2023年 3月
3月1日(水)

あっという間に2月は過ぎ去り、いよいよ年度末3月。

まあ、そんなわけで昨日、学童クラブまで子どもを迎えに行ったら、子どもが肩を落として玄関から出てきたので、「どうした?」と声をかけると、泣きながら「もう学童行きたくない」と弱々しい声で訴えるので、さっそく年度末3月の変化の風でも感じ取りはじめたかなと思ったら、何のことはない、ちょっとしたことがきっかけで、集団生活によくありがちな「孤独感」の洗礼を受けてきたようなのである。

うむ。

まあ、そのこと以外は、じゃんけんの派生系のような「カレーライス」という遊びを覚えてきたり、フェルトの編み袋をたくさん作ってきたり、友だちとも色々と交流しながら、けっこう楽しく過ごしているようなので、たまに訪れる「孤独感」のような感情とは、上手く付き合っていくしかないな。




休肝日に指定している水曜日が先週は祝日前日だったため、ついうっかり麦酒を口にしてしまいましたが、月も変わったので気持ちを新たに休肝日を遵守していきたいと思います。

Save the Liver.

3月2日(木)

昨日の休肝日は無事にノンアルコールで過ごすことができた。アルコールを抜いたことで、睡眠が深かくなったのか何なのか、なんとなく目覚めも良い気がする。

うむ。

さて昨晩、いつも7時過ぎにのろのろと起きてくる子どもが、突然、これからは6時に起きると言い出した。

どうせ起きられないだろうと思いつつも、私の場合、夜は早く寝る代わりに、朝に様々な家事を済ませるようにしているので、子どもが早起きすることで何かしら手を煩わされ、家事が疎かになるのは困るなと思って、懸念を示していたのだが、子どもの方も頑なに譲らない。

まあ、早起きしたいと言うのだから押し問答していても仕方ないので、三日坊主で終わることを見越して、今朝方6時に、寝てる子どもに声を掛けると、眠い目をこすりながら頑張ってもぞもぞと起きてきて、特に私にまとわりつくこともなく、居間で静かにカサゴとハコフグの絵を描いていた。

うむ。

平日は家に帰ってきたら宿題や学校の準備や夕飯、それが終わると風呂に入り、寝支度を整え、あっという間に就寝時間になってしまう。そう考えると、平日に子どもが勝手気ままに自分のことに使える時間はほとんど無い。

熱心に絵を描く子どもを横目に、もしかしたら、そういう自分だけの時間が欲しかったのかもしれないなと、忙しなく家事をこなしながら深く反省する父だった。




早くも春を感じさせる暖かさです。一昨年のアクアリウムに引き続き、今年からはボタニカルライフにも力を入れていきたいと密かに思っているのですが、気候変動による夏の猛暑の影響を考えると、我が家では多肉植物の管理はちょっと厳しいかもしれません。

まったく。

3月3日(金)

今朝も子どもは6時に起きて、昨日描いたハコフグの絵の着彩をしたあとに、魚類図鑑をずっと眺めていた。

さて。

昨日は帰りの電車が強風の影響で遅れに遅れ、普段の倍近い時間をかけて、やっとの思いで帰ってきたのだけど、満員の車内で無理な姿勢で立っていたせいか、腰にかなりの負担がかかって、今も若干違和感を感じる。

幸いなことに、昨日は妻が在宅勤務だったので、子どものお迎えは事なきを得たのだが、そろそろ両親不在の時の準備や練習もしておいた方がいいかもなと思った。

ちなみに、今朝の通勤でも電車が遅れたうえ、私の乗った電車のアナウンスで「5番車両がひどく汚れているので乗車を控えて下さい」という注意が流れてきた。

うむ。

5番車両が「ひどく汚れている」のか。電車が遅れれば遅れるほど、どれぐらい「ひどく汚れている」のか気になってしまい、5番車両に移動して「ひどく汚れている」様子を確認したい衝動にかられたが、悩んでいるうちに降車駅に到着してしまった。

残念無念。




日差しが暖かくなるにつれて、なぜか物欲がむくむくと芽吹きだしています。誰か気前よく10万円ぐらいくれないかな。

10万円で満たされる物欲って。我ながら健全でよろしい。

3月6日(月)

先週末の土曜日の午後。

妻は高校時代の友人たちと会う約束があり、子どもは同級生たちと公園に遊びに行く約束をした、と言うので、二人が帰ってくるまでの一人きりの束の間を、ゆっくり楽しもうと目論んだ。

昼食後に妻子を送り出し、先に夕飯の仕込みを終わらせてから、残り時間をしっかり自分のために使おうと思い、仕込み作業を手早く済ませて、さあ麦酒でもと冷蔵庫を開いたところで、インターホンが鳴った。

宅配便でも来たのかと思って玄関を開けると、「お邪魔しま~す」と言って、子どもたちがわらわらと上がり込んできた。1,2,3,4 … 5、総勢8人。子どもに事情を聞くと、「おやつの時間だからみんな連れてきた」との説明。

うむ。

いくらなんでも8人分もおやつはない。

仕方ないので、私が職場用に密かに用意していた虎の子のおやつ(亀田製菓 ハッピーターン、ブルボン チーズおかき、明治 ミルクチョコレート ベストスリー袋)を放出することで、なんとかその場は事なきを得た。

しかし、子ども8人をホストする身としては、あちこちから無尽蔵に浴びせられる質問や主張に応えながら、人数分のお茶を用意したり、狭い我が家を無軌道に動き回る子どもたちに注意を促したり、お茶のおかわりやお菓子の追加の対応をしたりで、子どもたちが我が家を去るまでの小一時間、一人きりの時間を楽しむ余裕などなく、結局、子どもたちが再び公園に遊びに行き、過ぎ去った嵐の後始末を終えた頃には、私の時間はほとんど残されていなかった。

うむ。




東京新聞から取材された内容が、ようやく記事になりました。
「まるで鳥小屋」学童保育 定員超えの詰め込みが横行 こんな事態はなぜ起きる? 東京新聞:3月4日付

東京新聞に掲載されるのは、保育園入園不承諾の時以来、6年ぶり2度目ですが、できればもっと明るい内容で掲載されたいものです。

3月7日(火)

学校の図工の授業の材料で、よく雨天の時に商業施設に設置されている傘の水垂れ防止用の長いポリ袋が必要だというので、近所のスーパーに買い物に行ったついでに、入り口脇にあった傘袋のスタンドから3枚ほど拝借させてもらったところ、ちょうど店員がそばに来たので、事情を説明して頂戴した旨伝えたところ、「そんなの駄目に決まってるじゃないですか」と拒否されてしまった。

うむ。

たかがビニールと思って、先に店員に断りを入れなかった私が悪かったのか、はたまた私の風貌が怪しからんと判断されたのかは分からないが、こうも断固と拒否されるとは思ってもみなかった。

うむ。

私の手からビニール袋を回収しようとする店員に、「このビニールはどうするのか?」と尋ねると、素っ気なく「廃棄します」と愕然とするようなことを言うので、「ならば頂戴できないか」と喰い下がったところ、侮蔑の眼差しで「今回だけですからね」と嫌味たらしい捨て台詞を残して去っていったのだった。

うむ。

私の自尊心は深く傷ついたが、なんとか無事に、傘袋の調達には成功したので、これにて一件落着。



さて、本日は午後から学校の保護者会があるので仕事は半ドン。来年度についての説明があるそうなので、心して臨まなくてはいけない。




これまで花粉症らしき症状はなかったのですが、先週末ぐらいから喉にザラつくような刺激を感じるようになりました。同じく子どもも、先週末から鼻をグズグズ言わせています。

まいったな。

3月8日(水)

子どものランドセルが前にも増して重いので、中身を確認してみると、国語だけでも教科書一冊、ノート二冊、ワークブック二冊の計五冊が入っていた。

あまりにもあんまりなので、「これ全部授業で使うの?」と問うと、「使ったり使わなかったり」と気のない返事がかえってくる。「家で使わないなら学校に置いとけば?」と尋ねると、「毎日持って帰れって言われてる」との返事。

うむ。

国語ほどではないが、同じように算数の教材も四冊。これに加えて、毎日、充電のためだけに持って帰ってくるノートパソコンがあるのだが、充電残量を確認すると、まったく減っていないことがよくある。「これ使ってないじゃん?」と尋ねると、「最近使ってない」との返事。

うむ。

これでは「囚人の穴掘り」とほとんど変わらぬ罰を受けているようなものではないか。

この現状を無理くり肯定的に捉えるとするならば、この不合理な経験を礎に、服従ではなく反逆の道を歩む契機として役立てて貰いたい、といったところだろうか。本当に無理くりだ。




子どもには、保育園の頃から靴下の色や柄を左右バラバラに履く傾向があるのですが、最近、その事を友だちから指摘されることがあるようで、ある種、ここからが踏ん張りどころといったところでしょうか。なんとか乗り切って貰いたいです。

3月9日(木)

友だちとの衝突で幕を開けた今週は、その後も上手くいかないことが重なり、子どもには難しい対応を求められることが多かったが、それでも宥め賺しながら、どうにかこうにかやってきたところ、昨晩は私も疲労困憊していたため、対応をおざなりにしてしまい、とうとう爆発。週半ばにして自己嫌悪に苛まれる夜となった。

うむ。

これまでは、年に何度か自分のために休暇を使い、一人で映画を観に行ったり、妻と食事に行ったりしていたのだが、昨年の子どもの一件で4、5月に大量に有給休暇を使ってしまったため、不要不急の休暇取得を控え、自分のために使うなど考えもしなかった。

それ以外にも、子どもの就学によって保育園時代よりも生活の自由度が低くなり、むしろ手の掛かることが増えたようにも感じているところだ。子どもはもちろん、私の方も息が詰まってきているのかもしれない。

もうしばらくの辛抱なのか、まだまだ先は長いのか。出口は誰にも分からない。

うむ。




少し深刻に捉え過ぎかもしれませんが、息が詰まると自然と深刻な捉え方になってしまいます。

3月10日(金)

今朝の暖かさに、子どもがTシャツ半ズボンがいいと言うので、半ズボンは出してやったが、さすがにTシャツの上には長袖を着てもらった。

うむ。しかし暖かい。

さて、昨日も有給休暇を温存していることは書いたが、まさに昨日、総務から毎月回覧される「休暇取得実績表」が回ってきたので、自分の残り休暇日数を確認してみると、取得した覚えのない振替休暇が1日減っているではないか。

疑問に思って総務に問い合わせると、先月の2月2日が休暇扱いになっており、休暇届けは出ていなかったが、私の持っている振替休暇の取得期限が迫っていたので消化させて貰った、と言う至極真っ当な応えが返ってきた。朧気な記憶を辿ると、確かにその日は夫婦で体調を崩して休んだことを思い出した。

しかし、あの時は第八波の猛威がまだ荒れ狂う最中で、発熱もあったため業務指示として自宅待機したのである。医師の判断でPCR検査こそ受けなかったが通院もしている。きちんと確認しなかった私も悪いのだが「コロナ特別休暇」にあたるのでは? と尋ねると、そうした報告は受けていないし、例え振替休暇が戻ったとしても、期限切れで消滅してしまうということだった。

うむ。

たかが振替休暇1日だが、されど1日だ。久しぶりにやる気が出てくる案件じゃないか。




今夜は妻が友人たちと呑みに行くと言っていたので、久しぶりに子どもと美味しいものでも食べに行こうと思ったのですが、妻の呑み会が流れてしまったので、私達の外食も流れました。

しばらく外のもん食ってないなぁ。

3月11日(土)

子どもは授業。私は出勤。妻は休み。

そんな土曜日。

昨日は空襲から78年が経過。今日は震災から12年が経過した。国外を見渡すと、ウクライナでは戦争が継続中。トルコ・シリアの震災は今も厳しい状況が続いており、過去や現在、そして地域を問わず、戦災や震災では、いつも一般市民が真っ先に犠牲になることが嫌というほどよく分かる。

うむ。

まあ、そんなあたりのことを、時の政府は分かっているのか何なのか。とにかく、今一度真剣に考え直し、これまでの政策や方針の見直しを速やかに行ってもらいたいものである。

そんな土曜日。




今週末はどこかに美味しいものを食べに行きたいな、と思っていたら、昼に石窯ピザ屋でランチをする妻子の写真が送られてきました。

うぅぅ。

3月13日(月)

玄関先に置いていたシクラメンが、先月の終わりごろから蕾を膨らませはじめ、今月に入ってから色鮮やかなマゼンダの花をしっかり咲かせ、ここのところかなり良い塩梅になってきていた。

一昨年に頂いた鉢植えなので、今年は花をつけるかどうか? と思っていただけに、嬉しさもひとしおだった。

うむ。

ところが昨日の朝、郵便受けの朝刊をとりに玄関を出ると、そのシクラメンの鉢植えが忽然と姿を消していたのである。

鉢植えは柵の内側の敷地内に置いてあり、姿を消したマゼンダのシクラメンのほかに真綿色のシクラメンもあった。その他にも、多肉植物やハーブの鉢植えがいくつもあったにも関わらず、マゼンダのシクラメンの鉢植えだけを盗んでいったところに、犯人の特徴が少し透けて見えるような気がしている。

さて、この花泥棒。どうしてやるべきか。




我が家のちび探偵が、熱心に犯人を追ってくれていますが、さてどうなることやら。

正直、とっても嫌な感じですし、悔しいです。

3月14日(火)

日曜日から腰痛に苦しめられているのだが、そんな時に限って子どもが、学童を早帰りしたいとグズグズ、誰も着替えを手伝ってくれないとウダウダ、仕舞には自分は駄目なんだとメソメソ、思う存分に自虐の限りを尽くしてくれて、父の腰痛は更に重みを増すのだった。

うむ。

一方昨晩は、どこからか哺乳瓶を見つけだしてきて、その中に麦茶を入れて、「これで飲むと美味しいじゃん」などと、一人で悦に入っていたりしていたが、その哺乳瓶はあんたがさんざん嫌がって、結局一度も使わなかったんだからな、と思いながら、子どもの成長に感慨を覚えるのだった。

うむ。

いやしかし、子育てとは本当にアンビバレンスだ。




腰痛は思ったより軽く終わりそうです。良かった。

3月15日(水)

昨日の夕方のこと。

一人で帰ってくるとは言っていたものの、いつもより帰りが遅いので、そろそろ様子を見に行こうかと思ったところに、大号泣で子どもが帰ってきた。

何があったのか尋ねても、しゃくり上げて泣くばかりで埒があかず、帰宅途中に何かあったのではないかと思い、子どもの対応を妻に任せ、周囲を確認しに外へ出たが、帰宅時間帯だったので人通りも多く、異常なことが起こったような様子もない。

家に戻ると、子どもが少し落ち着きを取り戻していたので、再度事情を尋ねると「トッピーがいなくなっちゃった!」と叫んで、また泣き叫びはじめた。

「トッピー」とは、子どもの通う学童クラブの保育指導員の方で、今月で退職する予定になっていたのだ。

以前から子どもの口からもよく名前を聞いていたので、子どもにも退職のことは知らせておいていたのだが、実際にいなくなってしまうという現実を突きつけられたことに相当な衝撃を受け、学童から号泣しながら帰ってきたようなのである。

うむ。

まあ、別れは悲しく寂しいことではあるけれど、変なことではなくて本当に良かったと、泣き叫ぶ子どもを見ながら胸を撫で下ろす父であった。




花泥棒の一件も脳裏をよぎり、何か良からぬことが起こったのではないかと肝を冷やしましたが、事の真相が分かって心から安堵しました。

子どものおかげで毎日がハラハラ・ドキドキです。

3月16日(木)

一昨日の件もあったので、昨日は学童までお迎えに行ったのだが、時間になっても姿が見えないので、近くにいた職員の方に声を掛けると、「あっ、もう電話いきましたか?」との応答なので、「いえ、電話は受けていませんけど」と訝しんでいると、「そうでしたか、でしたら中へ」と言われ、また別の職員の方から状況の説明を受けた。

説明を要約すると、子どものちょっとした行動で近くにいた友だちに誤解が生じ、その誤解を上手く解くことができず、子どもが爆発してしまったそうだ。その後、職員の方が間に入って、上手く誤解は解け、今は爆発の後処理をしているので、ちょっと待ってて下さいとのことだった。

うむ。

しかし、待てど暮せど子どもが姿を現さないので、どれだけ爆発したんだろうかと心配になったが、少し経って、にこやかな様子で子どもが友だちと一緒に姿を現したので、ようやく胸を撫で下ろすことにできた父であった。

うむ。

毎日のように、胸を撫で下ろしている気がするな。




擦った揉んだの就学一年目は、どうにかこうにか来週で一区切りつきますが、今後も続くであろう波乱万丈な我が家の日々をお楽しみ下さい。

Links(真平の関連)を廃止してCover(真平の表紙)を新設しました。このホームページの過去の表紙画像を集録したものです。

3月17日(金)

一昨昨日の件に加えて一昨日の件もあったので、昨日も学童までお迎えに行ったのだが、他の子どもたちが元気に帰宅する中、またしても子どもが玄関に姿を現さない。

また何かやったのかな? と少し億劫な気分で施設内に様子を見にいくと、教室の中で1㎥ほどの巨大な段ボール箱と睨み合っている子どもの姿をみつけた。

「何やってるの?」と声を掛けると、驚いたように「来てくれたんだ!」と言って、手提げバックやランドセルなどの自分の荷物をすべて私に持たせると、自分はその段ボール箱をかぶるようにして持ち上げて、玄関に向かっていった。

「この箱をどうやって持って帰ろうか悩んでたんだ」と張り切りながら説明する子どもに、「そんなでっかいの部屋に置けないよ」とたしなめようとするも、私の意見など意に介さない様子。

学童の指導員の方からも「本当に持って帰ります? お父さん大丈夫ですか?」と尋ねられ、子どもがこうなってしまったら、もう後戻りできないことは分かっているので、「こうなっていまうと仕方ないですから」と言って、学童をあとにした。

ダンボールから足が生えたような変な生き物が、夕日を背に浴びて商店街をひょこひょこ歩いている様子は、あまりにも珍妙かつ滑稽で、帰宅途中の通行人も笑いながら通り過ぎてゆく。

とりあえず、これで一件落着かな。




今朝、出掛けに子どものランドセルの重さを量ったら5.4㌔でした。

アメリカの小児科学会は「バックパックの重さは体重の10~20㌫を決して超えないこと」と規定していますが、子どものランドセルの重さは子どもの体重の実に27㌫にもなるので、完全にアウトです。

ちなみに、私の体重の27㌫というと16㌔ほどですが、私には到底持ち運べない重さです。

3月20日(月)

週末は、水槽の掃除をしたり、実家へ遊びにいったり、家の観葉植物の植え替えをしたり、台所の大掃除をしたりして、なんとなく年度末に向けて色々と緩やかに切り替え準備。

さて、日曜日の午前中、友だちが公園で遊ぼうと誘いに来てくれて、子どもは自転車で一緒に遊びにいってしまった。

昼頃に迎えに行くと、みんなで鬼ごっこをして遊んでいる最中だったので、一段落するまで待っていようと、子どもたちの遊んでいる様子を眺めていたら、鬼から逃げる最中に、うちの子が近くで遊んでいた小さい子にぶつかって、転ばせて泣かせてしまった。

一緒に鬼ごっこをやっていた子どもたちは遊ぶのをやめ、泣いている小さい子のところへ集まってきて、痛みや怪我がないか声をかけていたのだが、うちの子はその光景を遠巻きに眺めているだけで、それに気づいた友だちの一人が、「謝ったほうがいいよ」とうちの子に声を掛けると、うちの子は「わざとやったんじゃない!」と言って、公園から出ていってしまい、友だちが引き留めようとしても聞く耳を持たず、逆に傍若無人に追い返してしまう始末。

これはまずいと思って、私が割って入ったものの、状況はまったく改善せず、「どうせ私が悪いんでしょ」と言って、自転車に乗って暴走していってしまったので、力ずくで抑え込むほかなくなってしまった。

うむ。

それからの苛烈な擦った揉んだは、みなさまのご想像におまかせするが、もうそろそろ、自分の気持や感情と上手く折り合いがつけられるようになって貰わないと、父の身も心も持ちません。




聞き分けが良くて、振る舞いが上手で、躓きや引っ掛かりの少ない子どもは、親としては楽でしょうが、そんなの本当の子どもじゃない気もします。

3月22日(水)

小学校初年度も残すところあと三日だが、明日は卒業式で低学年の生徒はお休み、明後日は修了式で授業は無い。

つまり実質的には、今日が本年度の最終日なのだ。

うむ。

この一年は、混乱と苦悩と困惑だらけの試練の日々が続いたが、とは言え、難しい日々はまだまだ続きそうである。

鍛錬の日々は、まだまだ道半ばだ。




三夜連続で妻が家を留守にしていますが、さすがにそろそろ、静かな不満が溜まりはじめてきています。

3月23日(木)

今日は卒業式なので子どもは学校がお休みなのだが、明日は修了式のあとにまだ授業があるそうだ。

ぜんぜん修了してない。

さて、祝日を挟んでいたはずなのに、妻が三夜連続で家を空けていたせいで、何やかんやと家事に追い立てられることの多い三日間であった。

むしろ妻には三日まるまる家を空けてもらったほうが、いろいろと省ける家事も多いので、もう少し余裕もできたはずなのだが、逆に夜だけ不在というのが仇となったし、祝日を挟んだのも裏目に出たかもしれない。

おかげで「ちょっとこれやってくれない?」といつものように気軽に何かを頼んでくる子どもに対しても、「そんなことぐらいもう自分でやって!」と、些細な事で当たり散らしてしまい、自分の器の小ささにとことん嫌気が差してしまった。

しかし「亭主を早死にさせる十ヶ条」なんて物騒なものがあるけれど、夜も帰ってこず、家事にも関わらず、存在だけはしっかりそこにあるような、そんな家族がいたとしたら、まあ、そういう気持ちにもなるよなと、しみじみ感じてしまう出来事だった。もちろん、月に3000万ぐらい稼いでくるなら話は別だけど。

亭主の皆さん。気をつけて下さい。




長時間マスクをしていると湿疹が出てしまうので、状況を見ながらなるべく外すようにしていましたが、ようやく公共の場でもマスクを外せるようになりました。

私としてはありがたいかぎりですが、人との距離感にはまだ戸惑いを感じてしまいますね。あと、当たり前ですが、臭いところにすぐに気付きます。

3月24日(金)

今日は子どもが修了式で、義務教育一年目をなんとか終了。私は午後半休をとって、ちょっと早めの週末突入。

ひとまず年度末の一段落。

さて、朝の通勤時、職場近くの桜並木を歩いていると、ちょうど見頃を迎えた桜の木の下で、新入学の記念撮影をしている何組かの親子を見掛けた。

親に求められるままにカメラに向かってポーズを決め、ランドセルを背負ってはにかむ子どもの様子を何となしに眺めていたら、去年の記憶が鮮明に蘇ってきてしまい、動悸が早くなるのを感じたので、すぐにその場を離れた。

固く握った手のひらは、汗でぐっしょり濡れていた。

うむ。

まだまだ過去のものにはならないな。




実際のところ去年の今頃は、4月から巻き起こる事態など予想だにしていなかったので、かなり呑気な感じで過ごしていました。むしろ、4月からかなり楽になるんではないかと期待と希望に胸踊らせてすらいました。

完全に甘かった。

3月27日(月)

週末に義妹家族の住む静岡へ遊びに行ってきた。

本来であれば、彼らが念願の戸建てを新築した去年のうちに遊びに行きたかったのだが、我が家は就学後の擦った揉んだに翻弄されており、完全にタイミングを失ってしまっていたのだ。そのため、今回は我が家の念願も叶った訪問だったのである。

うむ。

白を基調とした輝くような御宅は、もちろんキズひとつ無く、私のような下賤者がお邪魔していいものかと玄関先で躊躇ってしまったほどだ。

ご近所の環境もとても良く、量販店や飲食店にも事欠かない。大きな公園や中ぐらいな公園が徒歩圏内にいくつかあり、少し足を伸ばせば海にも山にも近い。

最高じゃないか。

おそらくこの先、私が戸建てを新築する可能性はほとんど無いと思うが、もし先立つ物があるのなら、あの環境なら即決間違いない。

最高じゃないか。




二泊三日ぶんの荷物って、それ以上宿泊したとしてもほとんど量は変わらないので、重量対効果が悪い気がするのですが、どう思いますか?

ちなみに、一泊二日なら手ぶらでもいいですよね。

3月28日(火)

今回の静岡旅行は終日雨に降られてしまい、思うように動けずに難儀したのだが、思えば我が家の家族旅行は天気に恵まれないことが多い。

家族で行った初めての旅行は、生後間もない子どもを連れて訪れた長野への義母の墓参りだったのだが、この旅行からして季節外れの雪だったのだ。

それ以外に思いつくだけでも、石垣島や箱根や福岡や伊豆や白馬、ハバロフスクや釜山でも降られているし、初めての家族旅行以来、毎年行っている長野への墓参りでは、もう何度降られたか分からない。

うむ。

ちなみに、我が家の家族旅行を除いてみると、旅行で雨に降られたという記憶は、私も妻も心当たりがひとつも無い。

我が家の家族旅行だけ、なぜこうも高確率で雨なんだ? と恨めしく感じながらも、雨空の下で陽気に踊る子どもの後ろ姿を、実はあの子が雨子どもでは? と訝しく思っている駄目な父なのである。




新幹線の席が取りづらくなっていると聞いてはいたのですが、まだ自由席で大丈夫だろうと高を括っていたら、危うく座れなくなるところでした。

帰りの席は指定席を取りましたが、やはり満席。乗車客の半分が欧米からの外国人旅行客で占められていることにも驚きました。

3月29日(水)

こないだの日曜日は、子どもの通う水泳教室の進級検定があったのだが、静岡旅行とぶつかってしまたため、受けることができなかった。

そのため、進級は次の検定まで持ち越すことになる筈だったのだが、 昨日、水泳教室から電話があり、日頃の子どもの練習成果から、検定を受けずとも進級できる水準にあるので、今の初級クラスは終わりにして、次回から中級クラスに移ってくれとの連絡があった。

進級に関しては、時間帯が変わったり、受講人数が増えたりするため、前々から子どもが懸念を訴えていたので嫌な予感はしていたのだが、進級の件を子どもに伝えると、案の定「中級クラスは絶対に嫌だ! 初級クラスじゃないなら水泳やめる!」と泣きながら訴えるので、水泳教室に経緯を説明し、とりあえず次の検定まで今の初級クラスのままでいられるよう取り計らって貰った。

この際、水泳をやめるやめないは大きな問題ではない。我が家における目下最大の問題は、新学年に向けて如何に子どもが軟着陸できるかなのだ。ただでさえ微妙なこの時期に、要らぬことで変な波風が立つようなことは極力避けたい。新学年以外のことは現状維持が望ましいのだ。

我が家は今とっても繊細なのだ。




本人の意向で初級クラスに残留したい旨を伝えたところ、電話口で対応してくれた方はかなり困惑したようで、この件について奥様は承諾されていますか? と確認されてしまいました。

暴走する父親の独断専行。よくある話なのかな。

3月30日(木)

通勤時に桜並木を通る。毎年のように桜の咲き具合を見ていると、だいたい花の最盛期が分かってくる。昨日の観察では今日あたりが最盛期になるだろうと思っていたのだが、昨晩、花散らしの雨が降ってしまったので、今年の最盛期は昨日だったということになるだろう。

あとは散るばかりだ。

今朝、目を覚ますと鼻と喉に擦れるような違和感があって、今も続いている。日によっては、こうした違和感に加えて、脳が腫れぼったいような頭痛を感じることも何度かあって、もしかしたら、これがいわゆる花粉症なのだろうかと、戦々恐々としたり、しなかったり。

うむ。

実に他愛無い年度末。嵐の前の静けさでなければよい。




今朝、家を出る前に少し時間があったので、子どもが私の親指の爪にマニキュアを塗ってくれた。おかげで、本の頁を繰るたびに、親指の爪が鮮烈に目に飛び込んで来るので気が気じゃない。

3月31日(金)

日の入り時刻がだいぶ後退してくれたので、子どもが帰ってくる頃合いでもしっかり太陽が残るようになった。

そのせいかどうかは分からないが、子どもから、もうお迎えはいらないと言われたので、昨日は家で子どもの帰りを待っていると、玄関から「ただいま!」と大きな声が聞こえた。

うむ。

まずは手洗いうがいを促し、弁当箱や汚れ物を出すようお願いすると、子どもが妙に息を切らせているので、「走って帰ってきたの?」と尋ねると、「うん。怖かったから」と言うので、「友だちと帰ってこなかったの?」と更に尋ねると、「そこの角までは一緒だった」と言う。

「そこの角」とは、家から20㍍ほど離れた曲がり角のことだと思うのだが、そうか、それでも怖いか。

まあ、恐怖は生きていく上でとても大事な感情なので、否定するつもりはないが、上手な向き合い方は身に付けてもらいたい。

みなさん週末です。




ここのところ立て続けに悪夢を見ました。

ひとつは、知り合いから家の設計を全面的に任されるというものでした。手に余る内容に愕然としつつも、なんとか取り組もうとするのですが、やはり自分の力だけでは手に負えない事が分かり、恐怖で目が覚めました。

もうひとつは、クラブイベントに買ったばかりのお気に入りのブーツを履いていくのですが、クラブのバーラウンジにいた知り合いから、私のブーツの値段とブランドを指摘されたうえ、場違いだと皆から嘲笑われ、恐怖で目が覚めました。

恐怖は大事です。