2023年 10月
10月1日(日)

昨日は午後に映画を観に行って、そのまま焼肉に行こうとしていたのだが、子どもがまったく外出したがらず、家でゴロゴロしてばかり。いくら週末とはいえ、ちょっとダラダラしすぎだよなと思って、夕飯の買い出しだけでも連れ出して、家に帰ってくると熱があった。

うむ。

喉と頭の痛みを訴え、咳も少しある。熱といっても高熱ではないが、今日は一日安静に。行きたいイベントもあったが、こんな時は致し方無し。

そんな月明けの日曜日。




久しぶりに昼寝をしたら、三時間近く寝てしまいました。

10月2日(月)

朝起きて、子どもに身体の様子を尋ねると、もう大丈夫だから学校行けそう、と言っていたのだが、着替えの段になると、なんかフラフラするからやっぱ無理、となった。

熱は落ち着いたものの、鼻水と咳がまだ酷いので学校は休むことに。週末は学校の文化芸術劇場で『スイミー』の舞台発表もあるので、ここであまり無理はさせたくないところ。

週末に引き続き、三日連続自宅お籠り生活。

致し方無し。




せめてもの息抜きに、今日はランチビールとさせて頂きます。

10月3日(火)

昨日の昼過ぎに学校からメールがあり、体調不良の生徒が増加しているため、子どものクラスを含めた3クラスが、今日から二日間の学級閉鎖になるとの連絡を受けた。

夕方にも担任の先生から電話があり、子どものクラスではインフルエンザが6人と体調不良が複数人出てしまった、との経緯を伺い、うちの子どもの心配をして下さった。

うむ。

先生からの連絡では、学級閉鎖期間中も午前中だけオンライン授業を予定しているので、元気な生徒は無理ない範囲で参加するようにとの事だったので、まあまあ元気になってきているうちの子どもは、今朝の朝の会からオンラインで参加したのだが、こんなの意味ないとすぐにオフラインにしてしまった。

うむ。

その気持ち分からなくもないではないが、オンラインなんだからもう少しやりようがあるのに。

なんとも不器用な子である。

明日は午前中休みをとって、子どものオンライン授業の様子を垣間見てみたかったのだが、この調子だと難しいかもしれない。まあ、できることなら朝の会だけでもいいのでオンラインしてくれ。




久しぶりに連絡した友人から、今年から小学生になったお子さんがあまり学校に行ってくれなくて困っているという話を聞いて、うちの子も実は、という話をしましたが、あまり楽観的なことを軽々に言うわけにもいかないので、なかなか。

今の学校教育における、子どもや家庭への負担の大きさについて、かなり意見が一致したところです。

10月4日(水)

学級閉鎖二日目。

子どものオンライン授業の様子を見てみたくて、午前中休みにしたのだが、朝の会を終えたあと、授業が始まるやいなや即座にボイコット。

実際の授業でも、それぐらい堂々とサボタージュできれば立派なものなのだが。

うむ。

さて、授業を受けずに何をするかと思って見ていると、オンライン授業で使っていたタブレットからプログラミング教材のアプリを立ち上げて、なにやらモニョモニョやっている。

面白そうなので、ちょっと近づいて見てみると、けっこう良くできたアプリで、単純ではあるが順次や分岐や反復の処理が分かりやすく実行できるようになっており、実際にVBAのコードまで吐き出してくれる。

子どもが取り組んでいる横から、もうちょっと簡単な処理ができるよ、などと口を出したりして、授業のことなどすっかり忘れて、父子でハマってしまったのだった。

そんなわけで午後から出社してみると、仕事が山盛りに溜まっていて、これじゃあ今日の日記が書けない! と思って久しぶりに本気で頑張ったら、こうしてなんとか無事に書けました。




オンライン授業をしている担任の先生自身が、鼻水ズルズルの咳ゲホゲホだったので、学級閉鎖明けの明日からは大丈夫なのか? と思ってしまいました。

子どもたちはタブレット内でも超元気でした。

10月5日(木)

子どものクラスの学級閉鎖が終わり、今朝は元気に登校したようである。

これにてとりあえず一件落着だ。良かった。

さて昨日、ヘトヘトで家に帰ると、体調不良だった週末2日+1日と学級閉鎖の2日を含めた、全5日間を家で過ごしたことが影響したのか、子どもがちょっとしたアナーキストのような、やりたいことだけやらせてよ! という主張や態度をとるようになっていて、おっ! なかなかやるではないか! と感心していたのだが、あまりの傍若無人な態度に業を煮やした妻が爆発、呼応するように子どもも更に大反発、お互いに火に油を注ぐような阿鼻叫喚の泥沼状態になってしまった。

うむ。

まあ、妻も二日連続で子どもと一緒にいたので仕方ない。その場は私が道化を演じることで、なんとか事なきを得ることができたのだが、さらにドッと疲れてしまった。

個人的には、子どもに芽生えたアナキズムの抵抗の精神は、今後も大事に育んでいってもらいたいと思うのだが、そうした精神を持つこと自体がけっこうな消耗を強いられる世の中でもあるので、さて、どうなることやら。




最近、自治体からの不審者情報のあまりの多さに心底辟易させられています。日本の様々な神話が現在進行系で崩壊中です。

10月6日(金)

今日は学校の文化芸術劇場の公演本番のため、いつもより早く家を出た子どもだったが、いつもと違う行動に異様に不安を抱くところがあるので、やっぱ止めようかな、などと変に躊躇していたが、なんとか無事に登校して行ったようである。

うむ。

学級閉鎖明けの初日となった昨日は、子どものクラスは半数の生徒しか登校してこなかったようで、本番前のゲネプロもままならなかったようである。

そのため、今日の出席状況如何では、子どもの学年の公演だけ延期になるかもしれないとのことだったが、明日は一般向けの公開公演も予定されているので、いやさて、どうなることやら――。




どうやら無事予定通り公演を行うことになったようです。

10月11日(水)

先週土曜日に行われた子どもの学校の文化芸術劇場(学芸会)の振替で、昨日10日が休みになったため、このちょっとズレた三連休を使って前々から家族旅行を計画していたのだが、旅行前日に私が原因不明の喉痛と倦怠感に襲われ、持てる力を十分に発揮できない満身創痍の旅行となってしまった。

楽しみにしていた妻子には申し訳がたたないが、妻子なりに楽しんでいたようなので、それだけが救いである。

うむ。

喉の痛みは若干和らいだものの、今もしつこく続いていて、日常生活や職場の業務に支障が出るぐらいには苛まれており、おまけに今日は、会社で健康診断があったため、毎年恒例のバリウム検査の下剤地獄にも苛まれており、体調不良に陥ってからの五日間のうちで、今日が一番過酷な一日かもしれない。

早いところ健康を取り戻して、抜群に旨い麦酒が呑めるようになりたいところである。




最近、子どもが旅行に行く度にお土産を買って友だちに渡していたのですが、友だちの方も気を遣って素敵で高価なお土産を律義に返してくれるので、ちょっと困ったなと思っていました。

ところが今回は子どもの発案で、旅先で拾ったり貰ったりした素敵な物に手紙を付けて、更に装飾と包装を施してお土産にすることにしたそうです。

とても良い考えです。

10月12日(木)

おかげさまで、喉の痛みは和らいできているものの、それとは逆に、声がどんどん出しづらくなっている。

うむ。

さて昨日、バリウム検査後の下剤の脅威と格闘しながら、なんとかかんとか無事に帰宅して、急いで子どもを迎えに出ると、子どもたちが先週行った文化芸術劇場の演目を路上でど派手に再演していた。

なぜ今また? と思ってその様子を眺めていたら、舞台で使った衣装の持ち帰りがあったらしく、それぞれの衣装を羽織って帰っていたら、みんなで盛り上がってしまったようだ。

うむ。

夕暮れ時、子どもたちの演技の様子に足を止め、微笑ましく鑑賞している道行く人々の姿に、かつての天井桟敷や紅テントの市街演劇や状況演劇も、もしかしたらこんな感じだったのだろうか、と自分の知らぬ時代に思いを馳せるのだった。




来年度の学童保育利用申請書類の配布が始まったので、子どもが通っている施設の今年度実績を子育て支援課に確認したところ、入園可能な最低選考基準指数が一昨年度より2ポイントも増えていました。

2ポイントも増えるとなると、我が家の指数では1ポイント足りないため、このまま推移するとなると入園できない状況です。

困ったことです。

10月13日(金)

なぜこの町だけに、こうも過剰に人が満ち溢れているのだろうかと、地方の旅行から帰ってくる度に、いつも思う。

うむ。

さて、今週の我が家の稼働日は、件の旅行もあったため、たった三日だけなのに、旅行で訪れた能登半島の素晴らしい余韻と日常生活の落差や、妻の連日の仕事の激務と残業とが相俟って、何だか妙にギスギスした三日間でもあった。

そんなわけで、今日はもう金曜日。ちょっと重たい雰囲気もあったけど、喉の調子も良くなってきたので、あまりカリカリせず、ユルユルダラダラ週末を楽しもう。




味噌汁とご飯の用意さえしておけば万事OKになるような、そんな晩飯作りが一気に省略できる、肉屋とか魚屋とか惣菜屋が家の近所にあれば(以前はあった)かなり最高なんだけど。

注)両隣の町にはあります。

10月16日(月)

土曜日は家族で古い友人に会いに行き、日曜日は家族で古い友人の展示を観に行った。

友人なのに、古い古いと言ってしまってちょっと失礼かもしれないが、友人にずっと渡そうと思っていた写真が20年前のものだったり、友人と会うのが久しぶりだと思ってよくよく考えたら7年もご無沙汰していたりと、時間経過がいちいち著しいのだから、やはり古いと言わざるを得ないのかもしれない。

しかし、確かに我々は古いかもしれないが、常に志は瑞々しくあるのだ。

うむ。




今夜はシンプル一択トマトソースパスタに挑みます。

決め手はトマトの瑞々しさ。

10月17日(火)

日曜の夜、胃の調子が芳しくなかったので、いつもより早めに横になろうとしていたところ、子どもが私の側に静かにやって来て、私も本当は学校に行きたくないんだ、とこっそり教えてくれた。

うむ。

今日は学校の異学年交流の一貫で、学年横断的な班を作って近所の河原に遠足に行くそうだ。子どもは低学年なので特別な役割や任務はまだないようだが、最下級学年ではないので下の学年の子どもたちはいるし、お世話もしなければいけない。

そんなこともあるからなのか、今朝はちょっと年上風を吹かせたような感じで、今日の夕方はお迎えいらないから、と少し得意げに私に言い放っていったのだった。

うむ。

子どもはすぐ親離れするから、今のうちに覚悟しておいた方がいい、などと各方面からよく言われがちな私だが、その都度、自分の時間もできるし、親離れ大歓迎ですよ、と答える。すると今度は、痩せ我慢しちゃって、本当は寂しいくせに、などと必ず言われる。

もう! どうせえっちゅうねん!




今夜は茄子と豚の中華炒めに挑みます。

決め手は材料ごとの炒め分け。

10月18日(水)

今日の夕方のお迎えは、来たかったらきてもいいけど、できれば来てほしくない、とのことだった。

うむ。

とは言え、放っておくといつまでも帰ってこないことが多く、昨日もあまりに帰りが遅いので、エプロン姿のまま迎えに出ると、いつも友だちと別れる曲がり角で、友だちと楽しそうに駄弁っているところだった。

うむ。

さて今週末は、学童クラブの個人面談があるのだが、来年から学童クラブの受入人数が20人増えて100人となるそうで、受け入れから弾かれそうな我々のような利用者としては、枠が増えることで入所の望みも増えるのだが、ただえさえ飽和状態にある施設の容量はそのままに、20人も増やして大丈夫なのか? という懸念もかなりある。

そんな訳なので、今通っている学童クラブからは少し離れてしまうのだが、我が家からも通所可能な場所に公園併設の児童館がもうひとつあって、その施設なら入所の望みも高く、環境も良さそうなので、今の施設にすし詰めに押し込まれるよりは、そちらの方が良いのではないかと思っているのだが、環境の変化に著しく反応してしまう子どものことを考えると、なかなか悩ましくもある。

いやはやしかし、この国の育児は壁だらけだ。




毎日、アルジャジーラの報道をチェックしているのですが、戦場には希望など微塵も無いことを痛感させられます。

即時停戦。

10月19日(木)

昨晩、妻がタンドリーチキンを仕込んでくれていたので、夕飯はカレーにしようと思い、玉ねぎをみじん切りにするために仕込み包丁を水平に入れていたら、不覚にも自分の左手の薬指にまで、けっこう深めに仕込み包丁を入れてしまった。

近くにいた子どもがすぐさま駆けつけてくれて、親身になって応急処置をしてくれたのだが、まあ、なかなかの痛みだった。

うむ。

今朝、「たたかう庶民派!」と染め抜かれた仰々しい幟旗を立てて、無所属の国会議員が我が家のある路地にまで入り込んで街頭宣伝をやっていたので、どんなものかと本人からビラを受け取って目を通してみると、「反日行動」だとか「日本人を守れ」とかいう言葉が目に飛び込んできたので、まあ、何ごともこういうところからだよなと思い、受け取ったビラを丁重にお返ししたら、本人も少し驚いている様子だった。

やっぱ、こういうところだよなと思って、薬指に貼った絆創膏を何気なく確認すると、血が少し滲んでいた。




ここのところ、妻の仕事が忙しく、帰りが遅いことも多いため、どうしても家の中のことが立ち行かず、殺伐としがちなのですが、持ち前の明るさと笑顔で、なんとか家族で乗り越えてゆきたいと思います。

今日もお迎えはいらないそうです。

10月20日(金)

帰宅中、出発ベルの鳴るホームから電車に滑り込んで来た女性が、私の隣の吊り革につかまった。

真っ白できっちりしたパンツスーツに新緑色のブラウスという出で立ちで、ハイブランドではないものの、ビジネスパーソンにはそこそこ人気のニューヨークのブランドの実用的なバッグを肩に掛けており、まあ、そういうデキるタイプの方なのだろうと目星をつけた。

でもしかし、どこかで見たことあるんだよな、と電車を降りたあとも気になって考えていたら、前の区長選挙と都議会議員補欠選挙に出馬していた候補者じゃん!、と思い至った。

この2つの選挙では投票する先がなく、泣く泣くこの候補者に一票を投じたが、区長選こそ落選したが、都議会議員には当選したのである。

うむ。

家に帰ると、ダイニングテーブルに朝に街頭宣伝をしていた「たたかう庶民派!」を名乗る無所属の国会議員のビラが置いてあり、あれ? このビラ、本人に返したはずなのに? まさか庶民派の呪いか!? と不思議に思って、子どもに確認すると、クラスの友だちが登校中に受け取ってしまい、困っていたから回収したとのことだった。

うむ。政治の季節。

今日は子どもの学童の個人面談があるので、面談が終わったら一緒に帰ろうか? と子どもに尋ねると、一人で帰れるからいい、と断られてしまいました。




今日から来年度の学童クラブの保育利用申請の受付が始まるので、個人面談のときに申請書類を渡してきちゃおうと思っていたのですが、平日の受付時間が13時から16時半までなので、個人面談の時間だと受理できないそうです。

働いてるから子どもを預けてるのに、受付時間が16時半までって。

あと、書類は役所窓口ではなく利用希望施設に直接持っていかなくてはなりません。もちろん郵送も不可です。

どこもかしこもという感じですね。

10月23日(月)

羽毛布団が最高すぎて朝起きられない。

うむ。

さて先週末は、外に出ることと人と会うことの多い活動的な週末だったように思うのだが、そもそも私の場合、外に出ることも人と会うことも人より少ないので、一般的な活動的さとは隔たりがあるかもしれない。でも、個人的にはとても楽しい週末だったことは確かだ。

ただ一方、この週末は、自分のあまりの食の細さに、あらためて考えさせられるものがあった。というのも、土曜日のお昼に知り合いのレストランで素敵なコースランチを美味しく頂いたまでは良かったのだが、お腹いっぱい胸いっぱいになってしまい、それ以降の週末のほとんどの食事で、料理がまともに喉を通らなくなってしまったのである。

あまりにも弱すぎる我が消化能力。

来月は、かなり食べなければならないであろう場面があるので、このままではちょっとマズい。今のうちから本格的に食べる訓練をしておかねばならない。美味しいものはできるだけいっぱい食べたいし。

しかし食べる訓練とは。。。




金曜日の夜に気持ちに収まりのつかないことがあったので、プチ家出をしたのですが、その次の日の夜に、私も家出したい、と子どもが言うので、一緒に家出を堪能したところ、次の日も家出したいと言うので、結局、週末は三日連続でプチ家出をすることになりました。

今夜も家出したいそうなのですが、平日は家出する時間が無い。。。

10月24日(火)

昨日は学校で3回、学童クラブで2回、理由は様々だが計5回も泣いてしまい、どことなく落ち込んだ様子で帰ってきた子どもだったが、自分で考えついた替え歌がツボにハマったらしく、しつこいぐらいに歌い続けては、自分で大笑いをするという、お馬鹿なことを繰り返していた。

うむ。

先週の金曜日に学童クラブの個人面談があり、妻と一緒に行ってきたのだが、親の知らない日々の子どもの生活について、事細かに教えていただきながらも、その節々からは、親でも気づかない些細な変化や成長を敏感に察知し、丁寧に対応してくださっている様子がよく伝わってきて、終始恐縮してしまった。

親とは別に、信頼できる大人の目が身近にあるということは、まだ低学年ぐらいの子を持つ親としては、本当にありがたいことだが、信頼が厚いだけに、来年度の入所の困難さや受入人数拡大のことなど、複雑な思いも過るのであった。




昨日より、食の細さ克服訓練の一環として、食事の際に、満腹感を感じて、もういいかなと思ったところから、一口だけ米を余計に食べるよう心がけはじめました。

目指せ! ギャル曽根!

10月25日(水)

肌寒くなってきた頃の板チョコは格別に美味い、という、もはや信条に近い確信を持って昔から生きており、ようやく、板チョコシーズンの肌寒さになってきたので、半年ぶりに明治の板チョコを買ったら、一枚143円になっていた。

半年前なら100円あれば買えたのに。

かつては75㌘あった板チョコも、今では50㌘にまで薄くなり、板と言うよりは紙のようになってしまったうえに、価格はかつての倍近くまで値上がっている。実質的には3倍の値上がりだが、所得水準が3倍になった実感はない。まるで我が国の現在を凝縮したような、象徴的なシュリンク(縮小)ぶりである。

うむ。

シュリンクと言えば、私の働く業界も市場規模のシュリンクが続いていおり、そのひとつの象徴として、人手不足と技術力の低下が露わになっている。

神業のような技術を持った老練の職人達は、若手に技術を伝える機会を持たぬまま定年で職場を去り、若い世代はもちろん、残された我々中堅世代ですら、業界を見限って去ってゆく者が少なくない。

その証拠に、私が今の職場で働きはじめた頃の直属の上司や同僚や同期の中で、今も職場に残っているのは現部長の一人を残すのみだ。

一方、業界がシュリンクしているということは、高い精度や美しい仕上がりを期待されることが少なくなるため、技術が伴わなくとも大きな問題とならず、以前ならありえないような杜撰な仕事が蔓延し、技術や知識の習得の意義や意味も感じないため、意欲も士気も上がらずに業界全体が更に萎んでゆく。

とまあ、中年の愚痴をつらつらと並べてしまったが、そんな折、他業界へ転職したかつての上司が、また職場に戻ってくるという噂を聞きつけた。

仕事ができることはもちろんだが、公私ともに世話になった上司だったので、戻ってくることには大歓迎だし、業務の面でも面白い仕事や新しい仕事に着手できるのではないかという期待もあるが、戻ってくる理由のひとつに、我々の業界以外にも、そっちまで? と驚いてしまうような様々な業界で、急速に市場のシュリンクが進行しているという深刻な事情が大きいようなのである。

板チョコから業界から、なにからなにまで、どこもかしこもシュリンクだ。




そろそろシーズンも終わってしまうだろうと思い、鮮魚店に生筋子を買い求めに行ったのだが、もう既に店頭に見当たらず、近くにいた店員を呼び止めて尋ねてみたら、もうシーズンも終わりですからね、と私が思っていた通りのことを言われてしまった。

ううぅ。

今年は冷凍保存にも挑戦してみたかったのに。今日は別の店も覗いてみようと思う。

10月26日(木)

昨晩も家出してしまった。五日ぶり十数回目の家出である。

私の家出は、生活運営上での切実な要望や囁やかな提案に対し、家族からの無視や軽視が幾度となく重なった時、我慢できずに逆上し、家を飛び出してしまう。

昨晩も同じようなことから家を飛び出し、いつもの家出先である河川敷へ向かった。もちろん、飛び出す前に炊飯器の予約ボタンはしっかり押してきた。

誰もいない真っ暗な土手を、肌寒くなってきた秋の風に吹かれ、遠い街の灯や夜空を眺めながら歩いていると、先程まであれほど腹を立てていた筈なのに、自分の稚拙な言動や行動に次第に情けなさや恥ずかしさを感じはじめ、どの面下げて家に帰ればいいのか分からなくなり、ますます家から足が遠のいてゆくのである。

結局、土手を上流へ40分ほど遡ったところで、雷が鳴りはじめ、だいぶ身体も冷えてきたので、まずいと思って素直に帰宅した。

家出は大事だ。




昨晩寄ったデパ地下の鮮魚店で、生筋子が一腹だけ残っていたのですが、なんと2970円!

給料日だし行っとくか! とも思いましたが、ちょっと冷静になって、買わずに帰りました。

10月27日(金)

昨晩は、不穏な空気が漂う場面が何度かありつつも、なんとか家出はせずに済んだが、夜中の3時に子どもがトイレに起きたことで目が覚めてから、そのまま眠れなくなってしまい、寝不足気味で頭くらくらの朝を迎えている。

うむ。

さて、懸案の子ども部屋の雨漏り工事の見積もりが、今朝方ようやく送られてきたのだが、国産コンパクトカーにちょっとしたオプションを付けたぐらいの驚くべき金額に、ただでさえ寝不足でくらくらしていたのに、更にくらくらしてしまった。まだ5年前のリフォーム工事のローンも払い終えていないというのに。。。

ううぅ。 同情するなら金をくれ!
(貧乏がエンタメになり得た時代の懐かしくも怖ろしい台詞だ)

今夜は歯医者の定期検診だから、そのあとちょっと深酒しよう。そうしよう。酒に逃げなきゃやってられん。




とうとう昨日、うちの町内でも子どもへの不同意わいせつの事案が発生してしまいました。事案発生の時間帯も子どもたちの帰宅時間と重なるので、とても心配です。

10月28日(土)

昨晩、定期歯科検診で昔実家があった駅で降り、少し時間があったので駅ビルでぶらぶらしていると、セーラー服を着たおじさんが買いものをしていたので、何気なくそちらに目をやると、私の脇をポルトガル語を話す少年たちが大騒ぎしながら駆け抜けていったので、うむ。と思って駅ビルを出た。

駅前に出ると警察官4人が大捕物の真っ最中で、その周りをスマホで撮影するサラリーマンが取り囲んでおり、その人混みをかき分けて駅前広場に出ると、今度は女子高生たちが地べたに直に座り込んで大声で盛り上がっていたので、うむ。と思ってバス停へ向かった。

バス停に向かう途中、女性から声を掛けられたので足を止めると「わたしはガイアナから来ました ~ お金に困っています ~ 」という日本語で書かれたカードと包装されたチョコを手渡されたので、丁重にチョコをお返しすると、私の脇を駅ビルにいたポルトガル語を話す少年たちが大騒ぎしながら駆け抜けていったので、うむ。と思ってバスに乗った。

うむ。

知らぬ間に、なにか面白いことが始まっている。

10月30日(月)

一学期に学校で行われた写生コンクールで、子どもの描いた絵が入賞作品に選ばれた。

その表彰式が、日曜日に区内のホールで行われ、会場には十数校から百名を超える入賞の生徒が集まり、ホール壇上でひとりひとりに賞状が手渡された。

この表彰式に我が子も入賞者の一人として参加したのだが、実は前日、みんなにじろじろ見られるから表彰式には行きたくない、と言い出した。

こうなると梃子でも動かない事が多いので、式の参加はちょっと難しいかもしれないな、と思っていたのだが、案の定、当日の朝もぶつぶつと言って動こうとしないので、とりあえず会場まで行ってみて、それでも駄目なら帰ってこようということで家を出たのだが、会場で友だちと出会うやいなや、それまでの弱気はどこへやら、ガラリと態度を変えて、皆と仲良く遊びはじめるのだった。

うむ。

入賞おめでとう。




妻が短期出張に行くため準備をはじめたのですが、子どもが行っちゃ駄目だと泣きながら準備を阻んでいます。

さて、どうなることやら。

10月31日(火)

子どもの帰宅時間も外がだいぶ暗くなってきたので、昨日からまた途中まで迎えに行って一緒に帰ってくることにした。

帰ってきて私が夕飯の支度をしていると、しばらくして子どもが、「これお願いね」と宿題のプリントの丸付けと宿題チェックシートを手渡してきたので、「お! 珍しい」と思って支度の手を休め、丸付けとチェックを手早く済まして子どもに返すと、すぐにランドセルに仕舞ってしまったので、「あれ? 明日の準備は?」と尋ねると「もう終わった」と素っ気ない返事が返ってきた。

丸付けやチェックを自発的に出したうえに、明日の準備まで終わってる???

これぞ囁やかで偉大な日常の奇跡である。


どうやら昨日も夜のお散歩に行きたくて学校の準備を手早く終わらせたそうなのですが、妻の帰りが遅かったので夜のお散歩は叶いませんでした。また今度だな。





最近、私が多感な青春時代を過ごした90年代中盤以降から00年までの小室サウンドを掘り返しているのですが、当時そんなに熱心に聴いてなかったうえに、今聴いても何じゃコリャ? と冷ややかな受け止めしか持てないのですが、何故か心の奥底から熱いものが込み上げてきてしまいます。

ヒットチャートを独占し、あらゆるメディアを席巻し、あの時代と一緒に真空パックされた音楽と、どう抗っても感応してしまう私たち世代の性とでもいいましょうか。

今度は、まったく通らなかった当時のビジュアル系バンドにも手を伸ばして見たいと思います。