2025年 2月
2月3日(月)

不登校認定を間近に控えつつ、三週間目の登校に足を踏み出した子どもである。

うむ。

先週、スクールカウンセラーの先生に、学校に対する子どもの気持ちや不満や不安などを定期的に聴取し、その内容をこちらにも共有して貰ったうえで、どういった対応が可能かどうかも助言して貰いたい、という要望を伝えていたところ、早速、担任の先生から連絡が来た。

こちらとしては、担任の先生以外からの意見が欲しかったので、わざわざスクールカウンセラーに問い合わせたのになぁ、と思いつつ、とりあえず話を聞いてみたところ、こちらでも既に確認している子どもの苦手意識を何点か挙げられたあとに「学校の教員が家までお迎えに行く事には抵抗があるらしいので、行き渋る時は『先生にお迎えに来て貰おうか』と声を掛けて頂くのが効果的かもしれません」と言われ、唖然としてしまった。この後に及んでこの認識だったのか。

私も認識を改めよう。むしろこの担任教諭に対し、うちの子はこれまでよくやっていたのだ。新年度まであと二ヶ月。無理せず、いくらでも休んでくれ。




とは言え、どうにかこうにか子どもが安定して学校に通えている今のうちに、在宅勤務の実現に向けて、あの手この手で交渉を進めているところなのですが、業務遂行の客観的な条件や在宅実施の切実な理由は揃っているにも関わらず、話がなかなか進まない状況についつい苛立ちを覚えてしまいます。

しかし、いつになったら私は社会と折り合いがつけられるようになるのでしょうか。

2月4日(火)

不登校認定を間近に控えつつ、三週間目の登校を継続中の子どもである。

うむ。

昨晩は寝つきが悪かったのか、子どもが何度か夜中に起きてしまい、その際に、学校でのネガティブな出来事を思い出し「学校が怖い、嫌だ」と妻に洩らしていたようである。

今朝、朝ごはんの時にも少しボーッとしたような感じで、涙目になる瞬間があったので、「どうしたの?」と声をかけると、「学校が怖い、行きたく無い」と洩らしたので、「無理しないで、嫌な時は休んで良いから、今日は休んだら?」と声を掛けたところ、次の瞬間にはテレビ番組の主題歌と一緒に元気に踊りはじめ、取り繕った様子もなく「もう大丈夫!」と言うので、逆に心配になる。

あとで妻に詳しく話を聞いたところ、友だち同士でよくありがちな悪ふざけが原因のようだが、子どもが不安定な時期でもあるので、少し注意が必要なのかもしれない。

うむ。

ここ最近、学校から配られる配布物の中に、新年度に向けた内容のものが目に付くようになってきているのだが、その期待と希望に満ちあふれた内容とは裏腹に、不安と悲観しか抱けない我が家である。




在宅勤務の実現をできるだけ早く確実なものとするために、ここ数日、ちょっとした策動を実行中なのですが、こんなことまでしないと動かない会社に、既に嫌気が差してきています。

策動の詳しい内容については、お話できる日が来たらここで紹介したいと思います。

2月5日(水)

不登校認定を間近に控えつつ、連続登校をはじめてから三週間目も中盤を迎えた子どもである。

うむ。

さて、遡ること先々週、子どもの右上顎の第一第二小臼歯の間に妙な欠けを見つけたので、すぐに歯医者を予約した。ついでに年末に受ける予定だった私の定期検診も同じ時間に予約し、先週末の土曜日に家族で通院したのであった。

私の検診は特に異常なく、欠損歯に対する上顎の奥歯が落ちてきているので、日常的に入れ歯をつけるよう注意されるぐらいで無事に終わり、子どもの方も虫歯ではなく治療箇所が欠けてしまっただけだったのですぐに修復してもらって無事に終わった。

お互いに大きな問題なく本当に良かったのだが、その晩、風呂上がりに子どもの髪をブラッシングしてやっていたところ、髪の付け根に小さな白いツブツブを発見。

とうとう我が家にも使徒が襲来してしまったか。

というわけで、我が家は総員第一種戦闘配置にて使徒殲滅態勢に移行しているところだが、今のところ使徒本体の姿は確認されず、使徒未満の小さな白いツブツブも日を追うごとに減少しているところである。

少なくともあと5日は態勢を解くことはできないため、辛い日々が続く。




この日記では偉そうな文体、いわゆる「常体」を使用していますが、私のことを直接知らない読者も増えてきた時に、このままではあまりに居丈高だなぁと思い至り、この一言コーナーでは「敬体」を使用することにしました。

印象って大事ですからね。

2月6日(木)

不登校認定を間近に控えつつ、三週間連続登校にも王手をかけつつある子どもである。

うむ。

二学期のように、何か納得できないことに対して不貞腐れたり暴れたりすることはだいぶ少なくなってきているようだし、年末のような、学校に対する後ろ向きな感情や発言だったり、連続的な長期の欠席などもだいぶ少なくなってきているものの、担任教諭や特定授業に対する忌避とテストや宿題の拒否は相変わらずなので、今の子どもの状態や状況をどのように評価してよいのか、正直言ってよく分からないところである。

ただ、表面的には安定しているように思える今のうちに、学校や家庭以外の何らかのオルタナティブな居場所を見つけてやりたいな、と思いつつも、具体的な手立てや子どもの意向もまだぜんぜん分からないのに、気持ちばかりが無駄に焦っている。

うむ。

しかし、変に焦っても仕方ない。とりあえず今のところはまだ下手に動かず、無理せずゆっくり推移を見守ることとしよう。




上手く回っている時はいいのですが、なにかに躓いた時に、昔から私は様々な事柄を周囲と比較してしまうことで、物事を悲観的に捉えたり考えてしまうことが多く、今回の子どもの件でも、そうした私の悪い癖が原因で、無為な衝突を繰り返してしまいました。

いい機会なので、そうした私の思考の癖について、少し腰を据えて考えてみたいです。

2月7日(金)

不登校認定を間近に控えつつ、三週間連続登校を達成した子どもである。

うむ。

昨日は学童帰りに友だちと揉めたようで、だいぶ不貞腐れた様子で家に帰ってきた子どもである。家でも感情の起伏が激しいまま過ごし、寝る間際には泣き喚くぐらいにはまずまず酷い状況になりつつも、大きな混乱や衝突もなく、なんとか無事に就寝までこぎつけることができた。

まあ、週の後半はだいたいこんなものだろうと腹を括りつつ、翌日の登校は難しいかもしれないな、といった諦めも就寝前に一緒に腹積もりしておくと、翌朝になって変に焦ることが少なくなる。

対応に慣れてきた部分も大きいけれど、私自身の前向きな変化の影響もそれなりにあるとも思っているのだが、そう思わなくてはやってられない部分もある、というのが本音である。




明日も仕事です。

思い切りサボってやろうという気持ちでみなぎっています。

2月8日(土)

昨晩は20時を過ぎたあたりで、まだ風呂に入りたくない、まだ寝たくもない、と子どもが言いはじめたので、また今夜もかとウンザリしつつ、ここ最近では一番の荒れた夜のはじまりになることまでは想像もしなかった。

うむ。

その後、こちらもいろいろ譲歩策を呈示しながら、風呂に入ることには合意したのだが、結局、泣き喚きながら出てきて、今度は、身体を拭きたくない、髪を乾かしたくない、パジャマを着たくない、歯磨きしたくない、と身支度をすべて拒否したうえで、学校行きたくない、死にたい、となってしまった。

流石に最後の訴えは、控えめに言って相当キツい。

その後、なんとか宥め賺して身支度を整えさせ、23時頃にようやく就寝に至ったのだが、その後は私の眠れない夜との格闘がはじまるのだった。

一週間のうちで一番疲れた長い夜だ。




疲れはもちろん、空腹や眠気、痛みや痒み、といった身体の不快感に対する耐性の低さと、対応力の未熟さがこうした子どもの不機嫌の大きな要因となっていると思われます。

昔からそうした傾向はあったのですが、ここ最近の精神的な不安定さと相まって、更に顕著になっています。

2月9日(日)

昨晩は、妻の地域サークル活動に子どもも付いていってしまって、ヤモメの晩飯。

今日は、妻の友だちの誕生日会に子どもも付いていってしまって、ヤモメの一日。

仕方ないので、家の整理整頓と掃除洗濯と野良猫の世話に励み、今は一服しながら昼飯はどうしようかと思案しながら、この日記を書いている。

まあ、ヤモメの昼飯なんてラーメン一択しかないのだが。

うむ。

しかし、そんな週末生活を営みながらふと思うのは、逆に私が子どもを連れて行ける、または子どもが付いて来たいと思えるような、私の家庭外の交流や活動があるかというと、全くない事に気が付き愕然とするのだった。

うむ。




県境を越えたところに工具のセカンドショップがあるらしいので、昼飯を食べた後に冷やかしに行こうと思ったのですが、もし子ども誘ったとしても付いてこないだろうなと思い、あらためて愕然となります。

2月10日(月)

連続登校四週目に足を踏み出した子どもである。

うむ。

週末は妻子で出掛けてしまうことが多かったため、日中は一人でヤモメのような生活を送っていたのだが、週末両日ともに、夜に妻子で帰ってくるなり、子どもが妙な躁状態で絡んでくるので、私に会えなくて寂しかったんだな、まったく可愛いやつめ、とかまってやっていた。

ところが、寝る前になると一転して鬱屈状態での妙な絡み方をしてきたため、子ども自体のギャップにも、昼のヤモメ生活からのギャップにも、両方に翻弄されてしまい、就寝前に嫌な疲れに苛まれるのだった。

うむ。

今週は飛び石休のおおかげで息継ぎができるし、気持ちに少し余裕も持てる。僅かなことのように思えるが、今の我が家にとっては大きな救いだ。




明日、子どもたち同士で遊ぶ約束をしているようなのですが、親の補助や介入なしにちゃんと約束できるかを、ひとつの到達点としたいところです。

子どもたちのやり取りを見ていると、あまりにも詰めが甘すぎる点が多すぎて心配になりますが、まあ、温かく見守りましょう。

2月12日(水)

連続登校四週目。飛び石休み明けで若干の行き渋りを見せたものの、自分を鼓舞して登校していった子どもではあるが、あまり無理はしないで欲しい。

うむ。

昨日は一日、子どもたち同士で遊ぶ約束をしていたのだが、全12ページのしおりまで作成して、綿密に計画された遊びの予定は、朝8時から夜20時までびっしり詰まっていたのだった。

12時間に及ぶ長大な計画はもちろん、あんたたちだけじゃ無理じゃない? という内容や、ここまでどうやって行くの? という行程など、現実的に不可能な箇所がかなり多く目立っていたため、まずは計画変更の説得のところから頭を悩まされることとなったのだが、一緒に遊ぶお子さんのお父さんやお母さんの協力の申し出のおかげで、子どもたちの計画は概ね実現できる方向で、なんとか落ち着いたのだった。

当日も前の予定が押したり狂ってしまったりしたようだが、お父さんやお母さんが臨機応変に対応してくれたおかげで、無事に楽しく遊んでくることができたようである。

私?

私は家で、現地からの報告を、逐次受けておりました。




ここ最近、子どもが苛々している場面がとても多く、こちらが建設的に話しをしようとしても、何かにつけて揚げ足取りをしたり、不遜な態度で無視したり、当たり散らしたりします。

こちらも感情的にならないよう努めてはいるのですが、ほとんどの場面でそのような対応をしてくるので、本当に疲れます。

この試練を耐えたところで、なにか報われることがあるのでしょうか? 本当に。

2月13日(木)

今日も連続登校四週目を登校中の子どもである。

うむ。

昨日、学童クラブからの帰りの子どもから「友だちからファービーを見せたいから家に来ない? と誘われたから、ちょっとだけ見に行っていい?」と言われた。

まあ、ちょっとぐらいならいいかと思いつつも、もうだいぶ暗くなっており、友だちの家も少し遠いので、友だちの家まで一緒に付いて行き、5分の約束で私は外で待っていたのだが、結局、寒風吹きすさぶ寒空の下で20分待たされたのであった。

うむ。

実際のところは、疲れと寒さでかなり苛立っていたのだが、子どもには少し釘を差すだけに留めてとにかく家路を急いだ。

この苛立ちを家の中までは引きずるまいと、上手く気持ちを切り替えて、なんとか寝る間際までは耐え抜いたのだが、子どもの髪を乾かしていたところで、普段なら無視するような子どもの身勝手な言動に我慢ができず爆発してしまい、一日の最後ですべてを台無しにしてしまったのだった。

うむ。

まあ、私の鍛錬が足りないだけなのだが、そもそもこれは、いったい何の鍛錬なのだろう?




だいぶ慣れてきて、そろそろ撫でさせてくれそうな感じのキジトラ地域猫(通称:ツンちゃん)に餌をやっていたら、突然、躍動的な嗚咽をしはじめたかと思ったら、食べていた餌と一緒に大きな毛玉を吐き出しました。

話には聞いていましたが、目の前で見るのは初めてのことだったので、かなり驚きましたが、目の前で吐く行為というのは、猫的には慣れてきた証なのでしょうか? 教えて詳しい人!

2月14日(金)

連続登校四週目の登校を完遂した子どもである。

うむ。

昨晩も、なんとか寝る前までは平穏かつ幸福に過ごすことができたのだが、もう就寝するぞという時になって子どもに嫌な感じの説教をしてしまった。

しかも自分で説教しておきながら自分で後味が悪くなってしまい、そのせいでなかなか眠れず睡眠不足。

深く反省。

子どもは今、学習支援教室で週に二時間だけ、特別な授業を受けている。授業では、簡単なゲームを通して、論理思考や社会感情といった学習を、少人数で行っているようである。

フィンランドの小学校では、むしろこうした学習に多くの時間を割いている、というようなことを、最近読んだ本でちょうど紹介されていたので、特別な生徒に週二時間だけ、という我が国における対応の差をどう考えたらいいものか。少々戸惑っているところである。

私が小学生の頃には、そもそもこうした学習方法は存在しなかった。しかし、時代の変化とともに社会の要請も大きく変わっているのは明らかで、それに合わせて学習方法も変化しなければ、急速な少子化にも関わらず過去最多の34万人という不登校児童の数は、今後も更新され続けるだろう。




昨晩、キジトラ地域猫(通称:ツンちゃん)に子どもと一緒に餌やりをしていたのですが、ペーストタイプの餌を子どもの指につけて与えてみたところ、美味しそうにペロペロ舐めてくれました。

これはもう撫でても大丈夫、という合図だろうと思って背中を撫でたら、滅茶苦茶シバかれました。

難しい。

2月17日(月)

連続登校五週目に突入した子どもである。

うむ。

土曜日、実に三年ぶりに隣町のデイキャンプ場の使用予約の抽選に当たり、子どもの友だちや家族を誘って「焚火会」を企画していたのだが、出掛ける直前になって、子どもがトイレに篭って出てこなくなってしまったのである。

出発予定時間が過ぎても、子どもが篭ってしまった理由は判然とせず、こちらの問い掛けにもまったく応じない。

既に子どもの友だちは我が家に集まり、出発を待っている状態で、焚火資材はすべて我が家で準備する手筈となっており、現地に直接やって来る食材担当のご家族もいるしで、状況的にいきなり中止という訳にもいかず、子どもの対応はひとまず妻に託して、私だけ現地に向かったのだった。

家を出てからほどなくして妻から連絡があり、キャンプ場使用の事務手続きを託されるも、事務所の場所もよく分からないうえに、現金の持ち合わせも無い。役割を分担/分散したことが逆に徒となる。

さて、どうしたものか、と悩んでいると、電話口から「行ける? 行けるの!?」と妻の声がしたので「どうしたの?」と尋ねると「(子どもが)行くって言って、トイレから出てきた」とのこと。

その後、皆と合流し、予定の40分遅れで現地に向かったのだが、うちの子は、むしろいつもより無邪気に「焚火会」を楽しんでいた様子であった。

うむ。

まあ今回は、結果オーライではあったものの、篭った理由は判然としないまま。こうしたことがあると、何か楽しい予定や企画を立てることに、どんどん臆病になってしまう。




子どもがトイレに篭っている最中、友だちたちは嫌な顔せず「出てくるまで待ってる」と言って、付き合ってくれました。

ありがたや。

「焚火会」の翌日も、不平不満や欲求不満でなにかとへそを曲げる場面が多かった子どもですが、そもそも自分自身の「不平」や「欲求」の言語化が難しいのと、「不平」や「欲求」が何なのかよく分かっていないこともあり、とても手こずらされています。

本当に難しい。

2月18日(火)

連続登校五週目の子どもである。

うむ。

今日は学校の社会科見学なので、朝6時前に目を覚まし、テレビ体操でしっかり身体を動かしてから、妻の弁当作りの手伝い(鶏唐揚げを油に投入/八朔の皮剥き)をしたようである。

工業地域や市場や特産品化工場など、地域の臨海部方面をぐるっとバスで巡る、まるでバスツアーのような社会科見学で、「あまり行きたくない」と後ろ向きな発言をこぼしつつも、今朝の様子を見る限りでは、ずいぶん張り切った印象だったので、少し安心した。

うむ。

ここ最近、子どもの言動に対しては、どんなことがあっても、とにかく感情的にならないよう努めているのだが、その反動で、子どもを冷静に諭しているつもりが、実は理詰めで責め立てているだけだったりして、これってただのモラハラじゃね? と我に返ることがある。

これでは元の木阿弥じゃないか。

こんな時に一番必要なのは、適当さと陽気さだと思うのだが、そもそも私がまったく持ち合わせていない特性だ。辛い。




今日は訳あって仕事を休み名画座上映で「関心領域」を観てきました。適当さと陽気さがまったくない映画でした。

辛い。

2月19日(水)

連続登校五週目継続中の子どもである。

うむ。

昨日、家に帰ってくるなり、子どもが堰を切ったように社会科見学のことを話しはじめた。トイレ立て篭もり事件があったばかりだったので少し心配していたのだが、楽しんでこれたようなので一安心。

社会科見学は、クラスごとに三台のバスで向かったそうなのだが、帰りに一台が故障して立ち往生。故障したバスの子どもたちを、残りの二台に分乗させて帰ってきたようだが、こんなニュースもあるようなので、大きな事故にならなくて良かったと思う。

うむ。

さて、我が家では未だに子どもが寝る前に本の読み聞かせをしている。お願いだから、本ぐらいもう自分で読んで欲しいのだが、それ以外にも、家にある本はあらかた読んでしまっているし、子どものリクエストする本にも偏りがあるため、私が読んでいてつまらないのである。

そこで昨晩は、図書館から私の独断で選んできた本を読むことにしたのだが、これがなかなか面白い。半ばぐらいまで読み進め、これならなんとか一晩で最後まで読み切れそうだと思い、子どもの反応を伺ってみたところ、気持ちよさそうな寝息を立てて、既にぐっすり眠っていたのだった。

社会科見学だったもんな。そりゃ、疲れたよな。仕方ない。




我が家に集う地域猫たちですが、少し良質なフードを与え過ぎていたせいで、普通のドライフードに見向きもしなくなってしまいました。

あと最近、カラスが猫たちのフードに狙いをつけてきているので、給餌方法を少し見直さなくてはいけませんね。

2月20日(木)

連続登校五週目継続中の子どもである。

うむ。

来年度の学童クラブの利用可否の結果が、そろそろ郵送されてくる頃である。

子どもの年齢的に、現在通っている学校隣接の学童クラブの継続利用はかなり厳しい状況なのだが、学校から10分ほど離れた施設であれば、どうにかこうにか可能性がありそうなのである。

ただ、うちの子どもぐらいの年齢になってくると、大人からずっと管理されたくないとか、自分だけの時間を持ちたいとかいった自立心の芽生えから、もう学童クラブは卒業でいいかな、となることが多く、実際に子どもの友だちの中でも、早々に学童クラブを去っていった子もちらほらいるし、私自身の経験からも、小学校3年生ぐらいの頃には既に、学童クラブは鬱陶しい存在だったことを思い出す。

まあしかし、うちの子の場合はまだ少しそうした芽生えからはほど遠いようで、親も子どももまだしばらく学童クラブのサポートが必要な気はしているのだが、その一方で、今の子どもの状況からすると、学童クラブ変更に伴う環境の変化に素直に応じてくれるとも思えないし、上手く馴染んでくれるかどうかも心配なところである。

いずれにせよ、頭が痛い問題であることは確かなのである。

どうなることやら。




お昼すぎに妻から学童クラブの利用通知が届いたと連絡がありました。予想通り、現在通っている施設利用の希望は通らず、学校から離れた施設への利用が承認となったようです。

行く先が無いという事態は回避できましたが、いやさて、どうなることやら。

2月21日(金)

連続登校五週目の登校を完遂した子どもである。

うむ。

来年度の学童クラブ転所について、子どもにどう切り出したものか、と頭を痛めながらの帰宅途中、妻から「学童から子どもが身一つで早々に帰宅してきた」との連絡を受けた。

何らかトラブルがあった事には違いないのだが、当の本人が口を噤んでいるため理由が判然としないらしく、更に頭を痛めて帰宅することとなったのだった。

うむ。

暴風吹き荒れていることを予想して帰宅するも、実に凪いだ様子の子どもに肩透かしを喰らいつつ、トラブルについては頑なに口を割らないのだった。

上着やランドセルなど、すべての荷物を学童クラブに置いてきたようなのだが、自分で取りには行く気はまったく無い様子の子ども。

仕方ないので、気付けに一杯呑んでから、私が学童クラブへ荷物を取りに向かい、職員の方から経緯を事細かに伺い、荷物を受け取って胃を痛めて帰ってきた。

頭も胃も痛い夜は、何も考えず、何も行わず、とりあえず早く寝るに限る。




今日は友だちと帰って来る約束なので、感情任せの向こう見ずな行動には出ないと思うのですが、親の予想の斜め上を行くのが我が子です。油断はできません。

2月25日(火)

連続登校六週目に突入した子どもである。

うむ。

連休初日に、ひょんなことから子どもの友だちが我が家に泊まりに来てくれたことで、幸先良く始まったかのように思われた三連休だったが、それ以降はほとんど家で引き籠もり状態の子どもだった。

なにか目的があるとか、なにかやりたい事があるとか、明確な理由があって家に籠もっているわけではないため、事あるごとに我々に絡んできて、その度に相手をしてやらなくてはならず、かと言って、せっかくの三連休だからと、こちらからどこかへ遊びに行こうと提案をしても、ことごとく拒否されてしまう。

ここ最近の連休はほとんどそんな感じなので、家族全員でストレスを溜めるだけの不毛な時間と化しており、この三連休もご多分に漏れず、ただただ気分が沈んでゆくばかりの連休であった。

うむ。

さて、懸案事項の来年度からの学童クラブの件はと言うと、予想通りプランA(別施設への転所)については子どもから断固拒否されてしまったため、プランB(現施設の一時利用)の検討を進めつつ、プランAの再考についても引き続き粘り強く話し合っていこうと思っているところである。

プランAは少し遠いという点を除けば、今の施設よりも少人数なので、子どもにとっては申し分ない環境だと思っている。更に、他学校の子どもも利用するので、習い事や地域活動に参加していない子どもにとって、良い刺激にもなるのではないかと考えているのだが。

不確定なことが多すぎてとにかく頭が痛い。いや、この半年以上、常に痛い。




そもそも来年度の学童利用はそれほど重要視していなかったのですが、子どもの問題行動と不登校騒動で状況が一変したことと、そちらに注力して身動きが取れなかったことが、ここにきてかなりの皺寄せとなっています。

小学校も後半になろうというところですが、悩みや苦労がなかなか絶えません。

2月26日(水)

連続登校六週目の子どもである。

うむ。

小学校生活も、もうすぐ折り返し地点に差し掛かろうとしているところだが、なかなか落ち着く様子のない我が家である。

子育てについては、親と子の年齢によって困難や苦労の差はあるので、一概に言うことはできないのだけれど、小学校よりは保育園の頃の方が、時間的にも精神的にも肉体的にも、いくらか余裕があったように感じる。

起きてから出勤までの朝の時間はもちろんのこと、帰宅から就寝までの夜の時間に至るまで、自分の自由になる時間は今もって皆無ではあるのだが、忙しさの密度、気持ちの焦り、疲労の蓄積といったすべての面で、より負荷を感じているのは事実である。

ところが、各方面の先輩ママたちから、中学校にあがった方がもっと大変だよ、なんていうの話を耳にする場面が何度かあり、我が家の場合、その大変さが容易に想像できてしまうだけに、戦々恐々となるばかりである。

明けない夜はない、止まない雨はない、そう思いたいところである。




懸案事項の来年度の学童クラブ問題ですが、一転二転しながらも少し光明が見えすな材料が出てきており、その材料を踏まえたうえで本人がどう判断するか。

前向きな返事を期待したいところですが、こればっかりはどうすることもできません。

2月27日(木)

二月の無欠席登校を目前に控えた子どもである。

おそらく、子どもが一ヶ月無欠席で登校できたのは、私の記憶の限りでは、半年以上ぶりのことだと思われる。

まあ、二月は短いし。

うむ。

さて昨日、子どもが走って帰ってきたので、何かあったの? と尋ねたところ、帰宅途中に友だちと言い争いになり、面倒だから友だちを振り切って帰ってきたのだと言う。

以前なら、この時点で既に不機嫌になっていて、場合によっては手の付けられない状態であってもおかしくないのだが、まあ、喧嘩ぐらいよくあることだし、と言って、昨日は実にあっけらかんとしていた子どもである。

うむ。

ところで今朝、通勤電車でサラリーマン同士が無言の小競り合いの末、一方が降車する隙をついて一方の顔面を殴りつけるという、実に姑息で胸糞悪い場に出くわしてしまった。

なんだか最近、殴るまではいかないまでも、公の場で大人(オッサン)同士が揉めている光景を目の当たりにすることがよくある。

そういう意味では、最近の大人(オッサン)は子どもより始末に負えない。うちの子を見習って貰いたいものだ。




会社と交渉を続けてきている在宅勤務ですが、再度話し合いの場が持たれたものの、「今すぐには対応できない」という相変わらずの回答しか得られませんでした。

在宅勤務の実現は、この会社に入って携わった数々の仕事の中でも、最も困難な仕事になるかもしれません。

2月28日(金)

二月の無欠席登校を達成した子どもである。

うむ。

先週末、だいぶヘタってきてしまっていた下着類の買い足しに、近くの量販店に出掛けたところ、運良くセール中だったので、買い足し+αで靴下を少し多めに買い込んできた。

せっかくなので、普段は履かないような鮮やかな色も取り混ぜて、実際に履く前に一度洗濯して置いておいたのだが、それを見つけた子どもが「この方が良い!」と言って、色ごとに置いておいたものを色違いの組み合わせにし直してくれたのである。

だから今日、私の履いている靴下は、右足がオフホワイト、左足がレモンイエローという、爽やかな出で立ちなのだ。

なかなか良い。ありがとう。




完全に子どもが不登校だった去年の12月、やはり不登校の友だちが、ふらっと我が家に遊びに来てくれたことがあったのですが、今日のお昼すぎ、その子のお母さんから「久しぶりにリハビリがてら学校まで出て来ることができたのですが、どうされてますか?」と連絡がありました。

学校に行けない(行きたくない)という点ではお互い同じなのですが、うちの子とその子では理由も原因も症状もまったく違ううえに、家庭の状況も大きく異なるので、対応や対処方法も変わります。

そのため、同じ不登校の悩みを抱えているのに、共有できる話題が少ないので、あまり頻繁に連絡を取り合うことがし難いのが実情です。

まあ、それもこれも、学校教育の必要以上の画一化が、不登校の問題をより複雑化・複合化しているという、おかしな状況が拡大しているからなのでしょう。本当に困ったことです。