2024年 9月
9月2日(月)
今日から新学期。
朝から子どもは、久しぶりのランドセルには筆箱やら通知表やら連絡帳やらを詰め込み、両手には防災頭巾やら自由研究やらを抱え込み、なんとか無事に、登校していったようである。
子どもの就学が始まってからは、新学期は親にとっても新学期。もう少し緩やかに過ごしていた保育園の日々が、今はとても懐かしい。
うむ。
さて、今学期はどんなことが巻き起こるのでしょうか。
昨日は十数年ぶりに地元のとある活動でお世話になった方々とお会いしてきたのですが、再開発による地元の変容ぶりはもちろん、お世話になった方々にも様々あって、隔たった月日の長さの残酷さに直面せざるを得ない面がありました。
一方で、これだけ月日を経ても、とてもざっくばらんに話ができるかつての関係性が、まだお互いにしっかり残っていたことに、素直に感動してしまいました。
9月3日(火)
昨晩、尿意で深夜に目が醒めてから、なんだか上手く眠れないまま朝を迎え、朝方に少しうとうとしかけたら、寝坊してしまったのだが、妻が先に起きて朝の家事全般はもちろんのこと、私の弁当まで作ってくれていた。
かたじけない。
さて昨晩は、夕食後に子どもと『8時だョ!全員集合』を見て馬鹿笑いしたあとに、駒の動きを覚えたり持ち駒の使い方を教えながら将棋を一局指した。
寝際に妻と子どもは小倉百人一首をいくつか暗唱してから就寝。やってることだけ見るといつの時代だ? と思いつつ、私も就寝したのだった。
新学期。傍から見た限りでは、まずまず安定した滑り出しのようだが、朝は子どもが起きてくるまで、まだ少しだけ緊張している自分に気付く。就学初年度のあの衝撃を、未だに引きずってしまっているのだ。
子どもの仲の良い友人が夏休みいっぱいで学童クラブを辞めてしまったそうです。
ここでも何度か書いていますが、今年度から学童クラブの定員が増えたことと、責任者が変わったことにより、子どもたちの学年に対する制約が強まったり、新しいルールが課せられたりすることが多々ありました。
今回辞めてしまった子はそうしたことに対して、しっかり自分の言葉で憤りを漏らすような子だったので、もしかしたらかなり窮屈さを感じていたのかもしれません。
まあもちろん、そろそろ大人の管理の目から離れたくなる年頃でもありますし、ご家庭の事情もあるので軽々なことは言えませんが、少なくともうちの子において、そうした自意識の萌芽はまだ認められません。
9月4日(水)
さて昨日は、新学期二日目にして全五十問の漢字確認テストがあり、なんと合格点(90点以上)に達するまで追試が行われるそうである。
うちの子どもは、夏休み中に何度か漢字の復習をしていたので、なんとか一発で合格したようだが、家で復習させていなかったら何度か追試を受けることになっていた内容だと思う。
こうしたテストのやり方は学習意欲を削ぐだけでなく、学校に対する苦手意識が確実に植え付けられる。新学期が始まると報道各社から必ず「学校行きたくない ~」と題した記事が出るのだから、こういうところから変えていくべきだと思うのだが。
更にテストだけではなく、新学期二日目からしっかり宿題も出て、子どもとしては泣きっ面に蜂だったようである。
もちろん家庭学習も大事だと思うが、まだ義務教育前半の基礎の基礎だからこそ、家庭が負担しなくても学校で完結できるような対応ができないものだろうかと思うのだ。
またつまらぬものを斬ってしまった…
でも、宿題のおかげで、家で将棋も百人一首もやる時間がなくなってしまったのだから仕方ない。
命の心配をせずに外に出られる日が来るなんて!
そんな当たり前のことすら、想像するのも難しくなるぐらい、長く暑い日が続きました。本当に。
9月5日(木)
昨晩は珍しく宿題も夕食も早めに終わったので、買い物と夕涼みがてら子どもと散歩に出掛けた。
保護猫なのか地域猫なのか、とにかくとても懐っこい猫たちが戯れている場所が近所にあって、散歩ついでに久しぶりに訪れてみたところ、ここ最近、寝る前にYouTubeで保護猫動画ばかり見ていたせいか、私の猫の扱い方が格段に上達しており、文字通り手のひらで転がすようにして、猫たちを陶酔の境地へと誘うことができるようになっていた。
子どもにも扱い方を教えてやると、みるみる間に猫がスリスリ ベタベタ ゴロゴロ ニャーニャーしてくるので「スゴイ!」と驚いていた。
フッフッフッ。
満足して家に帰り、風呂に入ってから子どもと一緒に『8時だョ!全員集合』で馬鹿笑いしながら幸せな時間を過ごしていると、突如として全長6㌢ぐらいのアシダカグモがモニターの裏から現れた。
アシダカグモとしては小さい方だが、家の中に現れる虫としてはなかなかの大きさと俊敏な動き。益虫とは言えかなり気持ち悪い。
子どもに見張って貰っている間に、急いで捕獲グッズを持ってきたのだが、時既に遅く、子どもが色んなものを散らかしっぱなしにしたままの区画に紛れてしまっていた。物をどけたり、ひっくり返したりしながら、必死に捜索するも見当たらず、どうしたものかと悩んでいるところに子どもの悲鳴が轟いた。
少し離れて私の捜索を見守っていた子どもの足元からクモが出てきたのである。すかさず捕獲し、すぐに屋外に逃がし、一件落着と思いきや、子どものパニックによる絶叫は収まらず、床に足を付けられないと言うので背負って寝室に連れて上がったのだが、今度は身体をベッドに横たえるのも「ゼッタイムリ!」だと言い出す始末。
結局、私や妻に乗っかるようにして横になって就寝したのだが、「家の周りをクモに包囲される夢をみた」と言って、朝から大騒ぎ。おかげで今日も、寝不足の朝を迎えたのだった。
まあしかし、これを機に少しでも子どもに整理整頓の意識が芽生えると良いのだが。どうだろう。
朝、通勤電車に乗りながら「子どもは登校したかな」とか、昼、昼食を食べながら「子どもは給食食べてるかな」とか、三時、休憩をとりながら「子どもは学童行ったかな」とか、この8年間、事あるごとに子どもの心配をずっとしてきていますが、子どもの心配じゃなくて、実は自分の心配をしているのではないかと感じています。
9月6日(金)
前々から、子どもが将棋をやりたいと言っていたので、会社の休憩室の片隅で埃をかぶっていた将棋盤と駒を貰って帰ってきたのだった。脚付きの立派な将棋盤もあったのだが、流石にそれは辞退させて頂いた。だって、ねぇ。
そんなわけで、ここ最近、その盤と駒を使って普通に将棋を指していたのだが、昨晩、こんな遊び方もあるよ、と将棋崩しを教えたら、それからずっと将棋崩し。今日も朝から将棋崩し。
面白いのは分かるけど、ちょっとさぁ、ねぇ。
さて、巷で騒がれている米の品薄状況だが、我が家にはまだ備蓄もあるし、そろそろ新米も出てくるし、しばらくすれば元に戻るだろうと呑気に考えていた。
品薄が大騒ぎになりはじめた時も、我が家が利用している生協では問題なく流通していたので、なんとなく自分たちには影響ないこととして捉えていたのだ。
ところが、我が家の米が残すところ5㌔となったところで、生協からの欠品連絡。我が家の消費量からすると5㌔の米はだいたい半月強といったところ。
突如として直面した我が家の米不安。新米が先か我が家の備蓄が先か。さて今後の展開は如何に。
ワイヤレスイヤホンでスマートホンからサブスクの音楽を聴くことが主流の中、私はMP3プレイヤーに有線イヤホンを繋げて音楽を楽しんでいます。
新しいプレイヤーなのでワイヤレスイヤホンも使えるのですが、ワイヤレスの利便性よりも紛失という新たな怯えを背負い込むことが嫌なのです。怖いのです。
9月7日(土)
昨日、子どもの学校の保護者会があったのだが、今回は妻に参加してもらった。
ほぼ全員が参加する学年始まりの保護者会とは違って、学年半ばの保護者会はそれほど重要視されないのか、参加率は三分の一ぐらいだったそうだ。
そんな、どことなく締まりの無い保護者会だったが、新たな動きとして「自主学習ノート」という宿題が追加されるとの報告があったそうで、妻はママ友たちと「火種がまた一つ増えますね」と、苦笑いと溜め息を共有してきたようである。
うむ。
おまけにPTAからは、今年度後半の校庭開放当番を、ひと家庭あたり3~4回お願いしますので、希望日を出して下さい、との連絡があった。
小学校は、家庭の負担ばかりが増えていく。
三週連続土曜出勤、そして来週も。
控えめに言っても地獄です。
9月9日(月)
この場では、いろいろと愚痴めいたことばかり書いているが、新学期が始まって一週間、今のところ子どもの様子はわりと穏やかなため、実に円滑で長閑な日々を送っている。
何かと懸念の多い夏休み明けの滑り出し。巷では「行き渋り」という言葉が話題になっているようだが、とりあえず、なんとか無事に乗り越えたようである。
うむ。
さて、子どもの友だちの中では、習い事に通い始める子が増えはじめていて、「〇〇ちゃんは公文で、〇〇ちゃんはバレエで、学童来なかった」と言って、子どもが学童クラブから一人で帰ってくることが多くなった。
おそらく、学童クラブに通うのが難しくなるであろう、来年度のことを見越しての習い事だとは思うのだが、もう既に、平日の習い事で学童クラブに通う時間がないので、学童を辞めてしまった子もいる。
週末も習い事の発表会やら検定やらテストやらの他にも、地域の活動やスポーツクラブに加入している子も多いので、放課後はおろか週末も忙しい子どもたちである。
うむ。
習い事三昧の同級生は私の時代も少しはいたが、お互いに習い事で忙しくて、友だちと遊べない時代になろうとは。
ちなみにうちの子は、3年ちょっと通っていた水泳教室を去年の春に辞めて以降、あの手この手を使ってこちらが促しても、習い事の類には一切興味を示しません。
先日の「我が家の米不安」の日記を読んで下さった方から、なんと米を頂きました! 直接お礼を言えなかったので、この場を借りてお礼申し上げます。
9月10日(火)
昨日「実に円滑で長閑な日々を送っている」と書いたばかりだが、早速撤回しなくてはならない。
やはり原因は、就学開始当初からずっとずっとずぅ~っと懸案となっている子どもの宿題である。
先週は渋々ながらも、なんとか自力で取り組んでいたのだが、昨日は夕食前に5分ほど取り組んだかと思ったら、それから15分ほど大泣きして、もうやらないとなってしまった。
夕食後、泣いたり喚いたりする子どもを宥め賺しながら、妻が付きっきりで40分。なんとか算数と国語の宿題は終わらせたのだが、音読までには至らず、時間切れ。
たかが宿題によって、我が家の家庭生活のほとんどが奪われ、学習に対する子どもの興味や意欲も阻害される。
少なからず今の我が家にとって宿題は、百害あって一利もない。
宿題を全否定するわけではありませんが、子どもの状況や授業の進捗によって、宿題が課される適切な時期や量があると思います。少なくとも、そうしたことを無視し、学年全員一律にノルマのように毎日課される宿題には有害さすら感じています。
宿題以外にも、今の子どもたちを取り巻く状況は、昔に比べても相当に不条理で理不尽で抑圧的で過酷です。「行き渋る」方がまともな反応だと思ったほうがいいかもしれません。
9月11日(水)
昨晩は夜中に暑さで目が覚めて、そのまま上手く眠れなくなってしまった。おかげで、かなり寝不足気味の朝を迎えたのだが、しかしこの暑さ、いつまで続くのだろうか。
うむ。
さて、昨晩も妻が付きっきりで子どもの宿題対応をしてくれたのだが、状況はあまり変わらず、むしろ就寝時間に影響が出はじめているので、これ以上悪化する前に、早めに学校に相談してみようと思っている。
うむ。
一筋縄ではいかない我が家の子育ては、今に始まったことではないのだが、いやさて、どうなることやら。
宿題以外のところでは、友だちと一緒に仲良く登校し、お互いにお泊りの計画を立てたり、お喋りに花を咲かせているようなので、まあとにかく今は宿題です。
9月12日(木)
今日は妻の誕生日なのだが、子どもが熱を出してしまい、妻は子どもの看病をしながらの在宅勤務。午後は私が半休をとって、帰りがけにケーキを買ってきてバトンタッチの予定。
こうしたタイミングの悪さと夫婦の綱渡りのような対応は、子育てをしていれば通常運転の範疇に入る。まあ、控えめに言っても子育てあるあるの部類だとは思う。
うむ。
たとえば、私の友人や知人などの身近なところで、すぐに思い出せるものだけでも、保育園帰りに毎日子どもが愚図って公園で一時間立ち往生だとか、子どもが急性疾患で二週間の入院中だとか、学校まで付き添わないと子どもが登校できないだとか、子どもが姉妹二人で学校に通えなくなってしまっただとか、実は子どもが毎朝遅刻していただとか、子どもが家から外に出れなくなってしまっただとか、希望の学校に入ったのに突然行かなくなってしまっただとか、そもそも子どもに障がいがあるだとか、はたまた、パートナーが子育てにまったく関わってくれないだとか。
とにかく、軽いものから重いものまで、子育てに関する悩みはいろいろあって、そのどれもこれもが、どこかに相談したり助けてもらったりできるわけでもなく、根本的にはそれぞれの家庭で毎日どうにかこうにか対応しているのが現状だ。
しかも、日々の子育てに必死に奔走する親に対して、世間からは心無い悪口や言われない揶揄を受けることもよくある。
子ども。増えるわけ無いよな。
ここ三ヶ月、毎月子どもが熱を出しているのでちょっと心配です。
まあ、こう暑いと体調崩すのも当たり前のようにも思いますが。
9月13日(金)
おかげさまで子どもの熱は下がり、だいぶ調子を取り戻したかのように見えたのだが、行き渋りで今日も学校を欠席。
よくよく話を聞いてみると、宿題の件も含めて授業のやり方や学習の内容や担任教諭との折り合いなど、けっこう根の深い不安や不満があるようなので、一時的な行き渋りというよりは、まずまず大きな難局に発展しそうな気がしている。
一昨日、担任教諭に連絡し、宿題の件に関しては一定の方針が定まったばかりだったのだが、こうなってみると対応に出たのが遅すぎたかとも感じ、反省しかない。
とりあえずこのまま三連休に突入するが、休み明けに向けて、お互いが変に過敏にならないよう、気をつけなくてはいけない。
まあそんなわけで、今日も仕事は午後半休で帰らせてもらうのだが、いやさて、どうなることやら。
入学直後のクライシスが頭を過って胃が痛くなりますが、あの時同様に、なるようにしかならないと腹をくくるしかないですね。
9月17日(火)
三連休。というか、行き渋り中の子どもにとっては五連休。
映画に行ったり、プールで泳いだり、ドライブしたり、外食したりして、なんとなく連休っぽいことに取り組んではみたものの、些細なことで波風が立ち、事あるごとに衝突が起こり、連休を楽しむというよりは、休み明けの不安を紛らわそうとして、家族で無理くり取り繕うような、とても疲れる連休となってしまった。
うむ。
そして今日、休み明け。
子どもが寝床からなかなか出てこようとしないので、やはり難しいかな、と腹をくくりつつ、着替えを手伝ってやったり、学校の準備を手伝ってやったりしていたら、なんとなく子どもにいつもの調子が出てきたので、あとは妻に任せて、私は一足早く家を出た。
上手く行けなかった時には、すぐに引き返すことも念頭に入れ、電車に乗ってしばらくすると、「学校へは行ったよ」と妻からメールがあり、ひとまず今日のところは乗り越えたようだ。
就学直後の登校拒絶の経験を踏まえると、おそらくまだ暫くは一進一退が続くと思うが、いちばん大事なことは、通学に拘りすぎて家族全員が憔悴してしまう前に、上手く切り替えること。あと、休んだ時の子どもとの過ごし方。
これは本当に大事。
と言いつつ、ここ数日うまく眠れず憔悴し、子どもと上手く過ごせていないのは私の方なので、なかなかどうして困ったものです。
まあしかし、ここに日記を書いていられるうちは、どうにかこうにかできているのだなと思って下さい。
9月18日(水)
いつもと変わらぬ調子で帰宅し、ダラダラと一時間近くかけて夕飯を食べ終えたあと、自主的に宿題に取り掛かりはじめた子どもである。
ローマ字は無事に終えたのだが、漢字のドリルの後半で ギャァッ!っとなってしまったので、途中だったがとりあえず終わりにする。音読には手が届かず。
うむ。
先週、担任教諭といろいろと話をさせてもらい、宿題は無理にやらせず、とりあえずできる限りのところまでにしましょう、ということになった。
子どもの話によると、新学期に入ってから授業環境に変化があったり、立て続けに嫌な出来事が重なったりして、心が折れてしまったようなのだ。
子どもが不安に感じている点にも配慮を頂き、できる限り余計な負荷を減らすことで、まずは登校を優先させる。不安や負荷の少ない学校生活の中から、また前向きな気持が引き出せると良いのだが、どうなることだろう。
うむ。
しかし、二年前の入学直後に比べれば、子どもとの会話も成り立つので、意思疎通も比較的とり易くはなっている。私の方も有休にはまだ余裕があるし、仕事の状況も比較的落ち着いているので、いくらかマシなのかもしれないとも言えなくはないが、やはりまあ、大変なことは大変だ。
まあ、そんなわけで、まだまだ不満と不安の様子は変わらないのだが、今日も学校へは行ったようなので、なんとか今日も乗り越えた子どもである。
夏の暑さや漏水工事で先延ばしになってしまいましたが、子どもの自立心や独立心を育むためにも、親の子離れを進めるためにも、子ども部屋の整備は急務かなと思っているところです。
9月19日(木)
産まれてから今の今に至るまで、片時も子どものことを忘れたことがない。というか、頭から離れないと言ったほうが的確かもしれない。
もちろん子どもの成長度合いや時期によっても程度の差はあるのだが、出社すれば思い出し、昼になれば思い出し、午下になれば思い出し、退社する時にも思い出すぐらいは基本。
その合間にも事あるごとに、楽しく過ごしているだろうか、授業には集中できているだろうか、お昼はしっかり食べただろうか、暴れていないだろうか、水分補給はしているだろうか、と要らぬ心配をしている。
今時分は中休み。あの子はどうしているだろう。楽しく過ごしているだろうか。
うむ。
何度も書いているが、ここ数週、子どもの様子があまり芳しくなく、膨れっ面や泣きっ面の子どもの顔ばかりが思い出されてしまい、そういう時ほど子どものことが頭から離れない。
父の心配は尽きることがない。
この八年間、子どもがいなかったら絶対できなかったであろう体験に、ずっと直面し続けています。
9月20日(金)
子どもの様子の共有と今後の対応のすり合わせのため、17時前に学校に連絡を入れ、担任教諭と少し話をした。
とりあえず、家でも学校でも特に気になるような言動はなく、とはいえ、まだ一週間なので変に焦ることなく現状維持で進めましょう、ということでひとまず一致した。
うむ。
家に帰ると、先週とはうってかわって、いつも通り我が道を行く子ども。
常日頃から今の小学校の宿題の課され方には疑問を感じていたし、今回のこともあったので、家では宿題のことは言わないようにしているのだが、一週間も経過するとどこかで自分が不安を感じていることに気がつき、自分の意志の薄弱さに嫌気がさす。
子どもの方も何も言われないと不安になるのか、昨晩も寝際に自室で宿題に取り組みはじめ、結局、昨日の宿題をすべて終わらせてしまった。
そんな子どもの様子を見て、今度は自分が安堵していることに気がつき、またも嫌気がさすのだった。
素人目から見ても、今の小学校の宿題の課され方は、うちの子に限らず、自発的な学習から子どもたちを確実に遠ざけてゆくでしょう。
例外なく、そして確実に、子どもたちから学習の意義や意味を見失わせるか、または見誤らせると思います。
9月24日(火)
三連休は、お彼岸の墓参りで長野に一泊して、温泉と名産と自然を堪能し、最終日は学校の友だちが遊びに来て、終始笑い転げていたので、良い気分転換になったかなと思っていたのだが、学校の準備をしていたら「やっぱり学校なんか行きたくない」と泣きはじめてしまった子どもである。
うむ。
あらためて話を聞いてみたところ、やはり、とにかく授業がつまらないらしい。
唯一楽しいと思っていた図工の授業は、決められたキットの作成だけで、工作以外に「解説」をまとめなくてはならず、唯一息抜きができていた体育の授業は、授業の最後に毎回「振り返り」という作文を書かなくてはならず、どちらも苦痛になってしまったらしい。
そこで、子どもの友だち二人が遊びに来た時に、それとなく学校のことや授業の様子を聞いてみたところ、二人とも口を揃えて「ぜっんぜっん面白くない」と叫んだかと思うと、堰を切ったようにそれぞれに学校や授業の文句を言いはじめた。
うちの子だけではないのか。
子どもたちの話を聞けば聞くほど、今の学校の画一的で一方的な授業のあり方や、よく分からない規則や禁止事項など、我々の頃以上に学校が子どもを遠ざけている印象を感じる。
実は、子どもの親友の子が、一学期の中頃から欠席や保健室登校を繰り返すようになり、とうとう学校に来られなくなってしまった。
この親友やうちの子どものように、学校の窮屈さに何らかのSOSが出せる子であればいいが、声を上げられない子はひたすら我慢するか、じっと耐えるしかない。
実際、遊びに来た二人の友だちからは「行く以外方法がない」とか「行けって言われる」など、強要されて仕方なく学校へ行っているという意識が強いようである。
大人には有給休暇だってあるし、職場が嫌なら転職だってできる。職にありつけなければ訓練校に通えたり、失業保険も貰えるし、いざとなれば団体交渉だってできるが、小学生には何も無い。
大人と条件を揃えろというわけではないが、少なくともうちの子どもの学校の同じ学年の周辺の状況だけ見ても、このような不満が当たり前のように散見されるのだ。子どもの学ぶ権利や環境をもっと大切に考えて欲しいし、早急に改善してもらいたいのだが。
とりあえず、うちの子は今日もなんとか登校していったようだが、正直、心が痛い。
子ども自身が一番大変な局面ではありますが、子どもが学校のことで泣く度に、高校時代の私の体験が蘇り、一時的な不眠や心の沈みに苛まれてしまいます。
仕事に集中できれば少しは気分転換になるのかも知れませんが、おかげさまで没頭するほどの仕事が無いため、なんともはや。この日記に集中させてもらっていますが、気分転換にはならず、在ること無いこといろいろ考えてしまいます。
しかし、子どもの苦しんでいる姿を目の当たりにするのは、親として一番辛いです。
9月25日(水)
昨晩、子どもが事あるごとに、泣いたり喚いたり奇声をあげたりしていたため、とうとう妻が音を上げてしまったのだが、子どもの様子にどことなくわざとらしい感じがあったので、言葉で説明しないと誰にも何にも伝わらないからね、と言い含めると少しだけ静かになった。
うむ。
週明けの学校。いろいろと束縛されたり抑圧されたりして疲れたであろうことは分かるのだけど、親の状況だって似たり寄ったり。お互い辛いのだ。
うむ。
さて、いつも帰宅時に利用する乗り換え駅のホームからは街頭温度計の標示が見える。先週は毎日35℃を表示していたのに、昨日はいきなり22℃。涼しいに越したことはないのだが、落差が激しすぎて流石に身体がおかしくなりそうだ。
あと、仕事中はTPOに配慮する意味でも、世界情勢や政治動向を伝える報道系の、どちらかと言うと堅めの番組を聴くようにしているのだが、子どものことで気持ちが沈んでいる時は、本当に下らない与太話かお笑いの番組しか聴けない。
子どもだって大人だって、無理してはいけない時があるな。
PTAから校庭開放当番に関するお知らせが届いたのですが、一度読んだだけでは意味がよく分からず、何度か読み返すことで、ようやく内容を理解することができました。
こんな難解な文章に出逢ったのは、ソシュールの『一般言語学講義』以来だと思います。恐るべし。
9月26日(木)
昨晩は父子二人きりの夜。
子どもの状況が不安定なので、二人きりで過ごすことに少し緊張もあったが、何事もなく、いたって静かな夜だった。
それでも、授業に対する不満や宿題に対する嫌悪は相変わらずで、学童では職員の方と衝突して二度も暴れたとのこと。
うむ。
トラブルが日常になってきているような気もするが、子どもは元気そうなので、まあよろしい。
今週末は、妻子が泊まりで出掛けてしまう予定で、思いがけず一人ぼっち。ここ最近のドタバタで、手付かずになっている家のことを済ませてしまいたいが、映画の一本ぐらいは観に行けるかな。どうだろう。
ただ、今の子どもの状況だと、やっぱり行くの止めた、と言って、逆に父子二人きりになることも大いに有り得るので、あまり綿密に計画しない方がいいだろう。
最近こんなのばっかり。先の計画や予定が立たない。
気にしないで済んでいることというのは、気にしなくても済むぐらい恵まれた環境にいるということなのだと、最近分かるようになりました。
9月27日(金)
昨日今日と、子どもがいつもより早く起きてきた。
朝時間、一日の始まりの様々な家事をこなさなくてはならないのと同時に、一日のうちで私が唯一、家で一人きりで過ごせる時間でもある。
僅か一時間足らずの時間だが、貴重な時間を子どもに邪魔された感じがして、少し苛立ちを覚えつつも、いつもと違う子どもの行動にかなり身構えてしまい、家事をする手がおぼつかなくなってしまった。
うむ。
昨日の夕方、学校へ定時連絡。
学校での子どもの様子は相変わらずのようだが、図工の課題にまったく手を付けていないという話を聞いて動揺。あれだけ好きだった図工が。
一方、家での様子は、ここ最近、嫌々ノートを開いて最初の数題に取り組んで終わりにしていた宿題だが、昨晩はいつの間にかすべて終えてしまっていた。
前向きとは言えないまでも、完全に後向きというわけでも無さそうなので、引き続き現状維持で様子を見ることに。
まだまだ膠着状態の最中なのか、はたまた子どもなりに何かしらの変化があるのかどうかは、外から見ている限りではよく分からないが、少なくとも学校の友だちからは、良い影響を受けていることは確かなようだ。
ゆっくりじっくり。
長野にお墓参りに行った際、妻の提案で新米4㌔を買って帰ってきたのですが、案の定、今週も米が欠品で配達されず、当面この新米が我が家の命綱になりそうです。
妻よ。
9月28日(土)
今日から妻子が一泊で家を空ける予定なのだが、朝、起きてくるなり妻が喉が痛いと言い出した。
そうきたか。
二日間も家で一人で自由にしていられるなんて、そんな夢みたいなことがあるわけないのである。端から心の片隅のどこかで、既に諦めていたことが逆に功を奏した結果となった、かに思われたのだが、妻の症状は大したことはなく、朝から大騒ぎしながら二人で出掛けて行った。
というわけで、まずは猛暑でずっと手付かずだった庭の雑草の処分や草木の剪定を、汗だくになりながら二時間ほど。猫ちゃんの吐いた毛玉と糞も複数回収。45㍑のゴミ袋が四袋パンパンになったところでゴミ収集車が来たのでひとまず終了し、シャワーを浴びてこの日記を書いている。
この二日間は自炊はしないと決めていた(実はしっかり計画していた)ので、昼は何かを食べに出て、少し昼寝をしてから、家の掃除と水槽のメンテナンスと、時間に余裕があれば包丁研ぎも。
今日明日とで、近所の神社で祭り(DJ もあるらしい !?)があるので、夕方からちょっと見物してから、夕飯を食べに出ようと思っている。
それから明日はしっかり寝坊して、映画を観にいってから、熱帯魚を買って帰って来れるといいのだが、不測の事態も考えて、あまり過度に期待しないほうがいいとも思っている。
というわけで、書き連ねると他愛のないことばかりだが、夢のような二日間になりそうだ。
昨日、学校から連絡があり、学習支援員に入って貰ったところ、子どもの様子が少し前向きになった印象があるので、全部の授業は難しいけれど、入ってもらう教科を決めて、しばらく継続してみようと思います、とのことでした。
支援員は子ども個人に付いてくれるというよりは、クラス全体をみてくれるようなので、うちの子どもにとってもクラスにとっても良いんじゃないかと思います。
まあ、欲を言えば、最初から二人体制ぐらいでやって貰いたいとも思います。
9月29日(日)
映画に行くのが億劫になってしまったので、昨晩のうちにかなり夜更かしをして、気になっていた数本の映画を配信で視聴した。
今朝は三時間の寝坊をして起床。昨日の庭の剪定作業で身体中が筋肉痛。
朝食は近所のパン屋のチョコデニッシュとアイスコーヒーで済ませ、映画に行かないかわりに、また庭の剪定作業を二時間ほど。途中、近所の神社の祭りの山車と神輿が家の近くを通ったので見物。
今日は45㍑のゴミ袋が三袋。
シャワーを浴びて、麦酒を呑みながらこの日記を書いている。
家のことも自分のこともしっかりできて、かなり充実した週末を送ることができたのだが、夕方に妻子が帰ってくるのかと思うと、妻子には悪いけど、ちょっと気が重いな、というのが正直な気持ちでもある。
ただ、そういう気持ちから導き出されることとして、自分がいかに自分のやり方を貫きたい人間なのか、いかに拘りの強い人間なのか、そうした利己的で独善的な自身の側面を思い知らされるわけでもある。
そんな私であるからこそ、逆にうちの子が親の思い通りになってしまうような、聞き分けのいい子ではなかったことは、本当に良かったことだとも思い、安堵し内省する週末だ。
これからも、どんどん私を困らせ悩ませてくれ。
昼食を食べがてら、熱帯魚と夕飯の食材を買いに出ようと思ったら、雨が降って来てしまいました。
ここに来て、日頃の行いの悪さが出てきてしまったようです。
9月30日(月)
二日間の庭仕事で全身筋肉痛。
普段はエレベーターなど使わずに、自分の職場のフロアまで階段で上がっていくのだが、今朝は二階半まで上がったところでギブアップ。残りはエレベーターに助けて貰った。
典型的な運動不足。実に情けない。
うむ。
さて、妻子二人の一泊二日旅行は、子どもにとってもかなり気分転換になったようで、昨日は溌剌とした感じで帰ってきたのだが、今日は登校前に「宿題やっていなかった」と言って一悶着したものの、保育園からの友だちと一緒に、なんとか無事に登校していったようである。
「行き渋り」が始まってから約半月が経ち、今までは連休などで助けられた面もあるのだが、今週は初めての月~金曜日、五日間フル登校の一週間となる。
うむ。
今週も忙しくなりそうだ。
週明けなのに月末という変な日ですが、まあとにかく、来月も頑張っていきまっしょい、いきまっしょい、いきまっしょい。
そんな心持ちです。