2019年 8月
8月1日(木)

ここのところ、この日記の文量がどんどん長くなっている。スクロールしないで1分ぐらいでサクッと読めて、1分後にはきれいサッパリ忘れているような、軽やかな内容が理想なのに。

例えばこんなの。


長梅雨でボーボーに伸び切った庭の草取りを朝早く起きてやっていたら、近所でよく見かけるキジトラの猫が私のすぐ横に音もなく寄ってきて、作業の一部始終を静かに観察していた。いつも邪険にしていたけれど、これに免じて少しは優しくしてやろう。餌はやらんけど。

暑さを避けるために早起きしたのに、作業を終える頃にはすっかり汗だくで、朝日と汗が目に滲みる。年々辛くなっていく八月を今年も無事に乗り切れるだろうか。


とまあ、こんなところか。

起伏の少ない平易な生活がよく分かり、明日にはすぐに忘れてしまうような、かけがえのない私の日常だ。

8月2日(金)

かなり前から、妻のスマホのアラームが「AM 5:15」にセットされていて、肝心の妻はアラームを止めたら二度寝してしまい、私だけが強制的に起こされるという謎の仕打ちが続いていた。

先週から、ようやく妻が起きる(アラームというより暑さのせいだと思われる)ようになり、手分けして朝の支度に取り掛かれるようになったのは良いのだが、昨日から娘まで起きる(アラームというより妻の騒々しい行動音のせいだと思われる)ようになってしまった。

まだ朝の5時台なのに、家族3人しっかり起きていて、朝の支度や出掛ける準備を済ませ、朝飯のうえにデザート(白桃)まで食べても、かなり時間を持て余しているという謎の状況。

そうだ! 夏の朝といえば! と思いつき、近所の小学校に娘と行ってみたのだが、ラジオ体操は7月いっぱいで終わっており、誰もいない静かな校舎の日陰で、2匹の猫が気持ちよさそうに朝寝をしているところだった。

にゃ~ん。


猫って気楽ね

  最近、娘がよく真似する台詞です

  出典 宮崎駿監督(1989)「魔女の宅急便」

8月3日(土)

「エモい」という言葉の意味がわからなくてネットで調べてみたが、その解説内容に比べて、一般的な「エモい」の使われ方があまりにも軽すぎるので、更なる混乱に陥る三十九歳のおじさんなのである。

さて先日、気に入っているTシャツの脇に穴が空いていることを発見し、落ち込んでいる。

新しいのを買えばいいのだが、同じものが欲しい。高度に発達した資本主義経済において、この「同じもの」というのがけっこう厄介で、特に服はワンシーズンでモデルチェンジしてしまうので更に難しい。

だから、何度か袖を通して、何度か洗濯してみて、ようやく「この服いい感じだな」と実感してきた頃には、もう手に入らなくなっていたりする。

仕方ない、今回は小さな穴なので、繕って由としよう。

それにしても、誰か、常に同じ服を揃えてるような、エモい洋服屋知りませんか?

使い方違いますか?

8月5日(月)

子育てとは自分の体力や精神力や忍耐力を温存しながら、いかに効率良く余裕を持って生活していくか、ということにかかっていて、子どもが第一優先であることは間違いないのだが、そうするためにも、親の心身の健康が何よりも保障されなくてはならない。

唐突な子育て論で申し訳ないのだが、つまりその、私はいま久しぶりの寝不足でボロボロなのだ。

新生児や乳幼児の相手をすることに比べたら、私のボロボロ具合など取るに足らないものなのだが、とにかくまあ、アラフォーで育児をされている皆さんに、心より連帯の意を表明するものであります。

今日はバッチリ食って寝るぞ!

8月6日(火)

切替(更新)申請していたパスポートが今日できあがってくるので、仕事帰りに受け取りに行ってこようと思う。

先週の申請手続きの際には、夏休みということもあり、17時半ごろに窓口に到着した時点で120人待ちだったので、整理券を貰って近くのガード下に飲みに行った。

一杯目のビールを飲み干し、二杯目を頼んだところで、もしかしたら、夏休みの臨時体制で受付窓口が夕方から増員される、なんてことも充分あり得るよな、などという邪念が頭を過ぎり、二杯目のビールを慌てて飲み干して、小走りで窓口に戻ったが、そんな夢の夏休みシフトなどある筈もなく、自分のチキン野郎ぶりを露呈しただけだった。

小悪党にもなれないな。

8月7日(水)

娘と風呂に入ると必ずシャボン玉をやりたがるが、妻はシャボン玉をやりたくないので、必然的に私が娘と風呂へ入ることになる。

シャボン液が無くなったので自作。

ネットで色々調べてみると「砂糖を少量入れると良い」など、新しい知識が入ってきて楽しくなり、ちょっと凝りはじめる。

娘がシャボン玉に飽きはじめる。

シャボン玉やろうと娘を風呂に誘うが断られる。もちろん妻も入らない。仕方ないので、一人で風呂に入り、シャボン玉を楽しみながら、さらなる改良に励む私。


これが父親孤立の三段論法である。

8月8日(木)

週末、髪を切ったら、娘が「カッコイイじゃん」と褒めてくれた。いつの間にか、人を褒めることができるぐらい成長していたことに驚き、その対象が私であることも素直に嬉しかった。

昨日、保育園にお迎えに行ったら、娘が先生や友だちを呼び集め、私の頭を指差して「うちの父ちゃんの頭、カッコイイっしょ!」と自慢をはじめた。先生や友だちは私の頭を見て「うん! すごくカッコイイ!」と言ってくれたのだが、子どもたちのあまりにも素直な褒め言葉に戸惑ってしまい、私はお礼も言わずに「うん バイバイ!」とだけ言って、そそくさと保育園を後にしてしまった。

家路へ急ぐ道すがら、あらためて娘や子どもたちの成長の早さに驚き、嬉しいやら恥ずかしいやらで、いろんなことが上の空になってしまい、家に到着してから、電動自転車の電源を入れずにいたことに気付いた。どおりで汗だくなわけだ。

もう少し冷静な父でありたい。

8月9日(金)

保育園のお迎え帰りに図書館へ寄ったら、一ヶ月に一度の休館日で、これってもうハズレというよりアタリだよなと思いながら、なんとなく空を見上げたら、夕焼けがとんでもないことになっていた。

日が暮れるまで、この美しい夕焼けをじっくり眺めてやろうと思って、近所で一番空の広い多摩川の土手に出てみたら、海からの心地よい風が吹いていて、誰もいない涼しい河川敷は夕涼みに丁度よく、娘と一緒にブランコに乗りながら、暗くなるまで夕焼けを眺めていた。

遅くなったので、まっすぐ家に帰ろうかとも思ったが、惣菜でも買ってこうかと思い直し、商店街を物色しながら通り抜けていたら、新しくできた唐揚げ屋の前で保育園のママたちが立ち話をしていたので、ちょっと混ぜてもらって、ああでもないこうでもないと楽しく意見交換して別れた。

結局、何も買わずに家に着き、よく冷えた瓶ビールを冷蔵庫から出し、栓をプシュッと抜いて、トクトクとコップに注ぎ、ゴクリと一口、プハーとため息。

本は借りられないし、惣菜も買えなかったし、まだパパ友はできないけれど、もしかして、なんか、とても素敵な夏を過ごしている気がしてきた。

8月13日(火)

少し前から、少し愚図りはじめていたのは気づいていたが、とうとう武蔵小山のアーケードで、もう歩けないと言い出した。そこまで頑張ったらなんか冷たいもの食べようと騙し騙し歩かせていたけれど、100円ショップの店頭でシャボン玉を発見し、駄々をこねて欲しがった。

こちらも疲れと暑さで苛々していたので、そんなの買わないよと言って、さっさと先を歩いて行ったら、その場にへたり込んで泣き始め、人通りもあったので仕方なく抱っこして歩いたが、まるで活魚のように腕の中であり得ないぐらい大暴れした。

ペットショップのウィンドウで、子猫たちがじゃれ合っていたのを見つけて泣き止んで、しばらく楽しそうに眺めていたので足を止めた。これで機嫌を持ち直してくれると良いのだが、念には念を入れて、先に妻に喫茶店の席を取ってもらっておいて、アイスでも食べさせればもう大丈夫だろうと算段した。

子猫のじゃれ合いがひと段落したので、そこの店でアイス食べる? と聞くと、食べると頷くので、これでもう大丈夫だろうと思ったが、また別の100円ショップの店頭にシャボン玉を発見し、物欲しそうに立ち止まった。

仕方ないので、そのシャボン玉を買ってやると言ったが、このシャボン玉じゃなく、さっきのシャボン玉が良いと駄々をこね、また泣きはじめた。

流石にさっきの店に戻るのは精神的に無理だったので、この店で買わないんだったらもう買わないと告げると、大泣きしながらさっきの店の方に全速力で駆けていったので、マジかよと思いながら後を追いかけると、付いて来るな! と泣き叫び、我々親子の逃走劇に人混みのアーケードが哀れみの視線で埋め尽くされる。

汗と涙でぐしゃぐしゃになりながらさっきの店まで戻ったが、欲しがっていたシャボン玉を手に取るやいなや、力任せにその場でパッケージをこじ開けてしまった。

いや、これ、俺にはもう無理だよ。本当に無理。



子育ては毎日が試練だ。毎日のように自分のドロドロとした部分をほじくり返され、その暗黒面に呑み込まれてしまわないように、必死にどこかにしがみ付いている。SNSに可愛い我が子の写真をアップしている人をよく見かけるけれど、あんな瞬間は奇跡と言って良いだろう。子育ての殆どの時間は、こうしたせめぎ合いの連続で、手放しで可愛い筈の子どもの寝顔すらも、憎くなる時がある。

子どもの虐待の事件が後を絶たない。虐待は絶対に許される事ではないんだけれど、こんな私でも、子どもに手を上げてしまいそうになるスレスレのところで、なんとか思いとどまったという経験がある。

それなのに、分かってて作ったんだろ、とか、努力が足りないんだろ、とか、育て方が悪いんだろとかいったことを、時に婉曲的に、時に直接的に、平気な顔で意見してくる奴がよく現れるので、かれこれもう、頭の中で7人ぐらい殺した。奴らは間違いなく地獄行きだろう。

子どもに手を上げないようにするためにも、父は頭の中を血に染めています。

8月14日(水)

短い盆休みは昨日まで(夏休みは別途支給)で終わり、今日から元気に出勤しているのだが、世の中は盆休み真っ只中なので、当然ながらこちらも開店休業状態だ。

店を開けとくのも大事だけど、もうちょっと人員配置を考えれば、もう少し盆休み長く取れるんじゃねぇの? ぶつぶつぶつ、などと悪態をつきながら、次号の「真平新報」の作業を進めとくかと思っていたら、営業が大慌てでやって来て、何やら訳の分からん説明をはじめるので、で? 何なのよそれは? と鼻をほじりながら尋ねると、また何やら訳の分からん説明をはじめるので、つまり君の単純なポカミスってこと? と耳をほじりながら尋ねると、黙ってしまった。

まあ、早い話は、営業が案件を寝かせていて、お盆明け早々にカンプ(仕上がり見本)を出さなければならないという状況らしいのだが、どう考えても検討と作業の期間がぜんぜん足りないうえに、人の手薄な時期に間に合わせることなど絶対に不可能な内容であることは明らかだったので、鼻をほじりながら「真平新報」の編集画面を指差して、盆明けまでの案件でコレ持っちゃってるんだよね、と伝えると、営業は暗い顔で頷いて、黙ってどこかに行ってしまった。

その後、その営業は夏休みをとっている人に片っ端から出社できないかと連絡し、それが駄目だと分かると、お盆休業している下請業者にも片っ端から電話をしていたそうだ。

日本の夏はキンチョーの夏 なんつってね。

やっぱり俺は根っからのサボリーマンだな。

8月15日(木)

敗戦(終戦)の日である。
去年も書きましたが「終戦」は造語です 正しくは「敗戦」

会社で昼飯を食べながらNHKの台風情報を眺めていた。四国に上陸した台風の中継映像と、窓の外に広がるどんよりとした東京の空模様を見比べながら、今夜の花火大会は駄目かもな、と諦めのため息をつく。

私の住んでいる町では毎年8月15日に恒久平和を願って花火を打ち上げる。町の行政活動には保育や教育をはじめ多くの不満を感じているが、この花火大会だけは評価している。

その昔、私の祖父は兵員として陸軍に取られ、戦線には送られなかったものの、終戦後もずっと行方不明で、しばらくして松代で見つかった。その昔、私の祖母は電話交換手として満州で従軍し、終戦直前に命からがらハルピンから帰ってきた。祖父母とも戦時中の話をよく聞かせてくれた方だと思うが、松代のことや引き挙げことは絶対に語らなかった。その絶対に語らなかったという事実が、戦争の凄惨さを充分に物語っている。

さっきSNSのタイムラインに花火中止の投稿が流れてきた。残念だが、台風だから仕方ない。

祖父母たちが絶対に語らなかったということを、娘がもう少し大きくなるまでに、私はきちんと語れるようになっていなければならないし、そうした祖父母がいたことで今の我々があることを、私はきちんと伝えられるようになっていなければならない。

8月20日(火)

コレぐらいの空模様なら傘はいらないな、と思って出掛けたら、乗り換えの有楽町駅に到着すると見事に土砂降りで、自分の予測の悪さを呪わずにはいられなかった。

職場の最寄り駅に到着してみると、まだ雨は降っていなかったが、今にも降りそうな真っ暗な空模様だったので、早足で職場へ急いだ。

職場のエントラスの回転扉に飛び込んだと同時に、バケツを引っくり返したような雨が振りはじめた。間一髪ではあったが、なんとか濡れずに来れたので、とりあえず予測成功だ。

近頃の天気は過激で猛烈で出鱈目すぎる。まるでツイッターのようだ。

もう少し穏やかな世界を私は望む。

8月23日(金)

私の職場の給料日は毎月25日である。今月の25日は明後日。日曜日なので金融機関が休みだ。だからそんな時は給料の支給日が前倒しされることが多い。私もさっき給料明細を貰ったばかりだ。涙がチョチョ切れる明細だ。

ん? そんなことは社会人の常識だって?

いやいや「真平新報」は毎月25日発行ですが、日曜日で作業できない(したくない)ので後ろに倒しま~す! 26日発行で~す! ご期待くださ~い!

8月27日(火)

また気難しくなってきはじめた娘の対応で首と脇腹を痛めてしまったうえに、ここのところの気温の変化で夏風邪をひいてしまったため、週末の娘の対応はできるだけ妻に委ね、私は家の片付けやら掃除やら洗濯などのサポート側に回らせてもらった。

おかげで、なんとか無事に週が明け、まだ万全ではないものの、少しはマシになってきたので、俺も第一線で頑張るぞ! と思った矢先、妻が腰をやられてしまった。

二日空けずに同じ子を持つ親が交代でやって来るなんて、どれだけ凶暴な子どもなのだろうかと、整形外科医もさぞかし驚いたことだろう。

まあ、そんな日々です。

8月28日(水)

昨日も記したが、父母そろって満身創痍のため、日常生活の様々な部分に影響が出ている。 ただ、その影響は悪いことばかりではなく、けっこう良いこともある。

自由奔放に振る舞う娘に対して、いつもなら先回りして口出してしまう場面でも、我々にその気力や実行力が無いので、放置しておくことになるのだが、案外平気に娘は乗り越えていくことが分かったのである。

いかに我々が娘を信頼せず、様々な機会を奪っていたかを痛感させられたのだった。我々の傷が癒えたあかつきには、もう少しおおらかに見守ってやろうと思った次第である。


ちなみに昨晩は、プラスドライバを引っ張り出し(普段なら使わせない)てきて、ちょっと複雑な機構の玩具のカメラを解体し、また元通りに直したのであった。 メカ娘か?

8月29日(木)

娘が歯磨きを頑なに嫌がるので、動画を見せながら騙しだましの磨いてやっていたら、変な体勢が祟ったのか、右の脇腹の筋がグリッと唸って激痛が走った。

その後、違和感はあるものの痛みは無かったので、気にせず過ごしていたのだが、一週間ほど経ってからジワジワと痛みはじめてきた。

整形外科に行って湿布と痛み止めを貰って様子をみていたのだが、一向に改善の兆しが見えなかった。再度通院してレントゲンとエコーの検査を受けたのだが、原因はよく分からなかった。

痛みが取れないまま、今度は夏風邪を併発したようで、喉と頭が痛くて全身も怠いので、内科に診せに行くついでに脇腹のことも相談してみたが、やはり原因は分からず、風邪薬と痛み止めで様子をみることとなった。

医者にも分からない症状を抱えたまま、二週間近く改善の兆しが無く、非常に心細くなった私は、グーグルに「右脇腹」「痛み」「続く」というキーワードを入力し、Enterキーを押してみた。すると、検索結果の一番上に表示された某大学病院のサイトにこう記されていた。

「肝臓がん」
右脇腹、みぞおちあたりの鈍い痛みや張った感じ、全身のだるさ、微熱が時に認められますが、これらの症状はかなり進行した状態で出てきます。



え? つうか? 普通にコレじゃん?

目の前が真っ暗になりそうだったが、悲嘆に暮れている場合ではない。まず今かけている各種保険の書類を引っ張り出し、当面の医療や入院や手術の保障内容を確認。最悪の事態になる前に準備しておかなくてはいけないことが山ほどあるな、などと暗い気持ちで思案していたのが2日前の夜のことだった。

今朝、目を覚ましたら、全快してました。

しかし、40歳を目前にすると自分自身にも色々とガタがきますし、自分のこと以外にも不安材料が多くなるばかりで嫌ですね。

8月30日(金)

朝起きたら、また右脇腹が少し痛いような。。。
ちゃんと検査するかなぁ。

さて、夏(秋か?)休みに国外へ出ようと計画しているところなのだが、去年の苦い経験もあるので色々と慎重に検討を重ねている。正直言って、あんな経験は二度としたくないからねぇ。

去年は船旅という特異な状況と少ない情報の中で、判断に迷う場面が多かった。今考えても、あの時の決断が少しでも遅れたり誤ったりしていたら帰ってこれなかったよな、と想像するだけで冷や汗が出てくる。

とは言え、何かが起こる時は起こるべくして起こるので、仕方ない面もある。だから、起きた後の対応が重要なのだが、去年は携帯電話を持っていたのに、かけ方が間違っていてまったく役に立たず、駄目駄目だったのだ。電話のかけ方と現地の連絡先はしっかり調べておこう。実際に現地に着いたら試しにかけてみるのも大事だな。

あと、現地での行動用にリュックサックを持ってこうかと思うのだが、容量を18㍑にするか25㍑にするかで迷っている。いや、やっぱりリュックよりショルダーの方がいいかな? 財布はどうするか? それに雨対策も考えないとな。。。

とまあ、俺一人だったら何も考えず、着の身着のままアッパラパーで行けるのだが、子連れ旅行は心配だらけだ。

気楽で気侭な旅行ができるのは、いつの日になることやら。

8月31日(土)

朝起きたら、目ヤニがひどくて目が開けられなかった。。。
俺の身体の調子はどうなってんだ。

さて、今日も夏(秋か?)休みの旅行のリサーチをしているところなのだが、食べに行きたい店が多すぎて、1日5食ぐらいで回らないと消化できないぐらいの数のレストランをピックアップしてしまった。

まあ、入れなかったり、休みだったりした時の保険と考えればいいのだが、しかい、ネットでリサーチしてると欲望のままにピックアップできてしまうので、歯止めが効かなくなってしまう。

便利なようなのだが、気分はどんどん不自由になっていくような気がするな。もうこの辺で止めておこう。

実際、いちばん重要なことは、現地で娘が歩いてくれるかどうかに懸かっているしな。頼むぞ! 娘!