰め込まれているとは思わなかった。私の頃は3つの学校が集まって上記の人数だったので、学童通いは少数派だった。それはそれでイジメの対象にもされたが、今は学年の過半数近くが学童通い。時代は後退している。

ちなみに、そもそも「学童クラブ」を知らない妻は、私以上に強い衝撃を受けたようだ。

10月12日(火)

今朝は家まで車が迎えに来て、その車で出勤した。まるで、重役待遇のようだが、車は黒塗りのセンチュリーではなく白のハイエースだ。

緊急事態宣言が解け、在宅勤務で使っていたパソコン機材を会社に戻すため、会社で契約している運送業者さんに家まで取りに来て貰ったついでに、私もちゃっかり会社まで運搬してもらったのだ。

ちなみに、今朝、娘を保育園に連れて行く時に「父ちゃんは今日は車で会社に行くんだぞ ! 」と娘に自慢したら「私も保育園まで乗せてって ! 」と軽く押し問答になって、ちょっと焦った。




この前の台風で家に雨漏りが発見されました。台風以前から漏っていたようで、うっすらキノコが生えていました。今日は補修工事に来てもらっていますが、娘が生まれてから毎年どこかを工事しているな。

ちなみに、キノコはお浸しにして美味しく頂きました。嘘です。

10月13日(水)

排泄物のサンプルを提出し、朝食抜きの身体のあちらこちらを計測されたあとに体液を抜かれ、今度は胃にセメントを充填されたうえで、ぐるぐると身体を回されながら放射線を照射され、最後にセメントを強制射出する薬物を貰って終了。

こう書いてみると、健康診断とはなかなかな行為であることを再確認する。

ちなみに、毎年のようにこのような健康診断をする国は、世界広しといえど我が国だけで、年に一度の検査で大丈夫という短絡的な判断の国はなかなか珍しいという事のようだ。先進国の標準は日常的な問診を重視し、何か異変や異常があれば検査するという予防原則が基本のようだ。まあ、そうだよな。

下剤が効いてきた。辛い。




娘に水イボができてしまいました。私も小さい頃にできたことがあって、イボの除去のため何度も病院に通い、羽交い締めにされて痛みに悶ながら除去された辛い記憶がありますが、最近はたいした感染症ではないということで、基本的にはスキンケアと経過観察だけのようです。

あの拷問のような体験はいったい何だったのか。虚しくなりますね。

10月14日(木)

朝の日の出の時間がだいぶ遅くなってきて、洗濯機を回す時間はまだ暗い。そして寒い。

10月に入ってから、事あるごとに鮮魚店を物色しては、安価で新鮮な生筋子を探していたのだけど、先週末にやっとちょうどいいものが手に入ったので、さっそく醤油漬けにした。

おかげで、朝食から娘はイクラ三昧だ。なんて贅沢なんだ。

しかも、娘はイクラの粒を口の中で爆ぜさせながら、一粒づつ味わって食べるので、食べ終わるのにもの凄く時間がかかる。おかげで今週はいつも遅刻ぎりぎりに家を出ている。

朝はイクラ禁止かな。




妻が学校の技能試験に合格したそうなのですが、なんと学科が満点、技能が9割超えという驚異のスコアだったそうで、妻の相変わらずの試験耐性の高さに驚愕します。

10月15日(金)

昨日は余談の欄で妻の試験対策に関するリテラシーの高さについて少し触れたが、妻にはこのこと以外にも高い能力がある。

それは、公共交通機関での案内標識や発券端末に対するリテラシーとレスポンスの高さ、つまり読解・理解と反応・記述の能力の高さなのである。

例えば、指定席券売機で特急列車の指定席の発券にもたもたいていると、横から妻がやってきて、パーン!パーン!パーン!と、魔法のようにして手続きを済ませてしまう。

例えば、海外の空港などで、入国審査はどっちかなと私がもたもたしていると、横から妻がやってきて、パーン!パーン!パーン!と、魔法のようにして入国している。

それ以外にも、地下鉄では目的の出口を速攻で発見するし、大きな商業施設でも化粧室を速攻で発見するし、登録や予約の類はチョチョイのチョーイで済ませてしまう。

私には魔法のようにしか見えないのに、本人からするとむしろ私が何にもたついているのかよく分からないそうだ。

うむ。

これからも、私はこの素敵な妻についていくしかない。




去年の今頃、突如として娘のオネショが始まったのですが、最近は時々大丈夫な日もあるので、これから徐々に減っていくことを願いますが、私も小学校高学年までしていたので、なんとも言えませんね。

10月18日(月)

土曜日、一年半ぶりに実家に遊びに行ってきたのだけど、久しぶりの来訪に母が張り切ってかなりの御馳走を用意してくれた。

こちらも遠慮なくご相伴にあずかったのだけど、腹一杯食べて気持ち悪くなり、夜眠れなくて、昨日は一日、寝不足でフラフラしていた。

昨日は昨日で、寝具の衣替えが間に合わず、昨晩の冷え込みで深夜に目覚め、それからなかなか眠れなくて、今日は今日で、一日フラフラしている。

さて今夜は、どうなることやら。




どうやら、妻の諸々の認識応答能力の高さは、幼少期の受験指導が大きく影響しているようだ。最短で正解に到達する能力を徹底的に鍛え上げられたのだろう。一緒にカルタなどをやると、父娘合わせてもダブルスコア以上の差をつけられたりする。ついていくのがちょっと怖くなってきた。

10月19日(火)

来年の娘の就学にあたって、いろいろと情報収集をし始めたところなのだが、なかなかどうして、不安ばかりが募るばかりなのである。

自分の頃とはだいぶ変わってしまったことも色々とあるようなので、新たな情報を得るたびに不安の種が増えていく。

ただ、その不安は、自分の幼少期の記憶に重ね合わせて感じている不安なので、はっきり言ってしまえば、ただの杞憂なのである。よくよく考えれば、私だって幼いながらに過酷な環境に放り込まれながらも、相応の苦痛とともに喜びや楽しさや嬉しさを同時に感じていたではないか。

苦痛の記憶ばかりが先に思い出されてしまうから、こうした不安が募るのだ。

あと、この不安には娘の存在が不在だ。実際に来年就学するのは娘なのだ。娘を抜きにして勝手に不安を募らせている父の愚かさが一番の不安の種なのだ。

ちょっと頭を冷やそう。




私が寝ている部屋の天井が異常に高く、夜中とても冷え込むので、昨晩からみんなと同じ部屋で寝ることにしましたが、朝起きた時にみんながいると気持ちがホッコリしますね。

10月20日(水)

財布を家に忘れてきた。

財布を忘れることはたまにあることだが、通勤定期券にはチャージが入っているし、なんならクレジットカードも兼ねているので、まあ忘れてもなんとかなる。

携帯電話も時々忘れることがあるが、連絡のやりとりは家族と保育園ぐらいのものなので、何かあれば会社の電話やネットで事足りる。

問題は家の鍵だ。

私の場合、鍵を忘れるとかなり困ったことになる。忘れやすい条件も揃っている。だから絶対に忘れるわけにはいかないので、かなり大きめの脊椎の骨格模型のキーホルダーを家の鍵に付けている。おかげで今のところ鍵を忘れたことはない。

ただ、このキーホルダをどこで手に入れたのかまったく覚えていない。キーホルダーには「www.cleveland.edu」とクリーブランド大学のホームページアドレスの刻印がされているのだが、その唯一の手掛かりが更に混乱を増す。クリーブランド大学? 骨格模型? オハイオ州? 思い当たることがまったく無い。

しかし、このキーホルダーのおかげで、家の鍵を忘れずに済んでいることは事実だ。とりあえず、クリーブランド大学よ、ありがとう。




娘の就学準備第一弾として、お風呂ぐらいは一人で入れるようにと、徐々に促しているところですが、洗髪が大きな障壁となりそうです。まあ、お風呂って面倒だったもんな。

10月21日(木)

今朝起きると、娘が調子悪そうにしているので、様子を見てやろうとすると、大丈夫だからと軽くいなされた。

ここのところの急激な冷え込みで、少し鼻水や咳が出てしまったようだが、かなり久しぶりの体調変化に、当人より父のほうが動揺してしまったようだ。

いかんいかん。

いよいよ寒さが始まってきたが、父の子離れはなかなか始まらない。




フランシス・フォード・コッポラが『ゴッドファーザー』を監督したのが、まだ20代後半から30才そこそこの頃だったという事実に愕然としています。ガクブル。

10月25日(月)

午前中、現場仕事の応援に入ったのだけど、二時間ちょっと軽作業を手伝っただけなのに、午後はまったく使い物にならなくなってしまった。

情けない。

さて昨日、久しぶりに昼飯は外食にしようと家族で出掛けたのだが、ついでに期日前投票に区役所に寄ったところ、いつもなら待たずに投票できていたのが、昨日はちょっとした順番待ちの列ができていた。

たまたまなのかどうなのかは分からないけれど、もし少しでも投票率が上がるのなら、順番待ちも喜んで我慢しよう。




投票後にNHKの出口調査を受けましたが、政権支持率を下げたのは私です。

10月26日(火)

秋篠宮の長女の結婚をめぐる一連の騒ぎには「んなもん放っといてやれよ」と冷たく静観していた私だが、今日、いよいよ婚姻のため長女が赤坂の御用地を出ていくという報道に出くわし、別れ際に長女と次女でハグを交わす姉妹の映像を見て、なぜだか分からないが感涙してしまった。

心のどこかで心配してたのかもしれないな。

しかしこの国は、プリンセスにも逃げられてしまうような、仕方のない国になってしまった。トホホだな。




「真平」と「眞子」という名前の共通点から、もしかしたら親近感を抱いていたのかもしれないな。俺も立派な臣民だ。

10月28日(木)

今日は保育園でハロウィンの仮装があるそうで、娘は全身黒装束で張り切って出掛けていった。

仮装は自らの手作りなのだそうだが、去年のハロウィンシーズンに広尾の輸入食材スーパーに行った時、奇妙な笑い声をあげながら壺をかき混ぜる魔女の人形が店の片隅に設置してあって、当初、その人形にめちゃくちゃビビっていた娘だったが、人形だと分かるとおっかなびっくりながらもじっくり観察し、その時の観察を元に今年の仮装の準備したそうだ。

娘は妙にリアリズムな傾向があるので、どれだけ禍々しい魔女になっているか楽しみだ。これまでのようにわざとらしく驚く準備をしなくても、本当に驚いてしまうかもしれないな。




昨日、民間運営の放課後預かり施設の見学説明会に行ってきましたが、結局どこの施設を選んだとしても、自分の頃よりも選択肢の少ない環境に子どもを預けなくてはならないことが分かっただけでした。

施設も人材も私の頃のほうが明らかに充実していました。子ども予算が如実に削られた事を実感してしまいます。

10月29日(金)

昨日、家に帰ると娘がハロウィンの魔女の仮装のまま私を待ってくれていた。

娘の仮装は、魔女の特徴である帽子や黒装束や箒はもちろんのこと、人間の指や毛髪で作ったおぞましいアクセサリーや魔女の壺で煎じる芋虫や薬草まで用意され、私の想像を遥かに超えて細部まで丁寧に作り込まれていたので、恐がるのを忘れてしまった。

娘のリアリズムに対する姿勢はクールベにも迫るかもしれないな、などと、いささか親馬鹿ではあるが、方向性としてはまったく見どころが無いわけでもない気がしている正真正銘親馬鹿な父である。




明日の夕飯は、家族の総意で卵牛(すき焼き)を予定しているのだが、今から楽しみでしかたがない。こういうのが大事。