2022年 5月
5月2日(月)

今朝は少しだけ愚図った感じが戻り、下手に関わると爆発しそうだったので、あまり刺激しないように少し距離を起きながらできるだけ放っておいた。

その効果があったのかどうかは分からないけれど、私が出掛ける頃にはいくらか落ち着きを取り戻しており、妻の話では、校門前で「学校やめたい」となったものの、先生に来てもらって事なきを得たそうである。

朝が一番難しいので、いつも丁寧に粘り強く対応してくれている妻には頭が下がりぱなしである。

今日の午後は初めての個人面談だが、これまで何度も先生には細かく相談にのって貰っているので、やや今更感もある。

まあ、今日が終わればまた連休だ。特に予定はないけど、親子共々まったり長閑に気持ちを落ち着けて、じっくりしっかり癒されよう。そうしよう。




どこもかしこも混んでいるだけなので、ゴールデンウィーク中にわざわざ遠くへ出掛けたり、有休取って連休を繋げようとなんて考えたこともなかったのだけど、むしろコロナ禍中にやっておけばよかったと、今更ながら後悔しています。

5月6日(金)

今朝も妻が付き添い、校門で先生に引き取られて行ったそうだ。学童クラブは16時半にお迎えという条件を譲らず。2週間前の状況に比べたら雲泥の差だし、毎朝の妻からの「登校完了」メールにヤキモキすることも無くなったが、手放しで登下校ができるようになってくれないと、こちらの事情も厳しくなってくる。

そんなわけで、私を取り巻く諸々の事情や状況は、膠着状態というか、小康状態というか、何か展望があるわけでも今すぐ何かができるわけでもなく、果報は寝て待てということになるのだろうが、どちらかというと神経繊細な私としては、寝て待つほどの豪胆さを持ち合わせていないため、有ること無いこと想像しながら、むしろ寝不足気味の毎日を過ごしている。

そんな折、近所のスーパーに寄った際、巷で話題になっている「ストレス緩和と睡眠の質向上」を謳った商品『Yakult (ヤクルト) 1000」が品出し前の梱包された状態で売り場に積まれていたので、店員さんに無理言って2本だけ融通して貰い、藁にも縋る思いでグビッと飲んで床に就いたところ、寝付きは良かったものの深夜に子どもの寝言で起こされてからなかなか上手く寝付けず、結局、今日も寝不足の朝を迎えるのだった。

まあ、懲りずに今晩も飲んでみよう。




買っておいてなんですが「ストレス緩和と睡眠の質向上」を謳った商品が常に品切れ状態って、なかなか闇の深まった世の中になってきましたね。

5月9日(月)

今朝は目を覚ますなり「学校行かない」宣言。

それでも、なんとか2度にわたって登校に挑戦し、2度目の時に校門まで迎えに来てくれた先生に、給食当番の白衣と帽子を手渡して、今日は休むけど明日は登校すると自分で約束して帰宅した。

連休明けなので、たぶん一筋縄ではいかないだろうとは思ってはいたけれど、予想以上に複雑に絡み合った縄だった。

とはいえ、先月のような悲壮感はなく、むしろ「明日は行ってやる!」というような、どこか気概のようなものを内に秘めているようなので、今日はしっかり休むことにしよう。

存分に蓄えておいてくれ。




子どものこと以外にも、膠着状態だった物事や小康状態だった物事が、連休明けにどどっと動き出しはじめたので、連休中は諸問題も休んでいたのだなと感じる連休明け初日である。

5月10日(火)

今朝は妻からの「登校完了」メールがなかなか来ないので、お昼過ぎまでヤキモキしていたのだが、学童クラブから「入室完了」の自動メールが届いたので、学校に行ったことだけは確認した。その直後、妻からも今朝は無事に登校したという旨のメールが届き、改めて胸を撫で下ろす。

さて、子どもが登校してくれない時は、もちろん妻か私のどちらかが仕事を休まなくてはならないのだが、私が休んだ場合、午前中は子どもの様子や機会を伺いながら、できるだけ自然に無理なく登校を促してみるのだけど、昼食の準備や職場への申し渡しもあるので、4時間目に間に合わないようならすっぱりきっぱり諦める。

学校を休んでしまうと、学童クラブでは子どもを預かってくれないので、昼食を終えると子どもと二人きりの当てのない午後の空白の時間が訪れる。

せっかく時間があるのだから、遊びに行ったり、好きなことをすればいいのだけど、私も子どもも気持ちの切り替えが下手なので、午前中の燻った気持ちのまま、いつもなんとなく不毛な時間を過ごしてしまうのだが、昨日の午後は担任の先生から「ちょっと職員室まで今日のプリント取りに来れますか?」と連絡があったので、二人して喜び勇んで学校へ向かったのだった。

てか、だったら朝から行けばいいのに。




6月に新たに有給休暇が付与されるとは言え、この調子が今後も続くとなると10月ぐらいで限界がやって来そうだ。まあ、そこまで深刻にならなくてもいいのかもしれないけど、それまでにはどうにかこうにか歩きはじめてくれるとありがたいところだ。

5月11日(水)

朝は「楽しみなことがあるから今日は絶対に行かないと!」と息巻いていたのだが、登校途中にたまたま担任の先生に出会ってしまい、一緒に登校しようと誘われたのが悪かったのか、結局その誘いを断り、それでも遠回りして校門に辿り着いたまでは良かったのだが「やっぱり嫌だなぁ」という感じになってしまったそうだ。

なかなか校舎に入ろうとせず、かといって帰る素振りを見せるわけでもなく、しばらく校門脇に佇んで、登校してくる子ども達を眺めていたところ、同じクラスの保育園からの友達が通りがかり、「一緒に行こうよ」と声掛けてくれたことが功を奏して、手を繋いで校舎に入っていったそうだ。

うむ。

毎朝がドラマチックである。




今夜は妻がお出掛けで家を留守にするのだが、ドラマチックな登校に毎朝付き添ってくれている妻には、存分に羽根を伸ばしてきて貰いたいと思う。

同時に我々も羽根を伸ばそう。

5月12日(木)

今朝も校門前でしばし滞留していたのだが、保育園からの友達二人がやって来て、一緒に校舎に入っていったようだ。滞留中、同じクラスの友達を見かけるとお互いに挨拶はするのだが、まだ一緒に行動するほどの信頼関係はできていない様子だったそう。

学校生活では感染防止の一貫で会話や行動に細かな制限がかけられているので、もしかしたら、そうした影響から人間関係の構築が少し難しいのかもしれないとも感じる。

まあ、とは言え今週も残すところあと一日。無理なく有意義に過ごして貰いたい。




昨日とは打って変わって、今夜は私が家を留守にする。妻子で羽根を伸ばして貰いたい。

ちなみに昨晩は、私が羽根を伸ばしすぎて今日は朝から軽い二日酔い気味。

5月13日(金)

今朝は校門付近で「嫌なんだよね」とボヤきながらも、そのまま一人で校舎に入っていったそうだ。誰の手も借りず一人で校舎に入ったのは入学以来はじめてのこと。

うむ。

良くないとは分かっているのに、周りと比べて評価してしまったり、自己都合を押し付けてしまったり、親としても苦悩の連続と反省の日々で、考えさせられることも多かったのだが、その一方で、付き添いで授業を受けたり、給食に立ち合ったりして、今の学校状況を垣間見てみると、我々が通っていた頃以上に学校が窮屈で退屈なところになってしまっている印象を持った。

幸いにも、今はなんとか慣れていってくれているようだけど、いずれまた登校拒否を宣言する時が来るかもしれないとも感じているし、今の学校の状況を考えると、それは仕方がないことなのかもしれないとも思ってしまう。

まあとにかく、週末は家族でじっくり養生しようと思う13日の金曜日である。




子どもの状況をここで書き始めてから、各方面から様々な意見や助言を頂き、とても参考になりましたが、その一方で、かなり身近なところで、かなり多くの子ども達が「登校拒否」を訴えている事実を知りました。程度の差こそありますが「登校拒否」がここま大きく広がっているとは思いもしませんでしたし、もしかしたら何らかの「登校拒否」反応が出ないことのほうが、逆に問題だと思ったほうがいいのかもしれません。

5月14日(土)

高校1年生の頃に、よく一緒に遊んでくれた2つ年上の先輩がいた。

とても面倒見が良い人で、バイクや古着のこと、ヒプホップや恋愛のこと、色んなことを教えてくれて、今でも私の血肉となっていることが多いのだけど、そんな中でも、先輩から教わったお好み焼きの作り方と食べ方は、今でもよく覚えているもののひとつだ。

バイトの給料日や学校の終業式など、先輩は事あるごとに、私にお好み焼きをご馳走してくれた。

先輩の懇意の店で待ち合わせ、お互いが揃うとまずは生ビールを頼み、お通しをつつきながらその日の気分に合うトッピングのお好み焼きを一枚ずつ注文する。お好み焼きを食べ終えると、今度は酎ハイと一緒に焼きそばを頼む。塩か醤油かソースか。焼きそばの味付けを決めるのは、いつも私の役目だった。焼きそばを食べ終えると、ちょっと一服決めて、お腹に余裕があれば酎ハイのおかわりにもんじゃ焼きを追加して、最後は〆に釜飯を頼むのが定番のコースだった。

鉄板の上でお好み焼きを作りながら、馬鹿な笑い話や真面目な話、ちょっと切ない話などを混じえながら、先輩は色んなことを私に教えてくれた。ご馳走になる時は、お腹をパンパンにして店をあとにするのが後輩の礼儀であることもこの時に教わった。

懐かしい青春の1ページ。

もうあの頃のような量は食べられないし、あれこれ何かを教えてくれる先輩もいないけれど、あの頃と同じ心意気で今夜はお好み焼きに挑もうと思っている。娘たってのリクエストだ。




高校を卒業してから先輩とは疎遠になってしまったけれど、お好み焼きの味は、下北沢、代官山、原宿、高円寺、上野、先輩とよく行った街の風景や人々、そして1995年の空気をピンポイントに思い出させてくれる。

5月16日(月)

教科書やノートや筆箱や宿題などのいつもの学習用具と水筒やハンカチやポケットティッシュや給食クロスなどのいつもの持ち物に加えて、月曜日の朝は上履きや体操着や給食当番の白衣など、持っていくものは更に増える。しかも今日は朝から生憎の雨。

大人でも嫌になる週明け月曜日だ。

というわけで、流石に今日はちょっと愚図るだろうなと少し覚悟していたのだが、どちらかというと何事もなく、むしろいつもより早めに家を出たため、クラスメイトがまだ来ておらず、教室に誰もいなくて寂しがったそうだが、なんとか無事に登校はしたそうだ。

一方、私はというと、雨のせいもあるのだとは思うのだけれど、まるでコロナ禍以前のような週明けの地獄の通勤ラッシュに少々うんざりしながらも、憂鬱な雨の月曜日にきちんと悪態つけるほどの日常が、自分に戻ってきていることに少しホッとしている面もある。




今年もまた、友人からちょっとしたお仕事を頂いたのだけど、ちょっとした内容の割にはちょっとした報酬を頂いてしまった。ずっとやりたいと思っていた釣りの道具一式に注ぎ込もうかどうしようか迷っているのだけど、釣り。本当にやる時間あるのかな。。。

5月17日(火)

今朝は、ちょっとした行き違いから、子どものリンゴジュースを妻が飲んでしまい、ちょっとした悶着が繰り広げられたのだが、「それはそれ」という感じで子どもは登校していったそうだ。

まだまだ気を使う部分はあるし難しい面もあるけれど、先月の様子に比べれば、子どもの態度も反応もだいぶ穏和で柔和になったと感じる。

今日はこれまでより学童クラブを1時間延長し、17時半まで頑張るそうだ。

いやはや。




今年のはじめ、子どもが小学校にあがれば少し手が放れて、私にも少し余裕ができるだろうと二つ返事で引き受けてしまった案件があったのですが、その後音沙汰なかったのですっかり忘れていたら、最近になって正式にお願いされてしまいました。

むしろあの頃の方が、気持ちにも時間にも余裕があったな。

安請け合いは良くないです。

5月18日(水)

新入生代表の一人として、子どもが来週の運動会の開会式で宣誓をする役目に選ばれたそうだ。本人もまんざらでもない様子で、昨晩も、部屋の隅で宣誓の練習をこっそりしていたかと思うと、宿題そっちのけでまだ習っていない漢字の練習を始めたり、三桁の数字の練習をしたりして、張り切っている様子が随所に漲っていてとても可愛い。

子どもの性格を見抜いてくれた先生が、うまい具合に今回の役目に抜擢してくれたのだと思うが、目標や目的を持つことで、子どもがこうも変わるのかと驚いているところだ。

まあしかし、学校生活にようやく慣れてきたところだし、先もまだまだ長いので、あまり気負わずにゆっくりじっくりやってもらいたいとも思う。




ひねくれ者の父の行き過ぎた心配だとは思うのですが、こういう時に足元すくわれるとけっこう辛いぞ、などと思ってしまいます。まあ、足元すくわれると言っても、一発ギャグとかを狙わなければいいだけの話ですが。

5月19日(木)

昨日は妻の帰りが遅く、父子二人の夜だったのだが、私が夕飯の支度をしている時、子どもが玩具のサンプラーに「ガッコウダイスキ」と自分の声を録音し、音程変えたり効果を加えたりして一人で遊んでいた。

通学帽はかぶらないし、通学路は通らないし、黄色のおじさんは苦手だし、校門までの付き添いは必要だけど、取り合えず学校はもう大丈夫なのだろうか。

うむ。

あまりの転向ぶりに不安が残る。




ひねくれ者の父の行き過ぎた心配だとは思うのですが、一夜にして民主主義者になったり、一夜にして社会主義者になったり、一夜にして新自由主義者になってしまう日本人の典型のような危うさを感じてしまいます。まあ、思想や主張の転向とは話が違うとは思いますが。

5月20日(金)

子ども用の室内テントの中で宿題をやると子どもが言い出したので、宿題をやるなら机でやりなさいと注意したら「なんでいつも父ちゃんの言うことばっかり聞かなきゃいけないの!」と大爆発してしまった。

うむ。

しかし宿題。多すぎる。

自分の記憶を辿ってみても、小学校時代の宿題なんて夏休みの宿題ぐらいしか思い出せない。日常的な宿題というか、学校外での予習復習が必要になってきたのは高校時代になってからだったし、それも自主的な範囲のものだった。もちろん私はどれもやっていなかったけど。

子どもの場合、毎日一定して書取りと音読と数字ドリルの3つの宿題が出る。15分ぐらいで終わるものだけど、どの宿題も親の確認や採点が必要で、サボると新たな宿題と一緒に翌日戻ってくる。親を巻き込むやり方もなかなか厭らしいところだ。

うむ。

今はまだ意欲的に真面目に取り組んでるけれど、これ以上量が増えるとちょっと負担になるような気がする。宿題のせいで勉強嫌いにならなければよいのだが。

まさか今さら宿題に悩まされるとは思ってもみなかった。




宿題をやる生真面目さよりも、宿題をやらなくても平気でいられる大胆さや豪胆さを身に付けてもらいたいです。

5月23日(月)

今朝は、待ち合わせの約束をしていた保育園からの友だち2人と一緒に元気に登校していったそうだ。

付き添い無しでの登校は、入学以来これが初めてのことなので、妻ともども胸を撫でおろしているところだ。

今回の経緯としては、学童クラブの帰りにたまたま妻が保育園時代のお母さんに会って立ち話をしていたところ、そのご家庭の上の子が学校に馴染むのにとても時間がかかったそうで、入学式に号泣していたうちの子のことをずっと気に掛かってくれていて、今回の待ち合わせ登校を提案して下さったのである。

ありがたいかぎりである。

子どもの方も昨晩から「明日は〇〇ちゃんたちと登校か、まいっちゃうな」などと、ボヤキ半分、テレ半分、キンチョー半分、ドヤ半分の200%の意気込みだったので、あまり気負わないといいなと心配していたのだが、おかげさまで、まずまずうまくいったようである。

どうなることかと思った入学式から約二ヶ月。とりあえずこうなった。




先週の金曜日の夜、どうしても気持ちに収まりがつけられないことがあって、「父ちゃんはもうこんな家にいたくない!」と捨てゼリフを残し、プチ家出しました。

少し反省もしていますが、父ちゃんだって人間です。

5月24日(火)

今朝は、友だちとの待ち合わせが上手くいかず、もう学校には行かないと言って泣いて帰宅したそうだ。あまり気負いすぎなければいいのだけど、と心配していた部分が的中してしまった。

結局、学校も学童クラブも今日はお休み。

全日の休みは月初の連休明け以来二週間ぶりか。残念だけど仕方ない。一筋縄ではいかないのは覚悟の上だ。

心配が的中したということでは、その点さえ気をつければいいだけの話でもあるし、そうした意味では順調と言えなくもない。こうした極端な反応が次の変化の現れであることも今となってみればよく分かる。

まあ、ゆっくりじっくりやってくれ。

5月25日(水)

今朝も友だちと落ち合えず。それでも校門までは行ったのだけど、運動会の練習で既に皆が着替えをしているのを見て、やっぱり帰ると言って引き返したそうだ。

どうやら昨日から運動会の練習のため、いつもより登校時間が前倒しになっているようだ。

どうしても行きたくないと訴える子どもだが、今日は妻が出勤日のため、急遽、先に家を出ていた私が乗り換え駅から引き返すも、妻も子どもも世界が終わったかのような意気消沈状態で、どうしたものかと思いつつ、とりあえず妻を送り出す。

こうなってしまうと、かなり行きずらくなるのは、私も経験として痛いほど分かるので、子どもと一緒に家の近くの河川敷までサイクリング。

とにかく気分転換して、あらためてゆっくりじくり話を聞いて、お茶を飲んで、なんとか三時間目の前の休み時間には登校し、先生ともゆっくり話をし、教室に入っていった。

自信や承認や信頼といったものを築きあげることに、少し丁寧なだけなのだ。




それでも、学童クラブにはちょっと行きたくないと言うので、給食後に学校まで迎えに行くと、友だちと一緒に大騒ぎで校門から出て来て、友だちと一緒に大騒ぎで下校しながら、明日も大騒ぎで登校することを友だちと約束して帰って来た。

少し丁寧なだけなのだ。

5月26日(木)

今朝、待ち合わせの約束をしていた友だちを待ちきれずに、ちょうどやって来た別の友だちと大騒ぎで登校して行ってしまい、約束していた友だちがやってくるのを私が待って、失礼のないよう丁重にお詫びを申し上げた。

うむ。

現金で薄情な者には、いずれ相応の報いと制裁があることは、覚悟しておくべきだろう。



今週の土曜日に運動会が予定されており、運動会本番は感染対策の問題から保護者の観覧はできないそうなのだが、本日行われる予行練習は保護者に公開されるそうだ。ちなみに、その感染対策基準は2年前からまったく更新されていないそうだ。

ちょっともう、意味が分からなさすぎて吐きそうです。

5月27日(金)

今週土曜日の運動会の保護者観覧ができない代わりに、昨日の予行練習公開に参加してきた。

予行練習は、まず新入生代表の開会宣言から始まったのだが、その第一声がうちの子だったので、かなり面食らってしまった。

マイク片手に、ゆっくりはっきり大きな声で、詰まることなく行った開会宣言は、我が子ながら堂々たるもので、これまでの登校をめぐる擦った揉んだが冗談のようにも思えるが、固唾を呑んで見守っていると、手持ち無沙汰の左手が次第にズボンのポケットに突っ込まれてゆき、最終的にかなり不遜な態度で宣言を終えたことには、見事!と言うざるを得なかった。

天晴である。




明日の本番は30℃の夏日となるようなので、みんな無理せず楽しく運動会を堪能して貰いたい。

5月30日(月)

週末の運動会本番は、気温が30℃を超える今年一番の夏日という心配もあったが、開会宣言の重責も見事に果たし、存分に堪能し充分に熱狂して帰ってきたようである。

運動会の経験は、今後、何かしらの変化に繋がるように思うのだが、とりあえず今日は振替休日なので、ゆっくり休んで貰いたい。

明日以降が楽しみであり怖くもある。




先週末に運動会を行った学校は、どうにか工夫して保護者観覧を実施した学校が多かったようである。

校長次第なんだな。

5月31日(火)

今朝、私が出掛ける前に「学校嫌だ」宣言が出た。

運動会では好感触を得ていたし、昨晩も前向きな様子だったので、完全に油断していた。

話を聞いてみると「学校は嫌だけど学童クラブには行きたい」と言うので、「学校行かないと学童クラブは受け入れてくれないから、ちょっと頑張ってみない?」と促してみると、渋々ながらも聞き入れた様子だったので、妻に託して家を出た。

通勤電車では、無事に登校しただろうかと心配し過ぎて、読んでいた本の内容がなかなか頭に入ってこず、妻から「友だちと一緒に登校しました」という連絡が来て、ようやく胸を撫でおろして読書に集中することができた。

理想としては「ゆっくり、じっくり、丁寧に」と思いつつも、毎朝、腫れ物に触るように子どもを扱うことに、戦々恐々とした気分になってしまうのも事実である。

今日も友だちと元気に大騒ぎで帰ってきてくれるといいのだが。




手放しで寄り添ってやれないのがもどかしいところだが、手放しで寄り添うことが、今の子どもにとって適切なのかはよく分からない。