2023年 9月
9月1日(金)

さて、いよいよ今日から新学期なわけなのだが、新学期に関しては、夏休みの中盤ごろに後ろ向きな発言が一度だけあったが、それ以降は特に気になる言動もなく、昨晩も自分で学校の準備をし、新学期早々かなりの大荷物で少し可哀想になるが、今朝も元気に登校したようである。

うむ。

ちなみに、今日でお弁当づくりが最終日。

夏休み最後のお弁当は、子どもが大好きなオムライス弁当。夏休み後半は、妻がお弁当づくりを担当してくれて、私のマンネリ弁当とは違い、毎朝、創意工夫を凝らした素敵なお弁当で子どもを喜ばせてくれ、本当に頭が下がる思いであった。

心より労いたい。

まあ、とは言え、新学期初日が週末の金曜日ということもあり、親も子もどことなく気楽に滑り出せたのも良かった。

今夜は妻が遅くなるというので、なんか美味いもんでも食べ行くか!




妻のつくった弁当のおかずの残りものを、自分の弁当箱に適当に放り込めば、あら不思議、自分の弁当がなんと手軽に完成するのでしょう。

とても楽でした。

9月4日(月)

週末は、子どもと病院に行ったり、買い物に行ったり、花札で遊んだり、イクラの軍艦巻きを作ったり、鯵の刺身を引いたりして過ごしたのだが、一見するとなんてことの無い週末のようにも思えるが、実のところ、子どもとずっと一緒にいることによるストレスはなかなかのもので、週末の度に心が重くなっている。

こうしたことからしても、やはり自分は子育てに向いていないのではないかと思ってしまうわけなのだが、最近はそれ以外にも、自分の行動が子どもに対するサポートになっているのか、エパワメントになっているのか、スポイルになっているのか、ただの親のエゴイズムなのかがよく分からなくなっていて、かなり混乱をきたしている。

こういう時は、むしろ意識的に距離を置いたほうが良いのだろう。




夏休みという長丁場もあったので、父子の距離が少し近づき過ぎた結果なのかな、と思っていますが、ようやく学校もはじまったので自然と解消されていく問題なのかな、とも思っています。

9月5日(火)

昨日は帰ってくるなり、ああでもない、こうでもない、と私に指示を出しながら、翌日の学校の準備の手伝いをさせたかと思うと、珍しく自らすすんで食器の上げ下げをして、さっさと折り紙に熱中する子どもであった。

学校がはじまったからなのか、はたまた、ただの気まぐれなのか、昨日ボヤいたばかりなだけに、突然の子どもの行動変化に面食らってしまった。

うむ。

さて、昨日ボヤいてみて思ったことだが、私が子どもの相手をすることにストレスを感じるからこそ、それを妻に任せることに気後れしてしまい、頼みづらかった面があったのだが、実のところ、妻はそれほどストレスに感じていない、ということに思い至った。

もちろん、その時々の状況や程度にもよるだろうが、妻は自分がストレスにならない程度に、絶妙な距離感を保ちながら子どもと接しているので、私のように擦り切れるまで疲弊するような、そんな悲惨なことにはならないようなのだ。

妻の技を学んでこれから身につけるよりは、子どもの自立のほうが早いと思うので、本当にどうしようもない時は、妻に任せるのが良さそうだ。




ストレスと言えば、毎日、妻と子どもの水筒を洗っているのですが、まず筒に手が入らず、細々した部品が多いため、洗うのも拭くのも面倒なうえ、乾かすのにも場所が取られるので、地味にストレスを感じています。

夏場はこれに加えて、冷水ピッチャーなども頻繁に加わるため、水筒3本と冷水ピッチャー3本などという、悪魔の所業としか考えられないような日もあります。

9月6日(水)

子どもが生まれてから、仕事関連の酒宴にはまったく顔を出さなくなってしまい、そうこうしているうちにコロナ禍もやって来て、酒宴自体が行われなくなってしまったので、かれこれ7年以上、仕事関連の酒宴はご無沙汰している。

以前は二つ返事で参加していただけに、ずいぶんな変わりようではあるが、7年以上もご無沙汰してしまうと、仕事関連の酒宴に対する意味や意義、はたまた妙味や悦楽がまったく感じられなくなってしまった、というのが正直なところである。

というわけで、今度、久しぶりに歓迎会を兼ねた職場の親睦会が行われるようなのだが、面倒なのと億劫なのとで、さて此れ如何に。




もちろん友人・知人との酒宴はこの限りではありません。というより、大歓迎です。

9月7日(木)

最近、子どもの話を聞いていると、ずいぶんと語彙力や表現力が豊かになり、会話を論理的に展開するようになってきたな、と思うことがある。

おかげで、子どもの学校での様子が手に取るように分かるので、聞いているこちらも楽しいのだが、それと同時に、今の子どもと同じ小学校2年生2学期の頃の自分の記憶が次々と鮮明に蘇ってきて、とても不思議な感じがしている。

例えば、今、子どもは目下、学芸会の練習をしているそうなのだが、その話を聞いていると、そう言えば自分も小学校2年の2学期に「半日村」という劇でスズメの役を貰い、放課後の教室の前の廊下で歌と踊りの練習をして、白いタイツや翼を模した衣装が嫌で仕方なくて、その日の帰りに、夏休みに交通事故に遭った友だちが退院して職員室に顔を出していたところに偶然出会い、まだ松葉杖をついていたので付き添って一緒に帰り、その友だちが広い駐車場で蝙蝠が何匹も飛んでいるのを見つけて二人で眺めていたら、「5時なのにもう日が暮れはじめてる」と友だちが呟いたので、太陽は季節によって沈む時間が変わるんだなと初めて気づいた、といったところまで、芋づる式に思い出してしまう。

言語の獲得と記憶のはじまりには密接な関係があるそうだ。かつての私と同じように、子どもは今、言葉の獲得によって新たな記憶の世界を押し広げているところでもあるのだろう。もちろん同様に、子ども自身の世界や社会も広げはじめているのだろう。

広げるのは面白いけど、広げすぎるとけっこう大変だぞ。




子どもより、日曜日に仕込んだイクラの醤油漬けが、もうすでに無くなってしまったので、帰りがけにひと腹買って来て欲しいとのことでしたが、ついでに梨と桃でも買って帰ろうと思います。

食材だけは秋になりつつありますね。

9月8日(金)

妻が友人との会食で不在にする夜が今週は二度あり、子どもが「一人だけ楽しいことばっかでズルい!」と憤っていたので、「べつにズルくはないよ。自分も楽しいことをどんどんやりなさい」と諭したところ、「じゃあ、花札やろう!」と悪の道に誘われてしまった。

うむ。

しかし、この社会に生じがちな同質性の高さからくる「ズルさ」の感情は、とても危険で脆弱な側面があるから、本当に気をつけないといけないぞ。

花見で一杯! こいこい!




昨日、醤油漬け用のイクラを買いに行ったのですが、「イクラほぐし網」なる商品以外に、イクラの姿はどこにも見当たりませんでした。仕入れの日が決まってるのかな?

「イクラほぐし網」が必要なぐらい仕込んでみたいものです。

9月11日(月)

土曜日、子どもの学校参観日があったのだが、会社の周年行事にどうしても参加しなくてはならず、社長のありがたいお言葉が終わると同時に会場をダッシュで抜け出した。

授業こそ観られなかったが、子どもたちの夏休み研究はじっくり観ることができたので、まあ、良しとする。許してやろう。

この日は夕方から学校で「星空映画館」と題した屋外映画上映のイベントがあり、子どもも参加する予定でいたのだが、少し早めに友だち3人と我が家で待ち合わせをして、みんなで一緒に行く約束をしており、昼食を食べ終わったぐらいから「みんなまだ来ないかなぁ」とボヤきはじめ、楽しみで仕方ない様子が滲み出ていて可愛いかった。

残念ながら私も夕方から高校時代の同窓会があり、楽しみすぎる子どもたちの女子会に立ち会うことは叶わなかったが、こちらも楽しい酒宴で見事に撃沈し、翌日の日曜日はまったく使い物にならなくなってしまい、見兼ねた妻子は、さっさと映画鑑賞に出掛けてしまった。

そんな週末。




周年行事には、どうしても都合がつかなった社員の何人かが子連れで参加しており、乳幼児を連れてきた社員は子どもが愚図りはじめてしまい、会場を出たり入ったりしていて、その姿を見た社長が「子どもは騒ぐのが仕事だから気にしなくていいよ」などと、寛容ぶった経営者を装っていましたが、そもそも土曜に会社行事なんてぶち込まないで下さいよ。

経営者のズレた感覚は、そのまま直接会社の先行きに関わりますからね。怖い。

9月12日(火)

昨日も書いたが、先週末に子どもの友だちが遊びに来ると言うので、お菓子を準備しておいたのだが、お菓子を食べる間もなく、「星空映画館」の時間になってしまったようで、せっかく買ったお菓子が大量に余ってしまった。

しかも、友だちも各々にお菓子を持ってきてくれて、お菓子だけが増えてしまうという結果になってしまったため、今週末もまた遊びに来てもらって、なんとかお菓子を消化してくれないかなと思っているのだが、どうだろう。

今日は妻の誕生日なのでケーキを買って帰る。毎年同じ店のケーキで変わり映えしないけれど、同じだからこそ、年に一度の式典感が増すところもある。

ちなみに、妻は私より学年がひとつ下なのだが、私が12月生まれなので、今日から3ヶ月ちょっとは同じ年齢なのだ。

別に、そんなことは当たり前のことだし、なんてことないように思えるかもしれないが、一年のうちの3ヶ月だけ妻と同じ年齢って、なんか良い。




日曜日にイクラの醤油漬けの第二弾を漬け込んだのですが、二日酔いで漬け込みダレを作る気力が出なかったので、市販のタレに漬け込んだところ、美味いじゃないか!

ちょっと悔しいですが。仕方ない。

9月13日(水)

土曜日の同窓会の後、少人数で二次会へ繰り出したのは良かったが、最初の威勢は何処へやら、結局のところ二杯ほどで解散し、少し呑み足りないなと思い、とぼとぼと歩いていたら、まるで私の心を読んだかのように目の前にBARの看板があったので、恐る恐る扉を開いたら、そこがとても居心地の良い理想のような空間の店で、出てくる飲み物はもちろん、接客の気遣いやちょっとしたオツマミにまで、とても丁寧に心が配られていて、その日最後の充実した一杯を呑み干して帰ってきた。

一夜明け、近くに行ったらまたあの店に寄りたいなと思ったのだが、店の名前も場所もまったく覚えておらず、もしかしたら、酔っ払いの幻覚だったのではないかとすら思いつつ、しかし今の時代、ネットを駆使すれば、たぶんおおよそのことは調べがつくのだろうし、おそらくこの店の見当もつくのだろうが、敢えてそういうことはしないでおこうと思う今日此の頃である。

まあ、何か良い巡り合わせがあれば、また辿り着けるだろう。




昨日は妻の誕生日で、妻自ら腕によりをかけた新作メニューに挑戦しましたが、見事に失敗してしまったので、今日の私のお弁当のオカズになりました。

当たって砕けろの精神が素敵です。誕生日おめでとう。

9月14日(木)

朝、目を覚ますなり「お腹痛い」と呟く子ども。

保育園の頃から、不意に腹痛を訴える子どもではあったが、朝の腹痛には少し敏感になる。しばらくして、トイレに向かったので、胸を撫で下ろす。

昨晩、子どもが、たぶん毎日が楽しいから一日がすぐ終わってしまう、というようなことを言っていたので、ひとまず、要らぬ心配は無用なのかもしれない。

うむ。

あと、やはり昨晩、子どもの学校の来月の予定を確認していたら、絶妙なところに振替休日があることが判明し、どこか旅行にでも行けるんじゃないか!? と少し浮足立っている我が家である。

まあそもそも、もう少し自由に、そして気楽に学校が休める制度や仕組みがあれば、こんなことで一喜一憂しなくても済むのですが。




会社の労働組合の職場の代表に選ばれたため、今日は午後から組合の外部会議があります。かなり久しぶりに昼が外食になるので、今からとても楽しみです。

ストライキ断行!

9月15日(金)

妻が申し込んでいた宇和島の早生みかん10㌔が届き、我が家は今、みかんだらけになっている。

とりあえず昨日、子どもの友だち2人に押し付けるようにして10個づつおすそ分けしたのだが、元々の量が多すぎるためか、ぜんぜん減った感じがしないので、私も欲しい! と申し出てくれた別の友だちにもおすそ分けしようと思っているのだが、今日は週末なので持ち帰りの荷物が多いのと、午後から雨予報が出ている(雷雨でした)のとで、さて、いつ渡したものかと悩み中である。

しかし、これでは、ただの小学生相手の押し売りだよなぁ、と思いつつも背に腹は代えられないので、もしお子さんがある日突然みかんを持って帰ってきたら、犯人は私です。

うむ。

さて、明日からは待望の三連休。

我が家は初日に工事が入ってしまうので、ちょっと出端を挫かれる感じになってしまうが、色々と楽しい企画や計画もあるので、今からとても楽しみだ。




子どもと話をしていると、5年ぐらい前の記憶はまだしっかり残っていて、つまりは、まだ発話もままならない2歳ぐらいの出来事を、つい昨日のことのようにペラペラと話しはじめるので、とても驚愕させられています。

さてしかし、いつまで覚えていられるかな。

9月19日(火)

三連休を目前に控えた金曜日、あろうことか会社に携帯電話を忘れてきてしまい、取りに戻るべきかどうしようかと迷ったのだが、結局、電話は会社に置いたまま、イベント目白押しの三連休は特に不都合や不便を感じることなく乗り切ることができた。

うむ。

私が現在使用している携帯電話、いわゆるガラケーの第3世代移動通信システム(3G)は、2026年3月31日(火)で全面的な運用終了が決まっている。

まだ少し先の話ではあるが、それまでに然るべきサービスに乗り換えなくてはいけないな、と思っていたのだが、この三連休のことを考えると、もういっそのこと何も持たないほうがよっぽどスマートだよな、とも感じてしまう。

出先での通話連絡だけを考えるのなら、個人的には、キッズスマホやBoTトークのようなもので充分なのだが、連絡手段が様々なアプリを介して行われている今、やはりスマホに変えざるを得ないのか。

ぜんぜんスマートじゃない。




日曜日に九月場所八日目の取り組みを観に行きました。

結びの一番が終わって帰ろうと思ったところ、出入り口がかなり混雑していたため、折角だから土俵の近くを見ていこうと家族で土俵際に降りていくと、NHKの中継の解説に入っていた宮城野親方(元横綱 白鵬)が放送席からちょうど降りてきたところで、かなり間近で対面することができました。

白鵬は白鵬だった。

9月20日(水)

子どもの学校の宿題に、今度行われる学芸会の自分の台詞の練習があったのだが、もう覚えたからやらない、と言って、学校で友だちと遊ぶためのゴミ分別カード(どう遊ぶのかは不明)を一生懸命作リはじめたので、それならまっいっかと思い、宿題の確認カードはとりあえず「良くできました」にしておいたのだが、夕食後、やらないと言っていた練習にとどまらず、学芸会の演目のほぼ全編を一人で演じきってしまった(独演会とも言う)のであった。

「たいへん良くできました」

三連休明け、子どものクラスでは6人が体調不良で欠席だったそうだ。

いよいよきたか。




友だちと一緒に学校に内緒で蜘蛛を飼うことにしたからハエトリグモを捕まえてくれ、という司令を子どもから受けたので、二匹捕まえたところ、健康そうな個体を選んで登校していきました。

9月21日(木)

昨日、子どもが左手の親指に、病院に行くまでではないが、まずまずの怪我をして帰ってきて、暫くは痛むだろうなという感じだったので様子を見ていたら、案の定、痛くて宿題ができない、痛くて明日の準備ができない、痛くて箸が持てない、痛くて着替えられない、などなど、あらゆる場面で弱音を吐いていた。

うむ。

あと昨日は、実家から高級葡萄の詰め合わせが送られてきたので、喜び勇んでさっそく食べてみたのだが、高級とは言えシロップ漬けかと思うほどの驚愕の甘さに、果たして、葡萄をここまで甘くする必要があるのだろうかと、絶句を通り越して戦慄してしまったのだった。

そんな甘ったるい葡萄を、子どもは無心になって素手でばくばく食べていたのだが、そう言えば、親指の痛みは何処いったんだ?




先生には内緒で飼育すると言って、学校へ持っていったハエトリグモは、友だちが作ってきた立派な飼育箱で管理していくようですが、お世話係の別の友だちが、ハエトリグモを散歩させている間に逃げてしまったそうです。

仕方ないので、今日もハエトリグモを一匹持たせてやりました。

9月22日(金)

昨日、帰宅する際、駅のホームで私の少し前を歩いていたお年寄りが転倒した。

受け身もとらずに倒れたので、慌てて駆けつけたのだが、幸いにも目立った怪我はなく、意識もしっかりしていたので、近くのベンチまで連れて行った。

昨日、帰宅する際、私より少し若い感じのホームレス状態の人が、いつも使う乗り換えの駅の改札口の前に佇んでいた。最近よく見掛ける人だ。そう言えば、自宅の近所や最寄り駅でも、老年の女性や私と同じ年齢ぐらいの男性など、年齢や性別に関係なくホームレス状態の人を時々見掛けるようになった。

おそらく今後、嫌でもこうした光景が日常の風景となっていくと思うのだが、目の前で転んだお年寄りは助けられても、ホームレス状態の人にはどんな手を差し伸べたらいいのだろうか、というようなことを、真剣に考えなくてはならない時代になってきた。




子どもの友だちが隣の駅で親と待ち合わせをしていたのに、交通系ICカードのチャージを自動販売機で使ってしまい、肝心の交通費が無くなってしまったそうです。

これぞまさにキャッシュレス化の落とし穴。

個人的にですが、キャッシュレス化ってどうしても金銭感覚が甘くなってしまうと思うのですが、どうなのでしょう? ちなみに、その友だちは紆余曲折ありながらも事なきを得たようです。

9月25日(月)

―― 土曜日 ―――

これまでの暑さが嘘だったかのような涼しさで熟睡。おかげで少し寝坊。隣町のパン屋へ朝食を食べに行く。駅前の交番に迷子の裸足の少女。心配。

パン屋はけっこうな混雑。パン。もう安くない。帰りにデパートで子どものスニーカー購入。私のスニーカーより高い。駅前の交番に少女の姿無し。心配。

昼食はどうしようかと子どもと相談した結果、昼はソース焼きそば、夜はキーマカレーにすることで決定。スーパーに寄って材料調達。生筋子2500円。パス。

ソース焼きそばの作り方は、ほぼ完璧。味も安定。あとは具材や付け合せで変化をつけるか。揚げ玉と青のりと紅生姜。本物の桜えびはやっぱ高い。

昼食後、久しぶりに近所の川に釣りへ。餌がなかったので魚肉ソーセージ。一投目でまずヌマチチブを一匹。でも釣果はこの一匹だけ。濁りが酷く流れも早いので30分ほどで切り上げて図書館へ。

図書館で予約していたスティービー・ワンダーの初期のアルバム一式を受け取る。本も数冊。新刊コーナーは特に目につく本無し。閲覧コーナーは初老の男性で満席。

家に戻ると妻から、夕方から友人が遊びに来ることになったとのこと。カレーにしといて大正解。子どもと花札で一勝負した後で夕飯の準備。

夕方友人来訪。お互いに久しぶり~! と言いつつ、二年も会っていないことに気付いて嫌になる。近況報告だけでも盛り沢山。

楽しい時間はすぐに終わり、友人の帰る時間。それでもいつもより少し夜更かしして就寝。


―― 日曜日 ―――

涼しいのと夜更かししたので、この日も少し寝坊。朝食は昨日の残りのカレー。子どもはカレーは嫌だと我儘を言うので、仕方なく、近所のパン屋の月見バーガーを買いに行く。

涼しいので、手付かずだった庭の植物たちの剪定作業に着手。猫の糞を踏む。臭い。猫たちもこの涼しさで活動範囲を広げているのかもしれない。何れにせよ糞は勘弁なので猫避けに木酢液散布。

昼食は川向うの公園でピクニックランチ。思い通りに雲を動かす技を子どもと練習。ぜんぜん動かない。ラジオを流しながらゴロゴロとビール。最高の時間。日陰に合わせて我々も時々移動。隣の木陰では高校生ぐらいの若人が女子会している。

帰宅。おやつの小休憩のあと、みんなで週末の後片付けと週明けの準備。

気になっていた近所の画廊の企画展が今日までだったと思い出し、見に行く。新しくて軽快で瑞々しい表現。子どもが選んだマグネト購入。やり手の女性画廊主と展示中の若い作家としばし談笑。子どもはモジモジ。

画廊を後にして、子どもと妻は銭湯へ、私は夕食の準備のため帰宅。

たらこスパゲティとミヨックㇰ(わかめスープ)とサラダにしようと思っていたら、サラダに使おうと思っていたトマトが悪くなっていた。

妻子が帰ってきて夕飯。先週観戦しに行った九月場所の千秋楽の中継を銭湯で観戦。今場所も貴景勝の優勝だそう。

ざざっと後片付けしたあとは、みんなで手早く寝支度をして、週明けに備えて早めに就寝。図書館でかりてきたグラフィック·ノベル『台湾の少年』を寝際に読む。日本統治時代の台湾。知らないことだらけ。



他愛のない週末。でもこれが本来の週末。

9月26日(火)

昨日、子どもが学校で秘かに友だちと飼っているハエトリグモを三匹持って帰ってきた。

なんか増えてない?

子どもの説明によると、自分が食事当番になっているから持って帰ってきたが、この三匹とは別に、もう一匹は別の友だちが持って帰った、とのこと。

まだ別に一匹いるのか。。。

子どもが食事当番とのことだが、餌の調達はおそらく私に命じられると思うので、実質的に私がハエトリグモの食事当番となるのだろう。

うむ。

今度、子どもにではなく友だちに、なんかもっと別のものを飼ってみてはどうだろうか、と提案してみようと思う。




コロナ禍に入社した若い子が最近マスクを外すようになり、君はそんな顔をしていたのか、とかなり驚いている今日此の頃です。

9月27日(水)

昨日、子どもを迎えに家を出ると、いつも子どもと一緒に帰ってくる仲良し友だち三人組が道端で佇んでいるところに出会った。

輪の中に子どもの姿が見えないので、どうしたのだろうと思っていたら、友だちの一人から、ちょっとした行き違いでうちの子が怒ってしまい、仲直りしたくて話をしたいのだが向こうへ逃げていってしまった、とのこと。

うむ。

少し先に行ってみると、道の隅っこで子どもが一人で泣いていたので、みんな仲直りしたいって言ってるけど、と伝えたのだが、まったく聞く耳を持たない感じだった。

昔から、一度こうなってしまうと手が付けられない頑固なところがあるので、友だちには先に帰ってもらい、事情を聞きながら帰宅したが、案の定、子どもの思い込みによる被害妄想の側面が大きいようで、これも昔からしばしばありがちなことではあったことなので、またか、という感じだった。

問題が解決していないため、家に帰っても不機嫌さから傍若無人な態度が続き、とうとう妻が爆発してしまったが、ちょうど私の家事が片付いたところだったので、子どもの対応を交替し、なんとか宥め賺して事なきを得て就寝したが、今朝もどことなく引きずっている様子だった。

昔から、子どもは仲良い友だちに対する依存傾向が強いため、友だちの些細な対応に敏感に反応し、今回のような唐突な行動に出ることがしばしばある。

今はまだ、友だちも友好的な関係を保とうとしてくれているが、今の子どもの反応や対応や態度が続くのならば、近い将来、友だちの方から何も言わずに距離を置きはじめ、離れてゆく時が来るだろうと思う。

そうなった時、今度は子ども本人が、自ら気づいて、自ら悩んで、自ら考えて、自ら改める他に、親ができることはあまり無いだろう。もうそういう年頃なのだ。




いよいよ次年度の学童クラブ申込みの季節がやって来ましたが、三年生となる来年度は、いよいよかなり望み薄な状況で、ここに来ていよいよ路頭に迷うかと思うと、非常に複雑な気分です。

ただでさえ、浮き沈みの多い我が家の子育てに加え、こうした安定要素が毎年のように加わることには、かなりストレスを感じています。

9月28日(木)

子どもを迎えに家を出ると、いつも子どもと一緒に帰ってくる仲良し友だち三人組の中に、大人が一人混じっていたので、学童の指導員の方かな? と思って近づいたら、学校の担任の先生だった。

先生に抱きつくようにして楽しそうに歩いている三人組の姿からは、それだけでもう、昨日の一件の仲直りができていることが分かったが、一応、あんたたちもう仲直りできたの? と尋ねてみると、できてるよ! と即答で元気な声が返ってきた。それを聞いて先生が、え!? あんたたち喧嘩してたの!? と驚いて、みんなで笑っていたが、その一連のやり取りから、先生とも良い関係が築けているのだなと安堵した。

子どもは先生を送ってくると言って、私にランドセルとタブレットを押し付けて、友だちと先生と一緒に駅の方まで行ってしまった。

うむ。

子どもと過ごす日々は毎日が劇的だが、まだあまり遠くに行かないでな。




先週ぐらいから、若干の鼻水と喉の絡みが気になり、目にはまずまずの痒みと痛みを感じはじめています。これってもしかして。。。

花粉症 !?

9月29日(金)

いつもの時間に子どもを迎えに家を出ると、もう既に家の近くまで子どもが一人で帰って来ているところだった。

一人だったの? と尋ねると、みんな早帰りだったり休みだったり、とのこと。ずいぶん早かったね、と尋ねると、一人だったから、とのこと。

いつも帰ってくる仲良し三人組が全員不在というのは初めてのことで、おそらく偶然だとは思うのだが、みんな来年度の学童に入る見込みが薄いため、少しずつ家に一人でいる練習のようなことをしているのかもしれない、などと、変な勘ぐりを入れてしまったりして、自分が嫌になる。

うむ。

夕飯を食べはじめると、子どもは口内炎が酷く痛むらしく、ぐちゃぐちゃと文句を言いはじめ、妻は仕事に酷く不満があるらしく、むにゃむにゃと文句を言いはじめ、空気の重いままいつもより長い時間を掛けて夕食を終わらせた。

その後、なんとか寝支度を整えて就寝。子どもの寝付きは良かったが、妻はストレス解消の夜更かし。深夜、子どもが寝苦しさのため、ふにゃふにゃと目を覚ましては、ぐちゃぐちゃむにゃむにゃと文句を言い、けっきょく朝方まで寝れず、家族全員寝不足の朝を迎えた。

今日を乗り切れば楽しい週末だ。頑張ろう。

あと、いつも笑顔の絶えない明るい家庭なんて嘘だ。




うちの子どももそうだったのだが、子どものまわりでも、自分の一人称として「ぼく」を使っている女の子をけっこう普通にみかける。

我々世代のキャラ的な「ボクっ娘」とは違って、かなりニュートラルに使っている印象があるので、このままうまく定着すると良いと思うのだが、世間からいろいろな横槍が入って使わなくなるんだろう。

とても残念。

9月30日(土)

午前中に工務店の方に来てもらった。

夏前から懸案だった子ども部屋の雨漏りは、あの手この手で対処してもらっていたのだが、あまり状況は変わらず、やはり根本的な工事を行うことになった。

築40年近い古い家なので、手が掛かることは仕方ないのだが、毎年のようにどこかを修理してもらっている気がする。

できれば子どもが巣立つぐらいまでは、このままなんとか住み続けたいと思っているのだが、さまざまに自然災害が猛威を振るう昨今、そんなささやかな夢でさえ、贅沢な夢なのかもしれない。

今回の工事も、保険が適用されるといいのだが。どうなのだろう。

景気づけに今夜は焼肉でも食べに行こう。




ふとした瞬に、今まさにポストアポカリプスが進行中なのではないか、と思うことがあります。