2025年 3月
3月1日(土)

そもそも今日は、土曜日出勤予定だったのだが、妻の親戚の法事の参加のため、休むことにしていた。

しかし、子どもの学童クラブの件で、プランB(現施設の一時利用)を進めるにあたり、本日中に手続きが必要なことが分かり、その対応のために私だけ法事の参加をキャンセルさせてもらった。

ところが、子どもの友だち中に、学童クラブをプランA(別施設への転所)で決定した子がいることが分かり、あれだけ拒絶していたうちの子どもも、あっさりプランAへの変更を承諾したのだった。

というわけで、プランBの手続きの必要は無くなったのだが、一度断りを入れた法事に再度参加を申し出るには、既に日が迫っていたので気が引けてしまい、かと言って無為に有給休暇を消費するのも癪なので、気分的な折衷案として、今日は午前中だけ出勤することにしたのだ。

三月初っ端。紆余曲折の土曜日を過ごしている。

うむ。




トイレの電球が切れてしまったので、植物育成用の特殊なLED電球を応急処置的に使用しているのですが、トイレに行く度に、子どもが「また育っちゃったよ」と言って出てきます。

君は光合成するタイプじゃないから大丈夫。

3月3日(月)

三月の冷たい雨の月曜日にも関わらず、登校した子どもである。

うむ。

さて、水面下で会社と交渉を続けている在宅勤務の件だが、ようやく常務会にも話が届き、今度、個人面談をさせてくれないか、というところまで話が進んできた。

面談したからと言って在宅勤務が実現するかどうかはまた別の話で、とりあえず、訴えにきちんと対応した、という体裁だけ整えられて、やはり難しいという結論に持っていかれることも十分に考えられる。

経営者にしてみれば、取るに足らない四十半ばのうだつの上がらない一人の従業員かもしれないが、子どもの今後の状況を考えると、私だって背に腹はかえられない。できる限りの譲歩を引き出したいところではあるが、どうなることやら。




いつも子どもと一緒に登校してくれている、保育園時代からの友だちが、中学受験を見据えて大手進学塾に通い始めたそうです。

小学校も折り返し地点ともなると、子どもの将来を見据えて、新たな一歩に踏み出すご家庭が出てくる時期ですが、我が家はとにかく、今日一日を過ごすことに精一杯です。

明日のこともどうなるか分からないのに、三年後を見据えるなんて(遠い目)ねぇ。

3月4日(火)

三月一週目、朝食抜きで登校した子どもである。

うむ。

さて昨日、午前中に学童クラブから利用登録のことで連絡があったのだが、仕事中に連絡が来ると、「またトラブルか?」と反射的に緊張が走るようになってしまって嫌になる。

その後、学校が終わって子どもが学童に入室した直後にも学童から連絡があり、流石に今度は嫌な知らせだろう、と覚悟して電話に出たところ、帰宅時間についての事務的な問い合わせだった。

電話での遣り取りを終え、驚かさないでくれよと胸を撫で下ろしてた直後、間髪入れずに今度は学校から連絡があり、嫌な予感とともに再び緊張が走った。

予感通り、担任の先生からの報告では、二時間目の音楽の授業でトラブルがあり、激昂したうちの子どもが学校外へ飛び出してしまい、その後、給食まで別教室で過ごして、なんとか午後には落ち着きを取り戻し、自分の教室に戻ったそうだ。

三度目の連絡で三度目の正直と言うかなんというか。

油断も隙もない。




そんなこんなで、今朝、子どもが朝食を食べようとしないので、今日はお休みかな? と思っていたのですが、普通に登校していきました。

がっ!

お昼過ぎに体調不良で早退して帰ってきました。昨日、学校外に出た時に雨に濡れてしまったとも言っていたので、体調を崩してしまったようです。

あと、音楽の授業がある日は、絶対に休む、と言っております。

3月5日(水)

今日は体調不良で学校を休んだ子どもである。

うむ。

昨日、体調不良でお昼過ぎに学校を早退して帰ってきた子どもだが、夕飯こそ口にしなかったものの、就寝までは大きな不調を訴えることもなく、ゴロゴロとのんびり過ごしていた。

ところが、深夜も二時を過ぎたあたりから腹痛を訴えはじめ、結局、そこから朝方まで何度か嘔吐を繰り返したのだった。

うむ。

おかげで今日は、家族全員睡眠不足。

最近なんだか、体調不良となると嘔吐が癖のようになってしまっている子どもである。正直、嘔吐はかなり厄介だ。




昨日、常務会の経営者たちと在宅勤務についての面談がありました。

特別対応や緊急措置など様々な提案を受けましたが、肝心の在宅勤務については、影響が大きいためもう少し調査と検討が必要とのことで、最後まで確定的な内容や説明を聞くことはできませんでした。

職場からも組合からも、追撃して貰ってはいるのですが、ここまで頑なだとは思いませんでした。

さて、どうしましょうか。

3月6日(木)

今日も休みの子どもである。

うむ。

体調不良はだいぶ落ち着いてきている様子だが、まだ本調子ではないとのこと。更に今日は因縁の音楽の授業があるため、何れにせよ欠席は決めていたようである。

今後も音楽の授業の日は休む、と言っているのだが、さて、どうなることやら。

うむ。

さて、今年度の登校も残すところ二週間ほどである。

四月からの新学期・新学年では、担任の先生やクラスメイトも変わり、新しい授業科目やクラブ活動なども加わる。紆余曲折のあった学童クラブは転所する方向で決まっており、子どもを取り巻く状況は大きく変化することになる。

併せて、離脱気味の学習や授業、学校への行き渋りや不登校、感情の起伏の制御など、多くの課題を持ち越しての新年度となるため、親の懸念や憂慮は募るばかりである。

どおりで、睡眠不足の夜が続くわけだ。眠い。




今後の家族の生活自体が、新年度の子どもの反応次第で大きく変わる可能性がある、というのも精神的にはなかなかの負担です。その負担軽減のためにも在宅勤務に拘っているのですが。なかなか。

子どもが産まれてからずっと、常に子どもと何かを天秤にかけ、究極の選択を迫られながら過ごしているような気がします。

3月7日(金)

今日は登校した子どもである。

うむ。

昨晩は、音楽の授業での出来事を思い出し、その時の不当な対応への悔しさを訴えながら、号泣していた子どもである。

音楽の授業に関しては、うちの子ども以外からも、あまり面白くないとか、苦手だとかいった話を耳にしたことがある。その理由は、教科の先生が高圧的で意地の悪い授業の進め方をするからだそうだ。

我々の世代からすると、それぐらいの理不尽な先生ならいくらでもいたよな、と思ってしまいがちなのだが、正当な理由なく威圧されたり悪意を向けられたりすることに対して、今の子どもたちはとても敏感に反応する。

こうした子どもたちの至極真っ当な反応を見ていると、むしろ我々の鈍感さが、こうした理不尽を野放しにし、助長してきたのだなと思い至り、申し訳なくなる。




今日はこれから学校の支援教室の先生との面談があるので、仕事を早退します。

ここ最近、子どもの件で遅刻や早退や半休などを取りまくっていますが、定時間定所で拘束される働き方って、抑圧を知らしめるためだけに機能しているのだなと、つくづく感じています。

もちろん業態や業種にもよりますけど。

3月8日(土)

今日は午前中に来年度からの学童クラブの説明会があったので、子どもと一緒に留守番、午後は妻も子どももそれぞれに出掛けてしまったので、私一人で留守番である。

夕方には二人とも帰ってくるので、一人の時間を楽しむというよりは、掃除や片付けをしているうちに終わってしまうような留守番である。

それでもこうして日記を書けるぐらいの時間ができたので、30分ほどの自由を謳歌している。

うむ。

昨日は学校の支援教室の先生との面談があり、いろいろと話はできたのだが、根本的な心配や不安は拭えぬまま、課題を持ち越して新年度を迎えるしかないのだなぁ、とあらためて腹を括る。

ちなみに、とりあえず週明け月曜日は、因縁の音楽の授業があるので、学校には行かないようだ。

音楽の先生の転任を心から願う。




こどもは友だちの家に遊びにいったのですが、送り迎えなしで遊びに行くのは今日が初めてです。

帰りが約束より1時間半遅くなると、先ほど連絡がありましたが、ちゃんと帰ってくるのでしょうか?

3月10日(月)

予定通り本日も欠席した子どもである。

うむ。

音楽の授業は週に二回あるため、このままいくと年度内はあと二日回は休むことになる。年度内ならまだしも、新年度も引き摺るとなると、影響は地味に大きい。

一難去ってまた一難。

いつか我が家にも、何らかの良い軌道に乗れる日がやって来る筈だと、信じて生きていくしかない。

3月11日(火)

昨日、子どもに留守番を頼んで夕飯の買い物で家を出ようとしたところ、子どもの学校の理科の専科の先生が、欠席しているうちの子の心配をして我が家を訪ねてきてくれた。

玄関先で、無理してまで(学校に)来ることはないけれど、もし学校で嫌なことがあったらいつでも理科室に逃げてきていいからね、と先生が子どもに声を掛けてくれた。

その後、買い物を終えて帰ってくると、玄関先に身に覚えのない「力水」のケースが子ども宛で置き配されていた。

はて? これは? としばらく考え、年始に友人が我が家に遊びに来てくれた際、うちの子どもが「力水」の美味しさを友人に力説していたので、もしかしたら? と思って連絡してみたところ、やはりその友人からの届け物だったのである。

電話口で、まだまだ人生長いし、少し休むぐらいの時間は必要だよ、と友人から言われ、電話を代わった子どもにも励ましの言葉を掛けてくれたようだ。

本当にありがたい事である。




子どもとトラブルの起きた音楽の先生について、イケオジ風だそうなのですが、昭和のような古い教育方法なので、学校内でもかなり不人気だとのことでした。

今すぐにでも、豆腐の角に頭ぶつけて貰いたいです。

あと、この日記を書いていて思ったのですが、子どもの不登校の原因になったのはすべて男性、そんな子どものケアしてくれているのはすべて女性ということに気がつきました。今回、子どもに気を掛けてくれた先生も友人も女性です。

3月14日(金)

昨日、ビデオ通話をしながら友だちと一緒に夕飯を食べたいと子どもが言うので、友だちのお宅と夕飯の時間を合わせるなら、先に風呂に入っといてね、と子どもに伝えると、なぜか突然ブンムクレはじめた。

理由を聞くと、どうやら観たい番組もあるようで、風呂に入っていると観られなくなる、と言うので、今すぐ風呂に入れば父ちゃんが三分で頭を洗ってやるから充分に間に合う、と伝えると、絶対に三分だからね! と半信半疑ながらも風呂に入ることに同意したのだが、実際のところは、二分半で洗い終わって出てくることができたのである。

我が子よ、父ちゃんは自分の風呂なら一分で終わらせることができるぞ。ムハハハハッ!

不平不満を言うよりも、進んで技術を磨きなさい。それこそ、自由と放埒への最短の近道だ。




件の音楽の授業ですが、ひとまず別室でリモート受講することで事なきを得ているところですが、他学級他学年でも音楽の授業を同じように過ごしている生徒が少なからずいるようです。

音楽教諭は直ちに豆腐の角に頭をぶつけて下さい。

3月15日(土)

週末の午後。

今日も妻と子は各々に出掛けてしまい、一人留守番を任された私である。

うむ。

仕方ないので、せめてもの慰みに地域猫に餌をやった後、部屋の片付けや掃除や洗濯に黙々と没頭していたら、空気の入れ替えで開け放っていた玄関から猫が闖入しており、上り框で悠々と寝そべっていたのである。

うむ。

夕方から、四月から転所する学童クラブで個人面談があるので、それまでには妻子も帰ってくると思うのだが、猫はこのままにしておくべきかどうなのか。

しかし猫よ、君はちょっと気ママすぎやしないかい。




ちなみに今日、子どもは初めて一人で自転車で出掛けてゆきました。

3月16日(日)

今日も妻子揃って出掛けてしまい、一人留守番を任された私である。

うむ。

留守番と言っても、妻子たちは昼には帰ってきてしまうので、鬼たちのいぬ間に掃除に洗濯に昼食の準備、できれば水槽の管理も終えられるといいのだが、とりあえず、優先順位の高いものから片付けていこう。

うむ。

昨日の学童クラブでの個人面談は、子どもの頑なな拒否により、私は参加することが叶わなかったのだが、指導員の方とは良好な遣り取りだったようで、好感触で面談を終えてきたようである。

とりあえず、来年度の学童問題は、これで一旦落ち着いた、と思いたい。

波乱に満ちた今年度も、残すところ一週間。

しかし、今日は寒いな。




一日雨予報ですし、かなり冷え込んでもいるので、午後は家族でダラダラと平穏に過ごしたいものですが、今日中に図書館に返さないといけない本があるんですよねぇ。。。

3月17日(月)

週末、妻子が出掛け、私が一人で留守番をしている時。空気の入れ替えで開け放っていた玄関から、いつも顔を出すキジトラの野良猫(通称:ツンちゃん ♀)が闖入し、上り框で悠々と寝そべっていた。

近づいても逃げる様子はなく、なんとなく寛いだ雰囲気で、たまにこちらの動きに興味を示しながら、小一時間ほど滞在して出ていった。

その日は一日中、なんだか胸のあたりがほっこりし、猫のいる生活も悪くはないな、などと思っていたのだが、今朝、朝刊を取りに玄関先に出たところ、野良猫用ハウス(通称:ぬこぬこホイホイ)の中に防寒で入れていた、私の使い古しの肌着が、すべて表に引きずり出され、グチャグチャになっていたのである。

気に入らなかったのか、猫同士で揉めたのか、何があったか分からないが、猫がやったことには間違いなく、その後始末をしながら、もし猫を飼ったとしたら、ただでさえ手一杯の私の家の仕事が、また一つ増えるだけなんだよな、などと考え込んでしまった。

まあ、そんなこんなで、猫のいる生活は、まだまだ遥かに遠いのであった。




まだ春休みにもなっていませんが、そろそろ夏休み旅行の計画もしないとなぁ、と思い立ち、旅館や飛行機などを妻と手分けして調べてみたところ、もうすでに埋まりはじめていて愕然としてしまいました。

しかも、去年よりも色々なものが確実に高くなっています。

3月18日(火)

昨晩、子どもが帰宅するなり、また友だちとビデオ通話をする約束をしたと言うので、それならば、今日こそは先に風呂と夕飯を速やかに済ましてからにして欲しい、と伝えたところ、渋々ながらも同意した。

うむ。

約束通り、風呂と夕飯を済ませ、約束の時間にアプリを立ち上げるも、友だちからのコールは無く、こちらからコールを入れても繋がらない。

結局、三十分後に相手からコールバックがあり、どうにかこうにか通話を始める事はできたのだが、なぜか相手はテレビ番組に集中しているらしく、会話はまったく弾まず、応答も途切れがちだったのである。

通話を楽しみにしていた子どもも、どうして良いか分からず戸惑ってしまい、結局、早々に通話を切り上げるしかなかったようなのだが、その子どもの不満の矛先になぜか私が立たされて、いわれのない罵詈雑言を浴びせられるのだった。

私をサンドバッグにしないで貰いたい。




先週、カイリー・ミノーグの14年ぶりの来日公演が行われました。

14年前の公演は妻と一緒に観に行きました。震災直後で規模は縮小され、座席指定も取り払われてのオールスタンディングで行われました。

震災直後の不安から来る妙な結束力が観客同士で共有され、かなり特異で印象的な公演が行われました。LGBTQファンの多いカイリー・ミノーグなので、ある種の理想郷があの時の公演には成立してたように思います。

あれから14年。今度は子どもを連れて観に行ければな、なんて淡い期待を抱いていましたが、親の理想通りになるほど我が子は甘くありませんでしたとさ。

3月19日(水)

どちらかと言うと上機嫌で帰ってきた子どもだったが、夕飯がなかなか食べ進まず、最後の2、3口に延々と時間をかけているので、30分経ったところで流石に注意した。

すると途端にヘソを曲げ、もう飯は要らないとなり、それは無いだろうと更に注意を加えたところ、私の言葉が強いと言って、風呂にも入らないし、歯も磨きたくなくなった、などと関係ないところにまで問題を拡張し、屁理屈をこねはじめたのである。

あまりに筋が通らないので、こちらも逆上しそうになったものの、このままいくと昨年末の家出騒動の二の舞いになりそうだったので、直ぐにその場を妻に預けて、私は早々に寝てしまうことにした。

その後も子どもはだいぶ長い間グズグズしており、介入したほうがいいかな、と思うような様子も何度かあったが、そこはぐっと我慢して、全幅の信頼を妻に置くことで、惨事に至らずに済んだのだった。

それでも昨晩は妻もだいぶ手こずったようで、結局、いつもより1時間半ほど遅れての就寝となったようだ。

今ですらこんな様子なのに、思春期になったら、いったいどうなってしまうんだろう。

まあしかし、妻ばかりに任せてもいられないので、子どもの反発に対してどう立ち振る舞うかは、今後も大きな課題だ。




まあ、そんな子どもの状況のこともあり、ダメ元で来年度のPTA活動の免除を願い出ていたところ、こないだ無事に承認されました。

子どもの学校の来年度のPTAは、会長の立候補者が出なかったため、会長不在で運営されることになっています。個人的にはそれが良い方向への変革のきっかけになることを期待しているのですが、どうなることでしょう。

3月21日(金)

今朝、いつも通り5時40分に起き、朝の家事ルーティンをこなしていると、いつの間にか子どもが起きてきて、リビングでテレビを見ていた。

「おはよう」と声を掛けても返答がなく、聴こえていないのかな? と思って子どもの近くに寄ると、あからさまに不愉快そうな表情を見せる。

「どうしたの?」と尋ねても返答なし、「何かあったの?」と尋ねても返答なし。

あまりにも感じが悪いので、そのまま放っておこうとも思ったが、朝一番に顔を合わせて流石にこのやり方は無いだろう、とも感じたので、理由を告げずに他者を無視するというのは、相手が親であれ誰であれ、あまりにも卑怯で卑劣な行為だから、その行為の結末はよくよく考えておくよう伝えた。

我ながら実に説教臭い。

その後、子どもなりに考えたのか、子どもの方から私のところへやって来て、昨日、起床アラームを私が切ってしまったせいで朝寝坊してしまい、見たかった朝のテレビ番組が見れなかったのを思い出して怒ってた、と教えてくれた。

ちなみに昨日、子どもからそんな言及はまったく無かったので、今朝になって思い出して怒りが湧いてきたのだろう。

しかし、時間差で怒らないでもらいたいし、休みの日ぐらい私だって寝坊したい。

前途は多難だ。




カラスの悪戯で子どもの自転車のサドルに数か所の傷がついてしまいました。

買い替えるというというほどでもないのですが、目立つことは目立ちますし、雨水も染み込むぐらいには傷口も大きいので、さてどうしたものか、頭を悩ませています。

カラスめぇ。

3月22日(土)

土曜日出勤である。

うむ。

昨晩もまた、自分がテレビが見たいがために、風呂に入りたくないし、歯も磨きたくないと大騒ぎをして、妻と散々やり合っていた子どもである。

更に、先ほど連絡があり、やはり子どもが、春休みに計画していた旅行に行きたくない、と言いはじめているらしい。既にキャンセルが効かないことはもちろん、子どもが希望して着々と積み上げてきた計画だけに、正直なところ、落胆しか無い。

昨日、私の日記を読んでくれた友人から、まずは自分を大事にして、子どもばかりを構い過ぎないように、という趣旨の助言を頂いたばかりで、まあ、そういう面もあったかもな、と内省していたのだが。

頭が痛い日々である。




年度末、そして新年度に向けての様々色々な変化の影響で、子どもの神経もかなり過敏過剰になっている面はあり、構わないとか放っておく、というのも一つの手ではありそうですが、それはそれで更なる大嵐を呼び込む危険性も大いにあるわけで、このままでは我々の身が持ちません。

3月25日(火)

先週、クレジットカードをどこかで失くしてしまった。

失くしたことに気が付いてすぐに、心当たりのある職場の向かいのコンビニに問い合わせてみたところ、レジ前に落ちていたので預かっている、との返答があり、なんとか事なきを得たのだが、酔っ払ってもいないのに物を失くすなんて、ずいぶんヤキが回ったものである。

うむ。

さて、話変わって今朝のことである。いつも通り寝惚け眼を擦りながら就業時刻直前に出社したところ、突然、部長から不登校に関する新聞記事のコピーを渡された。

何ですか? と問うたところ、なにかの役に立つと思って、と悪気なく返答したので、ちょっと無神経過ぎませんか? とすぐに突き返した。

何を言われているのか分からない様子で、部長が黙って立ち尽くしていたので、もし難病を抱える家族を持つ部下がいたとして、同じように難病関連の新聞記事を渡せるんですか? と伝えたら、更に黙ってしまった。

うむ。

会社内での立場や責任からしても、あまりに無邪気な善意の押し付けと、その危うさにまったく気付かぬ上司にしっかり釘を刺す私は、部下の鏡なのである。




今日は学校の修了式です。

親も子も本当に苦しい一年間でしたが、年度が変わるからといって良い方向に向かうというものでもないので、引き続き粛々と過ごしてゆこうと思います。

3月26日(水)

昨日の職場での一件で、感情がささくれ立っていたところ、今度は家で、目に余る子どもの不遜な態度が、更に追い打ちを掛けてきた。

不毛な衝突を避けるため、子どもと距離をとっていたのだが、対応していた妻までがとうとう爆発してしまい、家庭全体が剣呑な空気に侵されてしまった。

結局、その嫌な空気は今朝、職場まで持ち越してしまい、性懲りもなく部長が昨日の話を蒸し返してきたので、昨日以上の大爆発で応答することとなってしまった。

うむ。

毎日のようにムカムカしているのも流石に疲れるので、ここらでこの悪循環を断ち切りたいところである。

そもそも私は怒られる側であって、怒ることには向いていないのだ。




夕方に近所へ買い物に出たところ、子どもの親友のお母さんに会いました。親友は学校に行けない状態が一年近く続いており、お母さんの話では来年度も登校は難しいかもしれない、とのことでした。

我が家もたいがい大変ですが、親友のご家庭のことを思うと、弱音を吐いてもいられません。

3月27日(木)

昨日の夕方、子どもの迎えに出たところ、商店街で黒兵衛(地域猫:黒白♂)の姿を見掛けた。黒兵衛は一見すると黒猫のようなのだが、普段は見えない口下からお腹にかけてが白く、足先も足袋を履いたように白い、不思議な模様の短尾の猫なのだ。

朝から昼ぐらいまで我が家の小さな庭でゴロゴロしていて、午後はどこかへふらっといなくなり、夕方頃になると餌を貰いに我が家に舞い戻ってくるのだが、どちらかというと臆病な質なので、商店街の方まで足を伸ばしているとは思わなかった。

臆病という点では、やはり我が家にいつも顔を出す、黒兵衛よりもひと回り小さいツンちゃん(地域猫:キジトラ♀)からニャーと小声で一括されるだけで、尻尾を巻いて逃げてしまうほどだ。

うむ。

当初、黒兵衛はかなり警戒心が強く、少なくとも2㍍以内に人を近づかせたことがなかったのだが、野良猫用ハウス(通称:ぬこぬこホイホイ)を設置した時に、真っ先に使いはじめたのがこの黒兵衛で、今では足下に寄って来るぐらいまで人馴れしてきている。

そろそろ手から直接の給餌に挑戦し、ゆくゆくは撫でられるようになってもらいたいものだ。いや、撫でさせてくれ。

うむ。

しかし俺は。いったい何をやっているんだ。




春休みは子どもが学校の荷物をすべて家に持って返ってくるため、ただでさえ雑然とした我が家の煩雑さに拍車がかかります。

目立つものだけでも、防災頭巾、道具箱、書道セット、絵の具セット、植物栽培セット、鍵盤ハーモニカ、タブレット端末、などなどですが、細かいものも合わせると、粘土、縄跳び、リコーダー、算数セット、雑巾、学習ボード、プリント、プリント、プリント。

んあぁぁっぁ!!

ぜんぶ共用にしたらいいのでは? というか、しろ! と思います。

3月28日(金)

昨日、今日の午後に在宅勤務の件で面談を行いたいのだが、時間は取れるか? と聞かれた。

同席するのは取締役2名と直属の部長の3名で、たかだか在宅勤務に取締役まで出てこないとならないのかと情けなく思いつつも、なにかしら進展があるのならと思って参加したのだが、一ヶ月前の面談の状況からほとんど変化なく、ただただ無為に時間を取られただけだったのであった。

意見を聞いてガス抜きしようとか、意見は聞いてやっているというポーズのための面談だったら時間の無駄なので今後は必要ない、という旨伝えて職務に戻ったのだった。

どいつもこいつも。

私は怒られる側であって、怒ることには向いていないのだ。




妻子がしばらく家を空けるのですが、いつも衝突してばかりで辟易しているはずなのに、いないといないで寂しいのは何故でしょう?

3月29日(土)

妻子がいないだけで家事の量が格段に減り、いつも通りに動いてしまうとすぐに片付いてしまうので、妙な空き時間ができてしまい手持ち無沙汰になってしまう。

そうしたやり場のない時間が増えてゆくにつれ、今度は逆に家事への意欲が失せ、自堕落な意識や欲望がむくむく芽生えてしまい、今朝は危うく遅刻しそうになってしまった。

そう。今日も土曜出勤なのである。

さて昨晩、小腹が空いたので買い物に出たところ、我が家からほど近い寿司屋で、子どもの学校の先生たちが送別会をしていたのか、数人の先生が店の外に出て談笑しており、その中に子どもの学級の担任の先生の姿もあった。

子どもの担任は、来年度から他の学校へ移ると聞いており、一度挨拶ぐらいはしておかないとなと思っていたところだったので、買い物をすぐに済ませて寿司屋の方へ向かったところ、酔っ払った担任が奇声に近いような叫び声をあげ、まるで大学生のように大騒ぎをしていたのである。

別れの席で酔っ払い気持ちが昂ってしまったことは咎めないが、学校からもほど近い住宅街のただ中である。なんだか、その姿がすべてを物語っているように思えてしまい、挨拶なんてどうでもよくなってしまった。

来年度こそは、子どもにとって良い出会いや巡り合いがあるといいのだが、しかし運任せの義務教育というのもどうなのだろう。




昨日、会社から完全週休二日制実施の提案があったのですが、有休3日削減、夏休5日廃止、リフレッシュ休暇廃止、精勤休暇奨励金廃止のうえで、それでも年7回の土曜出勤日が発生するので、まったく「完全」ではありません。

在宅勤務の件もそうですが、業界的にはまだまだ伸びしろはあるはずなのに、働く人材に手枷足枷をつけることに集中し過ぎていて、すべてが悪手と後手に回っているうちに、ついには浮上する力を失い、低空以降のまま墜落を待つばかりなのでしょうか。

この国もこの会社も、どこもかしこも。

3月30日(日)

二泊で出掛けた妻子だが、おそらく今日の夕方には帰ってくるだろう。

うむ。

妻子不在とはいえ昨日も仕事で、今朝も週末の家事と冬物の片付けとこまごまとした整理と水槽の掃除なんかをしていたら、とっくに昼が過ぎていた。

昼飯どうするか。

このあと、昼飯ついでに外へ出て、ちょっとした買い物や図書館で予約している本を受け取り、ちょっと午睡でもしたら、私の自由時間はおしまいだろう。

それでも昨日、仕事帰りに気になっていた写真展に行けたので良しとしよう。

写真はもちろん良かったのだが、一緒に展示されている小物類や展示方法、導線計画も興味深く、とても楽しめた。その帰りに友人の店に寄ったところ、残念ながら休みだったのだが、それはこちらの落ち度である。

うむ。

やはり昨日、Twitterでフォローしている母親アカウントで「子どもが生まれてからまったく行かなくなっていたライブに、12年ぶりに行ってきた」という内容の投稿があった。

投稿のつづきに「ライブに行く条件はあったけど、自分の気持ちや気力が萎縮してしまって、これまでまったく行く気になれなかった」とも綴っていて、まさに今の私の状況にぴったり符合するな、と思ってしまった。

私もよく周りから「もう少し自分の自由に時間を割いた方がいいよ」と助言を受けることがよくあるけれど、様々な条件が揃ってこその「自分の自由」という観念が強いせいか、なかなかそうした気持ちになれないのが実情なのである。特に今の我が家の状況では、自分だけ楽しむなんて想像もできない。

損な性格だと思う。

3月31日(月)

年度末の月曜日。

三年間通った学童クラブは今日で最終日なので、朝からかなり過敏になっている子ども。

気持ちは分からないでもないが、何をするにも不機嫌で、朝からサンドバッグにされるこちらの身にもなってもらいたいものだ。

うむ。

そして明日はいよいよ新年度。

ひとまずは、新しい学童クラブに子どもが通ってくれるのかどうかが、我が家の最大の優先事項であり懸念事項でもあるのだが、まあ順風満帆に事が運ぶことは無いと思うし、たぶん今夜も荒れそうな気はしているので、こちらもそれなりに覚悟を決めておかねばならない。

うむ。

あと昨年末、子どもが不登校をはじめた時から続けている会社との在宅勤務実施の交渉だが、これ以上続けても合理的な判断や配慮ある決断は得られそうにないので、一度この件は労働組合に預けて、全社的な争点としてあらためて対応して貰おうと思う。

暖簾に腕押しの状態が続く交渉の徒労感に、私も少々嫌気が差してきてしまった、というのも要因のひとつだ。

まあそんなわけで、前途多難な我が家の新年度は、いよいよ幕を開ける。はぁ。




今日も取締役との面談があったので、政治学の本で学んだ作戦を実行してみたところ、効き目がありすぎて逆に裏目に出てしまったような気がしています。

あと、すごく疲れました。軽々しくやるんじゃなかった。