2023年 1月
1月1日(日)

謹んで新春のお慶びを申し上げます



昨年は、このウェブサイトも設立20年という大きな節目を乗り越え、無事に21年を迎える事ができました。

定期連載の記事は、平日更新のDiary(真平の日誌)と毎月更新のJournal(真平の新聞)、そして、不定期(月二回努力目標)更新のAqua(真平の水景)と三本立てで、内容も充実してきていますが、本年こそは、しばらく滞っているLogue(真平の独白)の定期更新を軌道に乗せたいと思っております。

加えて、今年はどこかで皆様と直接お会いできる、オフラインでの活動や企画なども実現できれば良いなと、淡く仄かな目論見を立てております。

というわけで、誠に勝手ながら個人目標を掲げさせて頂きましたが、今年も真平の真平による真平のためのウェブサイトを夜露死苦お願い申し上げます。


「真」の「平」和を希求する 真平より

1月2日(月)

元日はお節にお屠蘇に年賀状、初詣に行ったり実家に行ったりして、実に正月らしく過ごしたのだが、二日目にして既に手持ち無沙汰な正月である。

ただ、昨日の実家でたまたま見たアニメ「美味しんぼ」になぜか子どもがハマってしまい、今日も朝から大人気ない人間関係の絡れや馬鹿馬鹿しい親子喧嘩の顛末に一喜一憂しながら「美味しんぼ」でダラダラ三昧の我が家である。

まあしかし、この感じこそが、実に理想的な正月本来のあり方なのかもしれない。

明日は買い物にでも出掛けよう。そうしよう。




昨晩、お風呂に入る時に子どものギブスを外したら、ギブスから哀愁ある香りが仄かに漂ってきました。

ギブスが外れるまであと5日。もう少しの辛抱だ。

1月3日(火)

三が日最終日。

子どもの骨折のおかげ、と言うと語弊があるかもしれないが、正月三が日は家族揃ってだらだらゆるゆるのびのび過ごしており、今のところ目立った衝突や爆発も奇跡的に起きていない。

もう少しのんびりしていたいので、昼食は近所にできたビリヤニ専門店にでも行こうかと思っているのだが、今日は獅子舞が町内を回ることになっていて、子どもは絶対に外に出ないと言って頑張っている。

いやはや、平和だ。




明日は少しだけ出掛ける予定があるけれど、まあ、総じて家族で家に引きこもる理想的な正月休みです。

1月4日(水)

昨晩、妻子の間で衝突が発生し、最終的にお互いが爆発する事態に発展してしまった。

発端は実に些細な事ではあるが、親子とはいえ、年末年始の一週間近くを付かず離れず一緒にいれば、何も起こらない方が変なのだ。むしろ、この程度で済んで良かったのである。

さて、我が家はそろそろ正月気分から離脱し、明日より現実世界の過酷な通常運転へと戻らねばならないが、その前に、横浜中華街でしっかりどっしりたっぷり食べて、正月の食べ納めをして帰って来たところである。

特に、紅棉の椰子達(ココナッツタルト)と頂好食品の椰香糯米糍(ココナッツ団子)はいつもながら絶品で、お土産まで買ってきてしまった。

うむ。

しかし、こうも正月を名残惜しく思うのも久しぶりのことだ。




昨晩、ベッドで子どもが「入学式のあとに学校いっぱい休んじゃったこと思い出しちゃって、また学校行くのが怖くなっちゃった。年越しそばを食べれば嫌なことを全部忘れちゃうと思ってたのに」と呟いていたので、どうしたものかと考えていたら、いつのまにかお互い寝ていました。

1月5日(木)

今日から我が家は、三人三様に年始の活動を開始した。

自堕落で贅沢な正月休みは名残惜しくもあるけれど、実際のところ、家族三人が付かず離れず円満に一緒にいられるのは一週間ぐらいの正月休みぐらいが限度で、それ以上の長さだとお互いに息が詰まってしまうだろうし、休暇の長さに応じて社会復帰も辛くなる。

ちょうど良い長さなのだ。

うむ。

まあしかし、私の方は仕事始めとは言え、昨年末の繁忙期とは打って変わって、どちらかというと年始は閑散気味なので、ゆっくりじっくりマイペースに始動していきたいと思う。




というわけで、あらためまして、みなさん今年もよろしく遊んで下さいませませ。

1月6日(金)

長い正月休みが明けてすぐにまた三連休。

最高だ。

さて、今日は長期休みが明ける前に、学校で子どもだけの慣らし授業の予定があったのだが、担任の先生がお休みになってしまい、教室で別の先生とちょっと話をしてすぐに終わってしまったそうだ。

うむ。

先日のこと(1月4日付[追記]参照)もあるので、慣らし授業が新学期の良い助走になればいいなと期待していたのだが、こんな結果になってしまって少し残念だし、逆に今回のことが裏目に出ないか心配してしまう。

うむ。

新学期を目前に控えて、もしかしたらこの三連休中のどこかで、子どもが不安定になることがあるかもしれない。そんな時は、なるべく暖かく優しく受け止めてやりたいと思うと同時に、なるべくお手柔らかにとも思ってしまう心配性な父である。

うむ。

ともかく、三連休は最高だ。




三年ほど前から、追記としてこの欄に色々と書いてきましたが、追記の持つケジメのつかない取り留めのない感じがとても好きです。

追記の追記みたいなのも更にグダグダでいいですね。

1月9日(月)

骨折していた子どものギブスがようやく外れた。

これで明日からの新学は、満を持して迎えられるだろうと思ったのだが、この三連休、夜の寝際になると学校怖いとか学校嫌だといった弱音が出始めており、新年新学期の滑り出しの行方はまだまだ予断を許さぬ状況だ。

さらに言えば、この調子を鑑みると新年度進級時もそれなりに覚悟しておくべきなのかもしれないとも感じる。

有休はできる限り保持しておこう。そうしよう。




正月の自堕落三昧が祟り、この三連休も自堕落に過ごしてしまいました。

正月は人を駄目にする行事です。

1月10日(火)

昨晩や今朝の感じでは、特に消極的な発言や問題ある行動は無かったので、このまま普通に登校できるかなと思っていたのだが、家を出る直前になって「始業式だけど授業もあるからお道具箱がいるはず。でもわからないから友達に聞いてから…」と、ごにょごにょ始まったので、妻が学校まで付き添って行ったそうだ。

うむ。

やっぱり出だしはちょっと不安になってしまうようだ。

うむ。

ただ、あらためて子どもの欠席状況を確認してみたところ、大揺れに揺れた4月でも3日、少し揺れた5月でも2日の欠席で、付き添い登校や付き添い授業は多々あるものの、それ以外の月は欠席ゼロだったのである。

うむ。

三学期も焦らず無理なく朗らかに過ごしていきたいものだ。




子どものクラスメイトや学童の先生に関西出身の人がいるらしく、昨晩、子どもが独学で出鱈目な関西弁の特訓をしていたのですが、京都に住んでいたことのある妻が、麦茶を飲んでいた子どもに突然京都弁で話しかけたところ、驚きのあまり飲んでいた麦茶を子どもが吹き出していました。

1月11日(水)

ちあきなおみのベストアルバム『ちあきなおみ 大全集』をmp3プレイヤーに取り込むついでに、プレイヤーのシステムのバージョンアップを行ったところ、インターフェイスはスタイリッシュな感じになたのだが、ボタン操作の挙動が出鱈目になってしまったうえに、プレイヤーが音楽ファイル自体を認識しなくなってしまい、その後、バージョンダウンしようが、初期化しようが、フォーマットしようが、どうにもこうにも改善せず、もうなにがなにやらという感じだ。

結局、ちあきなおみどころか、何も聴けないではないか。

うむ。

しかし、いつまでも目的に到達できないこの感じは、子どもの相手をしながら家事をこなしている時と相通じるものがあって、なかなかエキサイティングだ。




昨日、子どもが友達からお土産を貰って帰ってきた。お土産の包の中には手紙も入っていて、嬉しいような、照れくさいような、恥ずかしいような、なんとも言えない表情で、手紙に読み入っていた。

羨ましいな。

1月12日(木)

その日の気分や気候や気温に合わせて服装を選ぶように、時々の場面に合わせた音楽を聞くことが、育児に携わるようになってからの私の固定化され反復化された営みにおいて、日常生活を演出し盛り上げるための重要な要素になっているため、mp3プレイヤーが直らないことはけっこう手痛いことなのである。

うむ。

ただ、音楽に支えられなければ張り合いのない生活なんて、一見すると後ろ向きなエピソードのように感じるかもしれないが、音楽を一番良く聴いていた十代の頃よりも、今のほうがしっかり音楽に向き合っていることは確かで、そうした意味ではかなり充実している。

新しいプレイヤー買わないと駄目かな。駄目だろうな。




昨日、子どもが「も~い~くつ ね~る~と♪」と歌っていたので、ちょっと不謹慎な替え歌を教えてやったのですが、霊柩車ってもう死語になりつつありますね。

親指隠せ!

1月13日(金)

いつもより子どもの帰りが遅いので、様子を見に行こうと玄関を出たところで、ちょうど子どもが帰ってきた。

玄関の前でうつむいている子どもに、「遅かったね」と声をかけると、「喧嘩してた」と力なく返事をして、もたれかかるように抱きついてきたので、そのまま抱っこをしてやった。久しぶりの抱っこだったので、大きくなった子どもの重みに若干たじろいだが、なんとかそのまま抱きかかえて家の中へ連れて行ったところ、学童クラブの指導員の方から着信があった。

指導員の方が電話口で、帰りが遅くなってしまったことの謝意を慇懃に述べたあと、今回の喧嘩についての原因と顛末と今後の対応についての報告をしてくれた。内容としては、子ども同士によくありがちな仲違いの末、うっかり手が出てしまったことで喧嘩に発展してしまったようだ。まあ、その辺は特に心配することは無さそうだが、指導員の方が子どもたちの間に割って入って、円満な解決を図ろうとしている熱心さに、むしろ若干の懸念を抱くのだった。

まあ、自分にも大いに身に覚えのあることだが、集団生活における人間関係は一筋縄ではいかない部分が多い。そういう意味で、喧嘩という結果は清く正しく人間関係に揉まれている証拠でもあると思う。

今のうちに心ゆくまで衝突すればいい。むしろ衝突しない方がおかしいのだから。




とは言え、新学期が始まったことによるストレスも多少ならずあると思う。今夜は父子だけの夜なので、今の子どもの気持ちを上手く聞き出して、気分を楽にしてあげられたらいいのだけど、どうも父はそういうところが下手くそです。

1月14日(土)

昨日も子どもの帰りが遅かったので、心配して途中まで迎えに行くと、友だちと一緒に帰ってきているところだった。

出逢うなり、お腹空いたと騒ぐ様子は、いつも通りの元気な子どもの姿で、家に荷物を置いたら今日は近所のファミリーレストランへ行こうと伝えると、友だちを置き去りにして、家の方向へ走って行ってしまう始末。

もう大丈夫かな? と思いながら、子どもの後を追って息を切らして家に着いたのだが、今日もまた、学童クラブの指導員の方から着信。指導員の方が電話口で、昨日の件ですが、と話を切り出した。内容としては、結局、指導員の方が思い描いたような円満な解決には至らなかったものの、なんとなく落ち着いたようではあるので、今後も注視していきます、という報告だった。

まあ、自分にも大いに身に覚えのあることだが、大人に強要されて握手や謝罪の言葉で仲直りができるほど、子どもの世界は単純ではないし、そんなに甘くもない。

とまあ、そんな訳で、予期せぬ電話で少し時間が取られてしまったが、急いでファミレスに行き、子どもはカレーハンバーグプレートを、私はちょい飲みセットを選択し、子どもはいつもなら残してしまうエビフライやチキンナゲットにも挑戦し、残さずきれいに平らげてしまったうえに、私のちょい飲みセットについてきたアサリの酒蒸しも食べてしまった。仕方ないので、追加で天ぷら蕎麦を頼んだら、天ぷらにも手を出してくるので、デザートに季節のスペシャルパフェを頼んでやった。

無理に気持ちを聞き出すよりも、まずは美味しいもので腹を満たすことの方が、よっぽど元気になれるのかもしれない。

ファミレスの窓から見える幹線道路は、事故か何かで大渋滞していて、そこにいる車の運転手はとても気の毒ではあるけれど、どこまでも一直線に続くヘッドライトとテイルライトの光の連なりは、下手な夜景よりもよっぽど美しく、食事を食べながら二人で見惚れてしまった。

何かが少し定まったような、そんな気がした夜だった。




ファミレスでの食事中、学童クラブにとても優しくしてくれるお姉さんがいるという話を子どもがしてくれたのですが、偶然にも、そのお姉さんが家族と一緒に近くの席で食事をしていて、食後に私たちの席までやって来て、しばらく子どもと遊んでくれました。

そういう関係こそ大切に。いつかあなたも同じことを誰かにやってあげられるように。

1月16日(月)

日曜日、子どもと一緒に東京国立近代美術館の「大竹伸朗展」へ行ってきた。

彼の作品の特徴とも言える、圧巻の物量と執拗な情報量と途方もない熱量の隙間にある寂寥感とでも言うべきか。美術でしか感じることのできない表現を存分に浴び、久しぶりの美術鑑賞は大満足の結果だったが、子どもの方は少し退屈だったのか、鑑賞中の反応は薄く、鑑賞後も疲れた様子だったので、昼食を食べてすぐに帰宅した。

帰宅後、子どもが唐突に絵の具と紙が欲しいと言うので、私の学生時代の道具一式と会社からもらってきたクラフト紙を出して、一通りの作業の準備を整えてやったところ、「一人でやりたいからあっち行って」と邪険に追い出されてしまった。

夕飯になっても作業が終わりそうにないので、こっそり様子を見にいってみると、かなり熱中して作業に取り組んでいたので、「一区切りついたらご飯にするよ」とだけ声を掛けてしばらく待っていると、子どもが食卓へやって来た。

「どんな感じ?」と問いかけると、「うん、もうすぐ終わる」と言うので、「何作ってんの?」と尋ねると、「本にしてくんだ」と一言。

うむ。

子どもは美術館が退屈で疲れていたのではなく、完全に表現に触発されて疲れていたのだ。そして、観てきたばかりの大竹伸朗の代表作である「スクラップブック」シリーズに影響されまくり、自らの創作を素直に爆発させていたのである。

うむ。

そんな事を考えていると、更に子どもが「ギターも作らないとな」と一言。私なんかよりよっぽど子どものほうが、表現を浴びまくっていたのである。




いやしかし、頼むからまだ小屋は作らないでくれよ。頼むぞ。

スクラップブック
スクラップ小屋

上:大竹伸朗「スクラップブック #1~71」(1977~2018年)
下:大竹伸朗「モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像」(2012年)

1月17日(火)

私の朝は、子どもの脱いだ脱け殻のような汚れ物の分離解体作業からはじまる。

まずは渾然一体となって脱ぎ捨てられた肌着とカットソーとトレーナーの分離だ。よくもまあ、こんなにするりと脱げるものだと感心する。私だったら関節でも外さない限り、三枚同時に脱げないだろう。肌着とカットソーは問題なく分離できたが、トレーナの袖まわりの汚れは前もって揉み洗いしておく。肘に付いたアクリル絵の具の汚れはすっぱり諦める。

つぎはズボン。こちらは中を除くとパンツがそのまま納まっている。ズボンのポケットの中に不審物が入っていないか厳重に確認する。輪ゴムを発見。靴下が見当たらないので捜索していると、ズボンの右膝の部分に一足、左裾にも一足、裏返しの状態で見つかる。どうやって脱げばこの位置に靴下が取り残されるのか、論理的にはまったく見当がつかない。おそらく超常的な何かだろう。裏返しの靴下を表に返すと、こちらも超常的に汚れている。揉み洗い。

とまあ、こうした作業の末に、ようやく洗濯機を回すことができるわけだが、はたして子どもの脱皮はいつまで続くのだろうか。




買い物の際、いつもクレジットカードを決済端末の差込口に挿入して支払いしていましたが、私のカードはタッチ決済のできるカードであることを、今朝、コンビニ店員に教えてもらいました。

ダンネバード!

1月18日(水)

三学期に入ってから宿題が少なくなった。

二学期までは算数と国語のワークブックを各1頁に加え、算数は暗算カード、国語は漢字の書き取り、更に何らかのプリント問題のうえに、駄目押しの教科書の音読、というのが一日に課される宿題の平均的な内容で、毎日、親子でヒーヒー言いながらこなしていた。

宿題をやっている最中に、子どもが癇癪を起こすこともしばしばだったし、親子が衝突してしまうことも多かった。宿題の多さが子どもにとっても家族にとっても大きな負担となっていた。

ところが今は、算数と国語のワークブックと音読だけで、ワークブックは子どもが学童クラブで終わらせてくるため、私の仕事は音読を聞くだけだ。おかげで、実に和やかで充実した家族団欒の時間を過ごすことができるようになって大満足なのだが、どことなく物足りないと思ってしまう自分の感情に気づき、戸惑いも感じた。

うむ。

宿題については、なぜ少なくなったか分からないが、抑圧が解消されたことに物足りなさを感じてしまう奴隷根性は、このようにして、いとも簡単に醸成されてしまうことを知り、背筋が寒くなるのだった。




年末に突如壊れた隣家の給湯器より、更に古い15年選手の我が家の給湯器ですが、先日、無事に交換工事が終わりました。故障前に間に合って良かったです。

次に不安なのはガス台と冷蔵庫だな。エアコンもか。

1月19日(木)

いつも子どもが一緒に登校している友だちがいるのだが、結構な確率で、どちらかが先に行ってしまったり、どちらかが遅れて来てしまったりで、待ち合わせ場所で落ち合えないことも多いようだ。

待ち合わせがうまくいかない時はきまって「〇〇ちゃんとなんか、もう一緒に行かない」などとうそぶくが、翌日になるとケロッと一緒に登校していたりする。

お互い待ち合わせ場所で少し待っていれば解決しそうなことなのだが、まだそういう信頼に基づく忍耐のようなものは育まれていないようだ。

しかし、そうしたことに限らず、最近の子どもの話を聞いていると、苦手な相手の対応に困ったり、仲違いする友だちの間に入ったり、時には友だちから助けられてもらったりと、日々、様々な人間関係に巻き込まれ、一喜一憂しながら成長している姿が垣間見られてとても面白い。彼女はまるで、毎日が嵐の中にいるようなのである。

それに比べると、私は凪だ。毎日がベタ凪だ。




今月に入ってから、職場はもちろんのこと、会社全体でも常に誰かが新型コロナウィルスに罹って休んでいて、実感としては一番罹患者が出ている状況です。

今まさにパンデミック。

1月20日(金)

今日から義妹が子どもと一緒に泊りがけで遊びに来てくれる。一年以上ぶりの従弟の来訪が楽しみで仕方ないうちの子どもは、前々からカレンダーにしっかり印をつけて、毎日のように残り日数を確認しながら、首を長くして待っていたので、今日も朝からウキウキしていた。

思えば私も、小学生の頃は従姉弟家族が定期的に遊びにやってくることが楽しみで仕方なかったが、なんであれほど楽しみだったかは、今になってみるとよく分からない。

まあしかし、久しぶりに賑やかな週末になりそうだ。




義妹たちに寝起きしてもらう部屋は、そう遠くない将来、子どもの部屋になる予定なので、今後どうしたものかと、悩めるところです。

俺が物置で寝るしかないか。居間もあるか。

東京の厳しい住宅事情の現実を痛感します。

1月21日(土)

年下の従弟が遊びに来て、うちの子の言動や振る舞いの変化が劇的である。

いつもなら、あれやって、これやってと、親にべったり頼りっきりなのに、普段は絶対にやらない食器の片付けまで、自分で率先して行い、従弟にも指示するほどの変わりようだ。あまりにしっかりしているので、こちらがつい笑ってしまう。

できれば、従弟がいない時も、これぐらいしっかり自分のことは自分でやってもらいたいものだが、まあそれは、ただの親の身勝手な希望なのかもしれない。

しっかり者の子どもの姿に、頼もしさを感じつつも、従兄弟がいなくなってしまった後の反動が、若干怖くもあるが、子どもの潜在能力の高さには恐れ入った。




この週末は、宿題がまったく出ませんでした。こんなことは初めてです。ありがたいことですが、ちょっと心配です。先生が。

1月23日(月)

昨日は両国国技館で初場所千秋楽を観戦してきたのだが、我々の座った向正面西側の升席周辺は、扉が開け放たれていたため、野晒しかと思うほどの寒さだった。

出入り口近くの座席の中には、上着をしっかり着込んだうえに、土産用の手ぬぐいを買ってきて顔にぐるぐる巻にして観戦している人もいた。

いくら換気のためとは言え、常に冷たい外気が吹き込んでくるので、せめて時間を定めて換気したりすることはできないかと係りの人に談判したのだが、いっさい受け入れて貰えなかった。

このままでは逆に体調を崩してしまいそうだなと思って観戦していたら、案の定、ここしばらく落ち着いていた私の首の神経痛が、再発してきてしまったのである。

うむ。

10年以上前にも一度升席で観戦したことがあるが、あの頃はモンゴル勢の横綱三役が圧倒的な力を誇り、幕内力士も個性豊かな強者が溢れていた。取り組みの激しさや迫力はもちろんのこと、東西横綱の土俵入りは、それはもう壮麗で、会場全体が揺れるようにどよめいたことを覚えている。

それに比べると、1横綱1大関のうえ横綱休場という異例の状態で臨んだ初場所千秋楽は、日本相撲協会にとって文字通り寒風吹き荒む厳しい走り出しではなかったかと、冷え切った升席で麦酒を呑みながら思い馳せるのだった。

あまりの体たらくに、新聞のコラムみたいになってしまった。もちろん今後の相撲協会には期待しています。




寒すぎて体も心もうまく動きません。今週はもう駄目ですね。

1月24日(火)

壊れてしまったmp3プレイヤーのかわりになるポータブルプレイヤーを探しているところなのだが、ちょうど良いものがなかなか見つからない。

安価な製品は無数にあるのだが、しっかりした製品を希望するとミドルモデルを飛び越して、一気にハイエンドモデルになってしまうのだ。

一度、凄く良い製品を見つけ、価格を確認すると56800円と表示されたので、まあそれなりに値が張るけど、これならばヘソクリでなんとかと思ったら、値段が一桁違っていた。

うむ。

とにかく小さくて、それなりに扱いやすくて、そこまで高価でない、iPod Classic ぐらいのプレイヤーが理想なのだが、そうした汎用品が少ない。というか、どこにも無い。

時代はもう、専用機で音楽を聴くこと自体が、ポータブルな行為ではないのかもしれないが、私はいつでもどこでも、ちあきなおみを Hi-Res で聴きたいのだ。




同じようにカメラの分野でも、コンパクトカメラが無くなりつつありますね。

私の好むものが無くなっていく。

1月25日(水)

宿題が格段に少なくなったこともあり、諍いによって家庭内が不穏な空気に満たされることはほとんど無くなったが、昨晩は珍しく子どもが爆発したことで、一時騒然となる一幕があった。

というのも、子どもが学校や学童クラブで上手く回せていた独楽が、家に帰ってやってみると上手く回らず、回し方を見ていると、明らかに腕の振りがまずいところがあるので少し助言をしたのだが、やはり独楽はなかなか上手く回らず、最終的に私の助言が悪いと言って苛立った子どもが癇癪を起こし、一触即発のような状態になってしまった。

子どもの性格も知っているので、できるだけ押し付けがましくならないよう、誘導するように助言をしたつもりなのだが、この方法ですら受け入れて貰えないとなると、もうどうして良いのか分からない。むしろ、指導内容というよりは、指導者と教わる側の関係性や相性の悪さに原因があるような気もしている。

これまで幾度も経験してきたことだが、同じようなことは宿題についても言えることで、学習のような修練や鍛錬が必要とされる場面では、我々親子の組み合わせだと、どうしても甘えのようなものが生じてしまうため、我々の関係性自体が逆に障害となってしまう場合が多く、指導者と教え子という意味では最悪の組み合わせなのかもしれない。

うむ。

何事も気楽にやりたいものだが、なかなか上手くいかないものである。




屋外のビオトープ水槽の水面が1㌢ほど凍っていました。水中の生体や水草は無事でしたが、一緒に凍ってしまった浮草や半水中の水草がどうなるか心配です。

あと、窓枠に氷柱できてました。寒い!

1月26日(木)

年末に子どもが足を骨折した時、ギブスが引っかかって普段履いているズボンが履けなくなってしまったため、急遽、伸縮性の高いスウェットパンツを何枚か買った。

スウェットパンツは今まで履かしたことがなかったので、ギブスが外れたらお終いになるかなと思っていたのだが、動きやすいし温かいしで子どもがとても気に入り、ギブスが外れた今でも毎日のように愛用している。

でも、ギブスが外れた今でも、着替えを手伝って欲しいと甘えてくるのは、そろそろお終いにしてもらいたい。。。

うむ。




明日は午後に半休を貰って、子どもの学校に書き初めの展示を見にいき、その後、とある件で新聞の取材を受けます。うふふ。

1月27日(金)

最近、夜中の変な時間に目が覚めてしまい、そこからなかなか寝付けず、少し寝不足になることが多い。そのため、食後に昼寝をするようにしているのだが、思いのほかしっかり寝てしまい、デスクが涎まみれになっていることがある。

まさに今も。

さて今日は、これから早あがりで帰る。週末の早あがりはなかなか気分が良いものだが、ちょっと寄りたいところがあるので、できれば雪は降らないで欲しい。

帰ってからも色々と用事はあるのだけど、とりあえず、ちょっと早めの週末に突入だ。




昨日、子どもが学校で自由帳に魚の絵を描いたと言って見せてくれました。贔屓目なしになかなかしっかり描けており、本人も手応えを感じている様子です。

手応えは大事。

1月30日(月)

金曜日の夕方に自宅で新聞の取材を受けたのだが、残念ながら、事前に記者の方に伝わっていた情報と我々の状況が食い違っていたため、あまり有益な取材にはならなかったようだ。もし記事になるようなら、ここでも紹介したいと思う。

うむ。

一連の取材が終了し、記者の方が帰り支度をはじめたところを見計らって、事前に印刷しておいた『真平新報』の最新号を手渡した。

今から思うと、新聞に関して本職中の本職である新聞記者に、テニヲハも出鱈目な素人新聞を手渡すなど、なんという暴挙に出たのだろうかと思う。厚顔無恥にも程がある。

うむ。

でも、まあいい。それが私だ。




土曜日は家事に邁進し。日曜日は育児に奔走し。自分の時間などどこにも無い。そんな週末でした。

週末だからって、遊んでばかりもいられない父です。

1月31日(火)

もう一月も最終日か。寒い日が続いている。

今日の私の出で立ちは、防寒肌着上下をしっかり着込んだうえに、冬用のズボンとネルシャツに厚手のカーディガンを羽織り、アウトドア用の防寒ジャケットで完全防備のうえ、レッグウォーマーとネックウォーマーも忘れずに追加したのに、まだまだ寒い。

もちろん、背中とお腹にカイロも貼っている。

歳を重ねると寒さに弱くなると言うので、どんなものかと思っていたが、老化による身体虚弱や循環不順が影響するのかと思いきや、むしろ、気力の弱まりによる寒さへの耐性の弱まり、といった影響が大きいような気がしている。

いやしかし寒い。




子どもが帰ってくる時間は真っ暗なので、時間がある時は玄関先に出て待ったり、近所まで迎えに行ったりするのですが、暗闇の中、しっかりとした足取りで帰ってくる小さな子どもの姿を見つけると、たくましくもあり、いじらしくもあり、思わず抱きしめたくなりますが、嫌がられるのでいつも我慢しています。