2023年 11月
11月1日(水)

子どもの迎えに行くと、入学式の入場の時にペアを組んだ友だちと一緒に帰ってきているところだった。

御存知の通り、去年の子どもの入学式は惨憺たるもので、その後の登校拒絶にもだいぶ悩まされたが、このペアを組んだ友だちとは今では大の仲良しで、蜘蛛を一緒に育てたり、海の生き物を一緒に調べたり、家でもこの子の名前が出ない日がないほどだ。たまに大喧嘩をして帰ってくることもあるけれど、翌朝には仲良く一緒に登校している。

うむ。

さて、話変わって。たまたまなのかなんなのか、今年小学校一年生になった子を持つ友人知人から、学校行きたくないと言って子どもが休みがちだ、という話を立て続けに聞いた。

去年のことを考えると、我が家も無関係な話ではないので、できる範囲で助言したのだが、こればっかりは家庭や子ども本人の状況によって対応も種々様々に異なるので、あまり軽々なことは言えない。

ただ、義務教育年齢になっただけで、途端に今までの社会制度の手厚い援助から外され、否応なく次の制度に組み込まれてしまうことの唐突さや、そうした急激な変化に躓いてしまった場合の子どもの支援制度の未整備ゆえに、すべて家庭でなんとかしてくれという現状、そして、その矢面に立たされる家族の、どうせぇっつうねん! という憤りには、とても深く共感してくれた。

どうせぇっつうねん!

中には、我々の時だってそうだったんだから、という人もいるが、昔の学校と今の学校はだいぶ違う。




毎晩、なんとか21時までに就寝をと目指しているのですが、どうやら目指しているのは私だけのようです。

すべては私の政治力の弱さにあります。

11月2日(木)

イスラエルによるガザへの攻撃が日を追って酷くなり、直近では、ガザで一番人口の大きい難民キャンプに、大規模な空爆が二日にわたって行われ、まだ被害の全容は定かではないが、最早、虐殺を通り越して民族浄化の様相を呈している。

空爆のリアルタイム映像や写真が即時にSNSで流れてくるのだが、犠牲者の半数近くが子どもであることにも胸が引き裂かれる思いだ。

昨晩も、そんな惨憺たるガザの状況を知らせる新聞記事を読みながら、頭を抱えて悶々としていると、子どもが「ウクライナの時みたいにまたデモ行ってくれば?」と言うので、「デモかぁ … 」と弱々しく返すと、子どもが「じゃあ今度は私も行こうか?」と言ってくれた。

そうだな。こんな時に弱気になっている場合じゃないな。




今日、SNSのタイムラインに【中国茶房8 六本木店 閉店のお知らせ】という投稿が流れてきました。

安い! 早い! 美味い! 無愛想! という4点セットが魅力のチェーン店で、特に六本木店はグランドハイアット東京の目の前という好立地のうえ 内装変! 24時間営業! という更に2点セット追加の優良店。若い頃から六本木に行くときはいつも利用しており、今年の夏にも訪れたばかりでした。

悲しい。。。

11月6日(月)

三連休最終日の日曜日の早朝、妻の海外出張の見送りに子どもと駅まで付き添い、妻に手を降って別れるやいなや子どもが大号泣。

なかなか泣き止みそうにもないので、さて、どうしたものかと悩んでいると、こちらはこちらで何やら頭痛と悪寒を感じはじめたので、家に帰って体温計で計ってみると37.8℃。

妻出立直後にしてワンオペ初日から、いきなり窮地に立たされたのだった。

うむ。

さて、更にどうしたものかと悩んでいると、頭痛と悪寒が更に酷くなり、倦怠感や喉痛まで出てきたので、子どもの心理状態を考えると若干の躊躇いもあったが、こちらも四の五の言っていられる状況ではないので、即座に実家に連絡をつけ、子どもを預かってもらうことにした。

結果、私の方は夕方にはなんとか熱も引きはじめ、まったく使い物にならない状況は脱することができ、子どもの方はジジババと一緒にいたことが気分転換になったのか、妙に頼もしい面持ちで帰ってきたのだった。

結果オーライ。

これからしばらく、二人で力を合わせて乗り切ろう。




ここだけの話ですが、家庭内の不確定要素がひとつ減ったためか、家事の面では少し楽になったような気がしないでもない、ワンオペ二日目です。

11月7日(火)

昨日、いつもより一本遅い電車で家路を急いでいると、不動産業者と工務店と実家と学童クラブから、立て続けに着信があった。

普段ならまず起こらないことが、なぜこんな時に限って起こるのか。やれやれだぜ。

最寄りの駅で電車を降りてから、とりあえず緊急性の高そうな学童クラブに折り返すと、職員の方から、今日、子どもが複数の友だちと何度か衝突を起こしてしまったので、家庭でも様子をみてくださいとの報告を受ける。

うむ。

職員の方には謝意を伝えると同時に、しばらく妻が不在のため、もしかしたらその影響なのかもしれない、とも伝えた。

その後、子どもと落ち合い、学童クラブでのことはこちらからは触れないようにして、一緒に家に向かっていると、子どもの方から、今日はいっぱい喧嘩しちゃった、と切り出したので、そっか、じゃあ今夜は美味しいものをいっぱい食べて、嫌な気持ちを吹っ切ろう、と励ましながら帰宅した。

妻の不在が、これほど分かりやすく態度に出るとは、なかなか素直でよろしいではないか。




妻不在の間は、子どもの送り出しがあるため、朝一時間の時間休暇をとっています。

当初は余裕ある朝時間になるかと思っていましたが、一時間ではぜんぜん足りませんでした。

ワンオペ家庭の壮絶さを垣間見る、ワンオペ三日目。

11月8日(水)

子どもの迎えに出たところ、いつも一緒に帰ってくる子どもたちの輪の中に、うちの子どもの姿が見当たらなかったので、学童クラブでまた何かあったのかなと少し気が重くなったのだが、子どもの友だちの一人が「学童にタブレット忘れたから取りに戻ったよ」と教えてくれた。

気を取り直して、そのまま学童クラブに迎えにいくと、子どもが勢い良く門から出てくるところだった。

うむ。

まだ若干の倦怠感と喉の違和感は感じるが、熱もすっかり下がり、風邪の影響はもうほとんど残っていないのだが、日曜日に一日横になっていたせいか、肩と腰を中心に全身に凝りが残っていて、これが地味に辛い。

養生のために横になることすらままならない身体になってしまった。

うむ。




健康診断の結果が戻ってきました。なぜか5年前からずっと懸念されていた肺の嚢胞はどこかへ消えてしまい、貧血気味だった血液の数値も改善していたのですが、ここにきて肝機能の数値が軒並み基準値を超えてきました。

そんなワンオペ四日目です。

11月9日(木)

昨日は、仕事の納期の条件や家の漏水の賠償など、折衝事が重なったうえに難航し、実務より何より交渉事こそ一番疲れるんだよなと痛感しながら、精神も身体もすり減らした状態で帰宅した。

それでも子どもの前では疲れを見せないよう、食事の準備をし、子どもと一緒に食べはじめると、子どもが悪ふざけをして、夕飯のおでんの具のゆで卵の黄身だけ食べて、白身でおでんの出汁を掬って飲んでいたので、なにそれ? いいワイングラスじゃん? と尋ねると、怒られると思った子どもが、思いがけない言葉を掛けられて驚いたのか、思わず出汁を盛大に口から吹き出してしまい、二人で大笑いしながら後片付けをした。

妻が居合わせていたら大目玉のところだが、この時だけは不思議と疲れが引いているのだった。

うむ。

ところがその夜、寝相の悪い子どもが執拗に私の寝床に突撃を繰り返してきたため、うまく眠ることができず、ヘトヘトネムネムの朝を迎えるのだった。




子どもは「母ちゃんいないと一日が早いね」などと申しておりますが、父の一日はとても長いです。疲れもだいぶ溜まってきており、今が正念場というところでしょうか。もうひと踏ん張り。

ワンオペ五日目。

11月10日(金)

昨日、子どもの迎えに行くと、友だち四人で忍者ごっこをしながら、一列になって帰ってくるところに出くわした。

列になって歩いているだけでも可愛いのだが、友だちのお母さんに自分たちの忍術について一生懸命説明している様子もなかなか可愛かった。

うむ。

さて、ワンオペ生活にもだいぶ慣れてきて、昨晩は目標よりも早く家事を終わらせることができたので、子どもと二人でベッドでゴロゴロしながら、就寝まで自由な時間を過ごすことができた。

今朝も子どもが家を出るまでに余裕ができたので、美味しい青りんごを剥いてやることができた。

ワンオペ六日目にして、ここまでできるようになったかと思うと、なかなか感慨深いものがある。

もう怖いもんなしや!




明日は子どもが土曜日授業で午前中は家にいないので、自分への労いもかねて、カフェブランチにでも行ってしまおうか。どうしようか。

11月11日(土)

今週は27℃越えの夏日があって、11月なのになんともなぁ、と思っていたのだが、今日から突然、寒風吹き荒ぶ冬模様。

突然の寒暖差が一番身にこたえる。

さて、土曜日授業の子どもを早々に送り出し、子どものいない午前中だけはのんびりしようと思っていたのに、ちょこまかと家事に手を出してしまう自分の貧乏性にうんざりしてしまう。

まあしかし、こうなってくると私にとって家事というのは、ひとつの精神安定的な役割があるのだろうから、もうしゃあないな。




妻が出張先で体調を崩しているようなので、かなり心配なワンオペ七日目。

11月13日(月)

流石にワンオペ生活にも疲れが出てはじめてきたので、週末は実家の厄介になろうと思っていたのだが、母親が風邪をひいてしまったため、やむなく断念。

期せずして、日曜日もワンオペ連続記録を更新してしまったのだった。

うむ。

とは言え、日曜日の夜には妻が帰国したので、これでようやくワンオペ記録更新もお終いかと、少し寂しいような気持ちを懐きつつも、胸を撫で下ろしたところだったのだが、帰国した妻の体調があまり芳しく無く、実質的には今日もワンオペ記録を更新しているような感じだ。

でもしかし、久しぶりに家族三人揃って、なんとなく人心地ついたところでもある。




日曜日は高校の創立100周年の記念式典と同窓会がありました。もちろん私はワンオペ中だったので不参加でしたが、私の学年からは100名近くが参加したそうです。

今日、同窓会の集合写真が送られてきたので、子細に眺めてみましたが、普段から交流のある友人は分かるのですが、それ以外に記憶に残る顔が見当たらず、愕然としてしまいました。

まあ、あんま学校行ってなかったんだから、そうなるか。

11月14日(火)

未だ妻の調子戻らず。

喉痛と倦怠感はあるものの熱は無く、大事無いとは思うのだが、先週の私の症状と酷似しているため責任を感じつつ、無理させるわけにもいかないので、ほぼほぼワンオペ10日目に突入中。

父子二人のワンオペ生活だけでも大変だったのに、そこにほぼ無力の大人がひとり加わった日には、という、日本の夫婦共働き家庭のスタンダードな状態を存分に噛み締めているところだが、もともとこんな感じだったような気もしないではない。

まあしかし、ワンオペ前に仕込んでいた食材も底をつきそうだし、私の精神面にもあまりよろしくないので、まあとにかく、妻には早く良くなってもらいたい。




またまた先日行われた同窓会の件ですが、集合写真を仔細に眺めていて、私が会いたいなと思っていた同窓生が、見事に一人も参加していないことに気づいてしまいました。

11月15日(水)

疲労と睡眠不足の蓄積で、今朝は大幅に寝坊してしまい、色々と急いだり端折ったりしてみたのだが、どうしても自分が朝食をとる時間が捻出できず、空腹のまま家を出た。

ワンオペ生活がここまで長引くとは思っていなかったため、あらゆる面で綻びが出はじめている。

そんなワンオペ11日目。

とにかくあと二日。週末になれば、いろいろと立て直しが効くと思うので、とにかくあと二日は頑張るよりほかない。




最近の九九は、家庭で行う検定試験に合格しないと、学校での検定試験を受けさせて貰えないそうです。

なぜ家庭が?

11月16日(木)

昨日から妻も少し動けるようになり、今朝は帰国後初となる出勤で忙しなく準備をしていたので、一応、本日をもって十二日間にわたる長いワンオペ生活も終わりかな? と期待しているところだが、どうなることやら。

さて以前、健診で肝臓の値が悪く出たという話をしたが、一応は要再検査の値なので、主治医に相談のうえ、酒量を減らす努力はしようと思うのだが、完全に呑まないとなると、それはそれで他の病気になりそうなので、様子を見ながら進めていきたいところだ。

というわけで、今夜はワンオペ生活終了記念の残り物祭りだ! ガンガン呑むぞ!




最近、子どもが学校で借りてきた活字の本を、寝る前にベッドの中で熱心に読んでいます。

まだまだ甘えが先立って、自立できないところも沢山あるけれど、率先して一人で活字を読むようになれば、とりあえず一安心です。活字の海は広大だぞ。

11月17日(金)

今日一日を乗り切れば、ようやく週末だ。

今週は妙に仕事が長く感じるし身体も疲れるな、と訝しく思っていたのだが、先週はワンオペ対応で一時間勤務を短くしていたのだから、長く感じるのも疲れるのも当たり前の話である。

うむ。

もう家事の面では、妻不在の状態に慣れてしまったので、日常生活に何ら支障はないのだが、相変わらず子どもが私の寝床に突撃してくるため、睡眠の面ではかなり苦労させられている。

私は一度目が覚めてしまうとなかなか寝付けないのだが、その点では私よりずっと逞しい妻を防波堤にして、いつも貴重な睡眠を確保していた。しかし、今は妻という稀有で強固で頼もしい防波堤が不在のため、無防備なところに集中砲火を受けている状態で毎朝ふらふらだ。

だから、明日は存分に寝坊するんだ。そうだ。必ずそうしよう。




子どもの読書のことを昨日もお知らせしましたが、今日、朝の家事を終えて子どもを起こそうと寝室に戻ったところ、子どもが既に目を覚ましていて、ベッドの中で件の本を読んでいました。

頁数の多い本なので、返却期限までに読み切れるかな? と心配していましたが、もう半分まで読み進めてしまったそうです。

11月20日(月)

土曜日は、初めて家族三人揃って映画鑑賞へ行ったのだが、上映中父母は爆睡。

日曜日は、午前中に来客があり、みんなでカードゲームで白熱した後、昼食もみんなで一緒に外食、午後は久しぶりに子どもと近所の河川敷の西岸の公園に遊びに行き、久しぶりに身体を動かして遊んだため、今日は朝からじんわり筋肉痛。

コロナ禍中はけっこう外遊びに出掛けて、子どもと一緒に走り回ったものだが、最近はさっぱりだったので、また時々出掛けたほうがいいと思った。

うむ。

妻が海外出張に出た頃から、子どもがよく食べるようになってきて、こないだは、いつも通りの感じで刺し身を買ってきたら、私が箸をつけようと思った時にはツマしか残っていなかった。

実際、子どもの身体つきも少しぷにぷにしはじめているので、良い傾向。子どもはぷにぷにしてなくては駄目だ。

うむ。

妻の海外出張の効能は他にもあって、子どもが自分のことを自分でやる範囲が若干だが広がった。若干と言っても、同心円状に広がってくれたので、けっこう助かるのだが、妻が帰国してから、妻が更に動かなくなったような気がしないでもないので、プラマイゼロか。

まあ、妻の場合は風邪と時差ボケだから仕方ない面もあるが。

そんな週末。




昨晩、寝る前にクイーンのライブエイドとマイケル・ジャクソンのブタペストのパフォーマンスを子どもと一緒に観ていたのですが、どちらのパフォーマンスも何もかもが過剰すぎて、思わず鼻血が出そうになりました。子どもも「こんなスゲーとは思わなかった」と衝撃を受けていました。

11月21日(火)

最近、首と肩にじんわりとした凝りと痺れるような痛みが出はじめることで、冬の到来を感じるようになったのだが、こんなことで季節の変わり目を感じたくなかった。

うむ。

昨晩、私が台所の片付けをしている間に、妻子には先に風呂や寝支度を済ませておく算段をして、台所の始末を終えて寝室に行くと、子どもが週末に見ていたマイケル・ジャクソンのブタペストのパフォーマンスの続きを見ていた。

82年に世紀のモンスターアルバム『スリラー』が発表され、表題曲の「スリラー」はもちろん「ビリー・ジーン」や「今夜はビート・イット」のスマッシュヒット、その後、キング・オブ・ポップの名を不動のものとした『バッド』が発表されたのが87年、まさに今の子どもと同じ年齢の時、雪崩のように私を襲ったのが、この『バッド』だった。

よしよし、君にもしっかり直撃しているようだな。

11月25日(土)

昨晩、家族旅行の香港から帰ってきた。

香港を訪れたのは、まだ子どもが妻のお腹にいる頃だったので、八年ぶりの再訪。一介の観光客が一瞥した限りでは、香港の街の持つ特有の熱量の高さは相変わらずで、実際にその熱量に圧倒されてきたのだが、4年前の弾圧による決定的な影響が、この街の熱源そのものを奪い去り、いま目の当たりにしているものは、ただの予熱なのかもしれないとも思えてしまい、感傷的になることの多い旅だった。

うむ。

あと今回の旅行は、妻の親戚の厚意のおかげで、最初から最後まで隅々まで援助を受け、我々の経済力ではとても受けられないであろうハイステータスのサービスの一旦を垣間見ることができたのだが、なるほど、これぞまさにマイケル・サンデルの指摘そのものの資本主義社会の歪みと矛盾だよなと思い、4年前、まさにこうした格差や不平等や不条理に対し、香港の多くの人々が抵抗したのではなかったかと、また更に感傷的になるのだった。




他にもいろいろと書きたいことはありますが、とりあえず本日はこれまで。

11月27日(月)

香港行きのため、子どもには学校を二日休んでもらい、今日は五連休明けの登校となったのだが、連休明けで行きづらくなってしまったのか、「やっぱ学校休んでまでして香港行かなければよかった」と朝からベソをかいていた。

うむ。

まあ、そういう事が分かっただけでも良かったじゃないか。

週末は、妻と私で各々に旧友との会食があり、なんとなく家族バラバラで過ごした。加えて今月は、妻の出張や体調不良や今回の旅行などで、全体的になんとなく家族バラバラで、なんだかんだと生活もバタバタと落ち着きなく、家のことも家族のことも疎かになってしまった一ヶ月だった。

実際、今月は自分の弁当も一度も作れなかったし。

というわけで、憂國保守の生活第一主義者としては、今月はかなり由々しき一ヶ月だったので、来月からはしっかり立て直すぞ! と思ったのだが、来月はもう師走やんけ!





返事もせず表情も変えず、伝わったかな? と、こちらが戸惑ってしまうぐらい無愛想なのですが、こちらの要求に迅速かつ的確に応えてくれる香港の飲食店のホスピタリティの高さには、いつも感激してしまいます。

もちろん、料理のクオリティの高さについては、何も言うことはありません。超好味!

11月28日(火)

ひと通り大きな行事や予定をこなしきり、ようやく標準的な日常が戻ってきたという感じがしている。

標準最高!

さて子どもは目下、九九の暗記に精を出す日々が続いており、クリスマスまでに九の段まで終えないとサンタクロースがやって来ない、と先生から脅されているようだが、先生、そういう脅しはちょっと困ります。

うむ。

これまで、前半の五の段までは難なくこなしてきたが、昨日から六の段に移り、少し苦戦しているようである。しかも毎日、上り順、下り順、無作為、それぞれ10回ずつ暗証しなくてはならず、暗記よりもなによりも、クリスマスまで子どもの忍耐力が続くかどうか、とても心配している。

小学生も年末は大変だ。




香港は八年前も決して物価が安いわけではありませんでしたが、円安が直撃している今回は更に割高感が強く、街場の庶民的な店に入って一番安い皿を選んでも一皿千円を下らない状況に、ついつい呻ってしまいました。

今回の旅には大パトロンが付いていてくれたので、なんとかなりましたが、我が家の経済力だけではかなり厳しかったと思います。

11月29日(水)

昨晩は案の定、九九の六の段の暗唱の課題を発端に、ああでもないこうでもないと臍を曲げ、「学校も先生も九九も嫌だ」と、最終的に大号泣。

一番危惧していた事態に陥ってしまった。

うちの子の場合、なにかに躓いた時にまず苦手意識が先立ってしまい、その障害以外のその他諸々まで拒否に転じてしまうことがある。一度拒否に転じると、まったく聞く耳を持たないという傾向もあって、これがなかなかどうして、厄介なのである。

ただし、こうした事態にも二つだけ突破口がある。

ひとつは、苦手意識を忘れるまで放っておいて、忘れた頃にまた再挑戦を促してみること。もうひとつは、仲の良い友人からの前向きな助言と応援だ。

前者は、強靭な忍耐力と豊富な経験値と潤沢な時間が必要なので、なかなか大変だ。後者は、驚くほど効果抜群なのだが、思うような場面で友人がエンパワメントしてくれるとは限らないので、なかなか難しい。

まあ、とにかく、九九習得にはあまり楽観的な見通しは持たず、相当な消耗を覚悟しておいたほうがよさそうである。

うむ。

てか、九九ぐらい学校でしっかり教えてくれよな。




諸外国全般に言えることですが、香港も例に洩れず、インフラ設備の粗雑さはなかなかのものでしたが、建物や道路の新設工事や空港の拡張工事など、勢いと規模には圧倒されてしまいました。

あと、街中をテスラがビュンビュン走っていました。

11月30日(木)

引き続き九九問題。

子どもの学校では、ひとつの段の習得に対し、上り順、下り順、無作為、の三種類の検定に合格しなくてはならず、ひとつの段につき二日の習得期間が設定されている。

更に、ふたつの段を終えると残りの二日は復習に充てられており、うまく習得できなかった子どもは、この復習期間で追いつかなければならない。

つまり、一週間でふたつの段を習得していくような課程が組まれていることになるわけだ。

うむ。

実は、先週の香港行きで、子どもが四の段の検定を飛ばしてしまったため、先を急ぐより、足元を固めていこうということで、今学校でやっている七の段はとりあえず保留にして、四の段を集中的に練習し、昨晩までに概ね暗証できるようになったのだが、ここでまた「なぜ俺が?」という根本的な疑問が頭をもたげてくるのであった。

九九ぐらい学校でしっかり教えてくれよな。



香港へ行くにあたって、実際に役立ちそうな広東語を少し勉強していきました。

你好、早晨、唔該、多謝、再見、などの挨拶はもちろん、係呀、唔係、得、好味、などの受け答え、そして、共幾多錢呀? 呢個係乜嘢? 洗手間喺邊度呀? などの簡単な問いかけなど、他愛ない言葉ばかりですが、日常的に使いそうなものは、できるだけ覚えて使うよう心掛けました。

だからどうした、と言われると、まあ返す言葉もないのですが、英語を使うよりも現地の言葉を使ったほうが、少しだけ旅の解像度が高くなるように感じるのは、私の自己満足からくるものなのでしょうか?