2019年 1月
1月8日(火)

なんとか2019年が明けた。。。

というのも、トントン拍子に条件が揃ったため、急遽、年末年始に引越しをすることとなったのだ。

だが、ただでさえ大変な引越しを下準備もなく一挙に行ったため、壮絶な年越しとなった。

ウロウロする娘に注意しつつ、ウロウロと荷物を運びまくり、行き当たりばったりで移動先を決めていくのだが、廃棄する物を選別せずに運び入れたうえに、義母の遺品がそのままの家に移動したため、今後の整理や廃棄のことを考えながらパズルのように家具や物を配置しなければならず、かなり苦労した。

正月の三箇日はしっかり休み、一部の大型家電・家具の移動以外は夫婦二人で移動作業を行い、子連れということもあったので、安全第一に、無理をせず、時間を区切って作業をしたせいか、一軒まるごと空っぽにするのに5日かかった。

そんなわけで、ようやく物の移動は終えたのだが、環境が変わったせいで娘は興奮しっぱなし、物が溢れかえる家で我々は右往左往しっぱなし、という混沌とした状態が、松の内を過ぎた現在も、我が家では進行中である。

今後は、生活環境の再構築を行いつつ、膨大な物品の整理、選別、廃棄が課題となるが、平成のうちに終わるかどうか。とりあえず、みなさん! 何か持って帰って下さい! お願いします! 本、食器、家具、何でもあります!

安寧な生活を取り戻そう!

しかし、今回の引越しで、我々の生活がいかに不要な物品に過剰に囲まれているかを、あらためて痛感した。おそらく、我々が思い描いている生活の基盤そのものに、大きな異常があるのだろう。生活環境を考え直す良い機会になったな。

1月9日(水)

いつものこの時期だと、まだ正月の休みボケで、ユルユルボヤボヤしているところなのだが、引越し直後という生活環境では、そんな悠長にもしていられない。

まず、朝起きて、俺の着替えはどこだっけ!? というところから始まり、アレはどこだ? コレはなんだ? と、無駄な動きと時間を費やし、頭も身体も混乱と苛立ちにまみれながら、なんとか自分の身繕いを済ませ、同じように右往左往しながら、娘の身繕いに取り掛かりる。

朝からテンヤワンヤなのである。

まあ、もちろん、まだ移って3日という期間で、新しい環境に慣れろというのも難しいことだが、若い頃はもう少し容易に順応できていた気もする。これって、やっぱり、年齢が大いに関係しているような気がしてならない。

ちなみに、今日は混乱の末、家の鍵を忘れてきてしまった。

しかし、生活に関わる物品への依存が、行動や思考の混乱に、更なる拍車をかけていることも間違いない。

もう少し単純で明快な生活を目指していかないとな。


ところで、台車(2台)とパイプ椅子(3脚)があるんですが、どなたか欲しい方いらっしゃいませんか? いらっしゃらなければ、捨てる方法知っている方いませんかね?

1月11日(金)

さて、私のキーホルダーには、現在、8つの鍵がジャラジャラとくっついていて、とにかく重い。

内訳は、今の家(2つ)、前の家(2つ)、実家(2つ)、職場(2つ)という事になるのだが、これに自転車の鍵が加わると、もう何がなにやらといった感じなのである。

身軽さを常とする私にとって、この鍵の数は重すぎるのだ。

ところで、ぜんぜん話変わりますし、今日はぜんぜん違うんですけど、プレミアムフライデーって、まだどっかでやってるんですかね? まあ、どっかでなにかやってても、私にはまったく関係ないんですけど。

1月12日(土)

巷では100万円を配ることが流行りはじめているようだ。

その流行りのもととなった募集に何の疑問も持たずに応募してしまった私は、その後、この募集や応募に対する様々な批判に曝されて大いに困惑してしまったのだが、今度は100万円を配ることが流行りはじめているという事実を前にかなり混乱している。

世の中は一体どうなってるんだ?

まったく訳がわからないので、とりあえず、片っ端から応募しておこう。

小学生の頃は100万円が大金持ちの基準だったよな。

1月15日(火)

引越して1週間が経った。

ようやく熟睡できるようになり、部屋や物の配置にも慣れてきて、無駄な動きも減ってきたが、まだまだ多くの不要な物品に囲まれた生活をしているため、窮屈な感じは拭えない。

各種ごみ回収日の朝には、何袋もごみを出さねばならず、ごみも重ければ気持ちも重く、ごみを棄て去ったところで嫌な気分だけが残っていたりする。

まだまだ今後もごみを棄て去らなければならない日々が続きそうなので、自分だけは棄てぬよう、気をつけていきたいと思う。

そういえば、粗大ごみの第一陣として、とりあえず寝具類だけ回収の手配をしたら、回収料が4,800円になると言われ、かなり動揺してしまった。

このあとに大きめの家具類が控えているのだが。。

ごくり。。。

1月16日(水)

一年前の日記(2018年1月12日付)を読み返すと、まだ娘のお喋りは一語が精一杯で、2歳にしては少し遅めだったことが分かる。2歳児健診でも言葉の遅れを指摘されたので、当時はヤキモキしたものだったが、一年経った現在、娘は見違えるようにベラベラとよく喋っている。

例えば、昨晩などは「父ちゃんはチビたちと一緒に緑色の電車で終点で待ってて、私は特急で出発進行するからね、分かった?」と、意味不明なところはかなりあるものの、最早、一語どころの騒ぎではない。

一年の成長に驚くばかりだ。

しかし、そんな娘のお喋りにかぶせるように「そう言えばさ、フランスの捜査ってかなり前からやってたのに、今ごろになってどうしてこんなに報道され始めてんの? ちょっと遅くない?」と、唐突に妻から意味不明な問いかけが飛んできたところに、更にかぶせるように「父ちゃん、ごはん手伝って欲しいけど、みかんも食べたい」と、娘が強引に割って入ってきつつ、またまた「これいいじゃん! ねっ?」と、妻からの謎の同意を求められたりして。

もう! 頼むから一人づつ喋ってくれ!

一年前の静けさが懐かしい。

1月17日(木)

娘の年齢も三歳と一ヶ月ほどになり、様々な面で親からの自立を果たしているのだが、オムツだけはいまだに取れずにいて、保育士さんからは、もうここまで来たら無理に外そうとせずに放っておきましょうと言われている。

去年の夏ぐらいにパンツを履き始めるようになったので、夏休みの旅行までには一気にオムツ卒業だ! などと意気込んでいた時期もあったのだが、パンツ軌道にうまく乗れずに舞い戻ってきてしまったのだった。

昨日書いたお喋りの件もそうだが、一年後に子どもの成長を振り返ってみると、あの頃は無駄にヤキモキし過ぎていたなと思うことが沢山あって、反省ばかりだ。

いかに自分が腰を落ち着けて、物事をじっくり観察できない人間なのかもよく分かってきたので、このオムツの件はゆっくりじっくり見守っていきたいと思うのだが、やっぱりウンチは臭いんですよ。

1月18日(金)

娘の保育園には100人前後の子どもが通っているのだが、現在、20人以上の子がインフルエンザに罹っていて、まだまだ感染は拡大しているそうだ。

凄まじい。

家の近くの小児科病院でも、診察待ちの親子が玄関から外に溢れるほどの数になっていて、毎日のように阿鼻叫喚の地獄絵図のような様相を呈している。

物すごい。

そんなパンデミックに囲まれ、恐れ慄きながらも、今のところ、我が家は元気一杯に過ごすことができている。

だが、いつ何時、あちら側に仲間入しても不思議ではないので、とりあえず、今日という華の金曜日を存分に楽しもうではないか!

これぞまさに、終末(週末)を待つ心境である。

1月25日(金)

今日で娘が発症して5日、妻が発症して3日が経過した。

インフルエンザである。

先週末、私が最も危惧していた事態が現実となってしまったのだ。

私は予防接種のおかげで今のところ何ともないが、5日間にわたる看病のためか、髭は伸び放題、目は虚ろ、頬は削げ落ち、髪の毛はボサボサ、健康な筈なのに最も病人のような様相と化しているが、引越しでバタバタの正月だった我が家を憂いた神が、家族三人水入らずの機会を与えてくだすったんだと思って、とにかく踏ん張っているところだ。

しかし、神よ、もっと別のやり方はなかったのか?

不信心な父は思うのだった。

1月28日(月)

インフルエンザのため、娘と妻に隔離指示が出て、看護する私も外出できない生活が一週間続いた。

いくらインドア派を自称する私でも、流石に一週間の軟禁生活には身も心も疲弊してしまい、他愛のないことで妻や娘に声を荒げてしまうことがあり、自己嫌悪の一週間となった。

それでも、今回はちょっと大変な状況もあったので、酌量の余地があってもいいのかもしれないが、特に子育てを始めてからというもの、今まで顕わになってこなかった自らの不寛容さに直面し、絶句することがよくある。

情けないことだ。

もう少し寛容で、もう少し適当な父にならないといけないな、なんてことを久々のシャバの空気を吸いながら心に誓うのだった。

1月29日(火)

まだ娘が生まれる前のこと、冬の寒さに嘆いてばかりいる私の姿を見るに見兼ねた妻が、誕生日にグンゼの防寒肌着をプレゼントしてくれた。

そして、あれから3年以上経った今、まだこの肌着を愛用しているのだが、流石に生地には草臥れた感じが出てきているものの、縫製の耐久性や生地の伸縮性といった肝心な部分はまだまだしっかりしていて、この冬一杯は充分に使用に耐え得る状態に、正直、驚いている。

昨今はワンシーズンも持たない衣料製品が当たり前になってしまっているが、こうしたグンゼの素晴らしい製品作りの姿勢は、業界のみならず、個人的にも大いに見習わなくてはならない。

ちなみに、先日、スーパーマーケットのライフの衣料品コーナーでグンゼの最新の防寒肌着が半額になっていたので即買いしたことは言うまでもないが、もう少しグンゼの製品に光が当たってもいいのではないかとも思うところである。

ちなみにちなみに、グンゼ製品といえばプラモデル制作で「Mr. カラー」の塗料シリーズには大変お世話になったものだが、まさか、こんな形で再びお世話になるとは思わなかった。

とにかく、日本にはこうした人生に寄り添ってくれるような優れた製品を作るメーカーがまだ数多くあるので大丈夫。。だと思いたいな。。。

1月30日(水)

昨年末、一ヶ月半ほどかけて家の改修工事をしたのだが、我が家は築30年の古い家で、基本的に米国の輸入建材や建具で作られているため、改修に当たっても厄介なことがでてくるんだろうなと思っていた。

ところが、蓋を開けてみて実際に問題となったのは、家の建築後に改修した日本メーカーの建材や建具の方だった。

というのも、日本メーカーのものは5年ぐらい前のものであっても、ことごとく廃番になっており、ちょっとした不具合も、取り替え部品が無いため全交換といったものが多かったのに対し、米国のものは30年前のドアノブのラッチからビス一本に至るまで交換が可能で、窓のガラスにはしっかりメーカーの刻印があり、すべての窓に修理保証が付いていたのだった。

う~む。 この差はいったい。。

先日は、優れた日本メーカーのことを紹介したけれど、実際のところ、消費者や使用者に寄り添った製品作りをする日本のメーカーって、少なくなってしまいましたよね。

さ~て。 どうしたものかな。。

1月31日(木)

忘れもしない。2017年11月3日。金曜日。

持ち帰りの荷物が多い週末の保育園からの帰り道、娘は延々と帰宅を拒んで暴れ狂った。

娘。1歳11ヶ月弱。イヤイヤ期が始まった瞬間だった。

それからというもの、月齢を重ねる度に娘のイヤイヤ具合は自由気ままにに変化・拡大し、私はその度に大いに翻弄させられ、消耗させられながら、1年3ヶ月という月日を過ごしてきたのだった。

んがっ!

ここ最近、特にインフルエンザが治まってきた辺りから、娘との意思疎通が妙に上手くとれるようになり、娘も身の回りのことを率先してやり始めるようになってきている。

もちろん、今までも物のはずみや気まぐれでそんな事もあったのだが、今回はちょっと様子が違っていて、娘の成長自体の局面や水準が大きく変わってきたような印象があるのだ。

おかげで、生活や物事の進み具合がとても円滑で、私の気持ちも軽やかになってきている。

う~む。

まあ、変に期待せずに、気長に待とうな。焦りは禁物だ。