2022年 8月
8月4日(木)
今朝、うちまで迎えに来てくれた友だちと一緒に、子どもは学童クラブに出掛けて行った。玄関で子どもたちを見送ると、家を出た先の曲がり角で同じ一年生の集団と合流し、姿が見えなくなっても、皆で大騒ぎしている様子が私の耳にしばらく届いてきた。
私はリフレッシュ休暇最終日。
特に予定はないけれど、昨日の夕方に夏休みの家族旅行から帰って来たところなので、旅行のあと片付けが主な予定とも言える。旅行は東京から300㌔近く南の離島を訪れたのだけど、ここ数日の東京の暑さに比べれば、よっぽど過ごしやすかったのだなと、昨日、空港に到着してから思い知らされた。
今日はだいぶ涼しくなったが、天気は曇り、時々豪雨、時々落雷。
感染拡大の状況も深刻で、私の周りでも家庭内感染が多発している。隔離期間が短くなったとはいえ、家族の人数が多い家庭ほど必然的に隔離期間が長引いてしまう。この状況は本当に何とかして欲しい。
夏休みに家族旅行ができること自体が、本当にラッキーなことになってしまったのだなと、身に染みて感じるリフレッシュ休暇最終日。
昨日は落雷の影響で、着陸してから一時間近く飛行機内で待たされました。おかげで、けっこう遠くから帰って来たような錯覚に陥りました。
8月5日(金)
リフレッシュ休暇が明けて一週間ぶりの出社。
一週間ぶりの通勤や仕事や人混み云々よりも、たった数日の家族旅行ながら、離島での上げ膳据え膳の自堕落な生活に慣れてしまい、家事全般に対するやる気が出ないのも困りものだし、手際がすこぶる悪くなっていることにもうんざりさせられている。
うむ。
早くも離島生活に後ろ髪引かれる今日此の頃、いやむしろ、自堕落な生活への未練なのか。
うむ。
会社のリモートワーク制度が確立された暁には、最低でも一ヶ月ぐらいは離島でプチ移住生活してやるんだからな!
8月6日(土)
離島で泊まった宿は、ガジュマルの巨木をとり囲むように建てられた開放感ある民宿で、新しいとはいえないが、隅々まで手の行き届いた清潔な宿だった。
海亀の泳ぐ海岸まで、水着のまま歩いて2分でダイブできる好立地にも関わらず、宿泊料金はとてもリーズナブルで、芝生敷きの広い庭から望む海や星空の美しさも言うことなし。
朝晩の食事は、島の新鮮な野菜や魚の素材の味わいを活かし、味も量も文句なしの大満足。
宿を切り盛りするご夫妻は、口数こそ少ないがホスピタリティに溢れていて、こちらの無茶な要望にも寡黙に素早く応えてくれた。
ただ、そんな素晴らしい宿にも一点だけ、しかも宿のせいではない致命的な問題があったのである。
それは音だ。
というのも、そもそも私は極度に音に敏感で、特に人の話し声や足音などの動作音には極端に反応してしまい、寝つけなくなってしまうことがある。
しかも運悪く、我々の泊まった部屋は泊まり客が行き来する場所に位置していたため、ちょっとマズいなと思っていたのだが、泊まり客が少なかったこともあり、なんとか平穏無事に過ごすことができていた。
ところが、残すところあと一夜という時に学生の団体客が来てしまい、案の定、私は眠れず。最終日は寝不足で過ごす羽目になってしまったのである。
ちなみに妻と子どもは寝れぬ私の横でグーグー寝ていたので、やはり宿のせいではなく、私の神経過敏が原因なのである。己の神経の細さを思い知らされるのであった。
うむ。
久しぶりの空港だったので、保安検査の順番待ちすら感慨深い気持ちで並んでいたのだが、隣の列の先でカップルが揉めはじめた。
しばらくして我々の検査の順番がきたのだが、カップルはまだ揉めている。
カップルの様子を眺めながら、妻に「見て、あれ面白いよ」と声を掛けたら、「やめなさいよ」と小突かれてしまった。
ところが、私と妻の間に割って入るように、保安検査の職員の方が「いや、面白いですよ」と声を掛けてくれたので、意地悪な微笑みを共有することができた。
これぞ空港の醍醐味だ。
8月8日(月)
朝、通勤電車で、職場の最寄り駅に到着するという車内アナウンスが流れると同時に、子どもが学童クラブに入室したことを知らせるメールが携帯電話に届く。
いつも通りの時間だ。
夏休み中は、友だちが家まで子どもを迎えに来てくれるので、学童クラブへ通うこと自体にはあまり心配無くなった。迎えに来てくれる友だちも、夏休み中だけ家を出る時間が後ろにずれ込むため、どうしても一人になってしまう時間ができてしまうところ、我が家に寄ることでそのタイムラグが埋められるので、お互いにとって良い感じだ。
お盆に向けてまた猛暑のぶり返しがあるようなので、週明けからうんざりさせられるが、今週は祝日もあるので、無理せずゆるゆると過ごしていきたいものだ。
週末に鼻の奥の痛みを感じたので、ちょっとクーラーにあたり過ぎたかなとも思いましたが、痛みは更に喉へ広がり、軽い頭痛と気怠さも感じるようになりました。これってまさか、今流行りの!? っと思ってびくびくしていたところ、今日の午後には、なんとなく治まったような感じがしています。が、どうなのでしょう。
8月9日(火)
昨晩のあまりの猛烈な熱帯夜のせいで、快適なエアコンの設定温度がなかなか定まらず、寝苦しさで家族全員寝不足気味の我が家である。
しかも寝不足が祟ったためか、きちんと洗濯物を確認せずに洗濯機を回してしまったため、子どものズボンのポケットにポケットティッシュが入ったままだったことに気が付かず、大惨事になってしまった。
今週は妻がお弁当当番なので、なんとか冷静さを取り戻すことができたが、この惨事にお弁当作りまで加わっていたらと思うと、考えただけでも恐ろしい。
やはり、気候変動はなんとかしなければ。
うむ。
海で裸体になった時の己の自堕落なワガママボディに嫌気が差し、離島から戻ってからちょっとしたトレーニングをはじめていますが、連日、全身の痛みで気怠いばかりです。
寝不足も加わり、おかげで仕事になりません。(言い訳)
8月10日(水)
昨日、17時に会社を出ると、学童クラブから電話が掛かってきた。
今日は子どもの帰宅時間を遅めに変更しているので、もしかしたら確認の電話かな、と思って出てみると、電話口の職員の方が、15時過ぎぐらいから子どもの様子が芳しくなく、発熱こそ無いけれどずっと横になっている、本人は一人で帰ると言っているが、迎えに来れるならそうした方が良さそうだと言うので、私よりも帰りが早い妻に連絡し、迎えに行ってもらった。
体調不良の連絡は久しぶりのことだったので、かなり心配して家路を急いだ。家に着いて真っ先に子どもの様子を確認しにいくと、思ったよりも元気そうだったので少し安心した。夕飯を食べ終わる頃には、いつも通りの元気で生意気な姿に戻っていたけれど、とにかく早く寝るよう促した。
おそらく、一昨日の熱帯夜による寝不足と日中の暑さで、夏バテしてしまったのだろうとは思うが、やはり、この異常な暑さは誰だって身体がおかしくなる。
うむ。
トレーニングによる筋肉痛に、鎮痛剤を服用しようかどうしようか迷っています。まったく情けないことです。
8月12日(金)
ひらがなだけでも46文字もあるのに、濁音、半濁音、拗音、促音、長音などまで合わせると軽く100文字を超えるうえ、助詞の変化もけっこう難しい。
そんなわけで、なんとも因果な言語だなと思いながら、昨日、子どもの夏休みの宿題の、絵日記と観察日記の作文の監修をしていたのだが、この明らかに非効率な言語体系こそが、むしろ日本人を日本人たらしめているような気もしてくるのである。
欧米圏のように、わずか24文字ほどで一気に単語や文法に到達できる言葉と、ひらがな・カタカナ・漢字の習得が必要な日本語とでは、思考方法が異なることは明らかであろう。
まあ、どちらが良いとか悪いとかではないが、とにかく我が子よ、日本語習得頑張ってくれ。
一週間そこそこですが、朝晩5分のプチトレの成果出てきており、身体から分離したようにだらしなくたるんでいた肉が、少し身体に張り付いてきた印象があります。ムスッとしていた表情に少し朗らかさが戻ったような、そんな感じ。目指せ笑顔。
8月15日(月)
昨晩、暑気払いに焼肉を食べに行ったのだが、まずまずの良い肉を調子良く食べてしまったため、加齢による消化不良を引き起こし、うまく眠れなくなってしまった。
今日は夏休みで唯一、私が一人行動のできるお盆休みで、前々から行動計画を練っていたのだが、睡眠不足が深刻すぎて、どうしたものかという感じだ。
うむ。
でもまあ、寝不足のまま朝一で映画を観に行って、家に帰って袋ラーメン食べて、三時間ぐらい昼寝して、今から夕飯の準備をはじめようかと思っていて。結果的には自堕落でいい感じじゃん、という。なかなかの一日だった。
うむ。
今朝も子どもは元気に学童クラブに向かいましたが、途中で合流した友だちの4人中3人が感染の隔離明けで、朗らかに「家族みんなコロナで大変だった!」と教えてくれました。なんというか、うむ。大変だ。
うちの子は、そんな友だちに「じゃあ!もうみんな無敵じゃん!」と励ましなのかなんなのか、言葉をかけていました。
8月16日(火)
今日も40℃に達する地域があるとかないとかで、そろそろお盆も終わるというのに、まだまだ厳しい残暑が続きそうだ。できるだけ早く、秋の気配が感じられるような気候になって欲しいところだが、どうなることやら。
夏休み前に小学校から持ち帰った子どもの朝顔が、我が家の格子窓にしっかり取り付いてしまい、夏休み明けにはまた学校に戻さなくてはならないのだが、なかなかどうして、困ったことになってしまった。
夏休み。色々と厄介だ。
今朝はまた別の子が、学童クラブのはじまる前に我が家に寄ってくれたのだけど、もう既に、ちょっとした礼儀のような仕草や敬語を使ったやり取りを身につけていて、なかなかどうして、子どもの成長はウルトラ早い。
8月17日(水)
私の用意した朝食を見るなり、子どもがこんなの食べたくないと文句を言いはじめた。弁当も同じ食材を使って作っていたので、嫌なら朝食も弁当も食べなくていいと言って、怒って家を出てきてしまった。
朝から気分が悪い。
大人げないと言われればそれまでだが、私だって親の前に人間だ。しかも、けっこう気弱な人間だ。
子どもの性格を考えると、これからもたぶん、同じような、むしろもっと盛大な衝突が頻繁に起こるだろうことは、容易に想像のつくことだが、気弱な人間なりに正面からぶつかっていくしかないと思う。
だって、とてもじゃないけど、ちりめんじゃこを食卓から追放することなんて、私にはできないのだから。
家族旅行の時は、いつも旅のしおりを作っているのですが、こないだの八丈島旅行は直前に色々と立て込んでしまい、作成する時間がありませんでした。
今から作ろうかどうしようか。迷っています。
8月18日(木)
昨晩もまた、子どもとひと悶着あり。
こうも毎日、子どもと衝突していると、自分が一番なりたくなかった偏屈で口煩い親になってしまった感じがして、本当に嫌になる。
毎日が試練だ。
さて気を取り直して。
ずっとぐらぐらしていた子どもの上の前歯が、昨日ようやく抜けた。上の前歯のない子どもって、いたずらっ子ぽいのだけど、どこか間抜けな感じなのでけっこう好きだ。
歯抜けの子どもの微笑ましさが、私の心の狭さを少しでも広げ、穏やかに、柔らかに、和やかに、余裕を与えてくれると助かるのだが。
ここのところ、毎朝のお弁当作りにマンネリを感じているので、何かちょっと新たな挑戦を試みたいと思うのだけど、麺類はやっぱり難しいですよね。
8月23日(火)
第一弾の夏休み八丈島旅行に引き続き、第二弾の夏休み白馬旅行から、昨日の夕方、家族全員無事に帰宅した。
実のところ、まだ夏休みの休暇に余りがあるのだが、流石に第三弾の旅行計画はない。国内とはいえ夏休みに二度の旅行なんて、今年はちょっと贅沢しすぎたかもしれない。
うむ。
ところで、旅先から帰ってくると「やっぱり我が家が一番」なんて、ちょっとホッとする気持ちが無いこともないのだが、それよりもまず、人工物で隙間なく覆われた東京という都市の、あまりに異常な生活環境に、毎度のこと愕然とさせられる。
いくら楽しかったとはいえ、旅からは、もう少しホッとできる場所に帰ってきたいものだ。
就学して初めての子どもの夏休みも、なんとか無事に終わりそうですが、身の回りでも感染の話がまだまだ絶えません。
なかなか。
8月24日(水)
やっと席についたはいいけれど、ああでもないこうでもないと、料理に対して散々文句を言うばかりで、まったく箸を進めようともせず、そのうちに遊びはじめてしまうのが、ここのところの子どもの食事風景である。
まったく。
しかも、家ではこの状態なのに、外ではしっかりきっちり食べているというのだから、始末が悪い。とどのつまりは、子どもが内弁慶だということではあるのだが、食事の支度や片付けをする身としては、毎回この態度で挑まれるとたまったもんではない。
まったく。
まあ、我が家の食卓は今、子どもの成長と親の期待の乖離の狭間に落ち込んでいる時期なのだと考えようと思いつつも、頭を抱える毎日だ。
夏休みの宿題で、朝顔の観察日記の残り一枚がなかなか終わりません。夏休みの宿題に限ったことではありませんが、宿題は子どもが一人で貫徹できるものにしてもらいたいです。本当に。
8月25日(木)
昨晩のうちに、なんとか朝顔の観察日記を書き終えることができたので、滑り込みセーフで夏休みの宿題を明日の登校日に間に合わせることができた。
宿題提出は始業式の日ではないのだ。
ちなみに、私の初めての夏休みの宿題の記憶は小学校4年生の時で、やはり4年生にもなると夏休みの宿題が出るのだなと、ちょっと感動したことを覚えている。
ちなみに、夏休みの宿題の有無は担任の先生に一任されていたのか、4年生でも隣のクラスは宿題が出ていなかったので、とても羨ましかったことを覚えている。
うむ。
まあしかし、子どもには、この夏休みの宿題を通して「宿題をやらない」という選択や決断や姿勢や態度があるということを、ゆくゆくは学んでいってもらいたいものだ。むしろそうした事の方が、これからの時代、重要になってくるかもしれない。
まあこれで、夏休みの一番の足枷から開放されたわけだ。残すところ僅かだが、自由と放埒の時間を存分に楽しんでもらいたいと思う。
8月26日(金)
今日は学校の登校日だったが、昨晩うちから色々と悶着し、今朝もどうにかこうにか妻の付添で登校していったそうだが、教室には入らずに二時間近く頑張り、それでも夏休みの宿題は提出し、二学期のプリントを受け取って帰ってきたそうだ。
学童クラブには行かないと言っているそうなので、午後は妻とバトンタッチする。
このぶんだと私の余っている夏休暇は、二学期の助走のために消化されそうだが、心の何処かでは薄々覚悟を決めていたことなので、これはまあいいとして、とにかく無事に、二学期に向かって離陸してくれる事を祈るばかりである。
二学期がはじまる前に、慣らし登校をしてくれるそうなので、ここでなんとか軌道に乗ってくれればいいのですが、まあ何れにせよ変な期待は禁物ですね。
8月27日(土)
土曜日出勤中。
9月から土曜日の工場稼働を完全に休止するという会社からの提案によって、自ずと私の不定期な土曜日出勤も無くなる予定だったのだが、稼働休止に向けての具体的な行程など、その後の報告がぜんぜん無いなと思っていたら、稼働停止を1月に延期すると先週言われた。しかも、稼働休止にあたって、一日の就業時間を30分延長すると言いはじめているそうだ。
いや遅えし。そもそも聞いてねえし。
ちょっと言葉が汚くなってしまったが、まあそんな、怒りの土曜日出勤である。
昨晩は妻が不在だったので、子どもと焼肉を食べに行ったのですが、子ども一人でカルビ二皿にハラミ一皿を中盛白米とともにペロリと平らげてしまいました。
ちなみに、学校は思ってたより怖くなかったから大丈夫かも、とおっしゃっていました。
8月29日(月)
この夏休みは、週毎に妻と持ち回りで子どものお弁当づくりに励んできたが、今週の私の当番でひとまず終了。
慣れない作業に最初は戸惑ったものの、当番制にしたことでストレスも溜まらず、比較的楽しく取り組めたように思う。
あと、冷凍調理品の絶大なる恩恵には、最大限あやからさせてもらった。これはもう、本当に絶対に確実にあやからないと無理。
というわけで、今後しばらくは、また給食の恩恵にあやかるわけだが、それよりなにより、子どもが登校してくれるか否かが最重要事項ではあるのだが。
夏が終わる。
昨日、近所の神社で蝉の抜け殻を集めていたら、子どもがブランコから落ちて泥だらけで泣いていました。大事ありませんでしたが、目を離していた隙の出来事だったので、肝を冷やしました。
子どもが産まれてこの方、寿命が縮みっぱなしです。本当に。
8月30日(火)
涼しくて過ごしやすい日が続いているが、ぶり返しもあるようなので、まだまだ油断ならない。謎の動きをみせる台風11号も、なかなか不気味な存在だし、不確定要素の多い新学期についても懸念している。
しかし、それよりなによりも、今朝、冷蔵庫の脇でひっくり返っていた瀕死の状態のGである。
うむ。
早朝だったので、家族には告げず、内密かつ適切に処理したが、我が家では、私がかなり気を遣って掃除や片付けをしているため、家の中での繁殖または生育の可能性は低いと思われるのだが、なんとも言えない。
駆除剤なども設置していないため、外部でなんらかの駆除剤を摂取したGが我が家に侵入し、昏倒していたところを、私の手によって丁重に屠られたわけではあるのだが、色々と不安や疑問が残るばかり。
うむ。
嫌な予感だらけの今日此の頃だ。
白馬で虻に噛まれてしまいましたが、帰ってきてからもなんの症状もなく、これならもう大丈夫だと思って過ごしていたら、一昨日ぐらいから猛烈な痒みに襲われています。
とにかく痒い。
8月31日(水)
夏休みの学校登校日に、子どもが教室への入室を頑なに拒んだこともあり、新学期がはじまる前の心の準備の一環として、今朝、担任の先生が子どものために短時間の個人授業をひらいてくれたのだが、子どもがどうしても一人では行きたくないと言うので、時間休を取って付き添った。
「行きたくない」というネガティブな発言に、こちらも心配しながら付き添ったが、学校に向かうまでは特に問題なく、校門前で若干たじろいだものの、教室では先生と夏休みの出来事や旅行のことを話したり、新学期の時間割や持ち物の確認などをしたあとに、不安なことや心配なことをひとつひとつ解きほぐしながら、明日からの登校を先生と約束して教室から出てきた。
私は教室の後ろの方から、存在を消すようにして遠巻きに授業の様子を眺めていたが、子どもの様子は穏健かつ明朗で、登校そのものを拒んでいた入学当初の頑なさや激しさはまったく見受けられなかった。おそらく今回は、あの頃とはまた違った心境による、また別の躓きなのかもしれない。
この様子なら、明日からの新学期の登校はたぶん大丈夫そうな気はするのだが、正直なところ、明日になってみないと分からない部分も大きい。
とは言え、おそらく今夜、明日の持ち物準備をする時の子どもの様子で、大体の方向性は見えてくるとは思うのだが、それにしても、子どもは私のことを、いつもドキドキワクワクさせてくれる。
うむ。
今夜は子どもと二人きりなので、夏休みの最後に何か美味しいものでも食べに行こうと思っています。