2022年 12月
12月1日(木)

いよいよ12月。今年ももう終わりだ。

というわけで、妻と子どもが毎年恒例のアドベントカレンダーやクリスマスツリーの準備をしている姿をそれとなく眺めながら、去年はまだ保育園に通っていたんだよなという当たり前の事実に思い至り、なぜか一人で愕然となってしまったのだった。

いよいよ12月。今年ももう終わりだ。

父の出番は減少気味だ。




一日30分、いや15分でもいいので、ちょっと買い物ができるぐらいのちょっとした自由な時間があると、QOLがだいぶ向上すると思うのですが、まだ夢のまた夢のようです。

12月2日(金)

昨日、妻がパスケースを失くして帰ってきた。

私とは違い、どちらかというと、しっかり者としての定評高い妻が、こうした失敗をすることは珍しく、本人も動揺を隠せず、意気消沈していた。

少しでも元気を出してもらおうと、何度か財布を失くしたけれど、その都度無事に戻ってきた私の経験を伝えていたところに、妻にメールが届いた。失くしたパスケースに入れていたカードへの不正アクセスを伝える内容だった。

なんとも。

ちょっとした希望すら持てない時代になっちまった。




「諦めたらそこで全部終わりだよ!」と子どもなりに妻を励ましていましたが、最も酷で身も蓋もない励ましの言葉に、流石の妻も苦笑いしながら、しっかり励まされていたようです。

12月5日(月)

出張のためしばらく妻が不在にしているが、妻の出張で父子だけで過ごすことはこれまでも何度かあったし、これからもあるだろう。たぶんその逆は、私が今の職場にいる限り無いだろう。

今ではすっかり慣れっこになってしまった父子生活だが、何かあった時には確実に私が動けるようにしなければ、という強迫観念というか緊張感をどこかで持っていなければならないので、今だにそれだけは慣れることができない。苦手だ。あと単純に言って、妻の不在はとても寂しい。

まあ、そんなわけなので、今日は寒いし早く帰ろう。今晩の夕食は週末に作ったおでんのリサイクル。SDGs。父子生活には手抜きも大切。今夜はだいぶ味が染みていることだろう。




昨日は2時間半の邦画実写映画を、子どもと一緒に見てきました。子ども向けアニメ以外の映画鑑賞は初めてでした。

上映途中、父はトイレに2度立ちましたが、子どもは一度も席を立つこと無く、時々、物語に大声でツッコミを入れたり、大笑いしたり、私に疑問をぶつけてきたりしつつ、集中して物語の世界に没頭していました。

我が子ながら、なかなかあけっぴろげな良い映画鑑賞スタイルです。

12月6日(火)

昨晩、夜遅くに妻が出張から無事帰宅した。

うむ。

さて、今回の妻不在の父子生活では、なんだか妙に父が手持ち無沙汰だなと感じる事が多かったのだが、それもそのはず、ここ最近、子どもが自ら進んで本を読むようになったことで、直接絡む時間が日常的にも大幅に減っていたのである。

うむ。

もちろん本を読むと言っても、まだ図録や図鑑のようなものばかりだが、本から知識を吸収できるようになればもう安泰だ。そのまま邁進してくれ。本ならいくらでも買ってやる。父はもう思い残すことはない。

うむ。




昔はそんな事なかったのですが、最近、子どもが廊下や階段を極度に怖がり、一人で行き来できないという事態に陥っていて、それはそれでかなり厄介です。

なにか変な本でも読んだのでしょうか?

12月7日(水)

クリスマスプレゼントのリクエストを書いた子どもの手紙が、先月からずっとリビングの壁にピンでとめられっぱなしになっていた。

不思議なことに、その手紙が昨晩のうちに無くなって、替わりにクリスマスリースが掛かっていたのである。

うむ。

どうやら、やっとサンタクロースが取りに来たようだ。

私はカトリックでもないし、むしろカルトとだろうがなんだろうが、宗教全般に否定的なので、クリスマスのような宗教行事にもサンタクロースにもまったく関心無いが、安堵と嬉しさと期待が入り混じったような子どもの笑顔には大いに関心がある。

Ho-Ho-Ho!




妻の出張中に煮豚を作っておいたのと、妻が出張先で色んな漬物を買ってきてくれたので、しばらく弁当のおかずには困らない。毎日、魯肉飯弁当。

5日目に突入しているおでんだが、どんどん変わり種が増殖している気がするのは気のせいか。流石に今晩でケリをつけたいところだが。如何に。

12月8日(木)

このホームページを開設してから今日で21年になる。

21年前のウェブトレンドは「テキストサイト」と呼ばれる単純なHTMLで記述されたタグ打ち個人ページが注目を集め、あちらこちらで竹の子のように個人ページが開設されはじめていた頃だった。

このページもその流行にのっかって作った他愛無いサイトだったが、あれから長い時を経て、今も継続されている個人ページは、私が知る範囲でも数えるほどしかない。たとえ残っていたとしても、更新が長らく滞っている廃墟のようなサイトになってしまっている。

時代は変わったのだ。

それもそのはず、このホームページを開設したのは私が21歳の頃で今はもう42歳だ。人生の半分をこのホームページと共にしていることになる。

うむ。

まあしかし、21年にしてようやく更新頻度も内容も安定し、タグ打ちのキレも勢いも増すばかり。今後もガシガシ更新していきたいと思っている。

そんなわけなので、皆々さまにおかれましても、今後ともこのページを宜しくお願いしたい。




昔から実年齢よりも若く見られがちですが、42歳を過ごしたこの一年は、外見も内面も一気に老け込んだ気がする一年でした。

なんでだろう?

12月9日(金)

12月に入ってようやく冬らしい気候になり、毎日、身に沁みるような寒さが続いているが、昨日、防寒ばっちりの装いで登校していったはずの子どもが、なぜかTシャツ半ズボンの姿で帰ってきた。

見ているだけでも身震いしそうな父をよそに、子どもはとくに寒がる様子もみせず、普段以上に元気にしていた。

冷えからくる神経痛のようなものも苛まれるようになり、冬の寒さがよりこたえる年齢となった父としては、薄着でもケロッとしていられる子どもの姿は羨ましい限りなのだが、なぜ子どもがTシャツ半ズボンの姿なのかは、よく分からなかった。

まあとにかく、元気なら良いか。




学童クラブに置いている、何かあった時のための着替えの服が、夏服のままだったというのが事の顛末だったようです。

お茶を全身にぶちまけたそうです。

12月10日(土)

今日は土曜日なのに、子どもは登校で私は出勤。

土曜日が休みじゃないなんて、まるで昭和の生活にタイムスリップしたような感じだが、私は半ドンでは帰れないので、昭和よりもちょっと酷い。

うむ。

まあ、私の方は、まがりなりにも繁忙期なので仕方ないが、あんまりやる気が出ない。




最近、髪の毛にインナーかポイントでカラーを入れたいなと思い、色々調べているのですが、メンズのヘアカラーカタログを見ても、あまり魅力的なスタイルがなく、ましてや、私の年齢ぐらいの事例は皆無なので、少し心が折れてきました。

12月12日(月)

いよいよ今週から、会社全体が繁忙期本番という機運で殺気立ってきている。

ただ、繁忙期とは言え、どちらかというと私の職場は、全体から見ると序盤の工程に位置するため、まだまだ融通が利く状況だ。

その一方、終盤の工程に近い校閲や製版、印刷工場や発送の現場は日を追うごとに分刻みの過酷な工程となる。

職場によっても繁忙具合に格差があるのだ。

そのため、年内の自分の仕事を片付けた者から、終盤工程の現場に応援に駆けつけるという繁忙期の慣例があり、私のような怠慢社員ですら勇んで応援に向かったものだが、ここのところ、そうした応援もだいぶ少なくなっている。

まあしかし、このご時世に忙しくて大変だと少しでも悲鳴をあげられること自体が、ありがたいことなのかもしれないな。

とりあえず今はサボっておこう。




先週末にあった月に一度の子どもの土曜日授業は、基本的に三時間授業なのですが、子どもが補習に引っかかってしまい、4時間目まで授業になってしまったそうです。なかなか大変だなと思いつつも、よくよく聞いてみると、クラスの半分以上が補習に引っかかっているというので、それって普段の授業に何か問題があるのでは? と不遜な父は訝しんでしまいました。

ちなみに、補習で行なった算数のテストが合格点に至らず、再テストになってしまったというので、内容を見せてもらうと、40問のうちの2問を間違えてしまっていて、点数にすると95点なのですが、これでは駄目なのでしょうか !? 頭がクラクラしてきます。

12月13日(火)

昨日は妻の帰宅が遅くなるかもしれないということだったので、夕飯は手軽に作れる三色丼にでもしようかと思っていたら、やっぱり妻が早く帰れることになり、夕飯に何か惣菜でも買って帰ると言うので、そぼろにしようと思っていた挽き肉を、子どもと一緒にハンバーグのタネに作り変え、今夜の夕食用に寝かせることにした。

子どもは土曜日の補習の再テストで、昨日は居残り補習があったそうだが、テスト結果は40問中1問を間違いてしまい、また再テストになってしまったそうだ。そのため、今日も居残り補習で再テスト(実際は「再々再々テスト」ということになる)を受けるそうだが、流石にこれ以上の補習の繰り返しは、悪影響を及ぼす気がするので、ちょっと心配だ。なんとか頑張ってもらいたい。

今夜は家族で楽しくハンバーグを食べたい。




私は昨日打ったインフルエンザの予防接種の痕が猛烈に痒く、悶絶しています。

あと、どなたか新五百円玉が使える自販機を教えてください。

12月14日(水)

最早、嫌がらせではないかと思われるような算数の再々再々試験を、全問正解で見事に合格し、意気揚々と帰ってきた子どもである。

まだ合格できていないクラスメイトが、まだ何人かいるようなので、それはそれで心配だが、受験対策の勉強ではないのだから、もっとなにか別の方法はないのだろうかとも考えてしまう。

まあとにかく、これでしばらくは心穏やかに過ごせるかと思っていたら、「花のキャラクターづくり」なる宿題に取り組んでいた子どもが突然爆発し、その爆発からあまりにも理不尽な火の粉が飛んできたため、私も爆発。

このまま二人で同じ場にいると鎮火不能だと思われたので、頭を冷やす意味で買い物に出掛けるも、なかなか私の怒りは収まらず、思わず道端で「村上隆じゃねえんだからよ!」と叫んでしまうのだった。

誤解しないで貰いたいのだが、まず私はなによりも、丁寧で慎ましく、穏やかで緩やかな暮らしを希求するものである。




このところ、子どもの学校での感染者が日を追うごとに増えていて、かなり気がかりですが、感染そのものよりも学校や学童を休むことで生じる影響や対応への懸念の方が大きいです。

12月15日(木)

朝、なかなか布団から出てこない子どもが、着替えの洋服を用意してくれたら布団から出て自分で着替えると言うので、こちらも妥協して洋服を出してやったら、布団の中から私の出した洋服を眺めて、そのズボンはテロテロして寒いから嫌だと言った。

もう勝手にしてくれと子どもを寝室に置き去りに、さっさと朝食の準備をして先に食べていると、子どもが上半身裸でノコノコとやって来たので、シャツを着てくるよう注意しようとしたら、背中に保湿クリームを塗って欲しいから裸で来たのだと言い訳じみたことを言う。

この距離の詰め方は、最近、子どもが仲直りのために身に着けた処世術のひとつだが、いずれにせよ、色んな場面において、あまり脈絡を感じないような理不尽に思えることにも、実は子どもなりのしっかりとした文脈を持っていて、イライラしつつもズコー! となることばかりである。

ズコー!




今週も残すところ一日ですが、来週さえ乗り切れば。来週さえ。

12月16日(金)

愛用のズボン下に穴が空いてしまった。生地も薄くなり伸縮性も落ちていたので、そろそろ限界かなとは思いつつ、手放す決断がなかなかできなかったので、これでようやく踏ん切りがついた。

今までありがとう。

ズボン下はおろか薄手のジャンバー枚で、冬の都心をバイクでビュンビュカ走り回っていた十代の頃を考えると、ズボン下に一喜一憂しているなんて、ちょっと不思議な気持ちになる。

ちなみに、昔、何気なくヴィレッジヴァンガードで買ったタイツは、10年ほど愛用しているのにまったくヘタれること無く、今だにしっかり現役なのだが、昔はファッションとして着ていたのに今は防寒一筋だ。

来週はいよいよ冬至だし、子どもの冬休みも始まる。




昨日、子どもの学校の保護者会があり、今回は妻に参加してもらったのですが、そのせいで男親の参加者が一人もいなくなってしまったようです。

やはり私が参加しないと駄目だな。

12月17日(土)

前にも書いたが、12月は私の仕事の繁忙期で毎年のことながら忙しいのだが、今年は妻の仕事の忙しさも重なってしまい、なかなかどうして、師走である。

私の方は繁忙期だからこそ、仕事の工程はわりかしカチッと決まっているし、子どもが産まれてからは、仕事内容もルーチン業務とオペレーション業務に特化させてもらっているので、変則的な対応も少なく、繁忙期とはいえ定時終業は支障なく確保できており、家庭に仕事が侵食してくることはまずない。

そんな訳なので、12月に入ってからは、自ずと私が帰宅後の家事を担当することが多いのだが、これが去年だったらまだしも、最近は子どももしっかりしたもので、私が家事をしている最中は、自分の世界に没頭したり、進んで宿題をしたり、時には手伝いを申し出てくれたりもするので、だいぶ気楽に家事に専念できている。

妻はそのことを知らずに、いつもヤキモキしている様子なので、あまり焦らず、落ち着いて、しっかり仕事を処理してきてもらいたいと思う。こちらは大丈夫だ。

以上、家庭内連絡でした。




図書館が二週間休館で、一昨日ようやく開館しました。危うく活字切れに陥るところでしたが、予約していた書籍が五冊届いているようなので、早速、借りに走りたいと思います。

ちなみに最近は、詩作への造詣も深めていきたい今日此の頃です。

12月19日(月)

週末は、お出掛けやら大掃除やら子どもの誕生会やらで、てんてこ舞いでいたら、友人からの忘年会の誘いをすっかり見落としてしまっていた。

とほほほ。

とはいえ、この忙しい週末に、忘年会にまで参加していたら、おそらく今日の私の疲れはこんなものではすまなかっただろうとも思うので、友人には悪いが、忘年会の誘いは見落とすべくして見落としたのだろう。

うむ。

というわけで、子どもが七歳になった。長かったようにも思うが、あと三年もすれば十歳なのかと考えると、なんだか不思議な気分だ。




大掃除に没頭していると、時々加減がわからなくなる瞬間があり、この部屋の壁は塗り替えたほうがいいな、などと、とんでもない方向へ発想が飛んでいってしまうことがあります。

そういう時は、あくまでも掃除なのだと自分に言い聞かせるようにしています。

12月20日(火)

保育園の頃は、よく一日の出来事を話してくれていた子どもが、就学早々はそうした話題が激減し、我々もかなり心配したものだった。

今は帰ってくるなり、○○ちゃんと悪戯をしたとか、○○ちゃんと諍いがあったとか、○○ちゃんと秘密の約束をしたとか、○○先生は国語に厳しいとか、以前にも増して色々と話してくれて、ちょっと五月蠅いぐらいだ。

でも、あと数年もしたらこちらから訊ねても話してくれなくなると思うので、ちょっと五月蝿くてもどんどん聞いてやろう。

子どもの話を聞きに、早く帰ろう。そうしよう。




午前中の職場があまりにも寒いので、設定温度を少し高めにエアコンを動かしているのですが、勝手に運転を消す輩がいます。

逆に午後は暑いくらいなので、エアコンを停止するのですが、勝手に運転する輩がいます。

逆恨みの犯行として捜査を進めています。

12月21日(水)

今朝は30分も寝坊してしまった。

夜遅かったわけでもないし、眠れなかったわけでもないし、もしかしたら、繁忙期の疲れが知らず知らずのうちに溜まってしまっているのかもしれない。

うむ。

子どもの方は、学校の終業式が近づいていて、だんだん授業が少なくなっているようだ。今日も授業の半分はお楽しみ会で、子どもの7歳のお祝いもやってくれるそうだ。子どもに良かったねと声を掛けたら、少しうざったそうにして、照れを隠していた。

子どもも授業が少なくなって気が楽なようだが、親としても宿題が少ないのでありがたい。

いよいよ年末か。




基本的に私がマスクをするのは施設内や電車内ぐらいのものなのですが、そうした場でもマスクをしていない人を、ここのところけっこうよく見かけるようになりました。

この8波が終息する頃には、このマスクも終わりになると良いのですが。

12月22日(木)

昨晩、子どもが率先して宿題に取り組みはじめたところまでは良かったのだが、途中から雲行きが怪しくなり、最終的には大爆発してしまった。

過去の数々の経験を踏まえ、子どもの訴えには耳を傾けつつも、なるべく近づかないようにして、まず私が貰い爆発しないよう気をつけながら、距離を取りつつ気長に待っていたら、しばらくして、なんとなく子どもが落ち着きを取り戻してきたので、ひとまず夕食をとることにした。

夕食後、私が後片付けをはじめると、再び子どもが机に向かいはじめたので、さて、どうなることかと気取られないように気を揉んでいたのだが、私の心配を他所に、今度は落ち着いて集中している様子だった。

うむ。

子どもの学校の年内授業は今週で終わる。冬休みの宿題は思ったより少なかったので、私の肩の荷も少しだけ下りた。お正月ぐらいはのんびりしたいもの。




学校にホッカイロを持っていってはいけないようなのですが、子どもが学童で使いたいと言うので、こっそり持たせている。

自由に逸脱できる、朗らかな横柄さを、早く身に付けて貰いたい。

12月23日(金)

仕事や家事に忙殺されている毎日だが、その内実はけっこう単調なことが多いため、心理的な刺激はあまり強くなく、子どもの成長が唯一にして最大の刺激となっている今日此の頃だ。

だが、そんな無感動気味な日々を送る私にも、まるで目の前の価値観が揺らぐような、まるで目の前に新世界が拓けるような、刺激ある瞬間が年に一度ぐらいはある。

まさに昨晩は、そんな貴重な一夜だったと思うのだが、その一方で、あまりの刺激に疲労困憊していることに感慨を深めてもいる。

子どもを見ていると、毎日が刺激の連続で、常に一喜一憂しているが、体力的にも精神的にも、もう私にはあんなことはできないし、逆に言えば、刺激からの自衛としての鈍感力に、どんどん磨きがかかっている。




明日も仕事なのだが、果たして俺は、今年の年末を無事に乗り越えられるのだろうか。

12月24日(土)

子どもが骨折した。

昨日の帰宅途中、学童クラブから着信があったので折り返したところ、子どもが遊んでいる際に足を捻ってしまい、歩行に少し困難があるので、迎えに来て欲しいという内容だった。

学童クラブに出向き、職員の方から怪我の経緯や状況の説明を受けていると、子どもが足を引きずって出てきた。受け答えはしっかりしたもので、思ったより元気な様子に少し安心したが、患部の腫れは素人の私でも、いやこれはマズいのでは? と感じたので、そのまま病院へ向かった。

診断結果は「外果剥離骨折」

本人はこんな大事になるとは思っていなかったらしく、最初は病院なんか行かない!と大騒ぎをしていたが、ギブスを巻かれた自分の足を眺める表情はまんざらでもない様子で、目下、悲劇のヒロインを熱演しているところだ。

というわけで、皆さんメリークリスマス。




自身の人生の刺激の少なさに対する昨日の嘆きは、ただの勘違いでしたね。

12月26日(月)

「みんなにギブスを自慢する」と言って、今朝、意気揚々と子どもが学童クラブに出向いていった。

骨折箇所の腫れはだいぶ引いてきたものの、皮膚が紫色に変色して、見た目はかなり痛々しい印象だが、痛みは収まってきているのか、今朝も階段をジャンプながら下りているので、父の肝は冷えっぱなしだ。

いよいよ今年も残すところ一週間だが、子どもを育てている限り、年末年始をのんびり過ごすことなど望むべくもないのだなと、育児7年目にしてようやく腹をくくるのだった。




隣家の給湯機が壊れてしまい、急遽、交換工事の依頼をしたのですが、幸いにも在庫があったので年内に工事が間に合いましたが、我が家の給湯機は隣家より一年古いものなので、戦々恐々としながら在庫と見積もりの返事を待っているところです。

品薄と大雪と年末年始という3つの困難が重なっているため、なかなかどうして。頼むから交換するまでは壊れないでくれ。

12月27日(火)

今月のカードの支払がとんでもないことになってる。

うむ、年末だ。

さて今日は、子どもの骨折の年内最後の通院で、妻が連れて行ってくれたのだが、経過は順調ながら、やはり1月7日まではギブスは外せないそうだ。

正月も足枷付きか。

私の方は年内の仕事もだいぶ落ち着き、現場応援にでも駆けつけようと思ったのだが、現場の方も人手は足りているようで、残念ながら断られてしまった。となると、私の年内の仕事は、残すところやりかけの大掃除と年末年始の買い出しぐらいのものか。

うむ、年末だ。




43回目の誕生日という、私の大きな年末イベントが残っていました。

12月28日(水)

15分の朝寝坊からはじまり、洗濯洗剤の詰め替え失敗、弁当食材の探索、調理手順の不手際、食材量の見積もり違い、食材の使い切りで発生した洗い物や廃棄物の増加などなど、さまざまな失敗や準備不足が重なり、朝の貴重な時間の損失が雪だるま式に膨らんでいってしまった。

ところが、仕事納めなのに遅刻しそうだと焦る私を他所に、子どもはいつもと変わらず通常運転で、居間に来るなりごろごろしながら図鑑を熱心に眺めている。

そんな子どもの姿を見ていたら、それまでの焦る気持ちは何処かへ吹き飛んで、まあ遅刻ぐらいと思い直し、アルメニアのハーブティーを淹れ、ちょっと休息をとることにした。

持ちつ持たれつと言うよりは、今年も最後まで持たれっぱなしの父である。




昨日、ヘッドホンのケーブルが断線してしまい、仕方ないので、夏休み旅行の飛行機で貰ったペラペラのイヤホンで音楽を聴いているのですが、古いラジオから流れてくる懐かしい楽曲のような、そんな情緒を感じる音がします。

我が家の給湯機の交換は年をまたいで持ち越しとなりました。交換するまでいい子にしていておくれよ

12月29日(木)

私の43回目の誕生日である。

せっかくの誕生日なので家事の類は何もしないことにした。

そこで、朝食は田園調布のカフェでゆったりモーニングを、昼食は近所の馴染みの店でがっつり釜飯のランチを、夕食は奮発してじゅうじゅう焼肉ディナーという計画で、食事の合間に大掃除の総仕上げをしてしまおうという算段だ。

掃除以外にも、細かな補修作業や廃棄処分にも手をつけたかったが、その辺りは年を跨いでしまってもやむ無しという感じで、まあ、上出来なのではないだろうか。

ちなみに妻は今日まで仕事のため、子どもと二人きりの誕生日なのだが、今日は特別に私のわがままを聞いてくれるそうだ。

うむ。




そういえば、内親王殿下も今日が誕生日なのだそうだが、彼女も誕生日ぐらいはわがままを許されるのだろうか?

12月30日(金)

正月準備真っ只中である。

子どもの骨折から一週間。おかげさまで経過は良好だが、体を動かして遊べない事が、知らず知らずのうちに、不満や鬱憤として蓄積している気がする。

おまけに、なんとなくみんな寝不足で、妻は正月の買い出しで目当てのものが手に入らず、私も家の補修道具が手に入らず、どれも他愛無いことなのだが、なんとなくうまくいかない感じの年末の我が家である。

うむ。

昼寝でもすっか。




不満と鬱憤の蓄積が、トイレの後に手を洗わないという形で現れているようだ。

12月31日(土)

大晦日の夜にすき焼きをする家庭が意外と多いと、さっきラジオで言っていた。

材料も手に入れやすいし、支度も片付けも楽だし、それなりに見栄えもする。そんなところが、年末最後の食事として重宝される理由なのかもしれない。

我が家は普通に蕎麦の夕飯を予定しているが、蕎麦だけだと少し寂しいので、天ぷらか寿司か刺身か、何か見栄えのしそうな出来合いのものを買いに行こうと思っている。

何もしたくないけれど年の最後の食事だから、せっかくなら何か良いものを食べたいなぁと、みんな考えることは同じだな。

良いお年を。




我が家で埃をかぶっていたNintendo DSがあったので、中古ソフトのポケットモンスター パールを買ってやったところ、四苦八苦しながら一生懸命取り組んでいます。

骨折が治るまでは外で遊ぶこともままならないので、ゲームの中だけでも冒険を楽しんでくれ。